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囮捜査編
49. 相棒同士の情報の共有
応接室に向かおうと廊下に出たところ、ちょうどゴミ捨てから戻ってきたマグノリアンに遭遇した。
「お疲れ様です。すいません、今から応接室使いますね。戸締まりはちゃんとしておくんで」
「え、今から?」
マグノリアンが怪訝そうな顔をクィアシーナに向ける。
「はい、ちょっとリンスティーさんに女子の悩み相談をしようかと思いまして……」
「待て」
クィアシーナの言葉が言い終わらないうちに、マグノリアンが待ったをかける。
「それは……なんていうか、リンスティーさんでいいのか?」
ダンテと全く同じ質問をする彼に、クィアシーナは首を傾げる。
なぜ、みんな同じように怪訝な顔を自分に向けてくるのだろうか。
「はい、もちろん」
当然、クィアシーナの返答も同じものになる。
そう言い残したマグノリアンは、ひどく複雑そうな表情を浮かべたまま、「お疲れ様」とだけ告げて執務室へ戻っていった。
(……そんなに変だったかな)
クィアシーナは、皆の自分に対する反応がどうにも腑に落ちないまま、応接室へと足を運んだ。
奥のソファに腰を下ろすと、すぐに鞄の内ポケットから一枚の紙を取り出す。
――ラシャトから渡された、あのリストである。
アンチダンテ政権、とラシャトは呼んでいたが、
果たして、そこにどれほどの生徒の名が連なっているのか。
クィアシーナには、まるで見当もつかなかった。
そして……名前や家名を見たところで、誰一人ピンとこないことも容易に想像ができた。
それでも、待っている間に内容を確認しておきたい。
クィアシーナはそうっと四つ折りになっている紙を広げ、そこに書かれている名前に目を通す。
(……え?)
リストに書かれていたのは、三つの家名と名前。
その配下に、いくつかの家名と生徒の名前が記載されていた。
さらに、名前の隣に、今の学年とクラス、そして前ジガルデ会長の生徒会メンバーとの繋がりについても、簡単なメモが書かれていた。
三つの家名のうちの一つはブリード公爵家。
前会長ジガルデの弟、ダン・ブリードの生家である。
そしてもう一つは、マクレン侯爵家。
この前クィアシーナに接触を図って不発に終わった、ブレンダ・マクレンの家名である。
そして、最後は――
ガチャッ。
「!」
音に過剰に反応し、思わずリストの紙を握り潰してしまった。
扉へと視線を向けると、鞄を手にしたリンスティーが、中へ入ってくるところだった。
「お待たせしたわね。とりあえず仕事は終わらせてきたわ」
彼は扉の内鍵を閉めると、ツカツカと、それでいてどこか優雅な足取りで歩み寄り、クィアシーナの隣にごく自然に腰を下ろす。
クィアシーナは慌ててリストを背中側へと隠し、改めてリンスティーに向き直った。
「お疲れ様です、リンスティーさん。お時間をいただいてありがとうございます」
「それは別にいいんだけど……『女子の悩み相談』って、一体なに? ……私でお役に立てるかしら?」
一体何を相談されるのだろうと、リンスティーは身構える様子をみせた。が、クィアシーナはその返事をするより先に「その前に」と彼へのお願いを口にする。
「リンスティーさん、前にやってもらったみたいに、この部屋全体に防音魔法をかけてもらえないでしょうか?」
リンスティーはクィアシーナのお願いに、何かを察したらしい。
「わかったわ」
と頷きを返すと、指をパチンと鳴らして直ぐさま魔法を展開した。クィアシーナの耳にキィンという耳鳴り音が鳴り響く。
「これでいいかしら?」
「はい、ありがとうございます」
クィアシーナは念のため窓の方へ目を向け、レースカーテンがしっかりと窓を覆っていることを確認した。
そして、小さく息を整えてから口を開く。
「……じつは、今日、新聞部から例のリストをもらってきたんです」
