上 下
70 / 77
【第八話】ほんとうに幸せな世界

68.ほんとうに幸せな世界(4)

しおりを挟む

「明日が来ないって……あはは、■■■は冗談がうまいわね」

「冗談じゃないですよ、でも良いじゃないですか。こうやって毎日を繰り返すことで、愛に溺れることもできます」

「ひゃっ、耳の後ろは……」
「本当に、貴方は可愛らしい声でなきますね」

 彼のキスは麻薬だ。
 頭をぼーっとさせ、何も考えなくさせる。

「薬の研究だってしてもしなくてもいいんです。お金があっても、使っても、明日にはお金は手元に戻っているんですから」

 彼はにこにこと笑っていう。

「でも……」

 私は何か言わないといけないと思った。でも、言葉が出なかった。

「この世界にいれば、何も失うことはありません。この世界には明日が無いから、誰かと別れることも、誰かを亡くすことも、看取みとることもありません。貴方が寂しがることもなく、永遠に幸せな一日を過ごすことが出来ます」

 私は600年の間、彷徨って、たくさんの人と出会って看取った。
 出会う時は楽しい。でも、別れの瞬間は辛い。

 いつか、カンパネラと別れる日が来る。
 いつか、ホーエンハイムと別れる日が来る。
 いつか、ファウストと別れる日が来る。
 いつか、お父様とお母様とも、ダリアともリリィともカーチェとも別れる日が来る。

 人は変わる。今のままではいられない。

 確かに永遠の一日は幸せな世界だ。誰も何も失わない。理想の世界。

「確かに、ここは幸せな世界だわ。たくさんの人がこの世界を求めると思う」
「そうでしょう」

 ■■■が微笑む。


「でも、私は嬉しくない」

 私ははっきりと言い放った。

「だって、ここはだわ。新しい友達も作れない。もうすぐ生まれてくる私の弟を見ることもできない。別れは辛いけれど、明日にはまたなにか良いことが起こるかもしれない。そんな新鮮な気持ちで、一日一日を噛みしめるように毎日を私は送りたいわ」

 私がはっきり言い放つと、隣にいた男は砂のように消えてしまった。
 そして先程まで閉まっていた窓が開いていた。
 私は窓の棧に足をかけた。
 なんとなく、この窓を越えたら元の世界に戻れるような気がした。

「まぁ、落下死しても、また同じ毎日に戻るんでしょう?」
 私は自分に言い聞かせて、窓から外へ飛んだ。

 落ちた先は先程訪れた花畑だった。
 まんまるな月が白く光っている。

 その光を吸って、足元の花が輝いている。この花は日中太陽の光を吸い、夜に光る花だから、私は勝手に夜光花と私は名付けた。

 この花を自分の屋敷に持って帰って植えたけれど、すぐに枯れてしまった。どうやらここでしか咲けない花のようだ。

「……ご満足いただけませんでしたか?」
 目の前に男が居た。
 ルチフェル・マクスウェル。

「貴方は600年前、私のせいで不老になってしまった。だから償いのために、エネルギーを外から集め、別世界を作ったのです。エネルギーを調整して、一日を永遠に繰り返す永久機関を作ったんです。貴方は人と別れるのが辛いと言っていたから……」

「……ありがとう。私のために考えてくれたのね」

 私がお礼を言うと、彼は破顔した。

「貴方にお礼を言ってもらえる日が来るとは思えませんでした」

離別りべつは悲しいわ。でも、生きていたら、別れだけじゃなくて、出会いもたくさんあるの。たくさんの人に私は色々と教えてもらって、なんだかんだでこの600年、楽しく毎日過ごしていたのかもしれないわ」

「どうしたら、貴方は幸せになってくれますか?」

 マクスウェルの声は、震えていた。
 きっと私のために、この永遠に続く一日の世界を作ってくれたのだろう。

 スイッチひとつでできる簡単なものじゃない。
 ひとつの世界を、彼は私のために作ってくれた。

「私は――自分の幸せは自分で掴み取る性分なの」

 そう言って、立ち上がり、黄金色の果実りんごを手にとった。

「それを食べてしまったら――」
「また不死になるかしら?」
「はい。また王子とキスをしてはいけないという誓約がついてしまいます」
「そう」

 私は躊躇いなく果実りんごかじった。

「アナスタシア――!?」
「……これで、また私は不死の身体になったのね」
 
 マクスウェルは呆然ぼうぜんとしていた。
 やっと600年の人生に終止符しゅうしふを打つことができたのに、また自分から地獄に飛び込んでしまった私の行動に、驚いているのだろう。

 私だって、本当は魔法が解けたらそれでいいと思ってた。

 でも――あの子がいるから。

――確かに同朋なかまがいないのは寂しいですけど、俺は最後の竜として生きていこうと思います。

――俺も、できることならアーさんと一生一緒に生きていたかったです。 だって、アーさんのことを俺は世界で一番大好きですから。

――……アーさんが幸せになるために、呪いを解いてあげたかったんです。俺がアーさんを愛しているという証明のために。


――だって、目が覚めた時、一人だったら寂しいじゃないですか。


「私はカンパネラと一緒に生きたい。彼が好き。彼が愛おしい。私を愛してくれた彼を、私も愛したい。……だから、私はもう少し生きることを選ぶわ」

 どうかあの子が目覚めた時、隣にいれますように。
 目覚めてた時、寂しいなんて思わせないように。
 私は、あの子の傍にずっといたい。
 いくら竜の命が長くても、この呪いなら私も同じ分長く生きることができる。

「……ひとつだけ、聞いてほしいことがあります」
 マクスウェルはそう言って、私の前で膝をついた。

「貴方が好きです。どうか、結婚してください」

 彼は答えがもうわかっているだろう。

「ごめんなさい。私、もう好きな人がいるの」
しおりを挟む

処理中です...