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疲れた体をベッドが優しく包む。スーツを脱いで、スエットに着替えた僕はあくびをした。体を休めたいと考えていた。バイトにも行かなくちゃ、と考えていた。
鈴さんはインターンだから遠慮してくれたけど、それでもスケジュールはびっしりと書き込みがある。バイトをどうしよう。
休むだけと言い聞かせた。朝になり、アラームが鳴り響いていた。バイトに向かう、体が重くてだるい。ずんっとした疲労が蓄積されているのがわかる。
「あー眠い」
「拓磨。どうした」
きつい声で言われるから無理やり動く。休み時間になると疲労がドッと寄せてくるようだった。おばちゃん達のおしゃべりが騒音に近いと思うくらいだ。だるい。
「おう。大丈夫か」
エナジードリンクを飲んでいる僕に喜一さんは呆れたものを見ている。
「辞めれば」
「いえ、この仕事好きなんで」
喜一さんが驚いた顔をした。そうして、ふうんとつぶやいた。そうして缶コーヒーを飲んでいく。おばちゃん達は相変わらずおしゃべりをつづけている。
言った僕自身歯驚いている。好きなのか、僕、この仕事が。だからって働き口を今から探すのは大丈夫か。
「パン屋なんていつでもなれるさ。やる気と根性さえあれば」
いきなり、喜一さんが言った。喜一さんは嬉しそうな顔をしていた。僕は戸惑い気味に笑っていた。喜一さんは肩をポンと叩く。叩くというより、ポンと肩を触るに近い。
「無理するなよ」
「無理していません」
「休みたいなら休め」
「休められないときは」
「ここを出て行くんだ」
優しげな口調で残酷なことを喜一さんは言った。僕はそれを聞いてやっぱりと思った。そうだよな、というのが理性でいやだと言っているのが本能だった。
バイトは楽しい。インターンを今更やめられない。仕事だから。
「俺から姉貴にも言う。大丈夫だ。そんな泣きそうな顔をするなよ」
また違うところで雇ってもらえよと言われた。僕はうなずいた。鈴さんに言わなければならないのは確かだ。
「また雇ってもらいたいです」
「姉貴次第だな」
仕事が終わって鈴さんを呼び出す。鈴さんと僕で話し合いが始まっていた。男手足りないから鈴さんは僕がやめるのを渋っていた。それはわかる。さすがにまた雇ってほしいとは言えなかった。
鈴さんは険しい顔をした。僕は何度も頭を下げていた。
喜一さんはなにかいうかもしれない。
まだやめるには時間がかかると言われた。それで僕はうなずいた。ほっとしたのか、悔しいのかわからなかった。
「疲れた」
ベッドに沈みこみ前にレポートを作成する。あと、敬語をマスターするように本の内容を暗記する。そうしている内に眠っていた。気がつけば朝だった。
だるい、仕事に行かなくては。だるい体を起き上がっていた。
「えっ、バイトしているの」
「うん」
僕は苦笑していた。拓磨、バイトをやめとけと言われた。彼は苦笑した。給料もらっているんだから、バイトをやめろ。というのが本音らしい。インターンも最終段階である。一人で営業することになった。
「俺、教習所に通っているけどそれでもキツいよ」
「うん」
「やめとけ。労災に引っかかるって」
ケラケラと彼は笑っていた。
でもやめたらどうしよう、やめどきかもしれない。ずるずると引きずるように考えていた。営業を出ることにした。車は使えないから電車やバスを乗り継ぎ、営業をしていく。
いやな顔をされる、住宅街で営業するときは特に迷惑ですと言われるときもある。背広姿で歩いていく。気がつけば汗びっしょりで靴はガタガタ。靴屋に入って変えてもらう気力もなかった。
自分は営業という駒になるだけだった。気がつけばつらい。自分の足りない部分が見えて悔しい。
会社についたときはくたくたでレポートを書かなければならないのかと思わずつぶやいた。結果は散々だった。みな、同じような人はいないだろう。
苗さんは満ち足りた顔をしているかと思ったがそうでもなかった。
「まあ、いいか」
レポートを読んでいる上司はうなずいた。ここをこうした方がいいと言われた。メモをする。優しい人だと思う。熱心に語るその姿は本当にこの仕事を愛しているとわかる。この会社を愛している。
そんな熱意にあふれて、僕はかっこいいなと思った。
インターンが終わる。春休みも終わる。疲れた顔をした僕に鈴さんは「インターンが終わって良かったわね。で、やめるの」と問いかけてきた。
「やります」