「――!」
リンスティーの表情が一変する。
「はい、そうです。それを渡してくれた人は、“アンチ・ダンテ政権”とも言っていました」
ジガルデ前会長の思想に賛同し、ダンテ率いる現生徒会に強い反感を抱く人物たち。
彼らこそが、アリーチェや、そして自分を狙い、騒ぎを起こしている中心人物だという。
「はぁー……。ちょっと安心したわ」
リンスティーは髪を掻き上げ、脱力した様子を見せる。
「『女子の悩み相談』なんて言われたから、何事かと思ったじゃない」
「すいません。リンスティーさんと二人きりになれる誘い文句が、それしか思いつかなかったんです」
「いや、もっと他にあるでしょ。お茶を配るときとか、回収するときにメモを渡すとか」
「……! その手があったか……」
「……」
自分は雑用係の庶務だ。お茶だけでなく、備品の補助や手伝いで執務室をうろついていても、何ら不自然ではない。
むしろ、みんなの前で「女子の悩み相談」などと言って堂々と――実際は小声で言ったつもりだったが、筒抜けだった――誘い出すほうが、よほど不自然だったはずだ。
「なんだか、誤解させてしまってすいません」
「……別にかまわないわ」
やや呆れた口調のリンスティーに、クィアシーナは曖昧な笑みを返す。
そして気を取り直し、リストの件について話を切り出した。
「リンスティーさんは、貴族の派閥について詳しいですか?」
「派閥? そうね。一通りの体制については把握しているわ」
「わかりました……。私は貴族関係の知識がほぼゼロなので、リストを見ても関係性が見えてこなかったのですが、リンスティーさんならわかるかもしれません」
そう言って、後ろに隠していた紙切れをリンスティーへ差し出す。
受け取ったリンスティーは、「敢えて、ぐしゃぐしゃにしてるのね」と呟いた。
ぐしゃっとなっているのは、さっきクィアシーナが握り潰してしまっただけなのだが、そこは黙っておくことにした。
彼はリストを丁寧に広げると、そこに記載された名前を目で追っていく。
(……リンスティーさんは、どんな反応をするんだろうか)
しばらくして、リストに目を通し終えたリンスティーが、短い感想を漏らした。
「なるほど」
そして、そのままクィアシーナへ質問を投げかける。
「あなたは、これらの名前を見てどう思った?」
その問いに、ドキリと心臓が跳ねる。
クィアシーナは、リストを見て最初に抱いた感想を口にしようとし、思いとどまった。
(まずは様子見のほうがいいのかもしれない)
そうして無難な返答を返した。
「……そうですね。思っていたより、ジガルデ前会長派の人は多い、ということでしょうか」
リストに書かれていたのは、三家からそれぞれ一名、計三名。
そのうち二名は、前生徒会メンバーの親族だった。
さらに、その三家の配下として十家の家名が記されており、各家につき一名ずつ、生徒の名前が続いている。
「まあ、多いかもしれないわね」
リンスティーはクィアシーナの感想に端的に応じ、話を続けた。
「私がこのリストを見て思ったのは、全員が第一王子殿下の派閥に属する者たちだ、ということよ」
「第一王子殿下?」
クィアシーナは、その呼称に首を傾げた。
ラスカーダ国には、二人の王子がいる。
第二王子であるダンテと、もう一人、彼の兄にあたる第一王子殿下だ。
ただ、クィアシーナはダンテのことは新聞で見たことがある程度には、顔も名前も知っていたが、第一王子については名前すら曖昧だった。
確か、カ……何とか、そんな名前だったはずだ。
それほどまでに、彼の存在は記憶に薄かった。
「ええ、第一王子カロン殿下。
今のラスカーダ貴族は、第一王子派と第二王子派に分かれているわ。
王は未だに後継者を定めてない。
年功序列だとカロン殿下なんだけど、実力としてはダンテが上と言われているの。
