生徒会の期間限定雑用係 ~庶民の私が王子に囮役としてスカウトされたら、学園の事件に巻き込まれました~

piyo

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囮捜査編

47.繋いだ手の温かさは

執務室にクィアシーナとビクターの二人が入ると、今日は午後の授業が長いはずの三年生も含め、すでに全員が揃っていた。

クィアシーナは「お疲れ様です」と挨拶し、鞄を置くために自席へ向かう。

先ほどまで煩かった心臓は、今ではすっかり落ち着き、平常を取り戻していた。
ビクターのほうも、いつもどおり――いや、いつもより少しばかり機嫌が良さそうにも見える。

鞄を置いていると、皆にお茶を配っていたマグノリアンが、ふと手を止めて彼女に声をかけてきた。

「お疲れ様。珍しいな、ビクターとクィアシーナの組み合わせなんて。一緒に来たのか?」

「はい。管理棟で偶然お会いしまして」

そこへ、ビクターが無邪気な声で割り込む。

「一緒に転移してきたんだよねー」

「あれ?」

ビクターの言葉に、マグノリアンが眉を上げる。

「おまえ、もう転移式に設定されたんだっけ?」

「いえ、まだですが」

クィアシーナがしれっとそう答えると、その場にわずかな沈黙が落ちた。

彼がちらりとビクターのほうを見ると、ビクターはニヤリとした表情をマグノリアンに返す。対するクィアシーナは、恥ずかしそうに顔を伏せていた。

「……うん、察した」

大人なマグノリアンは、それ以上深掘りすることもなく、給湯室へと向かっていった。

クィアシーナも「掃除に行かなければ」と我に返り、慌てて彼の後を追う。
そうして二人は、どこか微妙な空気を残したまま、執務室を後にした。


今日の掃除場所は、応接室と給湯室である。

クィアシーナは給湯室へ向かうマグノリアンに、「応接室の掃除に行ってきます」と声をかける。

そのまま踵を返し二階へ向かおうとした――が、

「ちょっと待って」

背後から、マグノリアンに呼び止められてしまった。

「ビクターと、アリーチェさんのことについて、何か話したか?」

どうやら、週末のお見舞いの件について探りを入れたいらしい。

「はい。様子を聞かれたので、元気そうでしたよ、とだけ答えました。
復学については、はっきりしたことは言っていませんが……」

そこで一拍置き、クィアシーナは付け加える。

「ビクターさんも、何か感じ取っていたみたいです」

「そっか……。うん、俺も教室でいろいろ聞かれたけど、だいたい同じ感じだったよ。
どうする? 掃除が終わったら、俺からみんなにアリーチェさんの様子を伝えるつもりだけど……
ダンテさんには、おまえから話をするか?」

