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第一章:画面を抜けて
1、画面の中のおかし屋さん(前半)
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窓のカーテンのすきまから、朝の光がさしこんでくる。鳥の声が、遠くで聞こえる。
私は、小さくあくびをしながら、パソコンの前に座った。
髪には少し寝ぐせが残っていて、前髪がふわっと浮いている。洗面所には行ったけれど、鏡はのぞかない。そんな朝もある。
私の毎朝の日課は、ちょっとかわっている。朝ごはんのあと、ランドセルを背負う前に、ほんのすこしだけ旅に出るのだ。
画面の中の、知らない町を歩く。マウスを動かすと、地図がくるくるとめぐっていく。青い線をなぞれば、道を進める。ぐるりと視点を変えれば、電柱や標識、店の看板、人の姿が見える。
それは、ストリートビューという名前の、不思議な旅の道具だった。
たとえば、昨日は海の近くの町を歩いた。海風が画面の中で木々をゆらしていて、私は、窓を少し開けて、そこから吹いてくる自分の部屋の風をそれに重ねた。
一昨日は、京都。昔の町家がならぶ通りを歩いた。よくわからない漢字の看板をメモ帳に書きうつしながら、「これ、なんて読むんだろう」とつぶやいた。
「知らない町って、なんか、行ってみたいって思う」
そういうと、学校の友だちは「ふ~ん」と言って、すぐ別の話を始めてしまう。
だからこの旅は、ことりだけのもの。地図とパソコンと、少しの好奇心。それだけあれば、今朝もどこかへ行ける。
画面の中の空は、たいてい青い。けれど、その青さも、町によってちがって見える。
今朝は、どこに行こう。ことりは、自分のお菓子ノートをめくって、前に書いた地名を見返した。けれど、今日はなんとなく、なにも決めずに、マウスをすべらせていたい気分だった。
指先が動くたびに、地図がぐるぐると形を変える。見知らぬ路地や、曲がりくねった道が、パズルのようにあらわれては消えていく。
その中に、ぽつん、と、やさしい色の建物が見えた。
——あれ?
私の手が止まった。
近所にある周りは、ごく普通の町並みだった。小さなスーパー、赤い屋根の整骨院、黄色い看板の自転車屋。その中で、その建物だけが、なんだかちがって見えた。
外壁はクリーム色で、屋根はやさしいピンク。木でできた小さな看板がさがっていて、そこに描かれている文字は、まだよく読めない。
私は、マウスをクリックして、近づいていった。
画面の中の道を、一歩、また一歩と、前へ進むように。まるで、自分の足音がアスファルトに響くような気がした。
画面が建物の前にたどりつくと、ようやく看板の文字がはっきり見えた。
Pâtisserie Tsuchiya
ぱてぃすりー、つちや……?
読めない単語を声に出すと、口の中でころころと転がった。
私は、ぐるりと角度を変え、建物の正面を見た。ガラスのドアのむこうには、ショーケースが並んでいる。その中には、小さなケーキや焼き菓子が、きちんと並んでいるのが見えた。
入口の前には、赤と白の花が咲いた鉢植えが二つ。その横に、くまのぬいぐるみが、ちょこんとすわっている。よく見ると、くまは、パティシエの帽子をかぶっていた。
ふふっと、口元がゆるんだ。
なんだか、かわいい。
今度は、画面を回してみた。別の角度からも、その店を見てみる。どこから見ても、おだやかで、やさしい雰囲気があった。
そのときだった。
ショーケースの前に、ふたりの人の姿が見えた。
母親らしき女性と、小さな女の子。女の子は、紙袋を胸にかかえて、うれしそうに笑っている。その顔を見た瞬間、ことりの胸が、どくん、と鳴った。
(いいな……)
そう、思った。
なんとなく、そう思った。
その店の前に立ってみたい。あの紙袋を手にしてみたい。私はそう思った。
けれど、すぐに心の中に、別の声がささやいてくる。
(でも……)
(遠かったら? 迷ったら? 一人で行ったら、変かな?)
