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第1章:静寂に沈む船出
19、孤島への対策(前半)
しおりを挟む目が覚めたとき、世界の匂いが変わっているのに気づいた。霧と潮のにおいに、どこか鉄が焼けたようなにおいが混じっている。昨日までの空気とは違う、何かが迫っている、そんな朝だった。
「……起こしちゃった?」
静かに開いた扉の隙間から、倫が顔をのぞかせる。目の下にはうっすらと影があって、それでも変わらぬ笑みを浮かべていた。
「ううん。今起きたとこ」
そう答えると、倫はそっと手提げ袋を床に置いた。果物の皮、乾いたパンの切れ端、小さな包帯、折れたスプーン、そして、みかんの芯から取り出したばかりらしい、ぬれた種。
「それ……どうしたの?」
声をかけたのはレオだった。集まってきたみんなが、袋の中身を見て驚いたように目を見開いている。
倫は少し笑って、「もらってきたんだ」とだけ言った。
その言い方に引っかかるものを感じた。でも倫の目は遠くを見つめていて、私はそれ以上は聞けなかった。
レオがパンの欠片をそっと持ち上げ、イザベルに差し出す。イザベルは、ぽかんと見つめたあと、うれしそうに頷いた。
「イザベル、これ、後で食べよう」
「うん!」
ミナが微笑むと、イザベルは笑顔でうなずきながら、袋の中の種を指さした。
「たね?」
「そう、これはね、土があれば芽が出るの。だから大事に持っておこう」
「め……でるの?」
「そうだよ」
そっとイザベルの小さな手を取って、種をひとつ渡した。ほら、これは未来の食べ物だよ、と心の中で伝えるように。
それから、私たちは昨夜の合図をもう一度、見直すことにした。レオが折った紙を広げ、昨日のメモを読み上げていく。
倫は壁に寄りかかって、皆の動きを一つひとつ確認している。ときおり、うなずいて、また目を細めた。
「イザベルにもできる合図が必要だ」
ルーカンがぽつりとつぶやいた。そうだった、彼女には複雑なルールは難しい。
「じゃあ……イザベルがてをぱちぱちしたら、それが合図ってことにしようか」
「ぱちぱち?」
イザベルが手を叩いてみせる。
「そう、それ! それがだれか来たの合図にしよう」
「ぱちぱち、した!」
「ああ、上手だ」
イザベルはうれしそうにもう一度、ぱちぱちと手を叩いた。その響きが、小さな光のように部屋の空気を照らした気がした。
「あと、声を出せないときは、イザベルが髪を引っぱったり、服をつまんだりするのも合図にしようか」
倫の提案に、皆がうなずいた。
「それなら、覚えやすいし、自然にできる」
紙のメモには新たな合図が追加されていった。子どもたちは真剣だった。これが遊びじゃないことを、みんな肌で感じていた。
「じゃあ次、もし研究者がいたらどうする?」
倫の声が少しだけ低くなる。私たちは一斉に目を向けた。
「話しかけられたら、礼儀正しく。でも、無駄にしゃべらない。情報を渡さない」
「……でも、観察はする。どの人が何を持ってるか、誰が偉そうか、誰が優しそうか」
「媚びない。けど、怒らせないように」
「従ってるふりをする。うまく使える人がいたら、使う……」
それは、誰が言ったわけでもなく、空気のなかに流れていくような合意だった。
倫がうなずく。
「強くなるためには、ただ強がるんじゃなくて……したたかさも必要。僕らは選べないけど、観察することはできる」
「観察するためには、まず生き残らなきゃ」
私の声に、みんながまた黙った。鉄の匂いが強くなってきていた。霧が、船をゆっくりと包んでいく。
どこかで波が、静かに船腹を叩いていた。
イザベルが小さくあくびをして、レオのそばに寄りかかる。
レオは不安そうに笑って、「あとどのくらいなんだろう」とつぶやいた。
私たちは、正確には知らなかった。ただ、もうすぐだということだけは、全員が感じていた。
この先にあるのは、私たちの孤島。
けれど、私たちはただ連れていかれるだけじゃない。
ここで考え、選び、つながり合ってきた。この合図一つひとつが、その証だった。
どんなに閉ざされた場所でも。
私たちは、そこで生きるための言葉を、もう持っている。
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