ふうんと言っていた。喜一さんは残念そうな、嬉しそうな顔をしていた。
自分がたくましくなったと思えないけど、自分は強いんだと気がついた。バイトもこなした、インターンもなんとかこなした。
「で、将来のことは決まった」
「まだ」
鈴さんは顔をしかめて「うちに働くつもり」と冗談を言っていた。安いけどとねと言われた。鈴さんはちょっとだけ楽しそうな顔をした。
暑い厨房の中でパンが焼ける匂いがした。
暑いのだが、汗だくで野外に出ると汗で体が冷えていく。溜め息をついて僕は缶コーヒーを買った。
「やめればよかったのに」と喜一さんはベンチに座って缶コーヒーを飲みながら言った。夜の商店街がまぶしい。僕は裏口の小さな販売機の前にベンチを見た。
「ここが好きってわかりました」
「今から専門学校に行くのか」
「わからないです。とりあえず、もう少し」
「おまえ、大学生だから余裕綽々みたいだけど。うちは雇えないぞ。バイトくらいだ」
「やっぱり」
うんうんと喜一さんが見た。
「もっと真剣に考えろよ」
「はい」
喜一さんは頭をかいた。なにか恥ずかしいような気持ちになっているんだろう。喜一さんは缶コーヒーを飲む。僕はその隣に座っていた。
スマホを見る。夜のメッセージが届いていた。今ライブをやっている。ストリートで。と書いている。気がつけば行きたかったと書いた。
「なんだ、にやついて」
「なんでもありません」
そういうのが精一杯の僕に喜一さんはなにも言わなかった。
「おまえはわからないな。まるで女子みたいだ」
なにが女子なのかわからない僕を喜一さんは一人で笑っているだけだった。楽しげに見える喜一さんが恨めしく、まあ、いいかと僕は考えることにした。
「で、残りの春休みはどうするんだ。旅行か」
「ゴロゴロします」
「まあ、好きにしろよ」
それ以上忠告めいたことは言われなかった。僕は空を見上げた。星が見えないで、月明かりと電光が空を明るくしていた。
「春休みか」
徐々に寒さが緩んできたような気がした。こうしてのんびりとベンチに座って休めるからだ。メッセージのやりとりは会社の人とはあまりしていない。というか、どういう内容で送ればいいのかわからない上、なんだか怖いイメージがある。
「まあ、おまえがやつれていくのを見たから、これやるよ」
これを渡された。ビスケット。小さな袋に入った。懐かしさに僕は目を細くした。そうして喜一さんはなにも言わない。
「ビスケットなんて女子からもらうようなものだけどさ。意外と食べてみると悪くない」
赤いパッケージを連想させる包装紙を開ける。カサカサと口に当たる軽い感触、ポリポリと食べていく。甘いもの、甘いものだと体が歓喜しているようだ。
「疲れたときに甘いものはよくないけどさ。これが終わるまでがんばろうな」
「はい」
そういう喜一さんが心強い。
バイトを終えて、帰り道、夜に会いたくなった。むしょうに。今日のことを語りたいような、そうでもないような気持ちになっていた。
夜の街は静かだった。車が道路を走り抜け、くたびれた人々が歩いていく。家には明かりがつき、帰る人を待っているように窓からだいだい色の光が伸びる。暗闇の中、僕は明るい昼間の記憶を頼りに、暗い道住宅街を歩いていく。
気がつけば、僕の住マンションについた。ぼんやりとした顔をして、暗証番号を入力して、階段を上る。郵便物を確認し、歩いていく。電気代、ガス代の領収についてのお知らせだった。最近のマンションのお知らせも入っている。
それを持って、階段を上がっていく。体が汗ばんでいく。
戸井田や真澄ちゃん、梨田さんやみんなは元気かなと考えていた。そんなことを考えていた。
ベッドにもぐりこんで、動画を見たかったが、僕は分けてもらったパンを食べて、やることをして眠っていた。
夜の体を触る。しっとりとした手触りで、ああこの人はきれいだと感じた。きれいだと汚したい。その肌に跡をつけて、そのまま、さわり続けたい。子供みたいだなと自分で考えていた。子供だな。
大人とは言えない。大人でもそんなに変わらないだろう、僕のことだから。
刹那的な関係だろうか。夜と触りたい。どちらでもいい。どちらとしても構わない。そんなことを考えながら目覚めていた。幸せな気分から足りない、なにが足りないのがわかっているから僕はちょっと虚しさに苦しめられそうになる。
ぼんやりとしたまま、自分の気持ちが溜まっていると気がついた。夜はどうしているんだろうか。他の女で発散しているのだろうか。そんなことがよぎって不安になる。