そして、第一王子派は貴族主義、第二王子派は民主主義、といった思想の違いもある。ちなみに、今の生徒会メンバーの家は、全て第二王子派よ」
「そうなんですね……」
ほぼ初めて聞く内容であることと、この国の時事について自分の知識の無さに愕然とする。
(ということは、リストに記載されている家は、貴族主義であることに加え、すべて第一王子の派閥に属しているというわけか)
そこで、クィアシーナの頭に一つの疑問が浮かぶ。
リストを見て、最初に抱いた違和感を、ここで確認しておくことにした。
「すいません。触れていいのかわからなくて聞けなかったのですが……
三家のうちの一つに、『シュターグ公爵家』の名前がありました。その……シュターグ家も、第一王子派ということなのでしょうか?」
――初めてリストを見たとき、クィアシーナは、リンスティーにそれを見せるべきか迷うほど驚いた。
なぜなら、リンスティーが引き取られた先のシュターグ家が、その三家に名を連ねていたからだ。
ただし、その下に記されていたのは、『ガブリエラ・シュターグ』という、リンスティーとは異なる名前だったのだが。
しかし、リンスティーに大した驚きは無かったようだ。クィアシーナの指摘が無ければ話題に触れることすらしなかったかもしれない。
「やっぱり、普通は気付くわよね……。
最初に訂正しておくけど、シュターグ公爵家は完全に中立よ。ただ、私はダンテを支持しているし、義妹は第一王子を支持している、というだけ」
「え、義妹!? 義弟さんだけでなく、義妹さんもいらっしゃったんですか!? しかも、同じ学園内に!?」
今まで、リンスティー本人からも、他の誰からも、そんな話を聞いたことはなかった。
まさか彼の血縁関係者が、学園内にいたとは。
それにしても……
(年が近すぎやしない?)
彼らの年齢差から考えると、王弟殿下はリンスティーの母親が学園を去ったあと、直ぐに別の女性と籍を入れ子を儲けたということになる。……この辺も、少し闇が深そうだ。
「ええ……でも、私はあの子とは、ほとんど会話もしたことがないのだけどね。向こうは私を避けているし、私からも無理に話しかけようとはしないから」
そう言って、リンスティーは少し俯いた。
「……あの子の気持ちも、わかるの。
ある日突然、自分の父親の元恋人の子どもが現れたんだもの。そんな状況で、素直に受け入れられるはずがないわ。
しかも、私の母親は平民で……年も、そう変わらないでしょう?」
一拍置いて、リンスティーは静かに続ける。
「……だから、私という“異物”を通して、平民そのものを嫌悪している。
ガブリエラは、シュターグ家で唯一、貴族主義を公言しているのよ」
「……」
あまりに複雑な関係性に、クィアシーナは頭の整理が追いつかず、思わず額に手をあてた。
つまり……ガブリエラは貴族主義を掲げる第一王子派。
一方で、ダンテは民主主義を支持する、明確な対立陣営に属している。
先ほどの話では、いまだ王太子が正式に定められてないとのことだった。
ならば学園内でダンテの評価を下げることは、そのまま第一王子を優勢に導く行為に近づくのだろう。
(もし彼女が、これまでの事件の関係者だと仮定すると……)
――ダンテが最も信頼を寄せているリンスティーに、これまで事件のことを一切相談できなかったのは、
彼のことを思うと、したくてもできなかった……ということ?
点と点が少しずつ繋がり始めていた。
だが同時に、事態はクィアシーナが当初想定していたものよりも、はるかに複雑を極めていそうだということを理解してしまった。
ダンテとアリーチェの仲に嫉妬した誰かが、エイッと一思いに犯行に及んだ、もしくはジガルデ一派が選挙に負けた逆恨みで犯罪紛いのことにまで手を出した――
そんな単純な構図を思い描いていた自分が、今となっては懐かしくすらある。
「あ、でも、リストに書かれていたからといって、これまでの事件に必ずしも関係しているとは限らないですもんね!
