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すずちゃんのJK生活
第32話 静けさの、すぐ隣
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文化祭の喧騒が嘘のように、グリフィンチ学園に静けさが戻っていた。
月曜の朝。校門をくぐった瞬間、どこかぽっかりとした気配が小鈴を包み込んだ。週末のうちに装飾の撤去作業は終わっていたはずなのに、まだ校内のあちこちに祭の残り香が漂っているようだった。渡り廊下にかかる光、壁に貼られたポスターの跡、教室の前に積まれた空き箱の匂い——すべてが、数日前の賑わいの残像を呼び起こす。
廊下の角を曲がるたびに、幻のように聞こえてくる笑い声。目には見えないはずの空気に、どこか浮ついた余韻が残っている。
「……なんか、まだちょっと夢みたいだね」
昇降口でローファーに履き替えながら、小鈴はぽつりと呟いた。
「夢? 文化祭が?」
隣でしゃがみ込みながら靴紐を結んでいた紅葉が、顔を上げて問い返してくる。
「うん……だって、冊子が完売して、みんなで笑って、走って、遊んで……お祭りを思い切り楽しめたんだもん。入学してからずっと、不安とか戸惑いばかりだったのに、あんなふうに笑えたの……たぶん、はじめてだったから」
その言葉に、紅葉は一瞬だけ目を細め、ゆるやかに微笑んだ。
「そうだね。でも、これが“普通”なんだよ。俺たちにとっての、“普通の学園生活”ってやつさ」
「……普通、か」
そのひと言が、小鈴の胸にひっかかった。
“普通”という言葉。その輪郭を、彼女はまだうまく掴みきれずにいた。自分が“普通”ではないという自覚は、心の奥深くに根を張っている。持って生まれた《貪食》という力。裏文芸部として、秘密の任務に関わり、時に命を賭けて戦ってきた日々。
(──でも、あの日々も、少しずつ“日常”になっているのかもしれない)
そう思えるほどに、文化祭の日々は鮮やかだった。
ほんの少し背筋を伸ばして、いつも通りの廊下を歩く。1-Gの教室へ向かうと、教室内にはすでに日常の空気が戻ってきていた。席に着く生徒たちの表情も、祭りの余韻をまといながらも、どこか落ち着きを取り戻している。
「おはよーすずちゃーん! 文化祭お疲れっ!」
元気いっぱいの声が背後から飛んできた。
振り返る前から、誰だか分かる。
「……おはよう、楓ちゃん」
相変わらずテンションの高い彼女は、勢いそのままに机の上に教科書を並べながら、キラキラと目を輝かせて言った。
「ねぇねぇ、次のイベントってなんだろ? 球技大会? 体育祭? それとも……冬の合宿!?」
「さすがに、ちょっとは落ち着こうよ……。まずはテスト返却あるし……」
「うぐっ……それは聞きたくなかったやつ……!」
あからさまにテンションが下がる楓に、小鈴は苦笑する。そういうところが、ちょっと羨ましくもある。
彼女の隣では、都斗が静かにため息をつきながら自席に戻っていった。何気ない、だけど大切な光景。小鈴はそのすべてを胸に焼きつけるように、ゆっくりと椅子に座った。
やがてチャイムが鳴り、教員が教室に入ってくる。授業が始まると、教室はいつもの静けさに包まれた。文化祭なんてなかったかのように、日常が自然に流れ始めていた。
⸻
放課後。
文芸部の部室では、まだ文化祭の余韻と片付けの両方が残っていた。
紅葉と一郎が使用済みのダンボールを畳み、小鈴は残部となった冊子を一冊ずつ丁寧に保管用の箱に収めていた。ページの折れや汚れを確認しながら、まるで宝物を扱うような慎重さだった。
優凜は自分のノートPCを前に、販売数や来場者アンケートのデータをまとめていた。グラフの色を選びながら、どこか楽しそうに微笑んでいる。
「いや~、完売ってすごいことだよね」
紅葉が、ひと息つきながらぽつりと呟く。
「うん……でも、来年はもっと増刷した方がいいかも」
「その場合、ページ数はどうする? カラーの扱いとか、製本コストが跳ねるけど」
「優凜さん、その話は……せめて来月からにしましょうよ……」
「そうね、今は“文化祭の翌日モード”だから。ご褒美タイムってやつ」
紅葉は、軽く肩をすくめながら笑った。部室には、いつもの穏やかで静かな空気が流れていた——その時までは。
