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第5章:優しさの仮面
87、飲み込む笑顔(前半)
しおりを挟む風が、壊れたステンドグラスを揺らしていた。
そこは、基地の裏にひっそりと残された廃墟の教会だった。壁はひび割れ、天井の一部は崩れ落ちていたが、かろうじて屋根は残り、中央の十字架だけがまだ空を指し示していた。
私は、祈るように膝を抱えていた。
冷たい石の床に座り込むと、体温が奪われていくようで、心の痛みとよく似ていた。夜の海風が吹き込むたび、ガラス片がわずかに音を立てた。
遠くで波の音が小さく響き、天窓から射す星の光が、壊れかけた床を淡く照らしていた。
足音が近づいてきたのは、そのときだった。
私は振り返らない。背後から近づいてくるその気配を、ただ静かに待った。
「ミナ」
やはり彼だった。
白い拘束服は破れて、引きちぎられた鎖の名残が手首と足首にまだ残っていた。月明かりに濡れたその姿は、まるで異形の天使のように思えた。
手足は血まみれなのに、顔だけが不思議ときれいで、まるであの冷たい沈黙のなかで、何も感じなかったとでも言うように、微笑んでいた。
「どうして、来たの」
私は振り向かずに言った。視線は崩れた十字架の先端に据えたままだった。
「……話したかったから」
倫の声は、どこまでも穏やかだった。穏やかすぎて、かえって私の中の何かを逆なでした。
私はゆっくりと彼に向き直った。
「それなら教えて。――どうして、宮乃は死んだの?」
空気が張り詰めた。倫は答えない。ただ、私を見つめ返してくる。
「あなたが連れてきた。あの血まみれの身体を、腕に抱えて。……なぜ、宮乃はあんな姿になったの? 誰が、宮乃をそうしたの?」
倫は黙っていた。
「ねえ、教えて。誰が……」
そこで言葉を詰まらせた。言い切る勇気が出なかった。けれど、それでも知りたかった。
「ねえ、お願い。教えて」
私は一歩近づく。彼の顔は静かで、笑っているようにも、泣いているようにも見えなかった。
「宮乃は……僕の代わりに、研究室にいた」
その一言に、心が揺れた。
「……代わり?」
「僕が連れて行かれるはずだった。でも、宮乃が……そこにいた」
声は静かだった。まるで自分のことではないかのように、淡々としていた。
「そして、正気ではいられなかったんだ。……僕が研究室に着いたときには、もう……戻れないところまで来ていた」
私は目を見開いた。
「じゃあ……」
倫は、少しだけ視線を落とした。手のひらを見つめる。その指先にも、血がついていた。
「宮乃が微かに意識を戻したときに、もういいって。……それ以上、耐えられないって。」
凍りついた時間のなかで、私は言葉を失った。
「僕が……とどめを刺した」
耳鳴りのように、波の音が教会の奥で響いていた。
「そんな……」
私は呟く。膝が震えた。でも、倫はうろたえなかった。謝りもしなかった。ただ、その事実を、そのまま差し出していた。
「宮乃は言ってたよ」
その声は、かすかな呼吸のように小さく、でも確かに私の心に届いた。
「ごめんって。」
「……ごめん?」
「幸せになってって。」
私は両手で顔を覆った。涙が、止めようもなく溢れた。
「……そんな、優しさって……残酷だよ」
嗚咽のようにこぼれた声に、倫は何も言わず、ただ見ていた。
「宮乃は、君たちのことも話してた。レオのこと、ニコラのこと、サラのこと……そして、ミナのこと」
倫は穏やかに続けた。
「友達になりたかったって。……出会う場所が違えば、なれていたのかなって。」
私は胸に手を当てる。あの子の声が、記憶の中で遠くに揺れる。
友達に――なりたかった。
たったそれだけのことが、あの世界では、叶えられなかった。
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