くちなし町、夜の記録

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第14話『玄関の鏡』

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くちなし町の我が家には、昔から玄関に大きな姿見がある。
高さは大人の背より少し高く、黒い木枠に囲まれたその鏡は、祖父の代からずっと同じ場所に置かれていた。

出かける前に身だしなみを整えたり、帰宅したときに何気なく目をやったり。
そんな日常の一部として、そこにあるのが当たり前だった。

ただ一つだけ、母から小さい頃に強く言われたことがある。

「夜中にその鏡を覗いちゃだめよ。
 どうしても通るときは、目を合わせないで。」

理由は教えてもらえなかった。

子供心にただ漠然と怖くて、夜に鏡を見ないように気をつけていた。



それでも、大人になるにつれ自然と気にしなくなった。

夜中に帰宅することも増えたが、疲れた体では鏡などどうでもよかった。

ある雨の夜、帰宅が遅くなった。

時計はもう夜の十一時を過ぎていた。

靴を脱いでふと顔を上げると、いつものように玄関の鏡に目がいった。

そのとき、私は一瞬息が止まった。

鏡に映る自分の背後、廊下の奥に――もう一つの影があった。

廊下は暗く、電気はついていなかったはずなのに、そこには確かに人の形があった。

じっと立ってこちらを見ている。

私は慌てて振り返った。

何もいなかった。

心臓が早鐘を打つ。

再び鏡を見た。
そこにはただ、いつもの自分だけが映っていた。

私は急いでリビングへ駆け込んだ。



それから数日後のこと。

夜中に喉が渇いて目を覚ました。

台所へ水を飲みに行こうとして、うっかり玄関の方を見てしまった。

すると――鏡の中に誰かが立っていた。

玄関を入ってすぐの場所、まるでそこにいるかのように。

長い髪を下ろした白い服の女だった。

顔は見えなかった。

ただ髪の隙間からのぞく肌は、青白く蝋のようだった。

私は恐怖で動けなかった。

その女はゆっくりと顔を上げ、鏡越しにこちらを向いた。

そして――笑った。

口だけが不自然に裂けたように広がり、目は闇のように黒かった。

私は目を逸らし、必死にリビングへ逃げ込んだ。



次の朝、恐る恐る鏡を見たが、そこにはいつもの自分しかいなかった。

あれは夢だったのだろうか。

だがその夜、寝室で布団に入っていると、家のどこかで微かにガラスを爪でこするような音が聞こえた。

キイ……キイ……

玄関の鏡を誰かが引っ掻いているような音だった。

私は布団を頭までかぶり、震えながら朝を待った。



それ以来、夜中に玄関を通るときは絶対に鏡を見ないようにしている。

けれど時々、視界の端で何かが動く。

そして耳元で、小さな声がする。

「見つけた」

私は今もその鏡を捨てられない。

なぜなら、もし処分しようとしたら――

もっと近くで、あの笑みを見せられる気がしてならないから。
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