「え、なんでですか?」

「なんでって……」
マグノリアンは少し言葉を選ぶように間を置いてから、続けた。

「ダンテさんの手紙を読んだあと、アリーチェさんが、おまえと二人きりで話してただろ?
もしかして、何か――秘密のやりとりがあったのかな、って思ってさ」

鋭い。
それでいて、踏み込みすぎない。

相手を追い詰めるでもなく、選択肢を委ねるその聞き方に、
クィアシーナは(この人は本当に気遣いができる人だ)と、改めて思った。

「お気遣いありがとうございます。じゃあ、マグノリアンさんがみなさんにお話してる間に、ダンテ会長と応接室を使わせてもらいます」

「わかった」

マグノリアンが頷きを返すと、クィアシーナは今度こそ掃除用具を取りに二階へと向かった。





「すみません、個別にお呼び立てしてしまって」

「いや、ちょうど私も二人で話したいと思っていたところだよ」

クィアシーナはダンテと二人、応接室でソファを挟んで向かい合って座っていた。

今ごろ執務室では、マグノリアンが皆に、アリーチェのお見舞いのときの様子を話していることだろう。

クィアシーナはダンテを正面から見つめ、それから深く頭を下げた。

「まず最初にお礼を。いろいろと手配していただき、ありがとうございました。おかげで、スムーズにお見舞いに行くことができました」

「いや、大したことはしていないよ。
それより……アリーチェはどんな様子だった?」

ダンテは落ち着いた様子で、クィアシーナに向かって穏やかに問いかける。

「はい。怪我の状態はまだ痛々しく見えましたが、マグノリアンさん曰く、『いつもの調子』でした」

クィアシーナの言葉に、ダンテの表情に一瞬だけ影が差す。
だがすぐにそれを消し、改めてクィアシーナに確認する。

「いつもの調子、か。……でも、君の目から見ても、怪我の状態はまだ良くなかったんだね?」

「はい……。あ、でも、彼女の体幹はすごいですね!
右脚はまだ包帯を巻いて、杖をついて歩いていたんですが、その杖を放り投げても、見事なバランスで立っていましたよ!」

クィアシーナは、一瞬陰ったダンテの表情を和らげようと、精一杯明るく振る舞う。
ダンテのほうも、クィアシーナに気を遣われていることを察したのか、柔らかく微笑んでみせた。

「放り投げるだなんて……本当に、『いつもの調子』だね」

「普段もあんな感じだったんですね。とてもパワフルで、それに、いろんな意味で強い方だな、と思いました」

「フフ、そうだね。君とは違った形で、強い子だったと思うよ」

(強い子……「だった」、か……)

その言い回しから、ダンテがアリーチェのことを、すでに過去の存在として受け止めようとしているのが伝わってくる。
それがなぜか、クィアシーナには無性に哀しく感じられた。

「……アリーチェさんは、ダンテ会長の手紙を読んで、それから私と二人きりで話をしてくれました。
……彼女は、私の“本当の前任者”だったんですね」

自分は“庶務の代理”ではない。
“囮”としての交代要員だったのだ。

「彼女は君に、ちゃんと説明してくれたんだね」

ダンテはそう言ってクィアシーナに頷いてみせた。

「そう、君には、いろんな意味で“アリーチェの代わり”を担ってもらうつもりで、こちらに引き入れたんだ」

そう語るダンテの様子に、いつぞやのような面白がる気配はない。
ただ、ひどく静かだった。

少しの沈黙ののち、ダンテは再び口を開く。

「私はね……これでも、怒っているんだよ」

彼は声を押し殺すようにして話を続けた。

「面と向かってこちらに攻撃を向けてくればいいものを、私の周囲ばかりを狙う姑息な連中にね。
本音を言えば、一刻も早く奴らを学園から追放して、アリーチェに怪我を負わせた罪を悔い改めさせたい。
……けれどね、階段の件だけは、証拠がないんだ。
他の、君を狙った件については、きちんとした確証があるのに」

ダンテは、膝の上で組んでいた手を、爪が食い込むほど強く握り締めた。

「今のままでは、アリーチェの件は罪に問えない。
仮に、君を襲った件で訴えたとしても、階段の一件ほど重くはならないだろう。
更生院に送られたとしても、数年もしないうちに、すぐ社会へ戻ってくる」

一拍置いて、ダンテは言葉を継ぐ。

「――それじゃ、ぬるいだろう?」

口の端を吊り上げて笑うダンテの姿に、クィアシーナの身体が、かすかに震えた。

これまで、ダンテはただこの状況を引き延ばし、すべてを娯楽のように楽しんでいるだけに見えていた。

しかし――

(ダンテ会長は、楽しんでなどいなかった。
……ちゃんと、怒っていたんだ)

胸の奥に、これほど激しい感情を押し殺していたとは、思いもしなかった。

「それで……私を使って、彼らに罪を重ねさせようとしていたんですね」

クィアシーナは、確かめるというよりも、すでに辿り着いていた答えをなぞるように、静かにそう口にした。

「ごめんね。君を犠牲にするつもりはなかったんだ。
アリーチェの代わりに狙われやすくて、でも簡単にはやられそうもない子。君は――本当に理想の人材だった」

「……」

「私は、君にアリーチェのように傷ついてほしくない。
けれども、君の活躍に期待してさえいる。
それとは別に……奴らには、もっと犯行を重ねさせてから、自分の手で裁いてやりたいとも思っているんだ」

