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すずちゃんのJK生活
第49話 足りないもの
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文芸部の部室には、奇妙な静けさが満ちていた。
外の世界は文化祭の準備で沸き立っているはずだった。
遠くで響く吹奏楽部のリズム、机を運ぶ音、笑い声――
そのすべてが、厚い壁の向こう側の出来事みたいに、やけに遠く感じる。
カーテンの隙間から差し込む午後の光さえ、どこか鈍く灰色を帯びていた。
まるで、時間そのものがこの部屋を避けて流れているみたいに。
息をするたび、胸の奥に鉛のような重さが沈む。
この沈黙が、怖い。何よりも。
「……遅いね」
自分の声が、異様に大きく響いた。
鼓膜に刺さるようで、思わず唇を噛んだ。
楓がいなくなって、丸一日が経った。
あの日の放課後――
帰ってこなかった。どこを探してもいなかった。
準備していたサプライズパーティの飾り付けは、そのまま宙ぶらりんになっている。
机の上には、ラッピングされたプレゼントの山と、溶けかけたクリームのケーキ。
真ん中の「Happy Birthday」のカードだけが、やけに空虚で、冷たい。
「都斗とも連絡がつかないんだよな……」
紅葉の声は低く、押し殺されていた。
額に手を当て、深くうつむく。その肩がかすかに震えているのを見て、私は息を呑んだ。
「どこ行ったんだよ……っ、あいつら……!」
机の端を握る紅葉の拳が白くなっていく。
張り詰めた空気の中、優凜さんが冷静な声を落とした。
「焦っても仕方ないわ。調べてるのよ、私たちは。手は尽くしてる。感情的になったところで戻ってくるわけじゃない」
「感情的になるなって言われて、はいそうですかってなるわけないだろ!」
紅葉の手が机を叩いた。鈍い音が狭い部屋に響き、私の背筋がひやりと凍る。
「……やめてください。こんな時にケンカなんて……」
声が震えていた。でも止めたくて、必死で言葉を吐き出す。
空気がぴしりと張り詰めた。
秒針の音が、耳の奥でやけに大きく鳴っている。
「じゃあ、小鈴ちゃんはどうしたいの?」
優凜さんの視線が、鋭く突き刺さる。
その冷たさに、呼吸が一瞬止まった。
「どうしたいって……そんなの、分かんない……! でも……」
声が裏返る。
「みんなと同じで、すっごく心配で、怖くて……それに、それに……」
言いかけて、言葉が喉で凍った。
――違和感。
それだけは、ずっと胸の奥で燻っていた。
部室のレイアウト。会話の切れ端。誰かの笑い声の残響。
それらが一つの“空席”を示しているのに、その誰かの名前も顔も、どうしても思い出せない。
もどかしい。息が詰まりそうだ。
「……やっぱり、おかしいよ」
紅葉の声が、低く落ちた。
「誰かが、いた。俺たちの中に……もう一人。忘れたくて忘れたんじゃない。“思い出せないようにされてる”んだ」
その言葉に、心臓が跳ねる。
そうだ。私も、ずっと同じことを感じていた。
「私も……そんな気がしてました」
声が震える。
「名前も、顔も浮かばないのに、“誰か”がそばにいたって確信だけがあるの、変ですよね」
「……認識阻害か、記憶操作系の能力の影響を受けてる可能性がある」
優凜さんの声は冷ややかで、唇がわずかに噛み締められる。
「でも、それを使える人間が誰なのか、まったく見当がつかない」
再び、沈黙。
机の上で、誰かの指先が小さく震える音まで聞こえそうなほどの、重たい沈黙。
怒り、焦燥、混乱――そのすべてが、この小さな部屋に充満していた。
「っ……なんで、私たち、こんな……っ!」
鋭い音が弾けた。
紅葉が椅子を蹴り飛ばしたのだ。木の脚が床をこすり、甲高い音を立てる。
「楓がいなくなっただけじゃない……っ!」
彼の声が、かすれていた。
「それだけじゃないはずなのに、何かが、何かが抜けてる気がして、それでも何が正しいのか、分かんないっ……!」