実際、ダン・ブリードとブレンダ・マクレンが休学中なのか、何も事件は起きていないですし」
クィアシーナは、努めて明るく振る舞った。
身内に事件の関係者がいるかもしれない、などという話は、いくら仲が良くないとはいえ、いい気分はしないだろう。
「……本当に、何も起きていないの?」
「え?」
リンスティーは、探るような目つきでクィアシーナを見つめた。
その視線に、クィアシーナは思わず目を逸らしてしまう。
「はい。今日はたぶん、私が転校してきてから、一番平和だったと思うのですが……」
実際、何の心当たりもない。
登校時も、移動教室も、昼休みも、放課後も。
何なら、授業中だって“普通・オブ・普通”だ。
人生で一番穏やかな日常だったと言ってもいいくらいだ。
さすがに、それは言い過ぎかもしれないが。
しかし、ふと――(自分が気付いていなかっただけだとしたら?)――と考え、親指の指輪へと目を向けた。
すると、ブレンダにやられたときほどではないが、明らかに指輪の輝きがくすんで見える。
「……すいません。私が気付いていなかっただけみたいです。私としたことが、不覚でした……」
クィアシーナは、少し自己嫌悪に陥った。
これまで、物理であれ魔法であれ、自分の危機察知能力は、これまでのところ百パーセントの精度を誇っていた。
それが今回は、まったく気付くことなく、いつの間にか何らかの作用を受けていたのだ。
「もしかしたら、攻撃されたわけじゃないのかもしれないわね」
「? どういうことですか?」
「例えば、精神魔法とか。
あなたが危険を察知するのって、主に“自分を害そうとする気配”を感じたときなんじゃないかしら?
そうじゃなくて、ただ眠らせるだけ――そういった類のものには、感覚が働かないんじゃない?」
「……ありえますね」
これまで、魔法で精神攻撃を受けるような状況になったことはなかった。
昔通っていた治安の悪い学校では、魔法ではなく、物理的に眠り薬を染み込ませたハンカチを押し当てられそうになったことはあった。けれど、それも当然回避し、返り討ちにしている。
(アリーチェさんが言っていた、貴族ならではの姑息な手段を使って色々仕掛けてくる、というのは、そういう意味も含まれていたのか……)
これまで眠らされたり、精神に異常をきたすような魔法をかけられた経験がないため、察知できなくても無理はない。
対策を講じる必要はあるが、同時に、指輪をしている限りは、そういった作用とは無縁でいられると、少しばかり楽観的に考えてしまう。
「いまのところ、ダンテの指輪が魔法を無効にしてくれているみたいだけど、そのことに気付かれないようにしなさいね。階段から突き落とすような、物理的な攻撃に切り替えてくる可能性もあるし……」
「そうですね……。指輪はネックレスにして、首から下げておこうかな……。万が一、奪われでもしたら、色んな意味で危ないですし」
命だけの問題ではない。
国宝を紛失したという、自分一人の身では到底贖いきれない危機に晒されてしまう。
「それが良いかもしれないわね」
リンスティーの表情からは、何も読み取れない。
義妹がリストに載っていたことに対して、彼が内心複雑な気持ちでいるのかどうか、クィアシーナにはわからなかった。
そこで、いったん、二人の会話が途切れる。
時計を見ると、すでに下校時刻は過ぎていた。下校の鐘の音は、いつの間にか聞き逃してしまっていたようだ。
「……すみません、長くなってしまいました。そろそろ切り上げましょう。私、生徒会館の戸締りを確認してから帰るので、先に帰っていただいて大丈夫です」
クィアシーナは、思った以上に長く彼を拘束してしまったことを詫び、各部屋の鍵を確認しに向かおうとする。
すると、「じゃあ私は二階を見てくるから、あなたは一階をお願いね」と、リンスティーまで戸締り確認に加わってきた。
「そんな、私がやるので大丈夫ですよ!」
「二人でやったほうが早いでしょう? ほら、さっさと行く!」
なぜか急かされ、背中を押されてしまった。
(うう、圧が強い……)
クィアシーナは申し訳ない気持ちを抱えたまま、各居室の確認に向かう。
鍵は暗証番号でロックされる魔法鍵のため、廊下側から順に施錠していく。
執務室にも誰も残っておらず、生徒会館には、クィアシーナとリンスティーの二人きりとなっていた。
シンとした空気が、館内一帯に流れる。
(いつも帰るときは、誰かしら残っているから……なんだか変な感じ)
給湯室と転移部屋を除く戸締りをすべて確認し終えたあと、クィアシーナは階段下でリンスティーを待っていた。
彼は、まだ二階の部屋をチェックしているようだ。
――そのとき、玄関のほうから、扉がガチャリと開く音がした。
