灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの

武内れい

文字の大きさ
113 / 120
第5章:優しさの仮面

87、飲み込む笑顔(前半)

しおりを挟む

 風が、壊れたステンドグラスを揺らしていた。

 そこは、基地の裏にひっそりと残された廃墟の教会だった。壁はひび割れ、天井の一部は崩れ落ちていたが、かろうじて屋根は残り、中央の十字架だけがまだ空を指し示していた。

 私は、祈るように膝を抱えていた。

 冷たい石の床に座り込むと、体温が奪われていくようで、心の痛みとよく似ていた。夜の海風が吹き込むたび、ガラス片がわずかに音を立てた。
 遠くで波の音が小さく響き、天窓から射す星の光が、壊れかけた床を淡く照らしていた。

 足音が近づいてきたのは、そのときだった。

 私は振り返らない。背後から近づいてくるその気配を、ただ静かに待った。

「ミナ」

 やはり彼だった。

 白い拘束服は破れて、引きちぎられた鎖の名残が手首と足首にまだ残っていた。月明かりに濡れたその姿は、まるで異形の天使のように思えた。
 手足は血まみれなのに、顔だけが不思議ときれいで、まるであの冷たい沈黙のなかで、何も感じなかったとでも言うように、微笑んでいた。

「どうして、来たの」

 私は振り向かずに言った。視線は崩れた十字架の先端に据えたままだった。

「……話したかったから」

 倫の声は、どこまでも穏やかだった。穏やかすぎて、かえって私の中の何かを逆なでした。

 私はゆっくりと彼に向き直った。

「それなら教えて。――どうして、宮乃は死んだの?」

 空気が張り詰めた。倫は答えない。ただ、私を見つめ返してくる。

「あなたが連れてきた。あの血まみれの身体を、腕に抱えて。……なぜ、宮乃はあんな姿になったの? 誰が、宮乃をそうしたの?」

 倫は黙っていた。

「ねえ、教えて。誰が……」

 そこで言葉を詰まらせた。言い切る勇気が出なかった。けれど、それでも知りたかった。

「ねえ、お願い。教えて」

 私は一歩近づく。彼の顔は静かで、笑っているようにも、泣いているようにも見えなかった。

「宮乃は……僕の代わりに、研究室にいた」

 その一言に、心が揺れた。

「……代わり?」

「僕が連れて行かれるはずだった。でも、宮乃が……そこにいた」

 声は静かだった。まるで自分のことではないかのように、淡々としていた。

「そして、正気ではいられなかったんだ。……僕が研究室に着いたときには、もう……戻れないところまで来ていた」

 私は目を見開いた。

「じゃあ……」

 倫は、少しだけ視線を落とした。手のひらを見つめる。その指先にも、血がついていた。

「宮乃が微かに意識を戻したときに、もういいって。……それ以上、耐えられないって。」

 凍りついた時間のなかで、私は言葉を失った。

「僕が……とどめを刺した」

 耳鳴りのように、波の音が教会の奥で響いていた。

「そんな……」

 私は呟く。膝が震えた。でも、倫はうろたえなかった。謝りもしなかった。ただ、その事実を、そのまま差し出していた。

「宮乃は言ってたよ」

 その声は、かすかな呼吸のように小さく、でも確かに私の心に届いた。

「ごめんって。」

「……ごめん?」

「幸せになってって。」

 私は両手で顔を覆った。涙が、止めようもなく溢れた。

「……そんな、優しさって……残酷だよ」

 嗚咽のようにこぼれた声に、倫は何も言わず、ただ見ていた。

「宮乃は、君たちのことも話してた。レオのこと、ニコラのこと、サラのこと……そして、ミナのこと」

 倫は穏やかに続けた。

「友達になりたかったって。……出会う場所が違えば、なれていたのかなって。」

 私は胸に手を当てる。あの子の声が、記憶の中で遠くに揺れる。

 友達に――なりたかった。

 たったそれだけのことが、あの世界では、叶えられなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...