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ドーバス侯爵家の婚約者 【過去】
(18)運命の相手
しおりを挟む「私、オーディル様には、愛人がいてもいいときちんと申し上げていたのですが。婚約そのものを解消するなんて、強欲な愛人に反対されたのでしょうか」
「えっ? まだ顔を合わせて一ヶ月しか経っていないのに、もうそう言う話までしていたの?」
「初日にしたわよ」
「……しょ、初日に? まあ、姉さんらしいけど……」
どこか誇るような姉の言葉に、シリルは目をまん丸にしてしまう。
しかし、すぐに軽い咳払いをして真顔に戻った。
「えっとね、安心してくれと言うのも変だけど、僕が調べた限りでは、彼に強欲な愛人はいないよ。というか、固定的な『愛人』もいないんだ。……それはそれでどうかと思うけど」
「では、なぜ婚約解消なんて望んでいるのかしら?」
「あ、それは僕も気になっているんですよ。父上」
首を傾げたシリルは、そっと父を振り返る。
カーバイン公爵はドーバス侯爵家の紋章入りの、正式な婚約解消の嘆願書と思しき手紙を机の上に置く。
さらに、報告書らしい紙をぺらりと横に並べた。
「あのドーバスの馬鹿息子は、運命の女性に出会ったらしい。その女性に求愛したいから婚約を解消してほしいそうだ。まあ、身持ちの堅すぎるくらいの女性だから、婚約中の男など、絶対にそばに寄せ付けないだろうな」
フィオナは父が示した手紙と報告書を手に取って読んだ。
途中から、シリルが横から覗き込む。
シリルはフィオナが読み終わる前に顔を上げて、うー、と犬のようにうなっていた。
相変わらず、書類関係にはめっぽう強い。
カーバイン公爵家を継ぐのに相応しい資質だ、とフィオナは弟を感心したように見上げた。
「読むのが早くて羨ましいわ」
「……うん、自分でも早いと思うけど、今はそれを褒めてもらっても嬉しくないなぁ。そんな陳腐な恋愛小説みたいな内容、まじめに読む気がしないからね」
「陳腐かしら。どちらかといえば、甘くて素敵じゃない?」
「父親の後妻と折り合いが悪くて祖母の家で育てられた上に、老衰した祖母の介護で婚期が遅れた令嬢に恋をしたことが甘いっていうの? いや甘ったるい恋愛小説みたいだけど、まだ両思いでもないのに婚約を解消してくれなんて言いだす所が、もう何を考えているんだと腹立たしく思うけど!」
「オーディル様は、やっぱり誠実な人だったのよ」
「運命の女性と出会えたのは姉さんのおかげだ、なんて手紙を送ってくる男が、誠実なのかなっ!?」
シリルはフィオナから渡された書簡を手に、目を吊り上げている。
でも、姉フィオナが珍しく嬉しそうにニコニコと笑っているのに気付いて、さらに続けるつもりだった言葉をグッと飲み込んでため息をついた。
「……姉さん、嬉しそうだね」
「嬉しいわ。あのオーディル様が、誠実さを取ろうとしているんですもの」
「誠実ねぇ……。姉さんのことだから、受け入れるんだろうね?」
「もちろんよ。それでいいですよね。お父様」
「うん、もうそれでいい。ゴーゼル殿からも詫び状が届いている。ドーバス侯爵家からはそれなりの慰謝料を提案してきているから、むしり取れるだけむしり取ろう。この際だ。あの腹黒い侯爵家から二割増で慰謝料を取ってしまおう。……しかし、一ヶ月しか保たないとは……」
カーバイン公爵はぐったりと椅子にもたれかかり、ため息をつきながら天井を見上げるばかりだった。
◇◇◇
フィオナの六回目の婚約が解消されて、半年後。
オーディルが婚約した。
相手の令嬢とその家族を見て、シリルは悪態を吐きそうになった口を慌てて閉じた。さらにうっかり言葉が漏れないように、自分の手で押さえていた。
それはカーバイン公爵も同じで、しかし顔色を変えたフィオナに気付くと、慌てて息子と一緒になって抱えるように公爵邸に戻った。
公爵邸の居間の美しい椅子に座っても、フィオナはすぐには口を開かなかった。
人形のようだと言われる美しい顔は、本当の人形になってしまったように表情が完全に消えている。
メイドたちがそろっと、しかし速やかにお茶とお菓子を用意して退散した。
残されたのは、公爵家の家族だけ。
張り詰めた空気の中、フィオナはポツリとつぶやいた。
「……お父様。オディール様と婚約した令嬢。あの方のご家族は、私たちが知っている方ですわね?」
「あー……、うん、まあ、そうかもしれない……かな」
カーバイン公爵は目を逸らし、お茶を配る妻エミリアに救いを求める。
ちらっと娘の強ばった顔を見た美しい公爵夫人は、困ったように首を傾げた。
「あのね、まずはお茶を飲みましょう? 今日のお菓子は、最近庶民たちの間で流行しているという西方のもので、素朴だけどサクサクとした食感が……」
「……お母様。お茶、美味しいです」
「え? あ、そうかしら? えっと、ではお菓子も召し上がってね……?」
エミリアも言葉に詰まり、笑顔を盛大に強ばらせて目を逸らす。
逸らした先にいたシリルは、はぁっと盛大すぎるため息をついた。
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