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第一章:出会いのページ
19、春から初夏へ(前半)
しおりを挟む窓をあけた瞬間、そよぐ風が、カーテンのレースをやわらかくふくらませた。夕方の光をたっぷり含んだ風は、どこか甘やかな草いきれをまとっていて、それだけで胸の奥にやさしい波がひろがっていくようだった。
机の上では、今日も例の白紙の本が静かにひらかれていた。もう何度もページをめくり、じっと見つめてきたはずなのに、どうしてだろう、この本と向き合うたびに、私は何かを問い直されている気がする。
ページは白い。けれど、その空白が、何かを拒んでいるのではなく、むしろ私に書いてごらんと差し出しているように感じることがある。
(ねえ、あなたは何を思うの?)
そんなふうに、問いかけられている気がするのだ。
私は、まだその問いにうまく答えられないままでいた。でも、ほんの少しだけ、自分の中の何かが変わりはじめているのを、私は感じていた。
それはたぶん、あの人たちと出会ったから。
悠真さんの、やさしく静かなまなざし。
誠さんの、コーヒーの香りの中にある柔らかな語り口。
しおりさんの、まっすぐで、ちょっと風のような明るさ。
そして、図書館の老司書・隆さんの、言葉の奥に揺れる長い時間の重み。
みんなが、それぞれにこの本を手にし、それぞれの仕方で向き合っている。
そして私は、その輪の中にいる。まだほんの端のほうだけれど、確かに、つながっている。
私の部屋は静かだった。
リビングからは、テレビの音も笑い声も聞こえてこない。母はまだ仕事から帰っていないようだった。父は……もう、しばらく顔を見ていない。
けれど今夜は、その静けさが、私にはやさしく感じられた。
私は机に向かい、白紙のページを模したノートをひらいた。これは、図書館の帰りに誠さんの文具店で買ったもの。表紙は素朴なクラフト紙で、触れると少しざらりとしていて、ぬくもりがあった。
ノートをひらくと、あの時の言葉が最初のページに綴られていた。
〈ことばにならないことこそ、書いてみたい〉
書いたのは、たしか数日前。夜の机で、胸の内がどうしようもなくざわついたあの日。
あのときは、ただ、不安で、さみしくて、それでも何かを残したくて書いた。でも今なら、もう少し違う思いを、違う言葉で綴れそうな気がする。
私はペンを取り、ページの余白に、ゆっくりと文字を落としていった。
〈まだ知らないことばかりです。〉
〈でも、だからこそ、書きたくなります。〉
〈自分でも、知らなかった想いに触れるために。〉
文字が、紙の上で音もなく並んでいく。けれどその静けさのなかには、胸の内を通り抜ける風のような確かな感触があった。
私は思う。これまで、書くということは、どこか自分だけのもの、誰にも見せないひとりきりの作業だと思っていた。でも今は、それが少しだけ変わってきている。
みんなでこの本を読むだけでなく、書いていくことができるかもしれない。
まだうまく言葉にはできないけれど、そんな思いが、心の底でゆっくりと芽吹いている。
「……この本を、みんなで完成させたいです」
声に出してみると、それは思いのほかしっくりと胸におさまった。
ひとりでは見えなかった景色を、誰かと一緒に見てみたい。
ひとりで書けなかった物語を、誰かとなら紡げるかもしれない。
私は、ふと窓の外に目を向けた。
夕闇が、街を静かに包みはじめている。
明かりが灯りはじめた家々の窓の灯りが、点々と連なりながら、まるで夜の地図のように街を彩っていた。
空には、星がひとつ、またひとつと姿を現している。
夜空にぽつりと浮かぶそのひかりは、まるで遠くにいる誰かの返事のようにも思えた。
私は、ペンを置いた手をそっと胸にあてて、つぶやいた。
「ありがとう。私、もう少し、書いてみますね」
どこに届くとも知れないその言葉は、でも、きっと届いている。
言葉にすること。それはやっぱり、こわいことでもある。
でも、だからこそ、大切なのだと思う。
風が、またそっとカーテンを揺らした。
そして私は、夜の静けさのなかで、もう一度ページをひらいた。
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