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番外編:光と鎖の狭間で
5、布とスープと、静かな決意(前半)
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朝、窓の外には鳥のさえずりと共に、やわらかな日差しがカーテン越しに差し込んでいた。薄桃色の光が部屋をやさしく包み、目覚めたばかりの宮乃は、一瞬、ここがどこなのかを思い出すのに時間がかかった。
ここはもう、あの冷たく薄暗い孤児院ではない。雪乃の小さな寝息が隣から聞こえる。ベッドの上でまるまって眠る妹の姿に、宮乃の胸はじんわりと熱くなった。
「朝よ、雪乃。起きよう」
くすぐるように声をかけると、雪乃はうっすら目を開け、眠たそうに笑った。目覚めのその微笑みが、何よりも宮乃にとっての安らぎだった。
グレイウォード夫妻の家での生活は、最初こそぎこちなかった。見たこともないほどきれいなキッチン、絵本が並ぶ本棚、まっさらなシーツの香りにさえ、宮乃の心は落ち着かず、どこか身の置き場がないような感覚があった。
けれども、セシリアの手は温かかった。リアンのまなざしは厳しさのなかに信頼を湛えていた。彼らの出す料理はいつも色とりどりで、食卓には笑い声があった。雪乃が「おかわり!」と叫んでも、誰も怒る人はいなかった。
ある日、セシリアが宮乃の手をそっと取り、こう言った。
「一緒に、スープを作ってみない?」
その日は、庭で採れたかぼちゃを使ったポタージュだった。セシリアが説明する通りに包丁を握り、皮をむき、ミルクと混ぜながらかき混ぜる。
はじめての感触に、宮乃は自分の指先が誰かの役に立っている気がして、胸の奥がぽっと温かくなるのを感じた。
「いい香りがする……」
雪乃がふわふわとキッチンにやって来て、鼻をくんくんさせながらそう言った。
「お姉ちゃんがつくったの? すごい!」
ただのかぼちゃスープなのに、それは宮乃にとって、生まれて初めて自分が誰かの生活に関わっていると感じた瞬間だった。
裁縫もそうだった。セシリアの手ほどきで、一針ずつ縫っていく。ほころんだワンピースの裾を直したり、布の切れ端で雪乃のために小さな髪飾りを作ったり。
「生活って、こういうものなのかな……」
糸を引く指先から、その言葉が自然にこぼれた。
リアンがふと微笑んで言った。
「生きることは、いつだって誰かと何かを紡いでいくことだよ。急がなくていい。君のペースでいいんだ」
だが、そんな穏やかな日々の中に、ひとつだけひっかかる記憶があった。
それは、ダリアン・エリダヴォンの言葉だった。
「君のような子なら、あの子を救える」
そのあの子とは誰なのか。なぜ自分が選ばれたのか。宮乃にはわからなかった。
その答えが訪れたのは、ある日の午後だった。
庭で雪乃とボール遊びをしていた時、正装をしたダリアンが車から降りてくるのが見えた。黒いスーツ、光る靴。孤児院で見た時と同じ、隙のない笑顔。
そして、その背後に乗っていた車の黒塗りの窓から、誰かの視線を感じた気がした。
「おひさしぶりだね、宮乃」
ダリアンは丁寧にしゃがみこみ、雪乃の頭を軽く撫でると、ゆっくりと宮乃の目を見据えた。
「少し、大事な話をしようか」
応接室に通された宮乃は、まだ冷めやらぬ興奮と不安の中で、正面に座るダリアンの目を見た。セシリアもリアンも、今日は外出していた。
ダリアンは書類のようなものを膝に置き、手を組んで言った。
「君は、倫という子の許婚になるんだよ」
その言葉に、時間が一瞬止まった気がした。
許婚。ゆいこん。聞いたことはある言葉だったが、現実に自分の身に起きるとは思っていなかった。
「……どういう意味ですか?」
