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第六章 王立学院サフラン・ブレイバード編

第95話 歳上に見惚れた既婚者

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 雨が降る休日。
 俺はセスティーの家に居た。
 こじんまりとした家でありながら家具は多く、お洒落なアンティークが目立つ。
 買い揃えたのではなく、前の家から持ってきたのだろう。
 ここに一人暮らしは寂しい感じがする。
 綺麗でお洒落な食器もあるし。
 それこそ貴族が住みそうな家なのに。

 教員の給料は分からないが、セスティーが選ぶくらいだし、そこそこ頂いていると思う。
 どうやって仕送りしているのか。
 転移魔術はコルチカムも使えるし、お願いしてるのかな。
 なら納得なんだが。

 セスティーはさっきからタンスの中を漁っている。
 まさかとは思うが、書類を紛失したのではなかろうか。
 彼女の表情に焦りが見える。きっとそうだ。

 「無い…!」
 
 「ほら、言わんこっちゃない」
 
 「そんなぁ…昨日までしまってあったのに」

 「内容は覚えてるんですよね。じゃあ口頭で教えてください」 

 とぼとぼと、セスティーが席に着いた。
 ついでに紅茶も出してくれた。
 缶からクッキーまで出してくれた。
 お気遣いどうも。

 「と言っても、裏は三ヶ条しかないんだけどな」

 「して内容は」

 「まず一つ目。不純異性交遊禁止は学生同士の恋愛にのみ適応されるので、教師間、或いは生徒教師の間なら黙認する。第十一条の一線を超えてはならないとは、生殺与奪を握る事を意味する」

 「ちょっと無理がありませんか?一線を超えるなんて聞けば、誰だって不純な意味だと思いますよ」

 「だから、そうだと言っている。要するに、相手の弱みに漬け込んで、無理矢理襲うのがダメだという話だ」

 「んな無茶苦茶な…ん?それならセスティー先生、かなりグレーなんじゃ…」

 「はい!二つ目いくぞ!」
 
 都合が悪くなったからって話を遮ってきた。この人。
 顔を真っ赤にして、俺から視線を逸らしている。
 言わなきゃ良かったと思ってるな。
 
 「えーっと、たしか…生徒会に所属している者には、特別金が出るとかなんとか…」

 「はい?何それ、詳細カモン」

 「あ、いや。生徒会は、どちらかというと教師側なわけで、校内秩序を取り仕切る役割があるんだ。それに応じた給与的なものが、学校から支給される」

 「いくらなんです!?ねぇ、いくらなんです!?」

 「それは知らん。まぁ…知りたくば生徒会に入れ」

 生徒会に所属していれば、将来就ける仕事の幅も広がる。
 より高待遇の未来が約束されるだろう。
 考えておくか。

 「三つ目…の前に」

 「えっ…」

 セスティーが後ろから抱きついてきた。
 だめだ、ドキドキする。
 歳上の女性に抱きつかれるといつもそうだ。
 心臓の音がうるさい。

 「報酬をまだ貰ってなかったのでな…」

 「もう満足できましたか?」

 「いや、まだだ。キ…キスしたい…」

 「じゃ、俺からいきますね」

 「ふぇっ!?まだ心の準備が…!」

 俺はセスティーの腰に手を回して、支えながら、優しく口付けをした。
 紅茶の香りと、微かな砂糖の甘み。
 彼女は自身の唇に指を当てて、嬉しそうに微笑んだ。
 紫色の髪が、いつもより輝いて見えた。