「だからってモノに当たるの、やめてくださいってば!」
私も、思わず叫んでいた。
叫んで――次の瞬間、言葉が途切れる。
――“違和感”が、強くなる。
この空間に、いたはずの何か。
いや、誰か。
でも、どうしても名前が出てこない。
まるで、記憶の底を削り取られたみたいに。
「だったらどうすればいいんだよ!」
紅葉の声が、かき消す。
「そんなの、私だってわかりませんよ! 先輩が怒鳴るから私だって、余計に混乱して……!」
「……やめてよ」
優凜さんの声が、氷の刃みたいに落ちた。
「こんな時に喧嘩するなんて……楓ちゃんが知ったら、泣くよ」
――沈黙。
紅葉は拳を握りしめ、視線を逸らす。
私も唇を噛んだまま、声を出せなかった。
悪いのは、誰でもない。
悪いのは――“奪われた何か”だ。
ぽつ、ぽつと、雨が降り出した。
窓を叩く雨音が、やけに遠く聞こえる。
胸の中では嵐が吹き荒れているのに、世界はどこまでも静かだった。
――その時。
ギィ……。
ドアが、きしむような音を立てて開いた。
全員が一斉に顔を上げる。
そこに立っていたのは、黒酒一郎。
傘を持っていないのに、肩や髪に水滴が光っていた。
その顔は、いつものように無表情。
でも――その瞳の奥には、異様な光が宿っていた。
「……見つけたんだ」
低く、淡々と。
けれど、その言葉は部屋の空気を一瞬で変えた。
「……何を?」
紅葉が低く問い返す。
一郎は、ゆっくりとこちらを見据えた。
その瞳に、微かに燃える決意が見えた。
「異世界で――楓を」
空気が、凍りつく。
誰も、息をすることすら忘れた。
「……本当なの?」
私の声は震えていた。
「場所はまだ不明確だ。でも、確かにいた。向こうにいる。俺の《探索》が、微かに……微かにだが、反応を拾ったんだ」
部室に、重たい沈黙が落ちる。
その一言で、世界が音もなく形を変えた。
理解を超える現実が、私たちの足元を崩していく。
――でも、その混乱の中で。
ひとつだけ、胸に焼き付いた。
楓は、生きている。
それだけが、今この瞬間、私たちに残された唯一の救いだった。
外の世界は文化祭の準備で沸き立っているはずだった。
遠くで響く吹奏楽部のリズム、机を運ぶ音、笑い声――
そのすべてが、厚い壁の向こう側の出来事みたいに、やけに遠く感じる。
カーテンの隙間から差し込む午後の光さえ、どこか鈍く灰色を帯びていた。
まるで、時間そのものがこの部屋を避けて流れているみたいに。
息をするたび、胸の奥に鉛のような重さが沈む。
この沈黙が、怖い。何よりも。
「……遅いね」
自分の声が、異様に大きく響いた。
鼓膜に刺さるようで、思わず唇を噛んだ。
楓がいなくなって、丸一日が経った。
あの日の放課後――
帰ってこなかった。どこを探してもいなかった。
準備していたサプライズパーティの飾り付けは、そのまま宙ぶらりんになっている。
机の上には、ラッピングされたプレゼントの山と、溶けかけたクリームのケーキ。
真ん中の「Happy Birthday」のカードだけが、やけに空虚で、冷たい。
「都斗とも連絡がつかないんだよな……」
紅葉の声は低く、押し殺されていた。
額に手を当て、深くうつむく。その肩がかすかに震えているのを見て、私は息を呑んだ。
「どこ行ったんだよ……っ、あいつら……!」
机の端を握る紅葉の拳が白くなっていく。
張り詰めた空気の中、優凜さんが冷静な声を落とした。
「焦っても仕方ないわ。調べてるのよ、私たちは。手は尽くしてる。感情的になったところで戻ってくるわけじゃない」
「感情的になるなって言われて、はいそうですかってなるわけないだろ!」
紅葉の手が机を叩いた。鈍い音が狭い部屋に響き、私の背筋がひやりと凍る。
「……やめてください。こんな時にケンカなんて……」
声が震えていた。でも止めたくて、必死で言葉を吐き出す。
空気がぴしりと張り詰めた。
秒針の音が、耳の奥でやけに大きく鳴っている。
