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前編
第三章 学校-2
しおりを挟む「でっかい樹だろ」
声をかけられ、ディルクははっと通訳呪文を唱え直す。
ボビイが目の前でへへんっと胸を反らし、何故か得意そうに説明した。
「この街のシンボル。なんと! 樹齢千年なんだぜ!」
(嘘つけ。八百年だろ!)
咄嗟に突っこもうとして、思いとどまる。オーラでわかるなどと説明はできない。
「てっぺんまで登ると、すっげぇんだぜ。街全部見渡せて最高! お前も見たいだろ、な!」
そういえば、登り方を教えてくれるとか言っていたか。
「おおーい、ボビイ、みんな来たぞ! 登って見せてくれよー」
思い思いに遊んでいたクラスメイト達が、いつの間にか集まっている。
「おお、よーく見てろよ!」
皆の顔を見渡し、張り切ったボビイは、気合いを入れて大樹の幹に足をかけた。
(何故わざわざ「登る」んだろ。山を「登りたい」みたいなものかな)
そんなことを考えながら、ボビイを眺めていると、ふっと甘い香りと人影がディルクの目の前を通り過ぎた。
「あっ」
咄嗟に目で追い小さく声を漏らすと、その人影は驚いたように振り返る。
若く美しい男性とも女性ともとれるその姿ーーーー精霊だ。
やはりこの世界でも、樹齢八百年ともなる老樹だと、このくらいしっかりとした精霊がいるようだ。
ただ、彼の他には誰も見えていないようだが。
精霊はディルクと目が合うと、まっすぐ彼の元へやって来た。
「えっと、『こんにちは……?』」
先程と同じように精霊の言葉を使って話してみるが、目の前の彼……もしくは彼女は、首を傾げるだけだった。
「もしかして、人の言葉の方がわかる?」
通訳魔法を使った要領で声を出すと、精霊は軽くうん、と肯定の意を示した。
『君ハ誰? コノ世界ノ人間ジャナイノ?』
今度は科学世界の言葉が、ディルクの頭に直接流れ込んでくる。
「えっ、テレパシー? ごめん、俺この世界の言葉はわかんなくて。貴方が何を言っているかわかんない」
ディルクの通訳魔法は、言葉そのものを翻訳しているわけではない。
相手が発した音波を近い意味に変換しているだけで、むしろ音楽に感覚が似ている。元々動物と会話する時の魔法である。
だから音の伝達を介さない、頭に直接流れ込んでくる言の葉は理解出来ない。
「俺は隣国から来た魔法使いだからね」
言うと、精霊は驚いた表情を浮かべた。そして同時にはっと警戒したのが伝わる。
「あ、いや、別に戦おうって来たんじゃないから」
ディルクはこの精霊ーー街を見守る存在にとっては外敵になりうるが、そんないらない不信感など与えたくなかった。
「きゃあああああああ」
突然のクラスメイトの悲鳴に、ディルクと精霊は同時に振り向いた。
見ると、先程得意満面で木登りを始めたボビイが足を滑らせたのか、樹の枝に両の腕だけで宙吊りになっている。
精霊の顔がサッと青ざめた。
少年が辛うじてぶら下がっているあの枝は強くない。わかる、もうすぐ折れるーーと。
浮遊出来ない人間達は、このままでは落ちてしまう。そして精霊自身に彼を救う力などない。
精霊は慌てて周りを見渡したが、大人や頼りになりそうな人影はなかった。
本体である大樹の元には、子供達ばかりであり、なす術もなく落ちそうな彼を見上げて騒いでいるだけである。
そのうちの一人が携帯を取り出し、何処かに連絡をした。
しかし近所であれ、この場所に到着するのに、相応の時間は必要だ。それまで子供の体力と、何よりぶら下がっている枝が持ちそうにない。
ふっと精霊が、唯一自身の姿を見ることができる隣国の少年に目をやると、彼は不思議そうに、落ちそうなクラスメイトをぼけっと眺めているだけだった。
『ネエ! ナニ落チ着キハラッテイルノ! アノ子落チルヨ! モウ枝ガ折レル!』
必死に叫ぶが、彼にその言葉は通じない。
「え、何? なに慌ててるの?」
きょとんとするディルクに、精霊の怒りが湧いてくる。
確かに自分は無力だが、だからと言って、クラスメイトが危機なのに、焦りや心配の一つもせず平然と眺めているだけなんて、と。
しかし、次のディルクの呟きで、精霊はようやく彼の思考を理解した。
「なんでいつまでもぶら下がっているんだろう。飛ぶか、飛び降りるかすればいいのに」
魔法で飛ぶことが出来る魔法使いにとって、高所というのはそこまで危険な場所ではない。
つまり今現在、クラスメイトが危機だということがわかっていないのだ。
しかし裏を返せば、この魔法使いの少年には、彼を助けることが出来るということではないかと。
精霊はそれに思い当たると、慌てて身振り手振りを始めた。どうにかわかってもらわないと、彼らは飛べないんだと伝えないとーー必死に口をパクパクさせる。
しかし、そうこうしているうちに枝にヒビが入っていった。ガクンと子供の身体が傾く。
ボビイは耐えきれず泣き出した。
「落ちる、落ちるよおおお! 誰か助けて、うわああああん」
「え、落ちる?」
不思議そうにディルクが傍らを見やると、精霊は泣きそうな顔で首肯した。
「えっと、飛んだりする科学とかってあるよな?」
精霊はこれでもかというくらい頭をぶんぶんと横に振る。
「え、嘘だろ? だって飛べなかったら……落ちるよな? あの高さから。着地しても平気なくらい身体が丈夫なのか?」
ぶんぶんぶんぶん。
「え、え……?」
ディルクが事の危険性を把握するか否かというところで、ついに枝が折れ、ボビイの身体が宙に放り出された。
「ちょ、嘘だろ……浮け! 飛べ! 風よっ」
ディルクが慌てて飛翔魔法を唱えると、突如落下するボビイの周りに風が起こった。
地面に激突する寸前、間一髪でふわりとその身体が静止する。
「え、あれ?」
クラスメイト達が目をつむる中、ボビイが間抜けな声をあげた。その声に皆も次々につむっていた目を開ける。そして、そのあまりに信じがたい光景を目にして、一斉に静まりかえった。
ボビイは目の高さ辺りでふわふわと宙に浮いていた。
そしてゆっくりと下降すると、どこを打ち付けることもなく地面に降り立ったのだ。
「や、ば……つい」
はっと我に返ったディルクは思わず目を覆った。
この世界で通訳以外の魔法は自粛していたのに、と。
ボビイ達は、落下の恐怖と、助かってホッとした反動なのか、今度は一斉にわんわん泣き出した。
少し遅れて大人達がやって来て、次々に子供達を保護して行く。
だが、誰もディルクの方には注意を向けなかったので、彼はほっと胸を撫で下ろした。よかった、ボビイは助かったし、誰も今の魔法をわかっていなかったようだと。
ふとディルクが傍の精霊を見やると、とびきりの笑顔を向け、なにかをしきりに言っていた。
「うん、うん、感謝してくれてるんだね。わかったわかった」
はあっとため息をついて呟く。
「もうやらないぞ……俺だって正体バレるとまずいんだから」
しかし精霊がその言葉にうんうんと頷いた、その時。
背後でバサッと何かが落ちる音がした。
反射的に二人がそちらを振り向くと、そこにはもう一人のクラスメイトが驚いた顔をして突っ立っていた。
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