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21 母の手紙 母の結婚と俺の誕生。そして、母の悪魔が蘇る
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私は19才で12才年上の孝三さんと結婚しました。
街の舗道の敷石が剥がされて投げられ、戦後最初の万博が大阪で開かれたりして、国中がざわつき、浮かれていた頃のことです。長谷川の家に入り、彼と彼のご両親との四人の生活が始まりました。
それはそれまでの牢獄のような雁字搦めの幽閉生活とは全く違う、自由で温かく安らぎのある時間でした。
お義父さんとお義母さんは実の娘のように私を迎えてくれました。
「こういうのは洋子さんはどう思うかい」
「これなんか洋子さんにはピッタリと思うんだけど、どうかしらねえ」
ご一緒にお買い物などに行くとき、こうしたさり気ない風で私を人間として扱って下さる義父母に、戸惑いを感じ泣き出してしまうこともありました。
「どうしたかな。何か気に障ることでも」
こんなに自分を心配して下さるお義父さんに申し訳ない気持ちで一杯になりました。
「違います。嬉しくて、ただ嬉しいんです。嬉しくて、どうしたらいいか、解らないのです」
実家での生活を悪し様に言う事もできず、私はただそう言うしかなかったのです。
その後お義父さんとお義母さんはいろいろと察して下さった風で、何もなかったように話しかけて下さり、それ以降、私の情緒が突然乱れても知らないふりをしてくれました。一人の人間として尊厳を尊重してくださる。暖かく優しい空気に戸惑いつつ、少しずつ私は受け入れることに慣れて行きました。私はお義父さんとお義母さんのその優しさに深く感謝したのです。
新婚生活はただ一つのことを除いて、申し分のないものでした。
ただ一つのこと。それはセックスでした。
私はどうしても孝三さんの思いに応えることができずにいました。
夜、孝三さんに布団の中に入って来られると体が震え無意識に彼に背を向けてしまうのでした。つくさなければいけない旦那様なのに、いざその時になるとどうしても体が言うことをきかなくなるのです。
なんやかやと理由をつけて拒み続けていました。優しい孝三さんは最初のうちは私の我儘を許してくれていました。
ですが、ふた月三月と時が経ち、半年も過ぎようとするころになると、まず実家の父から、どうなんだと里帰りの度に詰問されるようになりました。早く孫の顔を見せろ、というのです。
孝三さんまでもが次第にイライラし始め、家に帰っても私に笑顔を見せなくなりました。
そしてそのような夜が続いたある日。
業を煮やした孝三さんが無理やり思いを遂げようとし、それは行われたのです。
私は恐怖と嫌悪感と吐き気を我慢して、ただひたすら耐えました。
そしてあまりの恐怖に気を失ってしまいました。
気が付くと病院のベッドの上にいました。
孝三さんは付きっきりで私の看病をしてくれていました。私が意識を取り戻すと私のベッドに縋り、目に一杯の涙を溜め、私の手を握りしめました。
「許してくれ! 申し訳なかった・・・」
何度も切々と詫びてくれました。
孝三さんの温かい手から彼の温もりが伝わってきました。
彼に対して恐怖や嫌悪感や吐き気以外の感情を持っていることにやっと気づいたのです。それまでの荒涼とした砂漠のような私の胸の中に温かな火が灯りました。
私はベッドに縋って蹲った彼に手を伸ばし、髪を撫で、
「ごめんなさい、あなた。そして、ありがとう・・・」
そう言いました。
彼は私の体をとても気遣ってくれるようになりました。
長い時間、私が寝付くまで体の隅々までマッサージしてくれるようになりました。
「俺は妊娠や出産のことは判らないけど、血流やリンパの流れを良好にしておくことは君の体だけでなく、生まれてくる赤ん坊のためにもいいことだと思うんだ」
実際その通りで、私の体は孝三さんの献身的な施術のお陰なのかみるみる回復し、しばらくすると起き上がれるようになり、散歩したり入浴したりできるようになり、ほどなく退院し家に戻ることが出来ました。
