羅針盤の向こう

一条 しいな

文字の大きさ
79 / 83

58

しおりを挟む
 僕は真澄ちゃん達と別れた。バイトがない。やりたいことがあった。近くにパン屋があったはずだと考えていた。財布を確認すると、なんとか買えるかなと考えていたが、結局やめた。
 自分でパンを作ってみる方がいい。バターの香りに包まれたいと脳が反応している。僕は日差しの中、目を細める。暖かい日が髪の毛を赤くする。そうして、光の中を歩いていく。そこだけスポットライトで照らされているような熱さだ。
 そうして、歩いていく。見えるのは、キャンパスである。芝生が青い。そこにいつもならば生徒達の話す声や寝転ぶ姿が見えるというのに、なにもない。そうか、春休みだからかという実感がようやく伴う。
 木蓮の花が白く蕾を膨らませて、すぐに咲きそうな予感を感じる。春だな、もうすぐ僕は二年になる。ゼミやら、就活に向けて本格的に動かないと思う。就活か学校生活かどちらかを選ばないと、考えるときだ。すでに一年から就活にバイトのシフトを合わせている人もいる。
 思いの外、僕らの時間は限られている。そう気がついた。そうして、僕は問いかける。なにが楽しい? と。
 キャンパスの外に出て、自分の部屋、家に戻ろうとする。そこにあるのは、いつものアパート。
 アパートの横には同じようなビルがある。そうして、僕はセキュリティの暗証番号をボタンに入力してから中に入る。その前に郵便がないか、探す。学生の税金の免除の書類を書いていないことに気がついた。
 急いで書かなければと気がついた。仕事はまだまだある。洗濯物を干したから入れて、掃除しなきゃなと考えていた。
 やることは山積み。叫びそうにはならないが、肩に重みを感じるのは確かだ。それを疲れなのか、気持ちだけの問題なのか、よくわからない。
 仕事はまだまだ。実家にいたら気がつかない。母親がどんなに働き者かと痛感するのはこういうときばかりだ。
 メッセージが届いている。姉からだ。なにをやっているの。一瞬だけ息苦しくなる。苦しくて息を止まるような気持ちになる。
『大学にいた。進路相談』
 と、返すだけだった。姉が僕のなにをするわけでもないのに、命令するのが気に入らないのだ。心配している、大切にしているとわかっていても、息苦しさを感じてしまう。そんなことはワガママだとわかっている。
 こんがらがった糸を見ているような気持ちになった。ここで呆然と立つわけにはいかない。
「早く行かないと」
 階段を上る。体が重いような気がする。無理やりと体を動かしていた。そんな僕の目には青空が強く印象に残っていた。青い空がいつもよりずっと青く見えていたからだと思う。
『拓磨。あんた、それで、バカなことは考えていないわよね』
 なんでこの人はこうも人の気分を害するんだろうと思う。心配しているからじゃないかと心のどこかでいいたくなる。しかし、大切に思っているんだと言い聞かせていた。そうしないと、反抗期の少年みたいになるのはわかっているのだ。
『似たような業種があるからそれでもいいんじゃないかって』
 ふうんと言われた。もっとひどいことを言われたけど、僕は我慢した。あけすけのない言葉は姉の特権である。ただし、それは自分のときだけでの特権で、旦那の相手がそれをしたら返り討ちにされるのはわかっている。
『これから書類、税金の免除の書類を書いて。あと掃除したいから、じゃあな』
 わかったよと素直にメッセージは終わっていた。それにホッとした僕がいた。なぜか、わかっている。お互いの価値観が違う。それでいて高圧的な姉の態度がいやなのだ。なにかを知っている先輩だが、バカにしすぎではと思う。まるで監視をされているみたいで息苦しい。それは贅沢なことかもしれないのに。
 昔から姉の言うことを聞けと言われていたからか。その反抗かもしれない。そんなことを考えていた。反抗期なんてとっくに過ぎているのに、まだ子供気分が抜けていない。そんな僕を周りは多分ガキと言うだろう。心配してくれるだけでも優しい姉じゃないかと言われてしまうのは当たり前だ。
 部屋に入って、頭がごちゃごちゃとした考えを整理する。自分の気持ちが正しいなんて思っていない。でも誰かに当たり前だよと言われていたい。それは他人? それとも自分? そんなことを考えていた。
 疲れたなとつぶやいた。そうして、手を洗い、洗濯物を入れる。溜まっていた洗濯物の量は多いから、取り込むのも一苦労だ。自分がいけないんだとわかっているから、つらいけどまだマシ。掃除を始めて、窓から暖かい風が吹いてくる。少しだけ埃っぽい。ハタキで叩いて、埃を出す。マスクをすればよかったと思う。掃除機をかけてやれば、スッキリした気持ちになる。
