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第2話『血の匂いを纏う男、微笑みの仮面の裏で』
しおりを挟む「……はじめまして、聖女エレナ・ヴィアルド殿」
その男は、陽光を遮る扉の奥からゆっくりと現れた。
黒髪、赤い瞳。
軍服の上に真紅の外套を羽織り、左肩には魔導軍の象徴たる黒金の徽章。
鋭い眼光は、一瞥で人を射貫くような冷たさを持ち、
なのに、その口元には、どこか皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
――ライオネル・クローディアス。
若くして魔導軍を掌握し、大陸最北の戦線をわずか一月で制圧した男。
「ようやく、お目にかかれた。
“美しき神の代弁者”にね」
彼の第一声に、周囲の侍女たちが息を飲む。
失礼に聞こえるその物言いを、無礼と感じた者もいるだろう。
だが私は――微笑んだ。
(なるほど、血の匂い。
この男……私と同じだ)
表向きの礼を整えるため、私はゆっくりと立ち上がる。
ドレスの裾を整え、光の差す窓辺から一歩、床を鳴らして彼の前へ。
「魔導軍司令、ライオネル・クローディアス殿。
わざわざお越しいただき光栄です」
澄んだ声で言う。
優美で、清らかに――“聖女らしく”。
だがその裏で、私は警戒していた。
この男、ただの軍人ではない。
目が――あまりに、よく見えている。
人の仮面も、心の奥も、全てを剥がす目だ。
(それに……なぜ、私の部屋に?)
魔導軍司令ともなれば、王直属の軍事責任者。
聖女との謁見はあっても、ここまで踏み込むのは異例だった。
「お取り込み中のようだったが、急を要する件でね。
失礼を承知でお邪魔した」
「それは……?」
私の問いに、彼は懐から封書を一通、取り出した。
黒い蝋で封をされた文。
裏面には、王家の双頭竜が刻印されていた。
「王命だ。
“神の加護を受けし者”である貴女に、
北部制圧戦後の布教支援と、宗教裁定の裁可を依頼したいとのことだ」
布教支援――それ自体は建前だ。
実際の目的は、戦後の土地と人々の“精神的掌握”。
つまり王家は、聖女という宗教的権威を使って、戦勝地を完全支配しようとしている。
(つまり、私を戦場に出せと……?)
わざわざライオネル自身が届けに来たというのが答えだった。
これは王の命というより、彼の意志。
「面白い遊びができそうだと思ってね」
その目は笑っていなかった。
なのに、笑っていた。
「この国の上澄みは、甘すぎる。
少し、毒を垂らしたくなってな」
私の微笑みが、僅かに深くなる。
(この男、私の“仮面”に気づいている?)
「私が……毒かもしれないと?」
問いかけると、彼は目を細めて答えた。
「いや――もっと上質な、劇薬だ。
触れた者すら変質させる、黒の花」
(――ああ、駄目だ。
この男、嫌いじゃない)
◆
夜。
謁見のあと、私は机の上の封書を見つめていた。
「……面白くなってきたわ」
王家の意図。
ライオネルの挑発。
そして、遠征地の宗教的掌握。
これはただの“布教”では終わらない。
使いようによっては、王都そのものに揺さぶりをかけられる。
だが、だからこそ――危険でもある。
敵は戦場だけではない。
教会内部にも、王政にも、私の存在を疎ましく思う者は多い。
(この命令を受けるということは、命を賭けることと同じ)
それでも。
私はそっと封書を開いた。
青い蝋をナイフで割るように。
「……望むところよ。
王も、教会も、すべて私の手のひらで踊らせてみせるわ」
窓の外、満月が照らしていた。
まるで、それすら私の舞台照明であるかのように。
◆
その夜。
セシルは扉の前で、ひとり膝をついていた。
「……聖女様」
震える手を胸に当てて、彼女は声を押し殺して泣いた。
その胸の奥には、小さな銀の聖印と――
教会から密かに託された“聖女監視者”としての文書が、今も隠されていた。
(私は……何を信じればいいの……?)
聖女の背中は、あまりにも美しく、遠かった。
そして――
どこか、恐ろしいほどに。
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