身体も軽く感じ、むしろそれまでよりも健康になったような気がするほどでした。退院後も孝三さんは帰ってくるなり私の体を撫で、安らかに眠らせてくれました。食欲も以前にもまして旺盛になり、やがて胸の中の小さな灯が力強い炎となって体を温めてゆきました。
幾日か経ったある夜、私は隣で眠っている孝三さんに寄り添いました。そして、私の方から孝三さんに口づけをしました。自分の体が孝三さんを求めていたのです。もちろん、孝三さんは私を優しく抱いてくれました。
その夜、初めて女の喜びを知りました。
そして、私は赤ちゃんを身籠りました。
お医者さんにそう告げられ、不思議な感動を覚えました。私の体の中に宿った小さな命を愛おしく思いました。
おなかの中の赤ちゃんは順調に大きくなってゆきました。
孝三さんのマッサージはさらに念入りになってゆきました。次第に膨らんでゆくお腹に耳を当て話しかける孝三さんを可愛いと思いました。
自分の体が変わってゆくのを恐ろしく感じる方もいると聞いたことがあります。私の場合、それはまったくありませんでした。むしろ、早く赤ちゃんに会いたい、会ったら、これもしよう、あれもしてやろうと、幸せなことばかり考えていました。
孝三さんの心を込めたマッサージのお陰なのか、お義父さんやお義母さんのお心遣いのお陰か、精神的にも肉体的にも安定した時間を過ごすことが出来ました。
その甲斐があったのでしょう。初産のせいか十時間を超える苦しい難産ではありましたが、五千グラムに迫るほどの、立派な元気すぎる赤ちゃんを産むことができました。
孝。その赤ちゃんが、あなたです。
初めてあなたを抱いてお乳を含ませたとき、この上もない幸福感で満たされ、気が遠くなりそうなほどでした。
あれもしてやりたい、これもしてやりたい・・・。あなたを身籠り、あなたに会える日を指折り数えていた間に想った、数えきれないほどのことを、本当にしてあげられる。その幸せの中に浸りきっていました。
それから何年かの日々は間違いなく私の人生で最良の日々でした。
このころから孝三さんをお父さんと呼ぶようになりました。お義父さんお義母さんも、おじいちゃんおばあちゃんと呼び始めました。ですから、ここからはそう書きます。
お父さんは相変わらず忙しく留守がちでしたが、それが寂しくないほど充実した毎日が続きました。
あなたは癇が強く夜泣きの酷い赤ちゃんで、度々起こされたものでしたが、そんなことすら幸せに感じるほど、私は満たされていました。
あなたは絵本が大好きで、好奇心の旺盛な子供でした。たまにしか帰ってこないお父さんに人見知りして私の後ろに隠れてしまうのがとてもかわいい、やんちゃな男の子でした。
お父さんはそんなあなたを抱き上げ、あなたとお父さんはすぐ仲良しになりました。
「俺は決めた。こいつには絶対にバレーやらせるぞ。そして絶対にオリンピックに出す」
お父さんがタカイタカイしてくれるのがうれしく、あなたはきゃっきゃっと笑っていました。おじいちゃんもおばあちゃんも、あなたにお父さんの不在を感じさせないくらい、いろいろなところに連れて行ったり、遊んだりしてくれました。
そんな些細なことが涙が出るほど嬉しく、こんなに幸せでいいのかしら、と怖くなるぐらいでした。
もしかすると、突然何かが起って、この幸せな日々が崩れ去ってしまうのかも知れない。
あなたが元気に幼稚園へ通い始め、私にもまた一人でいる時間が戻ってくるようになると、次第にそんな何の根拠もない不安に苛まれるようになりました。一人でいると落ち着かないので、いつもおじいちゃんやおばあちゃんと一緒にいるようにしていました。目の悪くなったおばあちゃんに新聞を読んであげたり、おじいちゃんの肩を揉んであげたり、とにかく、何かしてないと、誰かといないと落ち着かないからそうしていただけなのですが、
「孝三は本当にいい嫁をもらったなあ」
「洋子さん、この家に来てくれて、ほんとに有難う」
お二人から認めていただいたことに嬉しくなり、何とか昼間は不安を感じなくて済むようになりました。