生徒会の誰かが、忘れ物でも取りに来たのだろうか。
クィアシーナが廊下から玄関のほうを覗くと、そこには一人の女子生徒が不安げな様子で佇んでいた。
「お疲れ様です。すいません、今から応接室使いますね。戸締まりはちゃんとしておくんで」
「え、今から?」
マグノリアンが怪訝そうな顔をクィアシーナに向ける。
「はい、ちょっとリンスティーさんに女子の悩み相談をしようかと思いまして……」
「待て」
クィアシーナの言葉が言い終わらないうちに、マグノリアンが待ったをかける。
「それは……なんていうか、リンスティーさんでいいのか?」
ダンテと全く同じ質問をする彼に、クィアシーナは首を傾げる。
なぜ、みんな同じように怪訝な顔を自分に向けてくるのだろうか。
「はい、もちろん」
当然、クィアシーナの返答も同じものになる。
そう言い残したマグノリアンは、ひどく複雑そうな表情を浮かべたまま、「お疲れ様」とだけ告げて執務室へ戻っていった。
(……そんなに変だったかな)
クィアシーナは、皆の自分に対する反応がどうにも腑に落ちないまま、応接室へと足を運んだ。
奥のソファに腰を下ろすと、すぐに鞄の内ポケットから一枚の紙を取り出す。
――ラシャトから渡された、あのリストである。
アンチダンテ政権、とラシャトは呼んでいたが、
果たして、そこにどれほどの生徒の名が連なっているのか。
クィアシーナには、まるで見当もつかなかった。
そして……名前や家名を見たところで、誰一人ピンとこないことも容易に想像ができた。
それでも、待っている間に内容を確認しておきたい。
クィアシーナはそうっと四つ折りになっている紙を広げ、そこに書かれている名前に目を通す。
(……え?)
リストに書かれていたのは、三つの家名と名前。
その配下に、いくつかの家名と生徒の名前が記載されていた。
さらに、名前の隣に、今の学年とクラス、そして前ジガルデ会長の生徒会メンバーとの繋がりについても、簡単なメモが書かれていた。
三つの家名のうちの一つはブリード公爵家。
前会長ジガルデの弟、ダン・ブリードの生家である。
そしてもう一つは、マクレン侯爵家。
この前クィアシーナに接触を図って不発に終わった、ブレンダ・マクレンの家名である。
そして、最後は――
ガチャッ。
「!」
音に過剰に反応し、思わずリストの紙を握り潰してしまった。
扉へと視線を向けると、鞄を手にしたリンスティーが、中へ入ってくるところだった。
「お待たせしたわね。とりあえず仕事は終わらせてきたわ」
彼は扉の内鍵を閉めると、ツカツカと、それでいてどこか優雅な足取りで歩み寄り、クィアシーナの隣にごく自然に腰を下ろす。
クィアシーナは慌ててリストを背中側へと隠し、改めてリンスティーに向き直った。
「お疲れ様です、リンスティーさん。お時間をいただいてありがとうございます」
「それは別にいいんだけど……『女子の悩み相談』って、一体なに? ……私でお役に立てるかしら?」
一体何を相談されるのだろうと、リンスティーは身構える様子をみせた。が、クィアシーナはその返事をするより先に「その前に」と彼へのお願いを口にする。
「リンスティーさん、前にやってもらったみたいに、この部屋全体に防音魔法をかけてもらえないでしょうか?」
リンスティーはクィアシーナのお願いに、何かを察したらしい。
「わかったわ」
と頷きを返すと、指をパチンと鳴らして直ぐさま魔法を展開した。クィアシーナの耳にキィンという耳鳴り音が鳴り響く。
「これでいいかしら?」
「はい、ありがとうございます」
クィアシーナは念のため窓の方へ目を向け、レースカーテンがしっかりと窓を覆っていることを確認した。
そして、小さく息を整えてから口を開く。
「……じつは、今日、新聞部から例のリストをもらってきたんです」
「――!」
リンスティーの表情が一変する。
「はい、そうです。それを渡してくれた人は、“アンチ・ダンテ政権”とも言っていました」
ジガルデ前会長の思想に賛同し、ダンテ率いる現生徒会に強い反感を抱く人物たち。
彼らこそが、アリーチェや、そして自分を狙い、騒ぎを起こしている中心人物だという。
「はぁー……。ちょっと安心したわ」
リンスティーは髪を掻き上げ、脱力した様子を見せる。
「『女子の悩み相談』なんて言われたから、何事かと思ったじゃない」
「すいません。リンスティーさんと二人きりになれる誘い文句が、それしか思いつかなかったんです」
「いや、もっと他にあるでしょ。お茶を配るときとか、回収するときにメモを渡すとか」
「……! その手があったか……」
「……」
自分は雑用係の庶務だ。お茶だけでなく、備品の補助や手伝いで執務室をうろついていても、何ら不自然ではない。
