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公爵令嬢の選択
(終話)おめでとう
しおりを挟むフィオナの前で、ローグラン侯爵が足を止めた。
周囲の好奇の視線を無視してゆっくりと片膝をつき、フィオナが差し出した手をとって、恭しく手の甲に口付けをする。
唇が、フィオナの手の甲に長々と触れた。
大きく眉を動かしたフィオナを見上げる顔は、いつもの薄い笑みを浮かべているのに、どこか熱っぽかった。
「フィオナ嬢。あなたにお会いできて光栄だ」
「私も、あなたに伺いたいことがあったから、お会いできて嬉しいわ」
フィオナは素気なく言う。
しかし、その不機嫌そうな表情がふと変わった。
尊大で艶やかで、どこか扇情的な笑みが浮かぶ。途端に周囲の騒めきが消え、ローグラン侯爵も笑みを消して思わず見入っていた。
「ねえ、ローグラン侯爵。あなたはすでにメディナさんと婚約していたのに、お父様のお遊びに付き合ってくれたの?」
「……あなたのためなら、不実な男の謗りも甘んじて受けるつもりだった」
「素敵な覚悟ね。やっぱりあなたは私をわくわくさせてくれるわ」
フィオナは悪魔のように美しく笑う。
見上げていたローグラン侯爵の頬がわずかに紅潮し、手の力も緩む。その隙を見逃さず、フィオナは自分の手を引き抜いてハラリと扇子を広げる。それから面白いことを思いついたように、楽しげに目を輝かせた。
「そうだわ。先に言いたいことがあるの」
扇子を閉じ、フィオナは微笑む。
エメラルドグリーンの目がきらりと輝いて、紅で彩られた唇が緩やかに動いた。
「————ローグラン侯爵。通算十六回目の婚約破棄、おめでとう」
その声は笑いを含んでいる。
しかし、間近で聞いた男の耳にはひどく甘く響いたのだろう。ローグラン侯爵は微かな吐息をもらして、そっと目を閉じる。
フィオナの言葉の余韻を堪能するように、口元に微笑みが浮かんだ。いつもの薄く不敵な笑みではない。遠い日に諦めた幸せを噛み締めるような……そんな柔らかな笑顔だった。
「……あなたは、実に私を狂わせる」
「あら、それはどういう意味なのかしら?」
「そのままだよ。理性を捨ててあなたにかしずきたくなる」
「ならば話は早いわね! ローグラン侯爵。私と結婚…………えっ?!」
フィオナが勝ち誇ったように言いかけた時、ローグラン侯爵が素早く動いてフィオナの手を握り、軽く引っ張った。
不意を突かれたフィオナは、一瞬体のバランスを乱す。気を取られてしまったせいで、言葉が完全に途切れてしまう。意図通りの成果に満足したのか、ローグラン侯爵は薄く微笑んだ。
「フィオナ嬢。あなたを愛している。私と結婚してほしい」
「……え、ちょっと待ってよ! 私から結婚を申し込むつもりだったのに!」
「申し訳ないが、あなたを出し抜く喜びを捨てる気はないのだよ。私のつまらぬ虚栄心と自己満足のためにもね。……それで、返事はいただけるのかな?」
「もちろん、嫁いであげますわよ! ローグランの全てを私に捧げなさい!」
「あなたが望むままに」
ローグラン侯爵は笑い、握り込んだ細い手にゆっくりと唇を押し当てる。
眉をひそめつつ、フィオナは憮然と不満を伝えようとした時、ローグラン侯爵が立ち上がり、いきなり抱きしめた。
「な、何をするのっ!」
「以前、最高に見苦しい姿を晒せと言ったのはあなただ」
「今夜は言っていないわよ!」
「十歳以上年下の美しく若い令嬢に心を奪われ、嫉妬から全ての縁談を壊した男が、拒まれても未練がましく、外聞を気にせずに再度思いを告げる。そんな男に見苦しくすがりつかれて、優しいあなたは心を動かす。……悪くない筋書きだろう?」
「私の好みではないわっ!」
フィオナは小声で言いながら、男の腕の中でもがいて弟を探す。
やっと見つけたシリルは、なぜか少し離れたところにいて、虚ろな目でどこか遠くを眺めていた。
「シリル! 助けなさいよ!」
「うん……なんと言うか……もうこれでいいんじゃないかな」
シリルは気が抜けた顔で笑う。
その横で、父カーバイン公爵もそっぽを向いていた。しかし母エミリアは「あらあら」とつぶやきながら、にこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
ため息をつこうとしたシリルは、近付いてくる起こった足音に背後を振り返る。決死の覚悟を秘めた顔の青年たちが足速にやってくる所だった。
あっという間にフィオナとローグラン侯爵を取り囲み、ローグラン侯爵が眉を動かしても怖気付く様子はない。緊張したように硬い顔のまま囲んだ青年たちは、くるりと二人に背を向けた。
「フィオナ様、どうかご安心ください! 長年の恋の成就を我らは祝福します! 我らが盾となりますから、どうかお二人の時間を!」
「は? 何ですって?!」
「……ははは……そういうことまでしちゃうんだ……」
シリルは苦笑し、まだもがいている姉フィオナをちらりと見る。
その視線も気付いたのだろう。ローグラン侯爵はわずかに唇の端を吊り上げたが、すぐに真顔になってそっとフィオナを上向かせた。
「フィオナ嬢、あなたに懺悔しなければならないことがある」
「まだあるのっ?」
「夢を言えと言われた時、どうしても口にできなかった夢がもう一つあった」
「それは……どんな夢?」
好奇心に負けたのか、フィオナが動きを止める。
そんなフィオナの美しい銀髪を堪能するように、硬い指がゆっくりと動いた。
「あなたが、黒髪にエメラルドグリーンの目の幼子を抱く姿だ。——きっと神々しいほど美しいだろう」
ローグラン侯爵の囁きは熱かった。
……シリルはため息を吐きつつ、そっと目を逸らす。
信奉者たちの人垣の向こうで、フィオナの顔にローグラン侯爵の顔が近寄っていく。動きを止めたフィオナに、一瞬ためらってから深い口付けをした。
細い手が包み込む大きな体を押しのけようと動く。でもすぐに背の高い男の首に腕を回し……盾となった青年たちの頭や体で見えなくなった。
◇ 終 ◇
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感想ありがとうございます。
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感想ありがとうございます。
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