幼稚園から小学校に上り昼間いっぱい遊んでくるようになるにつれ、あなたは朝までぐっすり眠るようになりました。子育てのお手本のように、よく食べ、よく遊び、よく寝る子だったのです。そのせいなのか、あるいはお父さんの遺伝なのか、あなたは成長が早く、クラスの集合写真ではいつも他のお子さんより頭が一つ分ぴょこんと出ていて誇らしくさえ感じていました。
でも、あなたが学校へ行くようになりおじいちゃんおばあちゃんが用事で出かけて家にいない時や、夜になりあなたが眠ってしまった後など、そんな一人の時間は不安でした。不安が高じて眠れなくなる日もありました。
どうしてそんなに不安になるのか、わかりませんでした。私の生活は、不在がちではあっても優しいお父さんがいて、可愛いあなたもいて、優しいおじいちゃんとおばあちゃんに囲まれていました。そのどこが不安なのか。お父さんが帰ってくると、そのことを相談しました。
「そうは言っても、あいつらの面倒をみてやらんとなあ。むしろお前に寮母やって欲しいぐらいなんだ」
いつもそうはぐらかされてしまいます。
そのころお父さんは大学のバレーボールチームのコーチ兼監督として、学生さんたちと一緒に寮に泊まり込んでいました。忙しくなると月に一回も帰ってこない時もありました。
やっと帰ってきてくれても、チームの学生さんとか、同期の方々などお友達をたくさん家に呼んでは朝まで騒いでみんなと一緒に帰ってしまう。そういう日が度々ありました。
お父さんは賑やかなことが大好きな人でしたから、皆さんにもなんとか楽しんでもらおうとお料理やお世話を頑張っていたのですが、元々男の人が苦手な私にとっては苦痛の日でもありました。そしてそういう夜に限って、お父さんは私を求めてくるのです。
「皆さんがいるのに」と言っても、
「だから興奮するんじゃないか」と聴いてくれません。
すぐ横にはあなたが健康そうな寝息を立てていて、襖一つ隔てた向こうにはお友達や学生さんたちが眠っています。私は気が気ではなく、行為に集中することもできす、ただ声を忍んで耐えているほかありませんでした。
耐えに耐えているうちに、私にもお父さんが言った「興奮」という言葉の意味がわかるようになっていきました。あなたを産んでから、私はお父さんを受け入れやすくなっていましたが、お友達が来たときに求められることが繰り返されるうちに、気持ちがいつもより昂ぶるのを感じるようになっていったのです。
そこは私の中の「開かずの間」で、今まで開かないからといって前を通り過ぎていたドアだったのかも知れません。
お父さんがそのカギを見つけ、開くことを教えてくれたとき、私はもう、その部屋の中がどうなっているのか知りたくてたまらなくなっていたのです。ノブを回して扉を開けたくて仕方がなくなっていたのです。
お父さんはそんな私の変化を知ると、私の耳元で、もし誰々が起きていたらどうしようか、誰々が襖の向こうで耳を当てていたらどうする、などと囁くのです。それだけでなく、お父さんはワザと私を襖の方に向かせ、今あいつらが起きて襖が開いたらどうする、と言って私を恥ずかしさで責めるのです。私は片手を口に押し込んで思い切り噛みました。そうでもしないと大きな声を出してしまいそうだったからです。それほど大きく感じてしまいました。こんな世界があったことが信じられず、それに夢中になってしまう自分が信じられませんでした。
でも、その時お父さんはもう一つの事実に気が付いていたでしょうか。
その「開かずの間」に私の邪悪な「女」が居たことを。
女は長い間閉じ込められて恐ろしい魔物に変質していたのです。
お父さんは知らなかったのです。
後にその魔物が私という家の中に放たれ、台所にいる妻の私や子供部屋にいる母親の私を次々に襲い、床の間にいる人間としての私を倒し下僕としてしまうようになるのを。
もちろんその時は、後にそんな大変なことになるとは夢にも思っていませんでした。
お父さんがいない夜、私は自分で慰めるようになりました。そうすると気が紛れるのです。お父さんに抱かれ、目の前の襖の隙間から覗かれることを想像して昂まりました。
不安の正体はわかりました。不安に耐える方法もわかりました。ただ、自分で慰めることが増えるにつれ、私の中の魔物が力を増し、大きくなってゆくのには気が付きませんでした。そのときはまだそれが小さく目立たないものだったからなのでしょう。
