辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

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第30話『名奪いの真実、黒の処方師との対峙』

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庶民議会での処方から一夜明けて――
リーナは庵の庭で、久しぶりに薬草を摘んでいた。

 

「これが、あの子たちの処方に必要な香の主材。
しっかり育ってくれてありがとうね」

 

指先で撫でた葉が、太陽の光を受けて小さく揺れる。

 

庵には再び患者が戻り始めていた。
昨夜、庶民議会で多くの者が自分の名前を呼び直したことで、
人々の間に少しずつ“名を護る”という意志が戻りつつある。

 

だが――
その静けさの奥に潜む気配は、決して消えたわけではなかった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

その夜。

 

庵の門の前に立つ黒い影があった。

 

灯りに照らされて浮かび上がったその顔は、
やはり黒の処方師。

 

「また来たの……」

 

リーナは庵の中から一歩外に出た。
調薬袋に数本の瓶を忍ばせ、決して隙を見せない。

 

黒の処方師はゆっくりとフードを下ろした。

 

「驚いたか?
これが私の素顔だ」

 

そこには、意外にも若く端正な顔立ちの男が立っていた。
黒髪に深い青の瞳。
けれどその瞳は氷のように冷たく、人の温かさを微塵も宿していない。

 

「……どうして顔を見せるの?」

 

「そろそろいい頃合いだと思ってね。
辺境の薬師よ。
お前は何度も私の処方を邪魔し、名を護ると言っては庶民に痛みを抱えさせた」

 

リーナは静かに言い返した。

 

「それが“生きる”ってことよ。
痛みや悲しみごと抱えて、自分の名を呼び続けることが、人間なの」

 

黒の処方師はかすかに笑った。

 

「私は――アゼル。
かつて王都の魔法院で最年少の薬術師と称えられた者だ」

 

「……魔法院?」

 

「そうだ。
だが私はそこを追われた。
“名を奪う処方”を調えたからだ。
魔法院の連中は“名は神聖不可侵”だと騒ぎ立て、私を異端として追放した」

 

リーナはわずかに眉を寄せる。

 

「だから庶民にまでそれを……?」

 

「庶民は名に囚われすぎている。
生まれた家、育った街、家族から押しつけられた期待。
それらが全て“名”に刻まれ、やがて心を蝕む。
私の処方はそれを解放する。
名を消し、ただ生きるだけの器に戻してやる」

 

「それは――生きているって言えないわ!」

 

アゼルは小さく肩をすくめた。

 

「そうだろうな。
だがその選択を望む者は少なくない。
だから私は提供し続ける。
自分が誰かなんて苦しいだけなら、もう名など持たずにいればいい」

 

リーナは調薬袋から瓶を取り出した。

 

「あなたの処方は優しい顔をして、全部奪っていく。
私はそれを止める。
人が人であるために――“呼ばれる名”を守る薬師だから」

 

アゼルの目がわずかに細められた。

 

「……なら、ここで決着をつけるか?」

 

「ええ。
何度でも、私はあなたの香を拒むわ」

 

 

◆ ◆ ◆

 

アゼルは黒い小瓶を取り出し、蓋を開いた。
瞬間、夜気が揺らぎ、鋭い鉄と血の匂いが庵を包み込む。

 

《名奪い香》――
それも、今までより遥かに強い。

 

リーナは即座に自らの香を砕いた。

 

《誓名心響香》
これまでの調合をさらに強化し、患者たちの名を結んだ記録を全て組み込んだ香。

 

庵の周囲に薄い光が浮かび、患者たちの名前が幾筋も空に舞い上がった。

 

「これが……!」

 

アゼルの目がわずかに見開かれる。

 

「私の庵を訪れた人々の名。
彼らが自分で呼び、守ると決めた名よ。
だから、あなたの香では壊せない」

 

アゼルはくつくつと笑った。

 

「そうか。
なら――お前自身の名はどうだ?」

 

次の瞬間、アゼルが香に指を触れた瞬間、空気が変わった。

 

それは《一点名奪い》。
対象をリーナただ一人に絞り、その名に直接働きかける強力な処方。

 

リーナの身体に激痛が走った。

 

(やっぱり……私自身の名は……一番弱い……)

 

膝が崩れそうになる。
でも――そのとき、庵の奥から子供の声が響いた。

 

「リーナ先生!大丈夫ですか!」

 

ノアが、患者の子供たちを連れて飛び出してきた。
その胸には小さな香袋。

 

「僕たち……自分の名前を、呼びました!
だから先生も――!」

 

「……私の……名は……リーナ・ルミナス!」

 

痛みの中で叫ぶ。
その声に呼応するように、空中に無数の光が散った。

 

患者たちが庵で呼んだ名前が、再びリーナに還る。

 

「これが……患者たちがくれた、私の名前……」

 

光がリーナを包み、アゼルの香を押し返した。

 

アゼルは不快げに顔を歪め、香を振り払った。

 

「……まだ面白いものを見せてくれるな、薬師。
だが次はもっと強い処方を持って来よう。
そのときお前がまだその名を守れているか――楽しみだ」

 

影が霧のように散り、庵の前から消えていった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

ノアが泣きそうな顔で駆け寄る。

 

「先生……僕たち、香をずっと握ってました。
患者の名前を結んだ香袋を……!
だから……!」

 

「……ありがとう。
あなたたちが呼んでくれた名前が、私を護ってくれたの」

 

ノアは涙をこぼしながら笑った。

 

「僕、先生の名前が好きです。
だから何度でも呼びます。
リーナ・ルミナスって――!」

 

リーナはそっとその頭を抱き寄せた。

 

「ええ。
ありがとう、ノア。
これからも、ずっと私の名前を呼んで」

 

その言葉に、小さな香袋がわずかに光を放った。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 
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