ふいに、一郎の手が止まる。
「……ん?」
彼は眼鏡を押し上げ、ふと何かを感じ取ったように顔をしかめた。
「どうしたの?」
小鈴が振り向くと、一郎はしばらく沈黙したあと、低い声で呟いた。
「探索の反応……一瞬、外れた。いや、正確には“遮断された”感覚に近い」
その言葉に、紅葉の表情が引き締まる。
「今のって、学園の中で?」
「たぶん……東棟。ほんの一瞬だけど、“見えなくなった”」
「気のせいならいいけど……。一応、警戒はしておこうか」
「うん」
会話のトーンが、普段とは明らかに違う。だが、それは不思議なほど日常の延長線上にあった。非日常に身を置く彼らにとって、こうした“異変”への反応こそが日常なのだろう。
小鈴は黙って頷き、冊子の表紙にそっと手を添えた。
⸻
その夜。
小鈴は自宅のベッドに横たわりながら、薄暗い天井を見上げていた。文化祭の記憶と、放課後の出来事が頭の中で交錯する。
(……何か、あったのかな)
探索が外れるというのは、そう多くあることではない。一郎の能力《探索》は、代々受け継がれてきた精密な感知の術。人の気配、異能の痕跡、空間の揺らぎ——すべてを網の目のように捉える。それが一瞬でも“遮断された”という事実は、十分に警戒に値する。
(明日、何か起きたり……しないよね)
不安が胸をよぎる。
だがそれと同時に、思い出すのは——文化祭の中で交わした笑顔。冊子を手に取ってくれた人々の声。部員たちの笑い声。そして、自分もその輪の中にいたという確かな記憶。
(大丈夫。わたし一人じゃない。みんながいる)
そう自分に言い聞かせるように、目を閉じた。
静かな夜が、ゆっくりと流れていった。
⸻
その頃、学園の東棟。
人気のない廊下に、一枚のカーテンが揺れていた。
窓は閉まっている。風もない。
だが確かに、空気が“ざわついて”いた。目に見えぬ何かが、空間の一部をゆがめている。
カーテンが揺れるたびに、その背後にある影が、わずかに、しかし確かに——形を変えていた。
……それは、人の形に似ていた。けれど、人ではなかった。
闇に溶けるその存在は、静かに“誰か”を見つめていた。
そしてまだ、誰にも気づかれていない。
──不穏の兆しが、再び静寂の中で蠢き始めていた。
月曜の朝。校門をくぐった瞬間、どこかぽっかりとした気配が小鈴を包み込んだ。週末のうちに装飾の撤去作業は終わっていたはずなのに、まだ校内のあちこちに祭の残り香が漂っているようだった。渡り廊下にかかる光、壁に貼られたポスターの跡、教室の前に積まれた空き箱の匂い——すべてが、数日前の賑わいの残像を呼び起こす。
廊下の角を曲がるたびに、幻のように聞こえてくる笑い声。目には見えないはずの空気に、どこか浮ついた余韻が残っている。
「……なんか、まだちょっと夢みたいだね」
昇降口でローファーに履き替えながら、小鈴はぽつりと呟いた。
「夢? 文化祭が?」
隣でしゃがみ込みながら靴紐を結んでいた紅葉が、顔を上げて問い返してくる。
「うん……だって、冊子が完売して、みんなで笑って、走って、遊んで……お祭りを思い切り楽しめたんだもん。入学してからずっと、不安とか戸惑いばかりだったのに、あんなふうに笑えたの……たぶん、はじめてだったから」
その言葉に、紅葉は一瞬だけ目を細め、ゆるやかに微笑んだ。
「そうだね。でも、これが“普通”なんだよ。俺たちにとっての、“普通の学園生活”ってやつさ」
「……普通、か」
そのひと言が、小鈴の胸にひっかかった。
“普通”という言葉。その輪郭を、彼女はまだうまく掴みきれずにいた。自分が“普通”ではないという自覚は、心の奥深くに根を張っている。持って生まれた《貪食》という力。裏文芸部として、秘密の任務に関わり、時に命を賭けて戦ってきた日々。
(──でも、あの日々も、少しずつ“日常”になっているのかもしれない)
そう思えるほどに、文化祭の日々は鮮やかだった。
ほんの少し背筋を伸ばして、いつも通りの廊下を歩く。1-Gの教室へ向かうと、教室内にはすでに日常の空気が戻ってきていた。席に着く生徒たちの表情も、祭りの余韻をまといながらも、どこか落ち着きを取り戻している。
「おはよーすずちゃーん! 文化祭お疲れっ!」
元気いっぱいの声が背後から飛んできた。