むしろ、みんなの前で「女子の悩み相談」などと言って堂々と――実際は小声で言ったつもりだったが、筒抜けだった――誘い出すほうが、よほど不自然だったはずだ。
「なんだか、誤解させてしまってすいません」
「……別にかまわないわ」
やや呆れた口調のリンスティーに、クィアシーナは曖昧な笑みを返す。
そして気を取り直し、リストの件について話を切り出した。
「リンスティーさんは、貴族の派閥について詳しいですか?」
「派閥? そうね。一通りの体制については把握しているわ」
「わかりました……。私は貴族関係の知識がほぼゼロなので、リストを見ても関係性が見えてこなかったのですが、リンスティーさんならわかるかもしれません」
そう言って、後ろに隠していた紙切れをリンスティーへ差し出す。
受け取ったリンスティーは、「敢えて、ぐしゃぐしゃにしてるのね」と呟いた。
ぐしゃっとなっているのは、さっきクィアシーナが握り潰してしまっただけなのだが、そこは黙っておくことにした。
彼はリストを丁寧に広げると、そこに記載された名前を目で追っていく。
(……リンスティーさんは、どんな反応をするんだろうか)
しばらくして、リストに目を通し終えたリンスティーが、短い感想を漏らした。
「なるほど」
そして、そのままクィアシーナへ質問を投げかける。
「あなたは、これらの名前を見てどう思った?」
その問いに、ドキリと心臓が跳ねる。
クィアシーナは、リストを見て最初に抱いた感想を口にしようとし、思いとどまった。
(まずは様子見のほうがいいのかもしれない)
そうして無難な返答を返した。
「……そうですね。思っていたより、ジガルデ前会長派の人は多い、ということでしょうか」
リストに書かれていたのは、三家からそれぞれ一名、計三名。
そのうち二名は、前生徒会メンバーの親族だった。
さらに、その三家の配下として十家の家名が記されており、各家につき一名ずつ、生徒の名前が続いている。
「まあ、多いかもしれないわね」
リンスティーはクィアシーナの感想に端的に応じ、話を続けた。
「私がこのリストを見て思ったのは、全員が第一王子殿下の派閥に属する者たちだ、ということよ」
「第一王子殿下?」
クィアシーナは、その呼称に首を傾げた。
ラスカーダ国には、二人の王子がいる。
第二王子であるダンテと、もう一人、彼の兄にあたる第一王子殿下だ。
ただ、クィアシーナはダンテのことは新聞で見たことがある程度には、顔も名前も知っていたが、第一王子については名前すら曖昧だった。
確か、カ……何とか、そんな名前だったはずだ。
それほどまでに、彼の存在は記憶に薄かった。
「ええ、第一王子カロン殿下。
今のラスカーダ貴族は、第一王子派と第二王子派に分かれているわ。
王は未だに後継者を定めてない。
年功序列だとカロン殿下なんだけど、実力としてはダンテが上と言われているの。
そして、第一王子派は貴族主義、第二王子派は民主主義、といった思想の違いもある。ちなみに、今の生徒会メンバーの家は、全て第二王子派よ」
「そうなんですね……」
ほぼ初めて聞く内容であることと、この国の時事について自分の知識の無さに愕然とする。
(ということは、リストに記載されている家は、貴族主義であることに加え、すべて第一王子の派閥に属しているというわけか)
そこで、クィアシーナの頭に一つの疑問が浮かぶ。
リストを見て、最初に抱いた違和感を、ここで確認しておくことにした。
「すいません。触れていいのかわからなくて聞けなかったのですが……
三家のうちの一つに、『シュターグ公爵家』の名前がありました。その……シュターグ家も、第一王子派ということなのでしょうか?」
――初めてリストを見たとき、クィアシーナは、リンスティーにそれを見せるべきか迷うほど驚いた。
なぜなら、リンスティーが引き取られた先のシュターグ家が、その三家に名を連ねていたからだ。
ただし、その下に記されていたのは、『ガブリエラ・シュターグ』という、リンスティーとは異なる名前だったのだが。
しかし、リンスティーに大した驚きは無かったようだ。クィアシーナの指摘が無ければ話題に触れることすらしなかったかもしれない。
「やっぱり、普通は気付くわよね……。
最初に訂正しておくけど、シュターグ公爵家は完全に中立よ。ただ、私はダンテを支持しているし、義妹は第一王子を支持している、というだけ」
「え、義妹!? 義弟さんだけでなく、義妹さんもいらっしゃったんですか!? しかも、同じ学園内に!?」
今まで、リンスティー本人からも、他の誰からも、そんな話を聞いたことはなかった。
まさか彼の血縁関係者が、学園内にいたとは。
それにしても……
(年が近すぎやしない?)
