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第9話『貸し出されなかった図書室の本』
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くちなし第二中学校の図書室には、使われていない小さな書架がある。
カーテンの奥、陽の当たらない場所にあり、古い本や傷んだ辞典が詰め込まれ、いまは貸し出しリストからも外されている。
その棚には、どういうわけか貸し出し記録が一度もついていない本が混じっているという話を聞いた。
ある時期から、司書も整理を放棄したらしい。
だからこそ、生徒たちの間では、そこは「触れてはいけない本棚」と噂されていた。
——借りたら、返しに来られなくなるからだ、と。
*
私がその話を思い出したのは、期末テストの自習中だった。
クラスメイトたちは帰宅し、放課後の図書室には、私ともう一人、司書の先生だけだった。
いつも利用している机が満席で、奥の暗いテーブルに移動した。
すると、背後の棚に「何か」が視界に触れた。
くすんだ背表紙。
紐で補強され、茶色く変色した小さな単行本。
私は何気なくその本を引き抜いた。
埃が舞い上がり、咳き込む。
本には題名がなかった。表紙は擦り切れ、文字はすべて消えていた。
それでもページをめくると、そこには――
白紙だった。
最初のページも、次のページも、その次も。
どこまでめくっても、紙はただの白だった。
けれど不思議なことに、私は確かに“読めていた”。
読めないはずの文章を、頭の中で理解してしまう。
ページをめくる指が止まらなかった。
私が夢中で読んでいると、司書の先生がいつのまにか真横に立っていた。
「その本は、返さなくていいのよ」
穏やかな声だった。
でも、私はその言葉にぞっとした。
「……借りるって、まだ言ってませんけど」
先生は微笑んだ。
「その本は、読んだ人のところに“勝手に返しに来る”から」
私は慌てて本を閉じ、棚に戻した。
*
家に帰ると、頭の中にはあの本に書かれていた言葉が残っていた。
文章はなかったはずだ。
白紙だった。
なのに、私は確かに読んだ。
——あの子は、返しに来られなかった。
——だから、迎えに行くことにした。
誰の言葉なのか、何を意味するのか、まるで分からなかった。
それなのに、その夜、夢の中で私はまた図書室にいた。
暗い書架の前で、あの本を抱えていた。
そばに、小さな女の子が立っていた。
顔は影になって見えなかった。
「それ、かえさなきゃ」
少女が言った。
「かえさないと、ずっと ここ にいなくちゃいけないから」
私は首を振った。
返したはずだ。確かに、棚に戻した。
「ねえ、いっしょに かえしにいこう?」
少女は私の手を取った。
冷たく、小さな手だった。
気づけば、足元は図書室の床ではなく、黒い水の上だった。
少女に引かれ、私はゆっくりと歩き出した。
*
目が覚めたとき、心臓が痛いほど早く打っていた。
布団の上に、本が置かれていた。
あの本だった。題名も、文字もない、白紙の本。
開くと、最初のページだけが、黒い文字で埋まっていた。
「かえしに きたよ」
次の瞬間、家のどこかで扉が軋んだ。
私は飛び起きてドアを見た。
誰もいなかった。
けれど確かに、廊下の奥から小さな足音がこちらに近づいてくる気がした。
私は本を抱え、必死に目を閉じた。
耳元で、あの少女の声がした。
「もう、いっしょに いるね」
*
翌朝、本はどこにもなかった。
あれが夢だったのか、それとも――。
学校に行き、図書室の奥の棚を覗くと、昨日と同じ場所にあの本は戻っていた。
でも、その背表紙には今度はっきりと文字が浮かんでいた。
《かえしに きたひと の なまえ》
その下に、私の名前が、鉛筆で書かれていた。
カーテンの奥、陽の当たらない場所にあり、古い本や傷んだ辞典が詰め込まれ、いまは貸し出しリストからも外されている。
その棚には、どういうわけか貸し出し記録が一度もついていない本が混じっているという話を聞いた。
ある時期から、司書も整理を放棄したらしい。
だからこそ、生徒たちの間では、そこは「触れてはいけない本棚」と噂されていた。
——借りたら、返しに来られなくなるからだ、と。
*
私がその話を思い出したのは、期末テストの自習中だった。
クラスメイトたちは帰宅し、放課後の図書室には、私ともう一人、司書の先生だけだった。
いつも利用している机が満席で、奥の暗いテーブルに移動した。
すると、背後の棚に「何か」が視界に触れた。
くすんだ背表紙。
紐で補強され、茶色く変色した小さな単行本。
私は何気なくその本を引き抜いた。
埃が舞い上がり、咳き込む。
本には題名がなかった。表紙は擦り切れ、文字はすべて消えていた。
それでもページをめくると、そこには――
白紙だった。
最初のページも、次のページも、その次も。
どこまでめくっても、紙はただの白だった。
けれど不思議なことに、私は確かに“読めていた”。
読めないはずの文章を、頭の中で理解してしまう。
ページをめくる指が止まらなかった。
私が夢中で読んでいると、司書の先生がいつのまにか真横に立っていた。
「その本は、返さなくていいのよ」
穏やかな声だった。
でも、私はその言葉にぞっとした。
「……借りるって、まだ言ってませんけど」
先生は微笑んだ。
「その本は、読んだ人のところに“勝手に返しに来る”から」
私は慌てて本を閉じ、棚に戻した。
*
家に帰ると、頭の中にはあの本に書かれていた言葉が残っていた。
文章はなかったはずだ。
白紙だった。
なのに、私は確かに読んだ。
——あの子は、返しに来られなかった。
——だから、迎えに行くことにした。
誰の言葉なのか、何を意味するのか、まるで分からなかった。
それなのに、その夜、夢の中で私はまた図書室にいた。
暗い書架の前で、あの本を抱えていた。
そばに、小さな女の子が立っていた。
顔は影になって見えなかった。
「それ、かえさなきゃ」
少女が言った。
「かえさないと、ずっと ここ にいなくちゃいけないから」
私は首を振った。
返したはずだ。確かに、棚に戻した。
「ねえ、いっしょに かえしにいこう?」
少女は私の手を取った。
冷たく、小さな手だった。
気づけば、足元は図書室の床ではなく、黒い水の上だった。
少女に引かれ、私はゆっくりと歩き出した。
*
目が覚めたとき、心臓が痛いほど早く打っていた。
布団の上に、本が置かれていた。
あの本だった。題名も、文字もない、白紙の本。
開くと、最初のページだけが、黒い文字で埋まっていた。
「かえしに きたよ」
次の瞬間、家のどこかで扉が軋んだ。
私は飛び起きてドアを見た。
誰もいなかった。
けれど確かに、廊下の奥から小さな足音がこちらに近づいてくる気がした。
私は本を抱え、必死に目を閉じた。
耳元で、あの少女の声がした。
「もう、いっしょに いるね」
*
翌朝、本はどこにもなかった。
あれが夢だったのか、それとも――。
学校に行き、図書室の奥の棚を覗くと、昨日と同じ場所にあの本は戻っていた。
でも、その背表紙には今度はっきりと文字が浮かんでいた。
《かえしに きたひと の なまえ》
その下に、私の名前が、鉛筆で書かれていた。
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