振り返る前から、誰だか分かる。
「……おはよう、楓ちゃん」
相変わらずテンションの高い彼女は、勢いそのままに机の上に教科書を並べながら、キラキラと目を輝かせて言った。
「ねぇねぇ、次のイベントってなんだろ? 球技大会? 体育祭? それとも……冬の合宿!?」
「さすがに、ちょっとは落ち着こうよ……。まずはテスト返却あるし……」
「うぐっ……それは聞きたくなかったやつ……!」
あからさまにテンションが下がる楓に、小鈴は苦笑する。そういうところが、ちょっと羨ましくもある。
彼女の隣では、都斗が静かにため息をつきながら自席に戻っていった。何気ない、だけど大切な光景。小鈴はそのすべてを胸に焼きつけるように、ゆっくりと椅子に座った。
やがてチャイムが鳴り、教員が教室に入ってくる。授業が始まると、教室はいつもの静けさに包まれた。文化祭なんてなかったかのように、日常が自然に流れ始めていた。
⸻
放課後。
文芸部の部室では、まだ文化祭の余韻と片付けの両方が残っていた。
紅葉と一郎が使用済みのダンボールを畳み、小鈴は残部となった冊子を一冊ずつ丁寧に保管用の箱に収めていた。ページの折れや汚れを確認しながら、まるで宝物を扱うような慎重さだった。
優凜は自分のノートPCを前に、販売数や来場者アンケートのデータをまとめていた。グラフの色を選びながら、どこか楽しそうに微笑んでいる。
「いや~、完売ってすごいことだよね」
紅葉が、ひと息つきながらぽつりと呟く。
「うん……でも、来年はもっと増刷した方がいいかも」
「その場合、ページ数はどうする? カラーの扱いとか、製本コストが跳ねるけど」
「優凜さん、その話は……せめて来月からにしましょうよ……」
「そうね、今は“文化祭の翌日モード”だから。ご褒美タイムってやつ」
紅葉は、軽く肩をすくめながら笑った。部室には、いつもの穏やかで静かな空気が流れていた——その時までは。
ふいに、一郎の手が止まる。
「……ん?」
彼は眼鏡を押し上げ、ふと何かを感じ取ったように顔をしかめた。
「どうしたの?」
小鈴が振り向くと、一郎はしばらく沈黙したあと、低い声で呟いた。
「探索の反応……一瞬、外れた。いや、正確には“遮断された”感覚に近い」
その言葉に、紅葉の表情が引き締まる。
「今のって、学園の中で?」
「たぶん……東棟。ほんの一瞬だけど、“見えなくなった”」
「気のせいならいいけど……。一応、警戒はしておこうか」
「うん」
会話のトーンが、普段とは明らかに違う。だが、それは不思議なほど日常の延長線上にあった。非日常に身を置く彼らにとって、こうした“異変”への反応こそが日常なのだろう。
小鈴は黙って頷き、冊子の表紙にそっと手を添えた。
⸻
その夜。
小鈴は自宅のベッドに横たわりながら、薄暗い天井を見上げていた。文化祭の記憶と、放課後の出来事が頭の中で交錯する。
(……何か、あったのかな)
探索が外れるというのは、そう多くあることではない。一郎の能力《探索》は、代々受け継がれてきた精密な感知の術。人の気配、異能の痕跡、空間の揺らぎ——すべてを網の目のように捉える。それが一瞬でも“遮断された”という事実は、十分に警戒に値する。
(明日、何か起きたり……しないよね)
不安が胸をよぎる。
だがそれと同時に、思い出すのは——文化祭の中で交わした笑顔。冊子を手に取ってくれた人々の声。部員たちの笑い声。そして、自分もその輪の中にいたという確かな記憶。
(大丈夫。わたし一人じゃない。みんながいる)
そう自分に言い聞かせるように、目を閉じた。
静かな夜が、ゆっくりと流れていった。
⸻
その頃、学園の東棟。
人気のない廊下に、一枚のカーテンが揺れていた。
窓は閉まっている。風もない。
だが確かに、空気が“ざわついて”いた。目に見えぬ何かが、空間の一部をゆがめている。
カーテンが揺れるたびに、その背後にある影が、わずかに、しかし確かに——形を変えていた。
……それは、人の形に似ていた。けれど、人ではなかった。
闇に溶けるその存在は、静かに“誰か”を見つめていた。
そしてまだ、誰にも気づかれていない。
──不穏の兆しが、再び静寂の中で蠢き始めていた。
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