『さよならを教えてくれた、あの町のパン屋さん』

コテット

文字の大きさ
1 / 10

第1話 焼きたての香りと泣き顔

しおりを挟む


 線路沿いの古い舗道を、歩いていた。

 行き先も、目的もなかった。ただ、歩けるところまで歩いて、倒れるならそれでもいいと、そう思っていた。いつからこうなったのか、もうよく思い出せない。

 駅から山の方へ向かって、電車の音も聞こえなくなった頃だった。坂を登り切ると、ぽつんと、木造の家屋があった。

 小さな店だった。ガラス戸の向こうに、古ぼけた木の棚が見える。その棚には丸いパンや、細長いバゲット、ピンク色のジャム瓶なんかが置かれていた。

「……パン屋?」

 無意識に扉に手をかける。カラリと鈴の音がした。

 中に入った瞬間、ふわりと、甘くて温かい匂いが鼻をくすぐった。焼きたてのパンの匂いだった。

「いらっしゃい。あら……まあ」

 奥から現れたのは、小柄な老婦人だった。エプロンをつけ、白髪を後ろに束ね、丸いメガネ越しにこちらをじっと見ていた。

「……ごめんなさい。間違えました」

 逃げようとした。だが、その瞬間に胃が鳴った。思い出す。三日以上、口に何も入れていなかった。

「お腹、すいてるのね。……座って待ってなさい」

 そう言って、老婆は奥へ引っ込んだ。

 逃げるなら今だ。でも足が動かなかった。

 そのままぼんやり座っていると、木の皿に乗った丸いパンが差し出された。焼きたてのバターロールだ。

「……食べなさい」

 それだけ言って、彼女は微笑んだ。

 何かが崩れた。

 無言で、パンをかじった。外は少しパリッとしていて、中はふわふわだった。バターが溶けて、口いっぱいにやさしい甘さが広がった。

 気づけば、涙が頬を伝っていた。

 パンをかじるたびに、涙がこぼれた。

 自分でも理由がわからなかった。ただ、胸の奥にあった何かが、あたたかいものに触れて、決壊したようだった。

「……よしよし。泣きたい時は、甘いものを食べなさいな。心の薬だからね」

 そう言って、おばあさんは、ゆっくり頭をなでてくれた。

 温もりが、心に沁みた。

 こんなやさしさを、最後に受けたのはいつだったろう。

 涙は、止まらなかった。

 けれど、それは悲しみだけじゃなかった。

 その日、僕はあの町で、初めて“誰か”と向き合った。

 焼きたてのパンと、あたたかい手と、涙とともに。

 すべての始まりは、そこからだった。

 ――さよならを教えてくれる町の、小さなパン屋さん。

 僕は、あの日、そこに生まれ直したのだ。

◆あとがき
読んでいただきありがとうございます。
この物語は、都会で傷ついた青年と、山間のパン屋のおばあさんの「再生」のお話です。

パンの焼ける匂いや、田舎町の静かな風景、年配の人のやさしさが、心のどこかに“じんわり”と残るような、そんな物語を目指して書いています。

登場人物は少なく、派手な展開もありません。
ですが、小さな優しさの積み重ねが、読んだ方の心の奥に灯をともせたら、それ以上の幸せはありません。

今後、パン屋のおばあさんや町の人々との交流を通して、主人公がゆっくりと“自分”を取り戻していく姿を描いていきます。

次回も、ぜひ読みに来てくださいね。

◆応援のお願い
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
「ほっこり」「じんわり」した気持ちになっていただけたなら、ぜひ――

📌いいね
📌お気に入り登録
📌フォロー

で、応援していただけたら嬉しいです!
読者の皆様のひと押しが、物語を続ける力になります。

どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...