 だるい体に鞭打って、書類を探して、項目を記入する。判子を押す。それで、夕暮れになった。冷蔵庫をのぞくと冷凍食品があるから助かったと思う。
「だるいな」
 それは春だからとわかっている。ラジオをつけると、夜の曲を聴くために買ったラジカセはラジオを聴くものになる。白いラジカセは女の子が好きそうな色だ。
 アンテナを立てて、ラジオをつける。なるべく、よく入るチャンネルを合わせる。音楽が流れていく。洋楽の曲が流れている。懐かしい感じがするが、新鮮な気分になる。夕暮れの中で、僕はまるで新しいものに触れた気分になっていた。
『拓磨。元気か?』
 戸井田からメッセージが届いた。僕はなにげなく見ていたスマホを見て、入力する。そうして、会話をする。元気だと。口が軽くなってパン職人になりたいと書いたら「パンなんていつでも作れるぞ」と言われた。
 みんな、そんな反応だよな。そう乾いたものが浮かぶ。僕はラジオの音楽を聴きながら、しばらくぼんやりしていた。パーソナリティが元気よく、機嫌よく話す。まるで自分に話しかけてくれるようで嬉しい。
 メッセージが読まれる。それにパーソナリティが答える。それだけ。
『姉貴に大学はやめるなと言われた』
『どうすんの』
『つづける。そう決めた』
『まあ、それが普通だな』
 心配されているのか、よくわからない。吐き出したかっただけかもしれない。姉の愚痴を言いたい、それをぐっとこらえて、違う話題をする。
『ゼミどうする?』
 そんな話をする。なにに興味があるから、その分野に行くとか。ゼミの見学会があるから、それに一緒に参加しようという話だ。レジュメが掲示板のネットに上がっているからダウンロードか、冊子をもらうか、という話。
『冊子もらうの。面倒』
 そんな会話をする。そうして、結局ダウンロードすることになった。スマホから読み込むのはできるが、やはりパソコンだろうというになる。パソコンを起動して、早速ダウンロードした。
『戸井田はなにするんだ?』
『まあ、論文を書くのは確実だから、それを念頭に。それと、やっぱり就活が終わってから専念するつもりだ』
『就活だよな』
 問題はな、と言われた。
 結局戸井田は勉強より就職が先ということを言い出す。景気が悪いからそんなことを話す。大学に出るくらいだから、親も期待していると話す。確かに父親もなにも言っていないが、安定した職を望んでいるということを僕は思い出した。
『気が重い』
 僕が言うと『まあ、俺達の人生だから、な。外野は静かにしてほしいよな』と言われた。親の期待にそうつもりは戸井田にはないようだ。それが羨ましい。なぜなら僕は気にしているからだ。姉に言ったのは、止めてほしかったからかと考えていた。姉の反応イコールが家族の反応だからだ。自分でも反対されるのはわかっていたのではないか。
 だから、一番厳しく、高圧的な姉にブレーキをかけてほしいのではないか。母親だったら簡単に承諾しそうだ。
 保守的な僕らしい、巧妙に考えていた逃げ道の確保かもしれない。逃げたくないのに、逃げる算段を取っていた。色々とそう考えて、違うとも言える、そうだともう言えるのだ。
 結局僕はただ、あまえている。姉の優しさに今の現状にも。そんなことを考えて、自分を責めることはやめようかと思った。自分の選択は正しいかなんてわからない。でも、自分の心のままに選んだということにする。だから、後悔はないはずだ。
『おーい、パン職人』
『嫌味かよ』
 戸井田は笑ったスタンプが押されていた。それがなんだか、少しだけ楽な気持ちにさせてくれる。そう、僕は迷っている。この道が正しいのか、間違っているのかさえ、わからない。だから自分の気持ちを向き合っていくしかないのだ。
 戸井田の職種を聞いた。意外なことに彼は真剣だった。その真剣さは僕にあるのかわからない。僕は会話を切り上げて、パン職人以外の職種を調べることにした。それくらいならばできる。それでアンテナが反応すればしめたものである。
「ありがとう、戸井田」
 そうつぶやいている僕がいた。なんでそんなに迷うのか、自分の気持ちが見えない。なかなか、本音を言ってくれない自分に焦れているのか。喜一さんに言われたことを思い出す。
「自分が面白いと感じたことに正直になる」と勝手な解釈をつけた。スマホで調べてみると、色々と不安になることがある。それでも前に進まなきゃと僕は考えていた。
 喜一さんみたいなパン職人になりたいのかと自分で問いかけていた。そうしなきゃわからない。ときめいたのは確かだったからだ。それは嘘じゃない。そんな自分が頼もしくなる。そういうものであると信じている。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...