辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

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第37話『薬師の結び香、名前が紡ぐ物語の果て』

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初夏の終わり、薬庵の庭にそよぐ風は、どこか名残惜しそうに葉を揺らしていた。

 

庵の中では、ノアが一人で調薬を行っていた。

 

「……うん、大丈夫。
これなら先生に見せても恥ずかしくないはず……」

 

香を一つ仕上げるたび、小さく胸に手を当てる。

 

(僕はこの庵で、たくさんの名前を見守ってきた。
先生が護ってきた名を、今度は僕が繋げていくんだ)

 

ふと、調薬室の戸口に立つ影に気づいて顔を上げる。

 

「先生……!」

 

そこには微笑むリーナがいた。

 

「随分上手に調えるようになったわね。
もう本当に一人前の薬師みたい」

 

ノアは顔を赤くしながらも誇らしげに頷いた。

 

「先生にそう言ってもらえると、本当に自信になります」

 

 

◆ ◆ ◆

 

その夜。

 

庵には珍しく患者の訪れがなかった。
だからリーナはノアと二人きりで、灯りの下に座っていた。

 

「ねえ先生。
僕……少しだけ、この街を離れてみようと思うんです」

 

リーナは瞳を見開き、それから小さく笑った。

 

「そう。
ついにそのときが来たのね」

 

「……はい。
僕、先生が作ってきた香のこと、ずっと見てきました。
誰かの名前を守って、その人が自分の名を呼べるようになるのを。
今度はそれを、僕の手で別の場所にも広げてみたいんです」

 

リーナはそっとノアの手を取り、優しく握った。

 

「とても素敵なことよ。
あなたならきっと、その街の人たちの名も護れるわ」

 

ノアは唇を震わせ、小さく笑った。

 

「でも……先生の名前を思い出せなくなるのは嫌です」

 

「馬鹿ね。
あなたの中に、私の香はずっと残っているわ。
それに、私もここで何度でもあなたの名前を呼ぶもの」

 

ノアは涙ぐみながら、何度も頷いた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

出発の日は意外とあっけなく訪れた。

 

街道へと続く小道で、リーナは小さな香袋をノアに手渡した。

 

「これは《結び香》。
私がこれまで護ってきた患者たちの名を少しずつ分けてもらった香よ。
もし遠くで苦しくなったとき、これを開いて」

 

ノアは震える手でそれを受け取った。

 

「先生……必ず戻ってきます。
もっとたくさんの名を護れる薬師になって」

 

「待っているわ。
あなたが作った処方の話を、ここでたくさん聞かせて」

 

二人はしばし見つめ合い、それからノアは深く頭を下げて歩き出した。

 

庵の前でずっと立って見送るリーナに、小さな背が何度も振り返って手を振った。

 

 

◆ ◆ ◆

 

その夜、庵の棚を整理しながら、リーナはぽつりと呟いた。

 

「これで、この庵も少し静かになるわね」

 

けれど棚には、今までに護った無数の名が香として眠っている。
その一つ一つが、彼女にとってかけがえのない宝物だった。

 

(私が薬師として歩いてきた道。
呼ばれた名も、呼んだ名も、全部この香の中に息づいてる)

 

ふと、窓の外を風が通り抜け、小さな瓶がわずかに揺れた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

それから数日後。

 

庵に一人の使者が訪れた。
ノアが訪れた街からの文だった。

 

《僕は今、新しい街で薬師として香を調えています。
初めて自分だけの処方で、子供の名前を守ることができました。
その子のお母さんが泣いて“ありがとう”って言ってくれたとき、
僕は先生がずっとやってきたことがどれほどすごいことか、やっとわかった気がします。
いつかもっと成長して、また先生の庵に帰ります。
そのときは僕の香も見てください。
ノアより》

 

リーナはその手紙をそっと抱きしめた。

 

「……ええ、いつでも待っているわ」

 

胸の奥があたたかくなる。
それはこれまで護ってきた名が、また一つ未来へ繋がった証だった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

夜、庵の庭に出ると、星が降るように瞬いていた。

 

リーナはそっと目を閉じ、息を整える。

 

「私はリーナ・ルミナス。
薬師です。
誰かの名を呼び、その名を護り続ける者です」

 

すると庭先の薬草が小さく揺れ、どこからともなく甘い香が漂った。

 

(これからもきっと、ここには無数の名前が訪れる。
私は何度でも呼ぶわ、その名を――)

 

胸の奥で、静かに小さな光が生まれた。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 
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