くちなし町、夜の記録

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第21話『貸家の仏間』

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くちなし町には、古い貸家が点在している。
土地を持て余した地主が古民家をそのまま貸し出しているような形で、賃料は安いがどれも築年数が古く、少し湿気臭い。

友人の佐伯が、結婚を機にその一つに住むことになった。

新築のマンションより広くて庭もある。
最初はそう喜んでいた。

だが、そこには小さな仏間があった。

「前の住人の位牌があってさ、大家が“処分するのもあれだからそのまま置いていいか”って」

佐伯は笑って言ったが、その笑みはどこかぎこちなかった。



ある日、その家へ呼ばれた。

お祝いも兼ねて、新居で酒を飲もうということになったのだ。

仏間は居間の隣にあり、障子を少し開けると小さな祭壇が見えた。

蝋燭立てがあり、その奥には古びた位牌がいくつも並んでいた。

妙だったのは、それぞれの位牌の前に、まるで誰かが指でこすったように埃が取り払われた跡があったことだった。

「掃除した?」

私は何気なく訊いた。

佐伯は少し首をかしげてから答えた。

「いや……してないな。そこにはあんま触ってないから」

酒を飲みながらも、私は何度も仏間の方を見てしまった。

暗がりの中で、誰かがこちらを覗いている気がしたのだ。



夜中、泊まらせてもらった和室で目を覚ました。

ふと障子の向こうで、かすかな声がした。

「……ここ……ひとり?」

女の声だった。

隣の部屋には佐伯夫婦が寝ているはずだった。

私は布団の中で息を殺した。

すると、障子が少しだけ音を立てて開いた。

仏間の暗闇の中に、白い何かが見えた。

人の顔――のようなものだった。

口が異様に大きく裂け、にやりと笑った。

目が合った瞬間、頭の中に声が響いた。

「ここに いなよ」



気づいたときには朝になっていた。

佐伯が「眠れたか?」と笑っていたが、その目の下には濃い隈ができていた。

私は黙って頷き、早々に帰る支度をした。

玄関を出るとき、ふと仏間を一瞥した。

位牌の前に、また指でなぞったような跡が増えていた。

今度は、その跡が障子の方まで続いていた。

まるで誰かが、こちらへ這い寄ってきたように。



それ以来、佐伯から連絡が来ることは減った。

数週間後、町で偶然会った佐伯はやつれた顔をしていた。

「どうしたんだよ」

私が声をかけると、佐伯は青白い顔で小さく笑った。

「……夜中さ、仏間から声がするんだよ。“こっちに おいで”って……」

その目はどこか遠くを見つめていた。

私はそれ以上何も言えなかった。



あの家は今も貸しに出されている。

だが夜になると、誰もいないはずの家の仏間に小さな灯りが見えるという。

そこでは誰かが、今も座って客を待っているのかもしれない。
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