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第1話『聖女は微笑む、嘘で塗り固めた朝に』
しおりを挟む「……なんてお美しいのでしょう。まさに、神の化身……」
うっとりとした視線。
陶酔したような声。
赤絨毯の上にひれ伏す女官たちの、その言葉に、私はいつものようにやわらかく微笑んでみせた。
慈愛を込めて。清らかな“聖女”らしく。
まるで、神の祝福そのもののように。
(ふふ……滑稽なほど簡単ね)
顔では微笑みながら、心の奥でくすりと笑う。
彼女たちは知らないのだ。
この「神の化身」と謳われる女が、昨夜――どれほど穢れた仕事に手を染めていたかを。
「神の導きがありますように」
淡く声をかけ、私は天を仰ぐ。
透き通ったステンドグラスの向こう、朝の光が差し込む。
まるで、この手に血などついていないと信じ込ませるかのように。
◆
エレナ・ヴィアルド。
この国において、神より祝福を受けた唯一の聖女。
……というのが、表向きの私の顔。
実際は違う。
神の声など一度も聞いたことはない。
奇跡の癒し? それもすべて、魔導薬と演出の賜物。
私は“聖女”として生きるために、誰よりも嘘を重ね、誰よりも演技を続けてきた。
(私が欲しいのは、信仰じゃない。名誉でもない。
……この国の頂点。
すべてを支配する力――それだけよ)
王侯貴族の間で、神の代弁者とされる存在。
それが聖女の席。
そこに座るためなら、何人殺しても構わないと決めていた。
◆
「エレナ様、参政院より書簡が」
部屋の扉を叩いたのは、側付きの侍女――セシル。
静かに頭を下げ、淡く微笑む彼女に、私は小さく頷く。
「ありがとう、セシル。そこに置いておいてちょうだい」
「……かしこまりました」
彼女はいつもと変わらない態度だった。
……ただ一つ、彼女の手元に、わずかに震えがあったことを私は見逃さなかった。
(昨夜の件、まだ尾を引いてる?)
昨夜、私は教会派の貴族のひとりを毒で始末した。
“聖女”らしい微笑みを浮かべながら、手ずからワインに滴を落として。
セシルは、それを見ていた。
だが彼女は決して言葉にはしない。
忠実な従者として、ただ静かにその事実を飲み込むだけ。
(忠義か、愛か、あるいは……)
ふと、私は視線を戻す。
セシルの瞳に、わずかな迷いが宿っていた。
「セシル」
「……はい?」
「私を信じているかしら」
その問いに、彼女は一瞬戸惑った。
けれど、すぐに目を伏せ、静かに答える。
「……私は、聖女様の命がすべてです」
ああ、そう。
なら良いのよ。
私は優雅に席を立ち、長いドレスの裾を引きずりながら、ステンドグラスの光の中を歩いた。
この光すら、私の舞台装置の一部。
“聖女”という役にふさわしい、壮麗な幕の一枚。
◆
そして、その日――
彼が現れた。
王宮に突如現れた報告。
北方の辺境で異教徒の反乱が鎮圧されたという知らせ。
その戦場の最前線で、血の雨を浴びながら戦った男の名。
「ライオネル・クローディアス。
魔導軍を率いる若き司令官……」
黒髪に赤い瞳。
冷徹無慈悲な戦いぶりで知られる男。
私は、その名を口にした瞬間、何かが変わる予感がした。
運命など信じない。
だが、嗅ぎ分ける鼻はある。
この男は――間違いなく、私の人生を狂わせる。
「聖女様、魔導軍司令が謁見を求めております」
扉の向こう、兵士が声をかけた。
その瞬間、室内の空気が僅かに緊張する。
私は、静かに目を閉じた。
(さあ、始めましょう。
これは……私と彼の、最初の一幕)
――聖女の仮面をつけた悪女と、破滅を娯楽にする男。
世界を焼く恋の、第一歩が静かに踏み出された。
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