灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの

武内れい

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番外編:光と鎖の狭間で

10、心を半分わけてあげる(後半)

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 倫のその言葉に、私は返す言葉を失った。

 ――気づいていなかった?

 あんなにも荒れた手をしていながら、自分ではそうなっていることさえ意識していない。
 まるで、そこに痛みがあるという概念すら抜け落ちてしまっているような――そんな無防備な声音だった。

 私は、そっと手を握る力を強めた。

「……そういうの、気づいていいんだよ。痛いことは、痛いって言っていいの」

 そう言いながら、気づけば私は涙をこらえていた。
 倫は目をしばたかせて、私の表情をじっと見つめていた。

「でも、それを言って、何かが変わりますか?」

 倫の問いは、あくまで素朴だった。
 私を責めるでも、疑うでもなく、ただ純粋な疑問として発せられた言葉。

「うん、変わらないかもしれない。でも、言えるってことが、大事なんだよ」
「誰かに伝えたいって、思えること。そうしたいって思える自分でいること」

 自分でも、なぜこんなにも強く言いたくなったのか分からない。
 でも、口をついて出たその言葉は、私の中に溜まり続けていた感情だったのだと思う。

「倫……もし、わからないのであれば……私のを半分あげるよ」

 倫の瞳が、わずかに見開かれた。私は彼の手を両手で包み込むようにして、絞るように続けた。

「私が楽しいときは、一緒に楽しいって思って。悲しいときは、一緒に泣いて」
「そしたら倫は、私の気持ちを通して、生きるってことができるでしょ?」

 それは、懇願でも強制でもなかった。
 ただ、そうしたいと願った。私の中から自然に出てきた感情だった。

 倫は小さくうなずいた。
 でもそれは、理解したというよりも、「それがあなたの願いなのですね」と受け入れただけの仕草だった。

 それでも、私はそれでよかった。
 最初は言葉を交わすのも難しかった倫が、今はこうして私の手を受け止めてくれている。
 それだけでも、ほんの少しだけ、彼の檻がゆるんでくれた気がした。

 それからの日々、私は倫の前ではいつも感情豊かに振る舞うようになった。
 笑って、泣いて、驚いて、怒って――
 そうすることで倫が、私を通して何かを感じられるようになるかもしれないと思ったから。

 本を読み聞かせるときは、声に抑揚をつけ、場面に合わせて表情を変えた。
 一緒にお茶を飲むときは、好きな味を見つけたふりをして、何度も嬉しそうに笑った。
 庭の花が少しでも咲いたら大げさに喜んだし、倫の言葉に少しでも変化があると「うれしい」と言葉に出した。

 最初は、演じるような感覚だった。けれど、そのうち本当に、私は彼と過ごす時間を楽しみにするようになっていた。
 倫の言葉が少しずつ柔らかくなっていくたびに、私の心も救われていった。

 そしてある日、別れ際。

「また来るね」と言うと、倫はほんの少しだけ、口元を緩めた。
 それは笑ったとは言いきれない、小さな動きだったけれど、私にははっきりと伝わった。

「宮乃さんが笑っていると、僕の中も……少し、暖かくなる気がします」

 私はその言葉に胸を締めつけられた。
 ――ああ、たとえ真似でも、感情がそこにあるなら、倫はちゃんと生きてる。そう思った。

 けれど、それと同時に。
 私の中には、拭いきれない不安もあった。

 私は、自分の感情を差し出すことで、倫を助けようとしている。
 でも――それは彼のためなのか、それとも私自身のためなのか。
 いつのまにか、私の心は、倫が笑ってくれることでしか自分を保てなくなっているような気がしていた。

 私が悲しめば、倫も悲しむ。
 私が笑えば、倫も笑う。
 そのつながりが、私を強くする。けれど、それがなければ、私は……

「……ねぇ、倫」

 ふと私は問いかけた。

「私が何も感じなくなったら、倫はどうなるのかな?」

 倫はしばらく黙っていた。
 やがて、静かに、けれど確信を込めて答えた。

「宮乃さんが、何も感じなくなったら……僕は、存在できなくなると思います」

 その答えに、私は何も返せなかった。
 それは優しさでも、恐れでもない――ただ、真実だった。

 私たちは、知らないうちに結びつきすぎてしまっていた。
 その結びつきの中で、どちらかが崩れたら、もう一方も共に崩れてしまう。
 そういう関係に、いつのまにかなってしまっていた。

 私は、そのときまだ知らなかった。
 これが支えるということではなく、依存の始まりだったのだということを――
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