「じゃあ、小鈴ちゃんはどうしたいの?」
優凜さんの視線が、鋭く突き刺さる。
その冷たさに、呼吸が一瞬止まった。
「どうしたいって……そんなの、分かんない……! でも……」
声が裏返る。
「みんなと同じで、すっごく心配で、怖くて……それに、それに……」
言いかけて、言葉が喉で凍った。
――違和感。
それだけは、ずっと胸の奥で燻っていた。
部室のレイアウト。会話の切れ端。誰かの笑い声の残響。
それらが一つの“空席”を示しているのに、その誰かの名前も顔も、どうしても思い出せない。
もどかしい。息が詰まりそうだ。
「……やっぱり、おかしいよ」
紅葉の声が、低く落ちた。
「誰かが、いた。俺たちの中に……もう一人。忘れたくて忘れたんじゃない。“思い出せないようにされてる”んだ」
その言葉に、心臓が跳ねる。
そうだ。私も、ずっと同じことを感じていた。
「私も……そんな気がしてました」
声が震える。
「名前も、顔も浮かばないのに、“誰か”がそばにいたって確信だけがあるの、変ですよね」
「……認識阻害か、記憶操作系の能力の影響を受けてる可能性がある」
優凜さんの声は冷ややかで、唇がわずかに噛み締められる。
「でも、それを使える人間が誰なのか、まったく見当がつかない」
再び、沈黙。
机の上で、誰かの指先が小さく震える音まで聞こえそうなほどの、重たい沈黙。
怒り、焦燥、混乱――そのすべてが、この小さな部屋に充満していた。
「っ……なんで、私たち、こんな……っ!」
鋭い音が弾けた。
紅葉が椅子を蹴り飛ばしたのだ。木の脚が床をこすり、甲高い音を立てる。
「楓がいなくなっただけじゃない……っ!」
彼の声が、かすれていた。
「それだけじゃないはずなのに、何かが、何かが抜けてる気がして、それでも何が正しいのか、分かんないっ……!」
「だからってモノに当たるの、やめてくださいってば!」
私も、思わず叫んでいた。
叫んで――次の瞬間、言葉が途切れる。
――“違和感”が、強くなる。
この空間に、いたはずの何か。
いや、誰か。
でも、どうしても名前が出てこない。
まるで、記憶の底を削り取られたみたいに。
「だったらどうすればいいんだよ!」
紅葉の声が、かき消す。
「そんなの、私だってわかりませんよ! 先輩が怒鳴るから私だって、余計に混乱して……!」
「……やめてよ」
優凜さんの声が、氷の刃みたいに落ちた。
「こんな時に喧嘩するなんて……楓ちゃんが知ったら、泣くよ」
――沈黙。
紅葉は拳を握りしめ、視線を逸らす。
私も唇を噛んだまま、声を出せなかった。
悪いのは、誰でもない。
悪いのは――“奪われた何か”だ。
ぽつ、ぽつと、雨が降り出した。
窓を叩く雨音が、やけに遠く聞こえる。
胸の中では嵐が吹き荒れているのに、世界はどこまでも静かだった。
――その時。
ギィ……。
ドアが、きしむような音を立てて開いた。
全員が一斉に顔を上げる。
そこに立っていたのは、黒酒一郎。
傘を持っていないのに、肩や髪に水滴が光っていた。
その顔は、いつものように無表情。
でも――その瞳の奥には、異様な光が宿っていた。
「……見つけたんだ」
低く、淡々と。
けれど、その言葉は部屋の空気を一瞬で変えた。
「……何を?」
紅葉が低く問い返す。
一郎は、ゆっくりとこちらを見据えた。
その瞳に、微かに燃える決意が見えた。
「異世界で――楓を」
空気が、凍りつく。
誰も、息をすることすら忘れた。
「……本当なの?」
私の声は震えていた。
「場所はまだ不明確だ。でも、確かにいた。向こうにいる。俺の《探索》が、微かに……微かにだが、反応を拾ったんだ」
部室に、重たい沈黙が落ちる。
その一言で、世界が音もなく形を変えた。
理解を超える現実が、私たちの足元を崩していく。
――でも、その混乱の中で。
ひとつだけ、胸に焼き付いた。
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