20 / 39
第20話『選ばれし名、遺された約束』
しおりを挟む庵の裏手に広がる静かな薬草園。
その一角に、リーナは今も手をつけられずにいる小さな畝があった。
かつて、“誰か”と約束した場所。
まだ伯爵令嬢だった少女が、誰にも言えない夢を託した地。
「この畝だけは……まだ、咲かせられないのよね」
そう呟く彼女の背後から、草を踏む音がした。
振り返ると、そこには見覚えのある青年が立っていた。
その背筋の伸び方、癖のある金の前髪。
そして、銀の紋章入りの外套。
「――貴族院、第一補佐官。
シェイド・グランディール。久しいな」
リーナの声は、どこか乾いていた。
それもそのはずだ。彼は、かつて“親しい未来”を語り合った少年。
それが今では、王政の中枢に身を置く者として、庵を訪れていた。
「リーナ。いや、今は辺境薬師殿だね」
「立場は変わっても、名前は変わらないわ」
彼は静かに笑みを浮かべた。
「その言葉、嬉しいよ。
昔、僕が言っただろう? 君の名前は“信頼”だって」
リーナは肩をすくめた。
「あなたの言葉は、あの頃から芝居がかっていたわ」
「芝居じゃないさ。
ただ……今日、こうして来たのは懐古のためじゃない。
君の庵に、“もうひとつの処方”を依頼しに来た」
彼は鞄から、封書を取り出す。
それは、王政筆頭会議の紋章が押された封筒だった。
「これは……」
「“名継ぎ処方”――
正確には、“亡き者の名を継がせる処方”だ」
リーナは無言でそれを読み進めた。
差出人は宰相。そして、処方対象は――
『リュシエン・グランディール』
あの日。
かつて、リーナが初めて“庶民に処方を施した”少年の名前だった。
薬草園の隅に名もなき草を植え、
「この草に、君の名前をつけていい?」
と聞いてきた、あの少年の名。
「……リュシエンが、亡くなったの?」
シェイドは頷いた。
「政変の最中、下町での暴動に巻き込まれ、庇って……」
言葉の端に震えがにじむ。
あれほど冷静だった彼が、唇を噛んでいた。
「彼は、僕の従弟だった。
そして、庶民の代表として王政に招かれるはずの人物だった。
彼の死は、政にとっても、僕にとっても――あまりに重い」
リーナは目を閉じる。
瞼の裏に、リュシエンが笑いながら草を見上げる姿が浮かんだ。
「名を継ぐ、とはどういうこと?」
「彼の名前を、次代の庶民代表に“渡す”のさ。
本当は制度として許されていない。
でも、“名を継ぐ処方”があれば、王家も黙認できる。
――リュシエンの意志を、誰かに託したい」
リーナはしばらく沈黙し、そして立ち上がった。
「あなたたち貴族は、“名前”を政治の道具にする。
けれど私は、“名前”を願いの根にしたいの」
「……君の言葉はいつも、痛いほど真っ直ぐだな」
リーナは、小さな瓶を薬棚から取り出した。
中には、うすく青く光る液体が満たされていた。
「これは“遺名処方”。
亡き者の名と記憶を、花弁に染み込ませ、
次代に“香り”として継がせる術よ。
それ以上でも、それ以下でもない」
彼女は瓶を差し出した。
「これを使うなら、継ぐ者に“本当のリュシエン”を伝えて。
名だけではなく、想いも」
シェイドは瓶を手に取り、深く頭を下げた。
「君にしか、これを頼めなかった。
ありがとう、リーナ。……僕は、君のことを、」
「それ以上は言わないで。
私たちは、もうあの頃には戻れないわ」
シェイドはそれでも微笑んでいた。
まるで、過去の続きを語るように。
彼が去ったあと、リーナは薬草園の隅へと歩き、
未だ芽を出さない畝に、そっと手を差し伸べた。
「リュシエン。あなたの“名”を、ようやく処方できたわ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
第20話までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
今回は、リーナの過去と向き合う回となりました。
“名を継ぐ”という新たな処方を通じて、物語はより深く“王政”と“庶民”の間に足を踏み入れていきます。
次回、第21話は新章への導入として、
“選ばれた名が、どのようにして新たな希望を背負うのか”を描いてまいります。
お気に入り・フォロー・ご感想、お待ちしております。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
41
あなたにおすすめの小説
急に王妃って言われても…。オジサマが好きなだけだったのに…
satomi
恋愛
オジサマが好きな令嬢、私ミシェル=オートロックスと申します。侯爵家長女です。今回の夜会を逃すと、どこの馬の骨ともわからない男に私の純潔を捧げることに!ならばこの夜会で出会った素敵なオジサマに何としてでも純潔を捧げましょう!…と生まれたのが三つ子。子どもは予定外だったけど、可愛いから良し!