街の舗道の敷石が剥がされて投げられ、戦後最初の万博が大阪で開かれたりして、国中がざわつき、浮かれていた頃のことです。長谷川の家に入り、彼と彼のご両親との四人の生活が始まりました。
それはそれまでの牢獄のような雁字搦めの幽閉生活とは全く違う、自由で温かく安らぎのある時間でした。
お義父さんとお義母さんは実の娘のように私を迎えてくれました。
「こういうのは洋子さんはどう思うかい」
「これなんか洋子さんにはピッタリと思うんだけど、どうかしらねえ」
ご一緒にお買い物などに行くとき、こうしたさり気ない風で私を人間として扱って下さる義父母に、戸惑いを感じ泣き出してしまうこともありました。
「どうしたかな。何か気に障ることでも」
こんなに自分を心配して下さるお義父さんに申し訳ない気持ちで一杯になりました。
「違います。嬉しくて、ただ嬉しいんです。嬉しくて、どうしたらいいか、解らないのです」
実家での生活を悪し様に言う事もできず、私はただそう言うしかなかったのです。
その後お義父さんとお義母さんはいろいろと察して下さった風で、何もなかったように話しかけて下さり、それ以降、私の情緒が突然乱れても知らないふりをしてくれました。一人の人間として尊厳を尊重してくださる。暖かく優しい空気に戸惑いつつ、少しずつ私は受け入れることに慣れて行きました。私はお義父さんとお義母さんのその優しさに深く感謝したのです。
新婚生活はただ一つのことを除いて、申し分のないものでした。
ただ一つのこと。それはセックスでした。
私はどうしても孝三さんの思いに応えることができずにいました。
夜、孝三さんに布団の中に入って来られると体が震え無意識に彼に背を向けてしまうのでした。つくさなければいけない旦那様なのに、いざその時になるとどうしても体が言うことをきかなくなるのです。
なんやかやと理由をつけて拒み続けていました。優しい孝三さんは最初のうちは私の我儘を許してくれていました。
ですが、ふた月三月と時が経ち、半年も過ぎようとするころになると、まず実家の父から、どうなんだと里帰りの度に詰問されるようになりました。早く孫の顔を見せろ、というのです。
孝三さんまでもが次第にイライラし始め、家に帰っても私に笑顔を見せなくなりました。
そしてそのような夜が続いたある日。
業を煮やした孝三さんが無理やり思いを遂げようとし、それは行われたのです。
私は恐怖と嫌悪感と吐き気を我慢して、ただひたすら耐えました。
そしてあまりの恐怖に気を失ってしまいました。
気が付くと病院のベッドの上にいました。
孝三さんは付きっきりで私の看病をしてくれていました。私が意識を取り戻すと私のベッドに縋り、目に一杯の涙を溜め、私の手を握りしめました。
「許してくれ! 申し訳なかった・・・」
何度も切々と詫びてくれました。
孝三さんの温かい手から彼の温もりが伝わってきました。
彼に対して恐怖や嫌悪感や吐き気以外の感情を持っていることにやっと気づいたのです。それまでの荒涼とした砂漠のような私の胸の中に温かな火が灯りました。
私はベッドに縋って蹲った彼に手を伸ばし、髪を撫で、
「ごめんなさい、あなた。そして、ありがとう・・・」
そう言いました。
彼は私の体をとても気遣ってくれるようになりました。
長い時間、私が寝付くまで体の隅々までマッサージしてくれるようになりました。
「俺は妊娠や出産のことは判らないけど、血流やリンパの流れを良好にしておくことは君の体だけでなく、生まれてくる赤ん坊のためにもいいことだと思うんだ」
実際その通りで、私の体は孝三さんの献身的な施術のお陰なのかみるみる回復し、しばらくすると起き上がれるようになり、散歩したり入浴したりできるようになり、ほどなく退院し家に戻ることが出来ました。
身体も軽く感じ、むしろそれまでよりも健康になったような気がするほどでした。退院後も孝三さんは帰ってくるなり私の体を撫で、安らかに眠らせてくれました。食欲も以前にもまして旺盛になり、やがて胸の中の小さな灯が力強い炎となって体を温めてゆきました。
