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第一章 『誰が為の異世界』
09 『言葉の壁を超える異能、それは――』
しおりを挟むあんなに頼りがいのあった太陽は地平線の彼方に沈み、夜独特の冷たい風が頬を撫でる。
苦心しながらも手に入れた林檎を食べ終わり、慣れない土地を歩いた疲労から気持ちよく熟睡していた私が今どうしているかというと――
‹そもそもどうしてこんなところで一人でいるのかなぁ、それにその……見た事の無い服装だけれどあからさまな軽装! それじゃあやられて下さいといわんばかりだよ›
正座しながら女の子の説教を一身に受け止めていた。どうしてこうなった。
焚き木を挟んで僕にありがたいお言葉を説いている彼女は、見たところ高校生ぐらいの年齢の様に思える。
もしかしたらファンタジー小説に出てくるエルフのように長命な何らかの種族だったりするのかもしれないが、パッと見て外見上にそういった種族が元来持つ特徴的な部分は無い。
見た目だけなら茶髪で少し癖毛のある快活そうな可愛い女の子、それが彼女の第一印象。
しかしおっさんにもなって見た目高校生の女の子に、説教喰らわされているおかげで苦手意識を持ってしまったことは許して欲しい。私が悪いんですけどね……。
そんな彼女の背後には牛だか馬だか羊だかが色々ミックスされた動物が眠たそうに控えている。
‹ちょっと!ちゃんと聞いてます!?›
肯定を示す為、赤べこのように首をコクコクと傾ける。
確かに彼女の言う通り、人に害を与える魔物がいてもおかしくはない世界で護身用の武器も持たず呑気に爆睡するのは大いにアホであったと言わざるをえない。
こんなに怒られるのなら、林檎が実っていた樹木に生えている、太い枝の一本や二本でもへし折って手に入れておくべきだった。
後悔から生じる溜息も彼女の説教の前には何の効果も無い。
説教はまだまだ続く。
‹それにあなたが寝ていた場所! 不用心にもほどがあるよー、アイナがたまたま来ていたから良かったけどあのまま寝てたら今頃空めがけてぶっ飛ばされてたよ?›
ちゃっかり彼女の名前をゲットしたが注目すべき点はそこではない。
ぶ、ぶっ飛ばされる……?
やけに物騒な言葉を仰っているようですが、いったいどういうこと……?
得心のいっていない僕の気持ちを表情から読み取ったのだろう、彼女はある方向を指差した。
彼女が指差す方向に目を向けると
「…………っ!!」
「うわわっ!」
‹驚かなくても大丈夫だよ、ブルクは炎を怖がる、ここにいれば安心だから›
そこにはゲームなどでお目に掛かるような樹木のモンスターがこちらをジッと睨んでいたのだ。
いつの間にか木の幹の部分には見るも醜悪な大きな目と口が貼りついていた。
つまりはあの林檎の木が擬態していたモンスターだったということか。
そりゃああれだけ太い枝で殴られればぶっ飛ばされるどころか跡形も残らなくなること間違いなしだ。
枝無理に折らなくて良かったあああ……。
お星さまになっていた未来を回避したことを心底ホッとしていると
‹それにしてもあなたは一体どこのどなたなの? その恰好といいブルグのことを知らないことといい、不自然な事が多すぎるわ›
当然といえば当然の質問が私にぶつけられる。ちなみに彼女、ジト目である。
彼女にしてみればこんな素性の知れない、しかも常識の無い奴がここにいること自体不思議に違いない。
だが私も彼女と出会った時から不思議に思っている点がある。
その問題を解消するために私はこれまでの感謝の気持ちを言葉に乗せる。
「見ず知らずの私を助けてくれて、ありがとうございます」
‹……えっとあなたが話す言葉、アーク語じゃあ、ないよね? 本当に何者?›
疑念が確信へと変わる。
やっぱりだ。
彼女の言葉は届いているのに私の言葉は届いていない。
先程からおかしいとは思っていた。
何故なら出会った時から彼女の声は二重に聞こえていたからだ。
一つはこの世界の言葉であると推測出来るアーク語と呼ばれるもの。
もう一つは私にとって最も馴染み深い日本語だ、こちらの方がはっきりと聞こえるのであまり違和感を抱かなかったが、冷静になって聞いてみるとなるほど確かに二つの声が聞こえる。
これはあれである。
海外のドキュメンタリー番組を日本で放送する際に、彼らが話す母国語に翻訳した日本語を被せる手法、いわゆる『吹き替え』にそっくりだった。
異世界に招かれて得た異能が吹き替えとは……それに彼女の反応を見るに、この能力は一方向にしか機能していないようだ。
受信は出来ても送信が不完全とは、完全に致命的な欠陥としか言いようがない。
つまりこの世界で生きていくためには、二重に聞こえる音声を頼りに翻訳しないとコミュニケーションを築くことはままならないということだ。元の世界に一刻も帰りたくなってきました。
これから先に待つ苦労に内心げんなりしていると、彼女は心配そうな表情で私の現状を確認してきた。
‹も、もしかしてこの大陸の公用語であるアーク語を喋れないってこと?›
……なんだかちょっとだけ憐れむような視線を向けられているような気がするのは、私の器量が狭すぎるからだろうか?