婚約破棄されました(効率の悪い労働でした) ― 働いてない? 舞踏会は、充分重労働ですわ! ―
ふわふわ
恋愛
「働いていない?――いいえ、舞踏会も社交も重労働ですわ!」
前世で“働きすぎて壊れた”記憶を持ったまま、
異世界の公爵令嬢ルナ・ルクスとして転生したヒロイン。
生まれながらにして働く必要のない身分。
理想のスローライフが始まる――はずだった。
しかし現実は、
舞踏会、社交、芸術鑑賞、気配り、微笑み、評価、期待。
貴族社会は、想像以上の超・ブラック企業だった。
「ノブレス・オブリージュ?
それ、長時間無償労働の言い換えですわよね?」
働かないために、あえて“何もしない”を選ぶルナ。
倹約を拒み、金を回し、
孤児院さえも「未来への投資」と割り切って運営する。
やがて王都は混乱し、
なぜか彼女の領地だけが安定していく――。
称賛され、基準にされ、
善意を押し付けられ、
正義を振りかざされ、
人格まで語られる。
それでもルナは、動かない。
「期待されなくなった瞬間が、いちばん自由ですわ」
誰とも戦わず、誰も論破せず、
ただ“巻き込まれない”ことを貫いた先に待つのは、
何も起きない、静かで満たされた日常。
これは――
世界を救わない。
誰かに尽くさない。
それでも確かに幸せな、
働かない公爵令嬢の勝利の物語。
「何も起きない毎日こそ、私が選び取った結末ですわ」
乙女ゲームに転生したら不遇ヒロインでしたが、真エンドは自分で選びます
タマ マコト
ファンタジー
社畜のように他人の期待に応える人生を送り、事故で命を落とした朝霧玲奈は、かつて遊んでいた乙女ゲームの世界に“不遇ヒロイン”として転生する。
努力しても報われず、最終的に追放される役割を知った彼女は、誰かに選ばれる物語を拒否し、自分の意志で生きることを決意する。
さて、物語はどう変化するのか……。
ワザとダサくしてたら婚約破棄されたので隣国に行きます!
satomi
恋愛
ワザと瓶底メガネで三つ編みで、生活をしていたら、「自分の隣に相応しくない」という理由でこのフッラクション王国の王太子であられます、ダミアン殿下であらせられます、ダミアン殿下に婚約破棄をされました。
私はホウショウ公爵家の次女でコリーナと申します。
私の容姿で婚約破棄をされたことに対して私付きの侍女のルナは大激怒。
お父様は「結婚前に王太子が人を見てくれだけで判断していることが分かって良かった」と。
眼鏡をやめただけで、学園内での手の平返しが酷かったので、私は父の妹、叔母様を頼りに隣国のリーク帝国に留学することとしました!