自嘲するように、ダンテは小さく息を吐いた。

「矛盾していることくらい、自分でもわかっている。
……本当に、どうしようもないだろう?」

その表情は、怒っているようにも見えたし、笑っているようにも、そして深く悲しんでいるようにも見えた。
まるで、すべての感情を抱えきれずにいるかのようだった。

ただ、一つだけ、はっきりとわかったことがある。

「……ダンテ会長は、本当にアリーチェさんのことが大切だったんですね」

いつも感情の読めない彼が、ここまでの激情を露わにしている。
たとえ代わりを用意し、別の犠牲が出ることになったとしても――
それでもなお、彼女を害した者を自らの手で裁いてやりたいと思うほどに。

(婚約者候補だという話を、ずっと否定しなかったのも……
もしかしたら、それだけ深い想いがあったからなのかもしれない)

ダンテは、クィアシーナの言葉に「そうだね」と短く返した。

「――大切に思っていたよ。心の底から。
……もともと、彼女と交わした契約は、二年生の間の半年だけの予定だったんだ。
でも、一緒に過ごすうちに、ずっと手元に置いておきたいと思ってしまってね。彼女に延長を持ちかけた。
心底嫌そうにされたけれど……最終的には、引き受けてくれた」

ダンテは目を伏せ、まるで懺悔するかのように、後悔を口にした。

「けれど、あのとき――自分が欲を出さず、彼女を解放していればと、何度も悔やんだよ……。
結局、最悪な形で彼女を手放すことになって、もう手の届かないところに行ってしまったんだから」

「そんな、弱気なこと言わないでください!」

クィアシーナは、思わず立ち上がる勢いでダンテを叱咤した。

「極論かもしれませんけど……生きている限り、どうにだってなるはずです」

「本当、極論だね……」

「でも、アリーチェさんは学園での出来事を、本当に楽しんでいたように見えました。
それに、留学が終わったらラスカーダで、いい就職先を斡旋してあげるんですよね?
だったら、そこは職権濫用しちゃいましょうよ!
ダンテ会長の手の届く範囲に就職させちゃえば、もうこっちのもんです!」

「こっちのもんって……」

クィアシーナの勢いに、ずっと強張っていたダンテの口元が、ふっと緩んだ。

「……そうだね。そこは、権力に物を言わせてみようかな?」

「いいと思います。持っているものは、余すことなく使わないと」

「ははっ、確かに」

(あ、笑った)

これまで何度もダンテの笑顔を見てきたが、なにか吹っ切れたような、心から安心したような表情に見えた。
いつもどこか含みを持っている彼が、自分をさらけ出した様子に、クィアシーナは思わず小さな声で呟く。

「――ダンテ会長って、溜め込みやすいタイプなんでしょうか?」

唐突な問いかけに、ダンテはきょとんとした表情を見せた。

「溜め込む? いや、そんなこともないと思うけどな。適度に周りを巻き込んで、発散させてるしね」

さすが、“退屈しのぎのために周りを巻き込む変態”とリンスティーに評されるだけある。
しかし、その裏では、自分の感情を隠しながら発散させているに過ぎない。

クィアシーナは、やや心配を含んだ眼差しで、ダンテを見つめる。

「いえ、そうではなくて……本音を語らないというか。
あ、もちろん立場上、難しいのはわかってます。
でも、アリーチェさんのこともそうですが、副会長で側仕えのリンスティーさんですら、ダンテ会長の気持ちを知らなかったということですよね?」

リンスティーは、ダンテの激しい怒りに気づいていなかった。
いや、もしかすると、気づかせないようにしていたのかもしれない。

ダンテは気まずげに視線を逸らす。

「……まあ、そうだね。
リンスティーに関しては、私が一番信頼を置いている人物ではあるんだけど。
彼は優しすぎるし、過保護だからね……余計な心配をかけたくないんだ」