たまごを割って、パンを焼いて、粉末スープにお湯を入れて考えていた。
「夜に会いたいな」
鈴さんはインターンだから遠慮してくれたけど、それでもスケジュールはびっしりと書き込みがある。バイトをどうしよう。
休むだけと言い聞かせた。朝になり、アラームが鳴り響いていた。バイトに向かう、体が重くてだるい。ずんっとした疲労が蓄積されているのがわかる。
「あー眠い」
「拓磨。どうした」
きつい声で言われるから無理やり動く。休み時間になると疲労がドッと寄せてくるようだった。おばちゃん達のおしゃべりが騒音に近いと思うくらいだ。だるい。
「おう。大丈夫か」
エナジードリンクを飲んでいる僕に喜一さんは呆れたものを見ている。
「辞めれば」
「いえ、この仕事好きなんで」
喜一さんが驚いた顔をした。そうして、ふうんとつぶやいた。そうして缶コーヒーを飲んでいく。おばちゃん達は相変わらずおしゃべりをつづけている。
言った僕自身歯驚いている。好きなのか、僕、この仕事が。だからって働き口を今から探すのは大丈夫か。
「パン屋なんていつでもなれるさ。やる気と根性さえあれば」
いきなり、喜一さんが言った。喜一さんは嬉しそうな顔をしていた。僕は戸惑い気味に笑っていた。喜一さんは肩をポンと叩く。叩くというより、ポンと肩を触るに近い。
「無理するなよ」
「無理していません」
「休みたいなら休め」
「休められないときは」
「ここを出て行くんだ」
優しげな口調で残酷なことを喜一さんは言った。僕はそれを聞いてやっぱりと思った。そうだよな、というのが理性でいやだと言っているのが本能だった。
バイトは楽しい。インターンを今更やめられない。仕事だから。
「俺から姉貴にも言う。大丈夫だ。そんな泣きそうな顔をするなよ」
また違うところで雇ってもらえよと言われた。僕はうなずいた。鈴さんに言わなければならないのは確かだ。
「また雇ってもらいたいです」
「姉貴次第だな」
仕事が終わって鈴さんを呼び出す。鈴さんと僕で話し合いが始まっていた。男手足りないから鈴さんは僕がやめるのを渋っていた。それはわかる。さすがにまた雇ってほしいとは言えなかった。
鈴さんは険しい顔をした。僕は何度も頭を下げていた。
喜一さんはなにかいうかもしれない。
まだやめるには時間がかかると言われた。それで僕はうなずいた。ほっとしたのか、悔しいのかわからなかった。
「疲れた」
ベッドに沈みこみ前にレポートを作成する。あと、敬語をマスターするように本の内容を暗記する。そうしている内に眠っていた。気がつけば朝だった。
だるい、仕事に行かなくては。だるい体を起き上がっていた。
「えっ、バイトしているの」
「うん」
僕は苦笑していた。拓磨、バイトをやめとけと言われた。彼は苦笑した。給料もらっているんだから、バイトをやめろ。というのが本音らしい。インターンも最終段階である。一人で営業することになった。
「俺、教習所に通っているけどそれでもキツいよ」
「うん」
「やめとけ。労災に引っかかるって」
ケラケラと彼は笑っていた。
でもやめたらどうしよう、やめどきかもしれない。ずるずると引きずるように考えていた。営業を出ることにした。車は使えないから電車やバスを乗り継ぎ、営業をしていく。
いやな顔をされる、住宅街で営業するときは特に迷惑ですと言われるときもある。背広姿で歩いていく。気がつけば汗びっしょりで靴はガタガタ。靴屋に入って変えてもらう気力もなかった。
自分は営業という駒になるだけだった。気がつけばつらい。自分の足りない部分が見えて悔しい。
会社についたときはくたくたでレポートを書かなければならないのかと思わずつぶやいた。結果は散々だった。みな、同じような人はいないだろう。
苗さんは満ち足りた顔をしているかと思ったがそうでもなかった。
「まあ、いいか」
レポートを読んでいる上司はうなずいた。ここをこうした方がいいと言われた。メモをする。優しい人だと思う。熱心に語るその姿は本当にこの仕事を愛しているとわかる。この会社を愛している。
そんな熱意にあふれて、僕はかっこいいなと思った。
インターンが終わる。春休みも終わる。疲れた顔をした僕に鈴さんは「インターンが終わって良かったわね。で、やめるの」と問いかけてきた。
「やります」
ふうんと言っていた。喜一さんは残念そうな、嬉しそうな顔をしていた。
自分がたくましくなったと思えないけど、自分は強いんだと気がついた。バイトもこなした、インターンもなんとかこなした。