幾日か経ったある夜、私は隣で眠っている孝三さんに寄り添いました。そして、私の方から孝三さんに口づけをしました。自分の体が孝三さんを求めていたのです。もちろん、孝三さんは私を優しく抱いてくれました。
その夜、初めて女の喜びを知りました。
そして、私は赤ちゃんを身籠りました。
お医者さんにそう告げられ、不思議な感動を覚えました。私の体の中に宿った小さな命を愛おしく思いました。
おなかの中の赤ちゃんは順調に大きくなってゆきました。
孝三さんのマッサージはさらに念入りになってゆきました。次第に膨らんでゆくお腹に耳を当て話しかける孝三さんを可愛いと思いました。
自分の体が変わってゆくのを恐ろしく感じる方もいると聞いたことがあります。私の場合、それはまったくありませんでした。むしろ、早く赤ちゃんに会いたい、会ったら、これもしよう、あれもしてやろうと、幸せなことばかり考えていました。
孝三さんの心を込めたマッサージのお陰なのか、お義父さんやお義母さんのお心遣いのお陰か、精神的にも肉体的にも安定した時間を過ごすことが出来ました。
その甲斐があったのでしょう。初産のせいか十時間を超える苦しい難産ではありましたが、五千グラムに迫るほどの、立派な元気すぎる赤ちゃんを産むことができました。
孝。その赤ちゃんが、あなたです。
初めてあなたを抱いてお乳を含ませたとき、この上もない幸福感で満たされ、気が遠くなりそうなほどでした。
あれもしてやりたい、これもしてやりたい・・・。あなたを身籠り、あなたに会える日を指折り数えていた間に想った、数えきれないほどのことを、本当にしてあげられる。その幸せの中に浸りきっていました。
それから何年かの日々は間違いなく私の人生で最良の日々でした。
このころから孝三さんをお父さんと呼ぶようになりました。お義父さんお義母さんも、おじいちゃんおばあちゃんと呼び始めました。ですから、ここからはそう書きます。
お父さんは相変わらず忙しく留守がちでしたが、それが寂しくないほど充実した毎日が続きました。
あなたは癇が強く夜泣きの酷い赤ちゃんで、度々起こされたものでしたが、そんなことすら幸せに感じるほど、私は満たされていました。
あなたは絵本が大好きで、好奇心の旺盛な子供でした。たまにしか帰ってこないお父さんに人見知りして私の後ろに隠れてしまうのがとてもかわいい、やんちゃな男の子でした。
お父さんはそんなあなたを抱き上げ、あなたとお父さんはすぐ仲良しになりました。
「俺は決めた。こいつには絶対にバレーやらせるぞ。そして絶対にオリンピックに出す」
お父さんがタカイタカイしてくれるのがうれしく、あなたはきゃっきゃっと笑っていました。おじいちゃんもおばあちゃんも、あなたにお父さんの不在を感じさせないくらい、いろいろなところに連れて行ったり、遊んだりしてくれました。
そんな些細なことが涙が出るほど嬉しく、こんなに幸せでいいのかしら、と怖くなるぐらいでした。
もしかすると、突然何かが起って、この幸せな日々が崩れ去ってしまうのかも知れない。
あなたが元気に幼稚園へ通い始め、私にもまた一人でいる時間が戻ってくるようになると、次第にそんな何の根拠もない不安に苛まれるようになりました。一人でいると落ち着かないので、いつもおじいちゃんやおばあちゃんと一緒にいるようにしていました。目の悪くなったおばあちゃんに新聞を読んであげたり、おじいちゃんの肩を揉んであげたり、とにかく、何かしてないと、誰かといないと落ち着かないからそうしていただけなのですが、
「孝三は本当にいい嫁をもらったなあ」
「洋子さん、この家に来てくれて、ほんとに有難う」
お二人から認めていただいたことに嬉しくなり、何とか昼間は不安を感じなくて済むようになりました。
幼稚園から小学校に上り昼間いっぱい遊んでくるようになるにつれ、あなたは朝までぐっすり眠るようになりました。子育てのお手本のように、よく食べ、よく遊び、よく寝る子だったのです。そのせいなのか、あるいはお父さんの遺伝なのか、あなたは成長が早く、クラスの集合写真ではいつも他のお子さんより頭が一つ分ぴょこんと出ていて誇らしくさえ感じていました。