(ちゃんとしないと、怒られる……)
私の頭の中には、いつもちゃんとしなきゃがある。
誰かに迷惑をかけたくない。失敗したくない。
だから、はじめの一歩が、とてもとても難しい。
私は、小さくあくびをしながら、パソコンの前に座った。
髪には少し寝ぐせが残っていて、前髪がふわっと浮いている。洗面所には行ったけれど、鏡はのぞかない。そんな朝もある。
私の毎朝の日課は、ちょっとかわっている。朝ごはんのあと、ランドセルを背負う前に、ほんのすこしだけ旅に出るのだ。
画面の中の、知らない町を歩く。マウスを動かすと、地図がくるくるとめぐっていく。青い線をなぞれば、道を進める。ぐるりと視点を変えれば、電柱や標識、店の看板、人の姿が見える。
それは、ストリートビューという名前の、不思議な旅の道具だった。
たとえば、昨日は海の近くの町を歩いた。海風が画面の中で木々をゆらしていて、私は、窓を少し開けて、そこから吹いてくる自分の部屋の風をそれに重ねた。
一昨日は、京都。昔の町家がならぶ通りを歩いた。よくわからない漢字の看板をメモ帳に書きうつしながら、「これ、なんて読むんだろう」とつぶやいた。
「知らない町って、なんか、行ってみたいって思う」
そういうと、学校の友だちは「ふ~ん」と言って、すぐ別の話を始めてしまう。
だからこの旅は、ことりだけのもの。地図とパソコンと、少しの好奇心。それだけあれば、今朝もどこかへ行ける。
画面の中の空は、たいてい青い。けれど、その青さも、町によってちがって見える。
今朝は、どこに行こう。ことりは、自分のお菓子ノートをめくって、前に書いた地名を見返した。けれど、今日はなんとなく、なにも決めずに、マウスをすべらせていたい気分だった。
指先が動くたびに、地図がぐるぐると形を変える。見知らぬ路地や、曲がりくねった道が、パズルのようにあらわれては消えていく。
その中に、ぽつん、と、やさしい色の建物が見えた。
——あれ?
私の手が止まった。
近所にある周りは、ごく普通の町並みだった。小さなスーパー、赤い屋根の整骨院、黄色い看板の自転車屋。その中で、その建物だけが、なんだかちがって見えた。
外壁はクリーム色で、屋根はやさしいピンク。木でできた小さな看板がさがっていて、そこに描かれている文字は、まだよく読めない。
私は、マウスをクリックして、近づいていった。
画面の中の道を、一歩、また一歩と、前へ進むように。まるで、自分の足音がアスファルトに響くような気がした。
画面が建物の前にたどりつくと、ようやく看板の文字がはっきり見えた。
Pâtisserie Tsuchiya
ぱてぃすりー、つちや……?
読めない単語を声に出すと、口の中でころころと転がった。
私は、ぐるりと角度を変え、建物の正面を見た。ガラスのドアのむこうには、ショーケースが並んでいる。その中には、小さなケーキや焼き菓子が、きちんと並んでいるのが見えた。
入口の前には、赤と白の花が咲いた鉢植えが二つ。その横に、くまのぬいぐるみが、ちょこんとすわっている。よく見ると、くまは、パティシエの帽子をかぶっていた。
ふふっと、口元がゆるんだ。
なんだか、かわいい。
今度は、画面を回してみた。別の角度からも、その店を見てみる。どこから見ても、おだやかで、やさしい雰囲気があった。
そのときだった。
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母親らしき女性と、小さな女の子。女の子は、紙袋を胸にかかえて、うれしそうに笑っている。その顔を見た瞬間、ことりの胸が、どくん、と鳴った。
(いいな……)
そう、思った。
なんとなく、そう思った。
その店の前に立ってみたい。あの紙袋を手にしてみたい。私はそう思った。
けれど、すぐに心の中に、別の声がささやいてくる。
(でも……)
(遠かったら? 迷ったら? 一人で行ったら、変かな?)
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私の頭の中には、いつもちゃんとしなきゃがある。
誰かに迷惑をかけたくない。失敗したくない。
だから、はじめの一歩が、とてもとても難しい。
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