「で、将来のことは決まった」
「まだ」
鈴さんは顔をしかめて「うちに働くつもり」と冗談を言っていた。安いけどとねと言われた。鈴さんはちょっとだけ楽しそうな顔をした。
暑い厨房の中でパンが焼ける匂いがした。
暑いのだが、汗だくで野外に出ると汗で体が冷えていく。溜め息をついて僕は缶コーヒーを買った。
「やめればよかったのに」と喜一さんはベンチに座って缶コーヒーを飲みながら言った。夜の商店街がまぶしい。僕は裏口の小さな販売機の前にベンチを見た。
「ここが好きってわかりました」
「今から専門学校に行くのか」
「わからないです。とりあえず、もう少し」
「おまえ、大学生だから余裕綽々みたいだけど。うちは雇えないぞ。バイトくらいだ」
「やっぱり」
うんうんと喜一さんが見た。
「もっと真剣に考えろよ」
「はい」
喜一さんは頭をかいた。なにか恥ずかしいような気持ちになっているんだろう。喜一さんは缶コーヒーを飲む。僕はその隣に座っていた。
スマホを見る。夜のメッセージが届いていた。今ライブをやっている。ストリートで。と書いている。気がつけば行きたかったと書いた。
「なんだ、にやついて」
「なんでもありません」
そういうのが精一杯の僕に喜一さんはなにも言わなかった。
「おまえはわからないな。まるで女子みたいだ」
なにが女子なのかわからない僕を喜一さんは一人で笑っているだけだった。楽しげに見える喜一さんが恨めしく、まあ、いいかと僕は考えることにした。
「で、残りの春休みはどうするんだ。旅行か」
「ゴロゴロします」
「まあ、好きにしろよ」
それ以上忠告めいたことは言われなかった。僕は空を見上げた。星が見えないで、月明かりと電光が空を明るくしていた。
「春休みか」
徐々に寒さが緩んできたような気がした。こうしてのんびりとベンチに座って休めるからだ。メッセージのやりとりは会社の人とはあまりしていない。というか、どういう内容で送ればいいのかわからない上、なんだか怖いイメージがある。
「まあ、おまえがやつれていくのを見たから、これやるよ」
これを渡された。ビスケット。小さな袋に入った。懐かしさに僕は目を細くした。そうして喜一さんはなにも言わない。
「ビスケットなんて女子からもらうようなものだけどさ。意外と食べてみると悪くない」
赤いパッケージを連想させる包装紙を開ける。カサカサと口に当たる軽い感触、ポリポリと食べていく。甘いもの、甘いものだと体が歓喜しているようだ。
「疲れたときに甘いものはよくないけどさ。これが終わるまでがんばろうな」
「はい」
そういう喜一さんが心強い。
バイトを終えて、帰り道、夜に会いたくなった。むしょうに。今日のことを語りたいような、そうでもないような気持ちになっていた。
夜の街は静かだった。車が道路を走り抜け、くたびれた人々が歩いていく。家には明かりがつき、帰る人を待っているように窓からだいだい色の光が伸びる。暗闇の中、僕は明るい昼間の記憶を頼りに、暗い道住宅街を歩いていく。
気がつけば、僕の住マンションについた。ぼんやりとした顔をして、暗証番号を入力して、階段を上る。郵便物を確認し、歩いていく。電気代、ガス代の領収についてのお知らせだった。最近のマンションのお知らせも入っている。
それを持って、階段を上がっていく。体が汗ばんでいく。
戸井田や真澄ちゃん、梨田さんやみんなは元気かなと考えていた。そんなことを考えていた。
ベッドにもぐりこんで、動画を見たかったが、僕は分けてもらったパンを食べて、やることをして眠っていた。
夜の体を触る。しっとりとした手触りで、ああこの人はきれいだと感じた。きれいだと汚したい。その肌に跡をつけて、そのまま、さわり続けたい。子供みたいだなと自分で考えていた。子供だな。
大人とは言えない。大人でもそんなに変わらないだろう、僕のことだから。
刹那的な関係だろうか。夜と触りたい。どちらでもいい。どちらとしても構わない。そんなことを考えながら目覚めていた。幸せな気分から足りない、なにが足りないのがわかっているから僕はちょっと虚しさに苦しめられそうになる。
ぼんやりとしたまま、自分の気持ちが溜まっていると気がついた。夜はどうしているんだろうか。他の女で発散しているのだろうか。そんなことがよぎって不安になる。
たまごを割って、パンを焼いて、粉末スープにお湯を入れて考えていた。
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