羅針盤の向こう

一条 しいな

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 ニュースでは雪の話に埋め尽くされていた。ネットのニュースアプリを見ていた。都心はもろい。ちょっとした大雨や雪や風で運行が中止される。僕はぼんやりと夜の顔を浮かべた。チャットルームを見ている。
 なにも書かれていない。それがつまらなくて、夜に話しかけることはできても夜が聞いてくれるわけではない。夜は相変わらずだ。僕に冷たいのだろうか。そうではないと僕は打ち消す。
 動画を見ていた。寒かったから暖房もつけず、布団の中にもぐりこんだ。意味のない時間。みんなは楽しげである。僕だけ隔絶された世界にいるような気分になった。世間に遅れ、みんなは前に進んでいるような。
 そんな気持ちになった。ため息が出た。大学生がそのような気持ちになるのは当たり前だ。時間があまっているから。でもこういう風に過ごしている大学生なんてごまんといる。表面上きらびやかな世界を作っている。
 それがいやならば動けばいいのだ。そう気がついた僕は戸井田のチャットルームに行く。
「よっ」と僕。
「おはよう」と戸井田。
「昼だよ」
 くだらない会話をだらだらとつづけた。会話は彼女さん、夕さんもつづいた。夕さんとなにを話していいのかわからなかった。オタクと言ってもソシャゲをする程度ではなく、同人誌も書いているオタクらしいのは知っている。ソシャゲの話はわからないから、聞き手にまわっていた。
「暇だね」
「おう」
「あっ、ごめん。そろそろゲームしなきゃ。イベントなんだ」
「がんばれ」
「がんばれ」
「休みがほしい」
 やめればいいのにと思わないでもない。ソシャゲはやらないですかと言われたのでやってみたが、訳が分からなかった。課金がいやだから、適当にやった。ゲームなんて久しぶりだった。
「本名では呼ばないでユーザー名でよろしくお願いします」
「俺も、な」
「戸井田もやっていたんだっけ」
「まあね、誘われて」
 なんでもいいやと惰性でゲームをしていた。意外なことに暇だとやれることに気がついたが、すぐに飽きた。
 夜のメッセージを見る。夜は未読。ソシャゲをしているだけの僕とSNSをみる暇もない夜、この差はなんだろうかと夜に嫉妬する僕がいた。布団の中でゴロゴロしながら、ぼんやりとしていた。いつの間にか僕は眠ってしまった。
 起きると夕方だった。
 夕日が窓から見える。ため息をついた。そうして夕飯を適当に作る。買ったばかりのフライパンで炒めしを作る。残り物だ。むなしい気持ちになった。
 ああ一人なんだと僕は気がついた。泣きたくなるような気持ち、でもこんなことで泣くなんて思う。自分が寂しいと感じるのは久しぶりだった。夜のことが頭に浮かんでいた。夜のことを考えていたらそんな気持ちになった。
「会いたい」
 既読だろうなと思った。
「近くのコンビニ、駅前の○○○に来い」と書かれた。だから寝癖も直す暇もなく、服を着替えて駆けていく僕がいた。僕の前には冷たい風と暗い世界が待ちかまえていた。それでも一瞬怖かったが、夜がいるとだけで怖くなかった。駅前に走っていく。
 すぐ近くでもない。歩いていくとちょっとだけかかる。走っていくのは嬉しい気持ちを消化したかった。走りたかったからだ。じっと歩くなんてしていれなかった。雪はもう溶けていた。墨みたいにアスファルトを黒く染める程度。
 自分のスニーカーがアスファルトを蹴り出す。体重が足に乗り、蹴る。スニーカーがすれる音が聞こえた。それを聞きながら妙に興奮している僕がいた。どうしても夜に会いたい。それが夜に通じたようで嬉しかったからだ。人通りが多くなった。ゆっくり歩く。
 みな寒いのか顔が赤い。化粧を施している人はさすがにわからなかった。着ているジャケットやコート、吐く息で寒さが伝わってくる。
 コンビニには夜がいた。雑誌を読んでいた。だから、肩を叩いた。蛍光灯の明るさが夜の黒髪を輝かせていた。夜が真剣な顔をしている。それだけで僕の気持ちは飛び跳ねていた。
 勝手に緊張していた。薄い肩に手を置く。それだけで僕は夜に触れていると気がついた。
「おっ来た」
 叩いたとたん、夜が言った。よしよしとうなずいていた。商品が陳列された棚を見ていた僕はさりげなく夜を見ていた。
 会いたかったなんて恥ずかしくて言えなかった。だからうんと言っていた。