私は口をパクパクさせた後に、首を横に振るという無言のジェスチャーを試みてみた。
こんなことで伝わるのだろうか。
‹そっか、本当に喋れないんだね……けどアイナの言葉の意味は理解しているみたいだしどこからどう見てもあなたは私たちと同じ無何有族だし羽根も生えていないし巨人族の子供って訳でもないしそもそもどの種族もアーク語を喋るし……うーむ›
どうにか言葉が喋れないことが伝わった様である。第一フェーズは突破というところか。
無何有族やら巨人族やらなんだか気になるワードがぞくぞくと飛び出してきたが、会話が成り立たない以上そんなことは後回しだ。
あーでもないこーでもないとブツブツ呟いていた彼女は私の正体を当てることに観念したのか、言葉は通じる訳だから大丈夫よね、とポジティブな意見で締めくくった。
決して大丈夫ではないんだけどね……。
‹じゃあさ、せっかくだからあなたの名前を聞いてもいいかな?›
私の名前……。
さてどう答えるべきなのか。
異世界に招かれ第二の人生をスタートさせたので新しい名前を名乗るべきなのか、それとも親から貰った大切な名前でまた生きていくべきか。
迷う、とても迷う。
‹そうねー……単語!一つの単語だけだったら判断できるから、名前だけ聞かせて›
しょうもないことで迷っている私を見て、言葉の伝え方をどうしたらか良いのか悩んでいると勘違いでもしたのか、少し見当はずれなこと言うアイナ。
あまり長く待たせていては話が先に進まないので、私は諦めて生まれつきの名前を名乗ることに。
「伊吹……」
‹イブキ……イブキね、覚えたわ›
美味し食べ物を味わって咀嚼するように、何度も私の名前を連呼している。
私には大それた名前だという自覚はあるので恥ずかしいから勘弁して下さい。
‹イブキ、あなたが何者なのかはわからない、けれどとても困っているっていうのは凄く伝わってくるの›
揺れる炎が照らす彼女の表情は真剣そのものだった。
‹アイナが出来ることは限られてる……けど困っている人は放ってはおけないから›
そして真剣な眼差しからは想像できないような優しい言葉で。
‹アイナはあなたを助けさせてもらいます、だから改めて――›
それはこの女の子のことを信用するには十分すぎるほどの言葉で。
‹よろしくね、イブキ›
差し出された右手をジッと見つめる。
世界が違えど握手に込められた意味は共通なんだなとか。
助けられた身でこんな対等に握手して貰えるなんてなんだか悪い気もするなとか。
そんな感想しか出てこなかった自分が堪らなく恥ずかしかった。
けれど、こうもちゃんと思うことが出来た。それは――
「いつかきちんと恩返しをしないとな」
‹ん、何かな?›
キョトンとする彼女の言葉に答えず、私はその右手を握り返した。
彼女の手は小さくて、そして温かくて――
お互いに穏やかな笑みを浮かべ――
異世界というものも悪くはないのだと素直に感じることが出来たのだった――
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