婚約破棄されたので、自由に生きたら王太子が失脚しましたあ
鍛高譚
恋愛
名門アーデン公爵家の令嬢 ロザリー・フォン・アーデン は、王太子 エドワード・カミル・レグノード の婚約者として誰もが認める完璧な貴族令嬢だった。
しかしある日、王太子は突如 “聖女” を名乗る平民の少女 セシリア・ブランシュ に夢中になり、ロザリーに無情な婚約破棄を言い渡す。
「これは神の導きだ! 私の本当の運命の相手はセシリアなんだ!」
「ロザリー様、あなたは王太子妃にふさわしくありませんわ」
──ふたりの言葉を前に、ロザリーは静かに微笑んだ。
「……そうですか。では、私も自由に生きさせていただきますわね?」
だが、これがロザリーの “ざまぁ” 逆転劇の幕開けだった!
神託と称して王太子を操る “聖女” の正体は、なんと偽者!?
さらに王室財政を私物化する 汚職貴族との黒い繋がり も発覚!?
次々と暴かれる陰謀の数々に、王宮は大混乱。
そして、すべての証拠が王の手に渡ったとき──王太子 エドワードは王太子の地位を剥奪され、偽の聖女と共に国外追放 となる!
「ロザリー様を捨てた王太子は大馬鹿者だ!」
「やっぱり王妃にふさわしかったのはロザリー様だったのよ!」
社交界ではロザリーへの称賛が止まらない。
そしてそんな彼女のもとに、なんと隣国の 若き王クラウス・アレクサンドル から正式な求婚が──!?
「私はあなたの聡明さと誇り高き心に惹かれました。私の王妃になっていただけませんか?」
かつての婚約破棄が嘘のように、今度は 本物の愛と自由を手にするチャンス が巡ってくる。
しかし、ロザリーはすぐに頷かない。
「私はもう、誰かに振り回されるだけの人生は選びません」
王妃となる道を選ぶのか、それとも公爵家の令嬢として新たな未来を切り開くのか──?
失恋までが初恋です。
あんど もあ
ファンタジー
私の初恋はお兄様。お兄様は、私が五歳の時にご両親を亡くして我が家にやって来て私のお兄様になってくださった方。私は三歳年上の王子様のようなお兄様に一目ぼれでした。それから十年。お兄様にはルシンダ様と言う婚約者が、私にも婚約者らしき者がいますが、初恋は続行中ですの。
そんなマルティーナのお話。
無自覚人たらしマシュマロ令嬢、王宮で崇拝される ――見た目はぽっちゃり、中身は只者じゃない !
恋せよ恋
ファンタジー
富豪にして美食家、オラニエ侯爵家の長女ステファニー。
もっちり体型から「マシュマロ令嬢」と陰口を叩かれる彼女だが、
本人は今日もご機嫌に美味しいものを食べている。
――ただし、この令嬢、人のオーラが色で見える。
その力をひけらかすこともなく、ただ「気になるから」と忠告した結果、
不正商会が摘発され、運気が上がり、気づけば周囲には信奉者が増えていく。
十五歳で王妃に乞われ、王宮へ『なんでも顧問』として迎えられたステファニー。
美食を愛し、人を疑わず、誰にでも礼を尽くすその姿勢は、
いつの間にか貴族たちの心を掴み、王子たちまで惹きつけていく。
これは、
見た目はぽっちゃり、されど中身は只者ではないマシュマロ令嬢が、
無自覚のまま王宮を掌握していく、もっちり系・人たらし王宮譚。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 エール📣いいね❤️励みになります!
料理スキルしか取り柄がない令嬢ですが、冷徹騎士団長の胃袋を掴んだら国一番の寵姫になってしまいました
さら
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢クラリッサ。
裁縫も舞踏も楽器も壊滅的、唯一の取り柄は――料理だけ。
「貴族の娘が台所仕事など恥だ」と笑われ、家からも見放され、辺境の冷徹騎士団長のもとへ“料理番”として嫁入りすることに。
恐れられる団長レオンハルトは無表情で冷徹。けれど、彼の皿はいつも空っぽで……?
温かいシチューで兵の心を癒し、香草の香りで団長の孤独を溶かす。気づけば彼の灰色の瞳は、わたしだけを見つめていた。
――料理しかできないはずの私が、いつの間にか「国一番の寵姫」と呼ばれている!?
胃袋から始まるシンデレラストーリー、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる