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第14話『玄関の鏡』
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くちなし町の我が家には、昔から玄関に大きな姿見がある。
高さは大人の背より少し高く、黒い木枠に囲まれたその鏡は、祖父の代からずっと同じ場所に置かれていた。
出かける前に身だしなみを整えたり、帰宅したときに何気なく目をやったり。
そんな日常の一部として、そこにあるのが当たり前だった。
ただ一つだけ、母から小さい頃に強く言われたことがある。
「夜中にその鏡を覗いちゃだめよ。
どうしても通るときは、目を合わせないで。」
理由は教えてもらえなかった。
子供心にただ漠然と怖くて、夜に鏡を見ないように気をつけていた。
*
それでも、大人になるにつれ自然と気にしなくなった。
夜中に帰宅することも増えたが、疲れた体では鏡などどうでもよかった。
ある雨の夜、帰宅が遅くなった。
時計はもう夜の十一時を過ぎていた。
靴を脱いでふと顔を上げると、いつものように玄関の鏡に目がいった。
そのとき、私は一瞬息が止まった。
鏡に映る自分の背後、廊下の奥に――もう一つの影があった。
廊下は暗く、電気はついていなかったはずなのに、そこには確かに人の形があった。
じっと立ってこちらを見ている。
私は慌てて振り返った。
何もいなかった。
心臓が早鐘を打つ。
再び鏡を見た。
そこにはただ、いつもの自分だけが映っていた。
私は急いでリビングへ駆け込んだ。
*
それから数日後のこと。
夜中に喉が渇いて目を覚ました。
台所へ水を飲みに行こうとして、うっかり玄関の方を見てしまった。
すると――鏡の中に誰かが立っていた。
玄関を入ってすぐの場所、まるでそこにいるかのように。
長い髪を下ろした白い服の女だった。
顔は見えなかった。
ただ髪の隙間からのぞく肌は、青白く蝋のようだった。
私は恐怖で動けなかった。
その女はゆっくりと顔を上げ、鏡越しにこちらを向いた。
そして――笑った。
口だけが不自然に裂けたように広がり、目は闇のように黒かった。
私は目を逸らし、必死にリビングへ逃げ込んだ。
*
次の朝、恐る恐る鏡を見たが、そこにはいつもの自分しかいなかった。
あれは夢だったのだろうか。
だがその夜、寝室で布団に入っていると、家のどこかで微かにガラスを爪でこするような音が聞こえた。
キイ……キイ……
玄関の鏡を誰かが引っ掻いているような音だった。
私は布団を頭までかぶり、震えながら朝を待った。
*
それ以来、夜中に玄関を通るときは絶対に鏡を見ないようにしている。
けれど時々、視界の端で何かが動く。
そして耳元で、小さな声がする。
「見つけた」
私は今もその鏡を捨てられない。
なぜなら、もし処分しようとしたら――
もっと近くで、あの笑みを見せられる気がしてならないから。
高さは大人の背より少し高く、黒い木枠に囲まれたその鏡は、祖父の代からずっと同じ場所に置かれていた。
出かける前に身だしなみを整えたり、帰宅したときに何気なく目をやったり。
そんな日常の一部として、そこにあるのが当たり前だった。
ただ一つだけ、母から小さい頃に強く言われたことがある。
「夜中にその鏡を覗いちゃだめよ。
どうしても通るときは、目を合わせないで。」
理由は教えてもらえなかった。
子供心にただ漠然と怖くて、夜に鏡を見ないように気をつけていた。
*
それでも、大人になるにつれ自然と気にしなくなった。
夜中に帰宅することも増えたが、疲れた体では鏡などどうでもよかった。
ある雨の夜、帰宅が遅くなった。
時計はもう夜の十一時を過ぎていた。
靴を脱いでふと顔を上げると、いつものように玄関の鏡に目がいった。
そのとき、私は一瞬息が止まった。
鏡に映る自分の背後、廊下の奥に――もう一つの影があった。
廊下は暗く、電気はついていなかったはずなのに、そこには確かに人の形があった。
じっと立ってこちらを見ている。
私は慌てて振り返った。
何もいなかった。
心臓が早鐘を打つ。
再び鏡を見た。
そこにはただ、いつもの自分だけが映っていた。
私は急いでリビングへ駆け込んだ。
*
それから数日後のこと。
夜中に喉が渇いて目を覚ました。
台所へ水を飲みに行こうとして、うっかり玄関の方を見てしまった。
すると――鏡の中に誰かが立っていた。
玄関を入ってすぐの場所、まるでそこにいるかのように。
長い髪を下ろした白い服の女だった。
顔は見えなかった。
ただ髪の隙間からのぞく肌は、青白く蝋のようだった。
私は恐怖で動けなかった。
その女はゆっくりと顔を上げ、鏡越しにこちらを向いた。
そして――笑った。
口だけが不自然に裂けたように広がり、目は闇のように黒かった。
私は目を逸らし、必死にリビングへ逃げ込んだ。
*
次の朝、恐る恐る鏡を見たが、そこにはいつもの自分しかいなかった。
あれは夢だったのだろうか。
だがその夜、寝室で布団に入っていると、家のどこかで微かにガラスを爪でこするような音が聞こえた。
キイ……キイ……
玄関の鏡を誰かが引っ掻いているような音だった。
私は布団を頭までかぶり、震えながら朝を待った。
*
それ以来、夜中に玄関を通るときは絶対に鏡を見ないようにしている。
けれど時々、視界の端で何かが動く。
そして耳元で、小さな声がする。
「見つけた」
私は今もその鏡を捨てられない。
なぜなら、もし処分しようとしたら――
もっと近くで、あの笑みを見せられる気がしてならないから。
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