彼らの年齢差から考えると、王弟殿下はリンスティーの母親が学園を去ったあと、直ぐに別の女性と籍を入れ子を儲けたということになる。……この辺も、少し闇が深そうだ。
「ええ……でも、私はあの子とは、ほとんど会話もしたことがないのだけどね。向こうは私を避けているし、私からも無理に話しかけようとはしないから」
そう言って、リンスティーは少し俯いた。
「……あの子の気持ちも、わかるの。
ある日突然、自分の父親の元恋人の子どもが現れたんだもの。そんな状況で、素直に受け入れられるはずがないわ。
しかも、私の母親は平民で……年も、そう変わらないでしょう?」
一拍置いて、リンスティーは静かに続ける。
「……だから、私という“異物”を通して、平民そのものを嫌悪している。
ガブリエラは、シュターグ家で唯一、貴族主義を公言しているのよ」
「……」
あまりに複雑な関係性に、クィアシーナは頭の整理が追いつかず、思わず額に手をあてた。
つまり……ガブリエラは貴族主義を掲げる第一王子派。
一方で、ダンテは民主主義を支持する、明確な対立陣営に属している。
先ほどの話では、いまだ王太子が正式に定められてないとのことだった。
ならば学園内でダンテの評価を下げることは、そのまま第一王子を優勢に導く行為に近づくのだろう。
(もし彼女が、これまでの事件の関係者だと仮定すると……)
――ダンテが最も信頼を寄せているリンスティーに、これまで事件のことを一切相談できなかったのは、
彼のことを思うと、したくてもできなかった……ということ?
点と点が少しずつ繋がり始めていた。
だが同時に、事態はクィアシーナが当初想定していたものよりも、はるかに複雑を極めていそうだということを理解してしまった。
ダンテとアリーチェの仲に嫉妬した誰かが、エイッと一思いに犯行に及んだ、もしくはジガルデ一派が選挙に負けた逆恨みで犯罪紛いのことにまで手を出した――
そんな単純な構図を思い描いていた自分が、今となっては懐かしくすらある。
「あ、でも、リストに書かれていたからといって、これまでの事件に必ずしも関係しているとは限らないですもんね!
