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5 出張旅行編
5-4 続・調査員は忙しい
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昼の営業が開始になってみたものの、辛牛亭の店内はガラガラだった。
私はいつものように、入り口に陣取っている。
お客様に最初に接して、案内したり説明したりするのが私の仕事なので、ここが定位置ではあるのだけれど。
今日はこの定位置がひどく居心地悪く感じた。
昨日までとはまるで違う店内の様子を見て、戸惑いを隠せない従業員たち。
やることもなく、ただただ右往左往するだけの状況で、店長だけはいつもの調子でつぶやいた。
「まぁまぁまぁ、今日はずいぶんと閑散としていますわね」
「ご予約以外のお客様の入りも、昨日まではいつもの通りだったのですが」
つい、言い訳めいたことを口にしてしまう。
「何か心当たり、ありませんか、店長」
はっとしたときには遅かった。店長に責任があるようなことを言ってしまった。怒られる。
身を固くする私を、店長は興味なさそうな目で見返してきた。
「わたくしの方が聞きたいものだわ。何か心当たり、ありませんの?」
「それは、その………………」
思わず口ごもる。
これはどういうつもりだろう。
自分のせいではなく、こちらのせいだろうと責任転嫁しているのか。それとも、本当にまったく分かっていないのか。
背後で扉の開く音がして、返答に困った私の肩を、誰かがトントンと叩く。
「すみません。ちょっとよろしいですか?」
聞き慣れない声。
良かった、お客様だ。その場しのぎだけど、とりあえず逃げられる。
「はい、お待たせしました。おひとり様でしょうか?」
クルッと振り向くと、そこにはカチッとした背広姿の男性がひとり。
「ほらほらほら、分かるお客様にはうちの良さが分かりますのよ。さぁ、ご案内して」
とたんに上機嫌になった店長は、従業員たちに声をかけながら、奥へと歩いていった。
料理人たちにも心配ないと言いに行ったのだろうか。まだ、ひとりの来客だというのに。
それだけ、皆、不安がっているのは事実なのだけど。
「あの、食事ではなく。オーナーか店長とお話したいのですが」
しかも、食事に来たお客様ではない様子。
ようやく待望のお客様だと思っていたのに、なにやら、雲行きが怪しい。嫌な予感がする。
近くにいた従業員も、通常のお客様ではないことを悟ったようで、顔にも態度にも出ないようにして、こちらの様子を窺っていた。
「お約束はございますか?」
お客様向けの笑顔をなんとか作り出し、男性に話しかける。
そしてその流れで、従業員に目配せをすると、ひとりがさっと奥へと下がっていった。
先ほどの会話を聞いていただろうから、店長を呼んできてくれるはずだ。店長が戻ってくるまでの間、応対しておけばそれでいい。
「いえ、すみません。急ぎだったもので、約束はありません」
「そうですか。今、確認をして参ります。少々お待ちいただけますか? 席をご用意いたします」
手を挙げると、別のひとりがさっとこちらにやってくるのが見えた。
従業員を見て、慌てる男性。
「いえ、そこまでしていただかなくても。ここで待たせてもらいますから」
「でしたら、今日は日時のお約束をして、また日を改めて…………」
「急ぎの用件ですし、それに時間もほんの数分ですので」
どうにかして、早急に用事を終わらせたい。そんな気配が漂っている。
と、そこへ、
「まぁまぁまぁ。お待たせしました」
店長の声だ。
満面の笑みを湛えて、こちらに近づいてきた。
目の前の男性がホッとした表情を見せる。この表情はどういう意味での『ホッと』なんだろうか。
嫌な予感が拭えないまま、店長がやってきてしまった。
「店長のフィールズです。今、ちょうど手が空いたところですの。問題ございませんわ」
男性と握手を交わす店長。
その後、いっしょに戻ってきた従業員に声をかけ、案内を促す。
「ほらほらほら、中にご案内して」
「いいえ、手短に済ませますので」
男性は握手の手を引っ込めると、即座に案内を断った。
「あらそうですの? ところで、どちら様でしょうか?」
「以前に、王都での臨時出店の件でお話しさせていただいた…………」
「まぁまぁ、そうでしたわね! あの時の方!」
そういえば。王都の百貨店から出店の打診があった旨、聞いたことがあった。
私がここに採用される前の話のようで、実際に引き受けるかどうかの話は聞いたことがない。従業員の間でも忘れられてしまうくらい、注目がなかった話だった。