 ファーストフード店に入った。有線が流れ、騒がしい。人もそんなにいない。気がつけば夜は僕を見ていた。
「おまえ、暇なの」
 いきなり夜が言った。それをうなずくべきか迷った。自分で暇人ということを認めるのは自分のプライドが許さなかった。
「別に」
「ふうん」
「ライブ良かった。新曲楽しみにしている」
 うんと言葉少なに夜がうなずく。照れているようだと僕は解釈した。ポテトを食べる。夕飯は朝に食べようと思った。ハンバーガーを食べる。
「雪降ったね」
「困った。楽器を運ぶのに車だったから、どこも渋滞でしんどい」
「大変だ」
「一言で済むからいいよな」
 恨めしげに夜がこちらを見ている。夜の顔を見ていたら僕は満たされたような気がした。元気そうで良かったと僕は考えていた。
「なに、にやついているんだよ。そんな俺が苦労して楽しいのかよ」
「いや、違う」
 顔が熱くなるのがわかる。絶対に気持ち悪く思われるからいやだった。
「なんだよ」
「別に」
 夜がそれ以上言わなかった。それどころか、夜はニヤリと笑った。
「なにかいいことがあったか」
「ないよ」
 まったくと僕は言いそうになった。夜は機嫌がいいから彼女とうまくいっていることが容易に想像できた。心の狭い僕は機嫌が悪くなる。
「夜はさ。いいことがあったか」
「そりゃあな」
 夜もそれ以上は言わない。だから、僕は夜の長い足を蹴りたくなった。そんなことが許されるならば、していたと思う。しかし、あまり幼稚で大人げない上、好きな人の幸せを祝えない自分が惨めに感じたからやめた。
「あっそう」
「そうだよ」
 マスタードが辛く感じた。そんな文章が頭の中で浮かんでいた。
「そういえば、僕をモデルにした小説ができたよ」
「ふーん」
「面白かった。あと、僕ではなかったよ。楽しかったな」
「なんか、ムカつくな」
 夜が顔をしかめていた。夜がしかめ面を作るのになぜか僕は優越感に浸された。まるで雑草が雨と太陽でぐんぐん伸びるように、僕は楽しい気分が育っていた。脳裏に悪いぞ、やめろという警告を無視していた。
「真澄ちゃんっていうんだ」
「なんだっけ。オネエの」
「そうそう」
「なんかされたか」
「特に」
 ならいいけどと夜がいう。心配してくれたんだと思うと嬉しい気持ちになる。いやらしい奴だと僕自身思った。
「そういえば、ライブ次どこ」
「脈略がないな」
 夜はそう言って呆れた。夜はさて、とスマホで確認する。気がついて「おまえがやれ」と言われた。そうだよなと僕は言った。
「相変わらず、野外ライブはやるんだ」
「うん」
「外は寒いよ」
 まあね、と夜は笑う。ミュージシャンだから平気なんだと夜は強がるようにいう。僕にはちっともわからない理論である。夜が顔を上げる。キラキラとした目とかち合った。
「対バン、するんだ」
「そう」
「彼女とは」
「別に。別れた」
 期待するなよ、そういう時期だったからと夜は言い訳めいたことを言った。有線の曲が耳にこびりついていた。結局僕は答えられなかった。
「ああ、そう」
 夜が不満そうな顔をしたらもっと違っていたのに。あのあまいメロディーはいったいなんだろうか。あのライブの優しいメロディーは一体。そんなことを僕は考えていた。
 夜の顔を見ても結局答えはない。
「自分がどんな顔をしているか、わかっているのか」
「えっ」
「悲しい顔をしている」
「違うからな」
 これはと言って、自分がそんな顔をしていたのかわからなかった。ただ、わがままな自分がいやになった。ポテトを食べるだけの人間に僕は成り下がっていた。


「寒い」
 外に出た瞬間、僕はそう言っていた。夜は暖かな格好をしていた。お互いに雪だるまみたいな格好。それだけ寒かったからだ。
「軟弱」
 夜が楽しげにいう。夜の顔が店のライトで影ができる。僕はぼんやりと見ていた。
「好きで軟弱じゃない」
「どうせ暖房がついている部屋で一日中いたんだろう」
「違う」
 正確には布団の中だが、違うのでいう。夜はカラカラと笑っていた。夜が楽しげならばいいやと僕は思った。
「なにかいいことがあった」
 上機嫌の夜に対して「寝ていないから」とあっさり言った。
「えっ」
「ライブ前になると眠むれない」
 だから明るいのかと考えていた。
「寝ろよ」
「目をつぶっているだけでもいいんだよ」
「気持ち悪くないか」
「気持ち悪い」
「なんかできないかな」
「いらない」
 そういう問題ではないと僕は言った。
「帰られる?」
「酒を飲んだわけじゃないから。安心しろよ」
 クスクスと笑っている。そんな様子を見て僕はヤバいと思った。
「うちに来ない」
 滑るように言っていた。そんな僕を見ても、緊張でガチガチになっている僕を見ていた夜はいいよとあっさり言った。
「なんで」
「なにもできねえよ」
 そう笑って夜が言った。寝不足相手になにかしようとは思わないが、なんとなく僕にはつまらない気持ちになった。
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