灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの

武内れい

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第1章:静寂に沈む船出

17、生き残るための備え(前半)

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 私はうっすらと目を開け、身じろぎした。冷たい板の感触が背中から抜けていく。
 船室はまだ暗く、みんなの寝息だけが小さなリズムを刻んでいた。

 そっと起き上がると、向かいにいた倫と目が合った。彼もまた、眠ってなどいなかった。
 ニコラがごそりと寝返りを打ち、私の顔を見て瞬きを一つ。レオは丸くなったまま、膝を抱えて眠っている。

 誰も声を出さない。目だけで、呼吸だけで、互いの存在を確かめ合う――
 まるでそれが、静かな作戦会議の始まりだったかのように感じられた。

「……名前、忘れないようにしよう」

 思わず、声が漏れた。
 ほんの小さなささやきだったけれど、それだけで胸の奥が熱くなる。
 名前は、私たちの証だから。ここではきっと呼ぶことすら許されない。でも、心の中でなら、誰にも奪われない。

「ここじゃ、きっと名乗れない。だから毎日、心の中で唱えよう。自分の名前と、みんなの名前を。忘れなければ……まだ生きてるってことになるから」

 ニコラがこくりとうなずいた。
 それから、くしゃくしゃの髪のままレオが顔を上げ、にやっと笑った。

「ねえ、それだけだとつまんないよ。合図もつくろ? ほら、こんなふうに指まるくしたら『だいじょぶ?』で、手をひらいたら『きをつけて』って」

「うん、あとね、床にちっちゃい石とか置いたらどう? 左ならダメ、右ならこっちきてとか」

 小さな声だったけど、ニコラの言葉には不思議な重みがあった。
 あの子は……目でたくさんのことを見てきたんだ。大人の言葉より、ずっと鋭いことがある。

「見つかっても、ただの遊びってことにすればいいんだよね」

「そう。ばれないように隠れてでも、ちゃんと伝わるように……いつか、堂々と話せる日が来るまで」

 そのやりとりを見ていたら、胸の奥にふっと火が灯るような気がした。
 レオもニコラも、子どもらしさの中に鋭さと工夫を隠していて……それが、眩しいくらいだった。

 倫が少し黙ったあと、ぽつりと口を開いた。

「監視官の巡回には、規則がある。交代は六時間ごと。深夜から早朝が、いちばん手薄になる。物資は三日に一度。最低限しか出ないが――使い方を工夫すれば、不足分も補える」

「たとえば、どうやって?」

 私がそう尋ねると、倫は指を折ってひとつひとつ数えながら話してくれた。

「石鹸は、アルカリが強い。削って乾かすと、紙を接着する程度の力が出る。毛布の縁は、織りが甘い。糸を抜いて、簡易な紐にできる。 食器は、恐らくアルミ。金属同士を擦れば、摩擦熱が出る可能性もある」

「え、なにそれ……魔法?」

 レオが目を丸くして声をあげた。倫は笑わず、淡々とうなずいた。

「……魔法じゃない。ただの知識。観察して、覚えておいたことだ」

 少し間を置いて、彼はさらに続けた。

「監視官だけじゃない。あそこには研究者もいた。見た目も動きも違う。白衣の者もいれば、装備を身に着けていた者も。通路も別々に使っていた。――ああいう人たちが何をしているのか、全部はまだ分からない。でも、いずれ役に立つ」

 それを聞いて、私も口を開いた。
 こんなふうに話すのは、少し勇気がいったけれど……言わなきゃって思った。

「もし怪我したら、まずは水で洗うの。できるだけきれいな布で、こすらずそっと拭く。汚れたままだと、ばい菌が入って熱が出ちゃう。薬がなくても、冷やしたり、そっと縛ったりすれば、ちょっとは楽になるから」

「消毒薬がなくても……手であっためてあげたり、息をふーってかけてあげたら、痛いのがまぎれるかもしれない」

 家族との生活を思い出して、涙声になってしまったけれど。
 みんなが黙って聞いてくれているのが分かった。あたたかい目が、ちゃんとこっちを見てくれている。

「……だから、誰かが倒れたら、すぐに知らせて。私、できることはやるから」

 そのときだった。
 壁際に座っていたルーカンが、低く、でもしっかりした声で言った。

「身体を動かすのも、やめるな。……前に教えた動き、覚えてるだろ。寝る前でも、トイレに立ったときでもいい。見つからないように、ちょっとずつでも続けておけ」

 彼は壁にもたれたまま、肩を軽く回した。
 その動きが、まるで狼のように静かで、しなやかで――見ているだけで、自分の背筋が伸びる気がした。

「体がなまると、心までなまる。走れなきゃ逃げられない。誰かが倒れても、動けなきゃ助けられない。……誰かを守るなら、まず自分の身体を保て」

 ルーカンの言葉は、難しかった。でも、まっすぐだった。
 そして、彼の目は誰か一人じゃなく、全員を見ていた。
 それが、心に残った。

 そのとき、廊下から金属の音が響いた。
 がらん、と重たいものが倒れる音。近い。扉のすぐ向こう――

「しまった……!」

 ルーカンが反射的に声を上げた。
 倫がすばやく腕を伸ばしたけれど、遅かった。
 足音が、ぴたりと扉の前で止まる。

 風のない船室に、緊張が突風のように駆け抜けた。
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