その話が突然、降ってわいたのだ。
しかも、こんなピンチのときに。
「あらまあ、検討に時間をかけてしまっていて、申し訳ありませんでしたわ」
顔には出さなくても、店長が喜んでいるのは明らかだった。声がいつもよりも高くて明るい。
「臨時出店のお話についてですが……」
万が一、こちらの店がこのまま客足が遠のくことになったとしても、王都に出店し話題になれば、また賑わいを取り戻すだろう。
店長も従業員たちも、そんなことを思っているに違いなかった。
しかし、嫌な予感は当たるものだ。
「はい。残念ですが、今回はご縁がなかったということで」
「はい?」
「次の機会がありましたときには、また、よろしくお願いいたします」
降ってわいたのは、幸運の当たりくじではなく、ハズレくじだったのだ。
男性の返答に、店長だけでなく、従業員たちも固まる。私はただ、他人事のようにその会話を聞くことしかできなかった。
「いえいえいえ、ちょっとお待ちくださいまし」
「何でしょうか?」
「王都出店の件なのですが」
「はい。とても残念です」
目の前で起きていることなのに、どこか遠いところでの会話が、偶然、耳に入ってきているような、そんな感覚を覚える。
「ですから、わたくしどもは、まだお返事はしておりませんわ! なのにお断りしたことになっているなんて!」
「以前、ご説明したとおりですよ」
「お返事の期限は、もう少し、猶予がありましたでしょ?!」
いつもはのんびりした店長の口調が、とても必死だった。
「はい。返事の期限はまだ先ですが、」
「ですよね!」
「評判が落ちてしまったので、出店基準を満たさなくなりました」
「評判?! 基準?!」
「ご説明しましたよね」
「そ、それは…………」
「本当に残念です。それでは失礼いたします」
心から残念そうな表情を浮かべ、一礼すると、男性は瞬く間に帰っていった。
後には、呆然とする店長と従業員たちが残されることとなる。
そしてこの日は夜の営業が始まるまで、お客様が来ることはなかった。
ちなみに。
この昼間の営業の時の話は、なんと、厨房の人間も聞いていたらしい。
なんでも店長の慌ただしい声が向こうにまで響き渡ったようで。普段と違った様子を察し、覗きにきたそうだ。
店長がこんなでは先が思いやられる。というか、先が見えたというか。
新たな決心をした者も中にはいるようだった。
私はいつものように、入り口に陣取っている。
お客様に最初に接して、案内したり説明したりするのが私の仕事なので、ここが定位置ではあるのだけれど。
今日はこの定位置がひどく居心地悪く感じた。
昨日までとはまるで違う店内の様子を見て、戸惑いを隠せない従業員たち。
やることもなく、ただただ右往左往するだけの状況で、店長だけはいつもの調子でつぶやいた。
「まぁまぁまぁ、今日はずいぶんと閑散としていますわね」
「ご予約以外のお客様の入りも、昨日まではいつもの通りだったのですが」
つい、言い訳めいたことを口にしてしまう。
「何か心当たり、ありませんか、店長」
はっとしたときには遅かった。店長に責任があるようなことを言ってしまった。怒られる。
身を固くする私を、店長は興味なさそうな目で見返してきた。
「わたくしの方が聞きたいものだわ。何か心当たり、ありませんの?」
「それは、その………………」
思わず口ごもる。
これはどういうつもりだろう。
自分のせいではなく、こちらのせいだろうと責任転嫁しているのか。それとも、本当にまったく分かっていないのか。
背後で扉の開く音がして、返答に困った私の肩を、誰かがトントンと叩く。
「すみません。ちょっとよろしいですか?」
聞き慣れない声。
良かった、お客様だ。その場しのぎだけど、とりあえず逃げられる。
「はい、お待たせしました。おひとり様でしょうか?」
クルッと振り向くと、そこにはカチッとした背広姿の男性がひとり。
「ほらほらほら、分かるお客様にはうちの良さが分かりますのよ。さぁ、ご案内して」
とたんに上機嫌になった店長は、従業員たちに声をかけながら、奥へと歩いていった。
料理人たちにも心配ないと言いに行ったのだろうか。まだ、ひとりの来客だというのに。
それだけ、皆、不安がっているのは事実なのだけど。
「あの、食事ではなく。オーナーか店長とお話したいのですが」
しかも、食事に来たお客様ではない様子。
ようやく待望のお客様だと思っていたのに、なにやら、雲行きが怪しい。嫌な予感がする。
近くにいた従業員も、通常のお客様ではないことを悟ったようで、顔にも態度にも出ないようにして、こちらの様子を窺っていた。