絞り出すように問うと、ダリアンは落ち着いた口調で語り出した。
「君が選ばれたのは偶然じゃない。君の中にある芯の強さと、優しさ、それはあの子の心を繋ぎとめる鍵になる。彼には、君のような存在が必要なんだ」
ここはもう、あの冷たく薄暗い孤児院ではない。雪乃の小さな寝息が隣から聞こえる。ベッドの上でまるまって眠る妹の姿に、宮乃の胸はじんわりと熱くなった。
「朝よ、雪乃。起きよう」
くすぐるように声をかけると、雪乃はうっすら目を開け、眠たそうに笑った。目覚めのその微笑みが、何よりも宮乃にとっての安らぎだった。
グレイウォード夫妻の家での生活は、最初こそぎこちなかった。見たこともないほどきれいなキッチン、絵本が並ぶ本棚、まっさらなシーツの香りにさえ、宮乃の心は落ち着かず、どこか身の置き場がないような感覚があった。
けれども、セシリアの手は温かかった。リアンのまなざしは厳しさのなかに信頼を湛えていた。彼らの出す料理はいつも色とりどりで、食卓には笑い声があった。雪乃が「おかわり!」と叫んでも、誰も怒る人はいなかった。
ある日、セシリアが宮乃の手をそっと取り、こう言った。
「一緒に、スープを作ってみない?」
その日は、庭で採れたかぼちゃを使ったポタージュだった。セシリアが説明する通りに包丁を握り、皮をむき、ミルクと混ぜながらかき混ぜる。
はじめての感触に、宮乃は自分の指先が誰かの役に立っている気がして、胸の奥がぽっと温かくなるのを感じた。
「いい香りがする……」
雪乃がふわふわとキッチンにやって来て、鼻をくんくんさせながらそう言った。
「お姉ちゃんがつくったの? すごい!」
ただのかぼちゃスープなのに、それは宮乃にとって、生まれて初めて自分が誰かの生活に関わっていると感じた瞬間だった。
裁縫もそうだった。セシリアの手ほどきで、一針ずつ縫っていく。ほころんだワンピースの裾を直したり、布の切れ端で雪乃のために小さな髪飾りを作ったり。
「生活って、こういうものなのかな……」
糸を引く指先から、その言葉が自然にこぼれた。
リアンがふと微笑んで言った。
「生きることは、いつだって誰かと何かを紡いでいくことだよ。急がなくていい。君のペースでいいんだ」
だが、そんな穏やかな日々の中に、ひとつだけひっかかる記憶があった。
それは、ダリアン・エリダヴォンの言葉だった。
「君のような子なら、あの子を救える」
そのあの子とは誰なのか。なぜ自分が選ばれたのか。宮乃にはわからなかった。
その答えが訪れたのは、ある日の午後だった。
庭で雪乃とボール遊びをしていた時、正装をしたダリアンが車から降りてくるのが見えた。黒いスーツ、光る靴。孤児院で見た時と同じ、隙のない笑顔。
そして、その背後に乗っていた車の黒塗りの窓から、誰かの視線を感じた気がした。
「おひさしぶりだね、宮乃」
ダリアンは丁寧にしゃがみこみ、雪乃の頭を軽く撫でると、ゆっくりと宮乃の目を見据えた。
「少し、大事な話をしようか」
応接室に通された宮乃は、まだ冷めやらぬ興奮と不安の中で、正面に座るダリアンの目を見た。セシリアもリアンも、今日は外出していた。
ダリアンは書類のようなものを膝に置き、手を組んで言った。
「君は、倫という子の許婚になるんだよ」
その言葉に、時間が一瞬止まった気がした。
許婚。ゆいこん。聞いたことはある言葉だったが、現実に自分の身に起きるとは思っていなかった。
「……どういう意味ですか?」
絞り出すように問うと、ダリアンは落ち着いた口調で語り出した。
「君が選ばれたのは偶然じゃない。君の中にある芯の強さと、優しさ、それはあの子の心を繋ぎとめる鍵になる。彼には、君のような存在が必要なんだ」
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