でも、あなたが学校へ行くようになりおじいちゃんおばあちゃんが用事で出かけて家にいない時や、夜になりあなたが眠ってしまった後など、そんな一人の時間は不安でした。不安が高じて眠れなくなる日もありました。
どうしてそんなに不安になるのか、わかりませんでした。私の生活は、不在がちではあっても優しいお父さんがいて、可愛いあなたもいて、優しいおじいちゃんとおばあちゃんに囲まれていました。そのどこが不安なのか。お父さんが帰ってくると、そのことを相談しました。
「そうは言っても、あいつらの面倒をみてやらんとなあ。むしろお前に寮母やって欲しいぐらいなんだ」
いつもそうはぐらかされてしまいます。
そのころお父さんは大学のバレーボールチームのコーチ兼監督として、学生さんたちと一緒に寮に泊まり込んでいました。忙しくなると月に一回も帰ってこない時もありました。
やっと帰ってきてくれても、チームの学生さんとか、同期の方々などお友達をたくさん家に呼んでは朝まで騒いでみんなと一緒に帰ってしまう。そういう日が度々ありました。
お父さんは賑やかなことが大好きな人でしたから、皆さんにもなんとか楽しんでもらおうとお料理やお世話を頑張っていたのですが、元々男の人が苦手な私にとっては苦痛の日でもありました。そしてそういう夜に限って、お父さんは私を求めてくるのです。
「皆さんがいるのに」と言っても、
「だから興奮するんじゃないか」と聴いてくれません。
すぐ横にはあなたが健康そうな寝息を立てていて、襖一つ隔てた向こうにはお友達や学生さんたちが眠っています。私は気が気ではなく、行為に集中することもできす、ただ声を忍んで耐えているほかありませんでした。
耐えに耐えているうちに、私にもお父さんが言った「興奮」という言葉の意味がわかるようになっていきました。あなたを産んでから、私はお父さんを受け入れやすくなっていましたが、お友達が来たときに求められることが繰り返されるうちに、気持ちがいつもより昂ぶるのを感じるようになっていったのです。
そこは私の中の「開かずの間」で、今まで開かないからといって前を通り過ぎていたドアだったのかも知れません。
お父さんがそのカギを見つけ、開くことを教えてくれたとき、私はもう、その部屋の中がどうなっているのか知りたくてたまらなくなっていたのです。ノブを回して扉を開けたくて仕方がなくなっていたのです。
お父さんはそんな私の変化を知ると、私の耳元で、もし誰々が起きていたらどうしようか、誰々が襖の向こうで耳を当てていたらどうする、などと囁くのです。それだけでなく、お父さんはワザと私を襖の方に向かせ、今あいつらが起きて襖が開いたらどうする、と言って私を恥ずかしさで責めるのです。私は片手を口に押し込んで思い切り噛みました。そうでもしないと大きな声を出してしまいそうだったからです。それほど大きく感じてしまいました。こんな世界があったことが信じられず、それに夢中になってしまう自分が信じられませんでした。
でも、その時お父さんはもう一つの事実に気が付いていたでしょうか。
その「開かずの間」に私の邪悪な「女」が居たことを。
女は長い間閉じ込められて恐ろしい魔物に変質していたのです。
お父さんは知らなかったのです。
後にその魔物が私という家の中に放たれ、台所にいる妻の私や子供部屋にいる母親の私を次々に襲い、床の間にいる人間としての私を倒し下僕としてしまうようになるのを。
もちろんその時は、後にそんな大変なことになるとは夢にも思っていませんでした。
お父さんがいない夜、私は自分で慰めるようになりました。そうすると気が紛れるのです。お父さんに抱かれ、目の前の襖の隙間から覗かれることを想像して昂まりました。
不安の正体はわかりました。不安に耐える方法もわかりました。ただ、自分で慰めることが増えるにつれ、私の中の魔物が力を増し、大きくなってゆくのには気が付きませんでした。そのときはまだそれが小さく目立たないものだったからなのでしょう。
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