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第10話『傀儡の王と黒き戴冠』
しおりを挟む王城の空気はいつにも増して重苦しかった。
政務棟の廊下を歩くだけで、侍従たちの視線が肌に刺さるように感じる。
今や、教会も王族も、私――“聖女”エレナを一目置いていた。
それは畏怖でも尊敬でもなく、“恐れ”に近い感情だった。
(滑稽ね。私が“祈りの象徴”として作られたのに、今や誰も目を合わせようとしない)
だが、それでいい。
信仰は、敬愛よりも畏怖によって支えられる。
私が目指すものは、“善き聖女”ではない。
“絶対”という名の女王だ。
◆
謁見の間に通された私は、薄く微笑む。
玉座に座るのは、まだ若い王子。
名をカシウス・ヴィルフリート。
亡き先王の五男であり、他の兄弟たちが不審死や戦死で消えた後、形ばかりの“戴冠”を受けた。
彼は表向きには“王”だが、実権は宰相と貴族会議、そして教会に握られている。
つまり、操り人形。
だが、私にとっては――その“傀儡”でさえ、利用価値がある。
「ようこそ、聖女殿下」
カシウスの声は穏やかで、目は澄んでいた。
無知ではあるが、愚かではない。
そして何より、“人を信じる”癖がある。
その癖が、命取りとなる。
「陛下。こうしてお会いできて光栄です」
私は礼を取り、玉座の下で目を伏せる。
だが、その視線の奥で、王冠をじっと見つめた。
(あれは、空っぽの器)
◆
その後、謁見は形式的なものとなった。
戦乱の終息、教会との関係、王都の治安について意見を求められ、私は慎重かつ肯定的な言葉で答え続ける。
だが、真の議題は別にあった。
謁見のあと、私は“裏の間”――側近すら遠ざけられた王の私室に招かれる。
そこで王子は、声を落として尋ねてきた。
「……聖女殿下。貴女は、教会の動きをどう思われますか?」
(来たわ)
私は唇に指をあてて、微笑んだ。
「言葉を選ばねばなりませんね。ですが、あえて申すなら……彼らは“信仰”ではなく、“秩序”を守っておられる。
“秩序”が誰かの犠牲によって保たれることは、時として必要です」
カシウスは息を呑んだようだった。
目がわずかに揺れる。
「犠牲……とは?」
「たとえば、“陛下”という存在が、“ただ象徴であれば良い”という秩序。
それを私が、少しだけ変えられるとしたら――どう思われます?」
「……私を、変える?」
「いいえ。“王”を、“本物”に」
私はそこではじめて、正面からカシウスを見据えた。
彼の顔に、戸惑いと期待と、ほんの少しの恐怖が浮かんだ。
だが、否定はされなかった。
むしろ、彼は震えながら、呟いた。
「……私には、その資格があるのか」
「ありません」
「……!」
「けれど、私はあなたを“王”に仕立て上げる力を持っている。
それだけで十分です」
カシウスは沈黙した。
だがやがて、かすかに頷いた。
「ならば……私は、貴女に従いましょう」
◆
夜。
私は聖堂の奥で、密かに“戴冠の儀”の準備を進めていた。
それは形式上は王のため。
だが本当は――“この国の権力構造”を書き換える儀式だ。
ライオネルがその場に現れたのは、私が古文書の再解釈を終えた直後だった。
「……聞いたぞ。“聖女が、王を作る”ってな」
「流言ではなく、事実よ」
「気に入らないな。
お前は“女帝”になれる器だ。なんで傀儡の玉座に他人を据える」
「その方が、都合がいいの。私が前に出れば、次の敵は“世界”になる」
ライオネルは口を噤んだ。
その瞳に、私への警戒と、それ以上の“何か”が混じっていた。
「……お前は、王を助ける“女神”になるつもりか?」
「いいえ。“影”よ。
光を照らすふりをしながら、全てを支配する影」
ライオネルは笑った。
短く、嘲るでもなく、ただ感嘆のように。
「やっぱり、地獄に連れてってくれよ。お前と一緒なら、王国ごと燃やせる」
「……光栄ね」
私は再び、書類に目を落とした。
“戴冠”は、形式であると同時に呪術でもある。
魔導で支配された王は、表面上は自分の意思で動くが、実質的には――私の言葉に従うようになる。
もちろん、彼に自覚はない。
それが、“黒き戴冠”の真髄。
◆
数日後。
王都に集まった貴族、教会関係者、軍部の代表たちの前で、カシウス・ヴィルフリートは再び戴冠された。
だが、その日から――
王国の政治は、目に見えぬ“影の手”によって回りはじめた。
軍事予算の再配分、教会審問部の人事交代、旧貴族の資産整理。
すべてが、わずかな命令と視線だけで行われる。
そして、誰もがこう囁き始めた。
――“聖女”が、この国の本当の支配者だと。
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