婚約破棄おめでとう

ナナカ

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ハブーレス伯爵家の婚約者 【過去〜現在】

(23)確信

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「……本当に、なんてことをしてくれるのよ」

 ため息と共に口から漏れたのは、愚痴。
 いつも通りに表情が薄く、気持ちも落ち着いているとはいえ、心から愚痴を言いたい気分ではあった。不満をぶつけたい相手は、もちろんカイルだ。
 婚約をしている身で、フィオナではない女性を愛してしまったのは良いことではない。でも、フィオナにとっては許されざる大罪ではなかった。

『好きな相手ができた。その人と結婚したいから婚約を解消してほしい』

 カーバイン公爵家の屋敷に来て、そう言ってくれるだけでよかったのに。
 母親同士が友人で、ハブーレス伯爵家とは長く良好な関係を築いてきた。だから、今さらこじれるようなことにはならなかったはずだ。
 なのに、カイルは真面目に己の不実を人々の前で懺悔する道を選んだ。
 立派な心掛けだと思う。
 しかし……フィオナは今度は大きなため息をついた。

「カイルって、こういうところは真面目すぎるわよね。このまま結婚したとしても、私は愛人がいても怒ったりしないのに」

 カイルが幸せになって、フィオナの権利もきちんと守ってくれるなら。
 貴族の家族の形は、いびつと言われてもいいのだ。愛人が生んだ子が気に入れば、フィオナの個人資産を相続させる未来だってあった。
 本当に、誠実すぎる。
 でも、そういう人だからフィオナは一緒にいて心地よかった。ひとときだけであろうと、具体的な未来を思い描くのは楽しいものだった。
 かと言って、それを引きずるほどでもない。
 婚約が解消されるのは七回目で、カイルはいい友人だ。

(こうなったら、カイルの幸せのために手をつくさなければいけないわね。婚約祝いは何がいいかしら。あ、でもカイルはまだ相手の気持ちを確かめていないかもしれないわね。とすると、今は相手が萎縮しないためように、私が全く気にしていないことをアピールして……)

 噴水を見ながら、フィオナは今後のことを真剣に考えていた。



「カイル君のことは、残念だったね」

 突然、低い声が聞こえた。
 不意をつかれたフィオナが慌てて顔を上げると、背の高い男性が歩いてくるのが見えた。
 夜闇の中に浮かび上がる姿を見た途端、反射的に浮かべかけた愛想笑いがすぅっと消えていく。普段は微笑みを絶やさない麗しい顔に、あからさまにうんざりした表情が浮かび上がっていた。

「……ローグラン侯爵。私に何かご用でしょうか」
「おや、冷たいね」

 黒い髪に、緑を帯びた白翡翠の目。ゆったりしているのに隙のない足取りはいつも通り。
 フィオナがいるベンチの前で足を止めて、ローグラン侯爵は口の端を少し吊り上げる笑みを浮かべた。

「皆も、あなたのことをとても心配していたのだよ。だから、私が代表して様子を見に来たのだが」

 ローグラン侯爵の笑みは、口の端に走る薄い傷跡のせいで少しひきつっている。
 それを睨むように見てから、フィオナはついと顔を逸らして噴水に顔を向けた。

「……心配? 笑いにきたの間違いではないかしら?」
「これはずいぶんと手厳しいお言葉だ。麗しきフィオナ嬢らしくもない。やはりカイル君との婚約解消に傷ついているのかな?」
「私は傷ついてなんかいません。そのことは、ローグラン侯爵もよくご存じでしょう?」

 いささか無礼なくらいの態度なのに、ローグラン侯爵は逆に面白そうな顔をするばかり。それがまた腹立たしくて、フィオナは冷ややかな態度のまま、目も合わさずに立ち上がった。
 これ以上、話をするつもりはない。
 そう態度で示すように、ツンと頭を上げてローグラン侯爵の横を通り抜けようとした。

「フィオナ嬢」

 あと少しですり抜けられる、と言うときに呼び止められた。
 本当は無視してしまいたいところだ。しかし相手は爵位持ちの大貴族。地位が高い相手だから、フィオナはほんの少し足を緩めた。

「……まだ、何か御用かしら」
「残念、と言うと不興を買ってしまったようだから、別の言い方をしようか?」
「聞きたくありません!」

 思わず立ち止まって振り返ると、ローグラン侯爵は目元に落ちてくるやや癖のある漆黒の髪をかきあげているところだった。
 邪魔な髪がないと、微かに緑を帯びた白翡翠のような目がよく見える。同時に、あらわになった額にも傷跡が見えた。
 フィオナは……不覚にも一瞬それに気を取られてしまった。
 その一瞬の隙に気付かないわけがない。
 ローグラン侯爵はニヤリと笑ったかと思うと、髪から手を話して過剰なほど丁寧に礼をした。

「フィオナ嬢。通算七回目の婚約破棄、おめでとう」

 低く深い声は、耳に心地よい。
 でも言葉の内容が全てを裏切っている。
 同時に、フィオナに確信させる言葉でもある。……カイルの件は、この男が何らかの手出しをしたのだ。瞬間的に苛立ったフィオナは、ぎりりとまなじりを吊り上げて睨みつけた。

「あなたこそ、先週は十五回目の婚約解消が成立したそうですね。お祝いが遅れてごめんあそばせ!」

 それだけ言い放って、くるりと背を向けて歩き出す。
 できるだけ足早に歩いたが、楽しそうに笑うローグラン侯爵は追いかけくることはなかった。



   ◇◇◇



 家族で情報の交換をして、カイルの提示した慰謝料は受け取らないことを決定した。
 フィオナは自室に戻って就寝の支度をする。いつもより目を合わせない、でも手つきがいつも以上に優しいメイドたちが下がると、しんと静まり返った部屋をゆっくりと歩いて鏡の前へ立った。

 カイルの誠意は疑わない。
 真面目なカイルは、フィオナと結婚するつもりだった。イヤイヤではなく、前向きに真面目に考え、情熱とは無縁でも穏やかな日々を思い描いて、お互いに納得ずくの話だった。
 カイルは悪くない。ただ出会ってしまっただけ。恋をしてしまっただけだ。

 しかし、その「出会い」そのものが仕組まれたものだったら?
 カイルの心を動かすために厳選した相手と、仕組まれたと気付かずに出会ってしまったら……それは誰が悪いことになるのだろうか。

「……もちろん、あの男が悪いに決まっているわ!」

 フィオナは、ぎりりと歯噛みした。
 青みを帯びた銀髪と、宝石のようなエメラルドグリーンの目。美しく整っているのに、フィオナは幼い頃から表情が乏しいために、人形のようだと言われてきた。
 しかし、鏡に映っている顔は激しい怒りが浮かんでいる。

 結婚できない女。
 高慢で冷たい人形令嬢。
 今まで、そんな呼び名を甘んじて受け入れてきた。感情をうまく顔に出せないことに引け目を感じてきたから、仕方がないと思っていた。
 だが、そんな諦めて受け入れるばかりの人生はもうやめる。

「……こうなったら、絶対に結婚してみせるわよ。あの男が手を出してきても揺るがないような人を見つけて、無力なあの男を嘲笑ってあげるわっ!」

 鏡に映る少し小柄で銀髪の美しい娘に、人形じみたところはどこにもない。
 豊かな感情を持った、極めて苛烈な目をしていた。


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