「お約束はございますか?」
お客様向けの笑顔をなんとか作り出し、男性に話しかける。
そしてその流れで、従業員に目配せをすると、ひとりがさっと奥へと下がっていった。
先ほどの会話を聞いていただろうから、店長を呼んできてくれるはずだ。店長が戻ってくるまでの間、応対しておけばそれでいい。
「いえ、すみません。急ぎだったもので、約束はありません」
「そうですか。今、確認をして参ります。少々お待ちいただけますか? 席をご用意いたします」
手を挙げると、別のひとりがさっとこちらにやってくるのが見えた。
従業員を見て、慌てる男性。
「いえ、そこまでしていただかなくても。ここで待たせてもらいますから」
「でしたら、今日は日時のお約束をして、また日を改めて…………」
「急ぎの用件ですし、それに時間もほんの数分ですので」
どうにかして、早急に用事を終わらせたい。そんな気配が漂っている。
と、そこへ、
「まぁまぁまぁ。お待たせしました」
店長の声だ。
満面の笑みを湛えて、こちらに近づいてきた。
目の前の男性がホッとした表情を見せる。この表情はどういう意味での『ホッと』なんだろうか。
嫌な予感が拭えないまま、店長がやってきてしまった。
「店長のフィールズです。今、ちょうど手が空いたところですの。問題ございませんわ」
男性と握手を交わす店長。
その後、いっしょに戻ってきた従業員に声をかけ、案内を促す。
「ほらほらほら、中にご案内して」
「いいえ、手短に済ませますので」
男性は握手の手を引っ込めると、即座に案内を断った。
「あらそうですの? ところで、どちら様でしょうか?」
「以前に、王都での臨時出店の件でお話しさせていただいた…………」
「まぁまぁ、そうでしたわね! あの時の方!」
そういえば。王都の百貨店から出店の打診があった旨、聞いたことがあった。
私がここに採用される前の話のようで、実際に引き受けるかどうかの話は聞いたことがない。従業員の間でも忘れられてしまうくらい、注目がなかった話だった。
その話が突然、降ってわいたのだ。
しかも、こんなピンチのときに。
「あらまあ、検討に時間をかけてしまっていて、申し訳ありませんでしたわ」
顔には出さなくても、店長が喜んでいるのは明らかだった。声がいつもよりも高くて明るい。
「臨時出店のお話についてですが……」
万が一、こちらの店がこのまま客足が遠のくことになったとしても、王都に出店し話題になれば、また賑わいを取り戻すだろう。
店長も従業員たちも、そんなことを思っているに違いなかった。
しかし、嫌な予感は当たるものだ。
「はい。残念ですが、今回はご縁がなかったということで」
「はい?」
「次の機会がありましたときには、また、よろしくお願いいたします」
降ってわいたのは、幸運の当たりくじではなく、ハズレくじだったのだ。
男性の返答に、店長だけでなく、従業員たちも固まる。私はただ、他人事のようにその会話を聞くことしかできなかった。
「いえいえいえ、ちょっとお待ちくださいまし」
「何でしょうか?」
「王都出店の件なのですが」
「はい。とても残念です」
目の前で起きていることなのに、どこか遠いところでの会話が、偶然、耳に入ってきているような、そんな感覚を覚える。
「ですから、わたくしどもは、まだお返事はしておりませんわ! なのにお断りしたことになっているなんて!」
「以前、ご説明したとおりですよ」
「お返事の期限は、もう少し、猶予がありましたでしょ?!」
いつもはのんびりした店長の口調が、とても必死だった。
「はい。返事の期限はまだ先ですが、」
「ですよね!」
「評判が落ちてしまったので、出店基準を満たさなくなりました」
「評判?! 基準?!」
「ご説明しましたよね」
「そ、それは…………」
「本当に残念です。それでは失礼いたします」
心から残念そうな表情を浮かべ、一礼すると、男性は瞬く間に帰っていった。
後には、呆然とする店長と従業員たちが残されることとなる。
そしてこの日は夜の営業が始まるまで、お客様が来ることはなかった。
ちなみに。
この昼間の営業の時の話は、なんと、厨房の人間も聞いていたらしい。
なんでも店長の慌ただしい声が向こうにまで響き渡ったようで。普段と違った様子を察し、覗きにきたそうだ。
店長がこんなでは先が思いやられる。というか、先が見えたというか。
新たな決心をした者も中にはいるようだった。
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