彼は困ったように微笑みながら、そう告げた。

「他のみんなも一緒だよ。私は“みんなの頼りになる生徒会長”でありたいからね」

――孤独で、高潔な人。

それがクィアシーナの率直な感想だった。
一番信頼を置いている人物にさえ、本音を隠している。
しかし、それこそが彼なりの優しさであり、生徒会長、ひいては第二王子としての責務を負った人の姿でもあった。

「リンスティーさん以外でもいいです。誰か、ダンテ会長の心のうちを共有できる人はいませんか?
じゃないと、もしダンテ会長に何かあったとき、『あー、本当はこう思ってたのに……』って、死んでも死にきれない後悔だけが残っちゃいますよ」

クィアシーナ自身も、家族と離れている今、心の内をさらけ出せる人物が身近にいるとは言い難い。
しかし少なくとも、事件のことに関しては、リンスティーという強い味方がそばにいる。

ダンテにも、今この場で本当の気持ちを吐露しているように、誰か本音を語れる相手がいればいいのに――と、クィアシーナはおせっかいにも思った。

「それってつまり――?」

ダンテが、クィアシーナに期待を込めた目を向ける。
そして、クィアシーナは、その期待に応えるかのように、全力の笑顔で告げた。

「つまり、アリーチェさんに、文通友達になってもらいましょう!」

良いことを言った、とでも言わんばかりのクィアシーナに、ダンテは目を瞬かせた。

「あ、そっち?」

なぜか肩透かしを食らったような様子のダンテだったが、クィアシーナはかまわずに熱弁をふるった。

「そうですよ! 拗らせないで、手紙に色々書いちゃえばいいんです。相談でもなんでも。向こうも返事をくれるかはわかりませんが、無碍にはしないでしょうし。
あ、もしお家的な事情で個人の手紙が出せないなら、私からアリーチェさん宛に送ることもできます。それくらいお手伝いさせてください」

もともとアリーチェは、ダンテが手元に置いておきたいと思うほど、強い気持ちを寄せていた相手だ。しかも彼女は、近々学園を去る予定である。
であれば、程よい距離感を保ったまま、これからも繋がり続けることができる――クィアシーナはそう考えたのだった。

ダンテは少し考えたあと、柔らかく微笑んだ。先ほどとは違って、いつもの笑顔である。

「ふふ、そうだね。それはいい考えかもしれない。
――本当に、クィアシーナはこちらの予想がつかないことを言ってくれる。私は面白くて仕方が……いや、好ましいと思っているよ」

「ありがとうございます」

クィアシーナは、彼が言いかけた言葉を聞かなかったことにした。
純粋に好ましいと思ってくれているのなら、それで十分である。

「――ねえ、クィアシーナ。手を出してもらえる?」

「? はい」

クィアシーナは、ダンテからの急なお願いに少し不思議な気持ちを抱きながらも、素直に両手を前に差し出した。
ダンテの手が、そっとクィアシーナの手を包み込む。

「え、ど、どうしたんですか」

その温かな体温に、胸の奥がざわついた。
突然の触れ合いに、緊張からクィアシーナの声は自然と上擦る。

「ごめんね、急に。
少しの間だけでいいんだ。少しだけ、こうしててもいいかな」

クィアシーナがダンテの表情を見上げると、そこには普段の冷静さはなく、優しく、懇願するような顔があった。
その姿を目の当たりにして、クィアシーナは断ることなど出来ず、知らず知らずのうちに了承の言葉を口にしていた。

「……どうぞ。気が済むまで、このままで大丈夫ですよ」

(人の体温があると、なんだか落ち着くもんね)

クィアシーナにも経験がある。学校でつらいことがあったとき、ただ母親に抱き締められただけで、そのじんわりとした温かさに、気持ちが救われたような気がしたものだ。

「ありがとう」

そうして、しばらくの間、二人は静かに温もりを感じあっていた。
言葉は交わさずとも、心が通じ合うような、穏やかな時間だった。
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