実際、ダン・ブリードとブレンダ・マクレンが休学中なのか、何も事件は起きていないですし」
クィアシーナは、努めて明るく振る舞った。
身内に事件の関係者がいるかもしれない、などという話は、いくら仲が良くないとはいえ、いい気分はしないだろう。
「……本当に、何も起きていないの?」
「え?」
リンスティーは、探るような目つきでクィアシーナを見つめた。
その視線に、クィアシーナは思わず目を逸らしてしまう。
「はい。今日はたぶん、私が転校してきてから、一番平和だったと思うのですが……」
実際、何の心当たりもない。
登校時も、移動教室も、昼休みも、放課後も。
何なら、授業中だって“普通・オブ・普通”だ。
人生で一番穏やかな日常だったと言ってもいいくらいだ。
さすがに、それは言い過ぎかもしれないが。
しかし、ふと――(自分が気付いていなかっただけだとしたら?)――と考え、親指の指輪へと目を向けた。
すると、ブレンダにやられたときほどではないが、明らかに指輪の輝きがくすんで見える。
「……すいません。私が気付いていなかっただけみたいです。私としたことが、不覚でした……」
クィアシーナは、少し自己嫌悪に陥った。
これまで、物理であれ魔法であれ、自分の危機察知能力は、これまでのところ百パーセントの精度を誇っていた。
それが今回は、まったく気付くことなく、いつの間にか何らかの作用を受けていたのだ。
「もしかしたら、攻撃されたわけじゃないのかもしれないわね」
「? どういうことですか?」
「例えば、精神魔法とか。
あなたが危険を察知するのって、主に“自分を害そうとする気配”を感じたときなんじゃないかしら?
そうじゃなくて、ただ眠らせるだけ――そういった類のものには、感覚が働かないんじゃない?」
「……ありえますね」
これまで、魔法で精神攻撃を受けるような状況になったことはなかった。
昔通っていた治安の悪い学校では、魔法ではなく、物理的に眠り薬を染み込ませたハンカチを押し当てられそうになったことはあった。けれど、それも当然回避し、返り討ちにしている。
(アリーチェさんが言っていた、貴族ならではの姑息な手段を使って色々仕掛けてくる、というのは、そういう意味も含まれていたのか……)
これまで眠らされたり、精神に異常をきたすような魔法をかけられた経験がないため、察知できなくても無理はない。
対策を講じる必要はあるが、同時に、指輪をしている限りは、そういった作用とは無縁でいられると、少しばかり楽観的に考えてしまう。
「いまのところ、ダンテの指輪が魔法を無効にしてくれているみたいだけど、そのことに気付かれないようにしなさいね。階段から突き落とすような、物理的な攻撃に切り替えてくる可能性もあるし……」
「そうですね……。指輪はネックレスにして、首から下げておこうかな……。万が一、奪われでもしたら、色んな意味で危ないですし」
命だけの問題ではない。
国宝を紛失したという、自分一人の身では到底贖いきれない危機に晒されてしまう。
「それが良いかもしれないわね」
リンスティーの表情からは、何も読み取れない。
義妹がリストに載っていたことに対して、彼が内心複雑な気持ちでいるのかどうか、クィアシーナにはわからなかった。
そこで、いったん、二人の会話が途切れる。
時計を見ると、すでに下校時刻は過ぎていた。下校の鐘の音は、いつの間にか聞き逃してしまっていたようだ。
「……すみません、長くなってしまいました。そろそろ切り上げましょう。私、生徒会館の戸締りを確認してから帰るので、先に帰っていただいて大丈夫です」
クィアシーナは、思った以上に長く彼を拘束してしまったことを詫び、各部屋の鍵を確認しに向かおうとする。
すると、「じゃあ私は二階を見てくるから、あなたは一階をお願いね」と、リンスティーまで戸締り確認に加わってきた。
「そんな、私がやるので大丈夫ですよ!」
「二人でやったほうが早いでしょう? ほら、さっさと行く!」
なぜか急かされ、背中を押されてしまった。
(うう、圧が強い……)
クィアシーナは申し訳ない気持ちを抱えたまま、各居室の確認に向かう。
鍵は暗証番号でロックされる魔法鍵のため、廊下側から順に施錠していく。
執務室にも誰も残っておらず、生徒会館には、クィアシーナとリンスティーの二人きりとなっていた。
シンとした空気が、館内一帯に流れる。
(いつも帰るときは、誰かしら残っているから……なんだか変な感じ)
給湯室と転移部屋を除く戸締りをすべて確認し終えたあと、クィアシーナは階段下でリンスティーを待っていた。
彼は、まだ二階の部屋をチェックしているようだ。
――そのとき、玄関のほうから、扉がガチャリと開く音がした。
生徒会の誰かが、忘れ物でも取りに来たのだろうか。
クィアシーナが廊下から玄関のほうを覗くと、そこには一人の女子生徒が不安げな様子で佇んでいた。
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