 「気を取り直して三つ目にいこうか」

 「あの…この体勢で?」

 セスティーに抱き締められて、俺は彼女の膝に座っている。
 親子かな?
 にしては、いやらしい手つきで触ってくるのだが。

 「好き…だからな…」

 「俺、リーズと結婚してますよ」

 「でも今、ここに居ないだろ」

 あんたもかい。
 ライにも同じ事を言われた。
 どうも、このぐらいの歳の美人さんは、みんな同じ考えを持っているらしい。

 「そろそろ、その三について教えて下さい」

 「その三は忘れた。さして重要な事じゃなかった気がするから」

 「えー…」

 「別にいいじゃないか。そもそも、お前は一部を知りたいと言っていたのに、全部聞き出そうとしたんだ。姑息にも、わたしの感情を弄んでな」

 「それは…すみません」

 「責めるつもりは無い。ただ…もうちょっとだけ一緒に居て欲しい…」

 そこから数時間。セスティーに付き合った。
 そっちの欲は解消されたらしく、会話の節目に触られるくらいで、ほとんど楽しいお喋りだった。
  泊まっていけと言われたが、何事も無く夜を過ごせる自信が無かったのでお断りした。
  知りたいことは知れたし、情報漏洩してくれた彼女には感謝してもしきれない。

 生徒会に入れば特別金が貰える。
 具体的な金額は分からないが、生活の足しにはなるだろう。
 スレナにお小遣いあげたいし、休日にみんなで羽を伸ばしたい。
 目指してみるか、生徒会。

---

 休日も終わり、学校に着いて。
 セスティーはいつも通り授業を始めた。
 分かりやすくて、質問にもちゃんと答えてくれる。
 キリっとした目付きで、真面目かつ丁寧に教えてくれる。
 昨日のデレた姿が嘘みたい。
 
 休み時間話しかけても、あっち行っててくれと言われ、冷たくあしらわれる。
 さすが大人。公私混同を嫌う生き物よ。

 職員室へ向かうのだろうか。
 セスティーは席を立って歩いていく。
 くびれた腰に、大きな胸。
 太ももから足先にかけて緩やかに細くなっていく、スタイルのいい女性だ。
 
 お昼。セスティーは弁当を開けて、箸を手に取り、口を小さく開けて、摘むように食べる。
 少食には見えないのに。
 ダイエットする必要は無いと思うけど。

 「ソーセージ、一つ交換しませんか?」

 「いいけど…同じやつだろう」

 「味付けが違うんじゃないかと思ったんで」

 セスティーと弁当の中身を一つ交換した。
 味は同じだったけど、焼き加減が違った。
 スレナが焼いたものより、しっかりと火が通っていて、若干焦げがある。
 パリパリで美味しかった。

 今日の授業時間も残り僅か。
 黒板に数式を書き込むセスティーの後ろ姿を、ただ黙って見つめていた。
 いい体だなぁ、と。

 「きめ」

 横から女性の声がした。
 声のする方に、引くような顔をしたルリアが居た。

 「先生って何歳なんだろうって思ってさ」

 咄嗟に出た嘘。
 彼女に目を奪われていたなんて言えない。

 「うーん…二十代後半ってところかな?」

 「だよな。俺もそう思う」

 「ライネルさ、今日セスティー先生にめっちゃ絡むよね。好きなの?」

 「え、違うけど」

 「ほんとかなぁ…ライネルが先生を見てる時の顔、今までに無いくらい爽やかでキモかった。落としにいってたよ、あれは」

 俺そんな顔してたのかと、つい自分の顔を触ってしまう。
 意識してたつもりは無いんだけど、嫌な奴に思われたくなくて顔を作ったかもしれない。
 
---

 放課後。俺はセスティーの元へ向かった。
 彼女は職員室に一人残って仕事をしている。
 残業と言うやつだ。
 黙々と運搬作業をして、書類を片付けて、今日の授業内容をノートに記している。
 新人の仕事は多い。泣き言一つ言わずこなす彼女は、類まれなる精神力の持ち主。
 教師達の反応はすこぶるいいが、友達は居ないみたい。
 同僚がいないから、毒を吐き出す事もできない。
 せめて、俺が息抜きになってあげられればな。

 「お疲れ様です。随分遅くまで仕事してるんですね」

 「ああ。教師に限らず、新人はみんなそうだ」

 セスティーの顔に疲労が溜まっている。
 薄らとクマが出来ている。

 「疲れてませんか?」

 「少しだけな。この程度、大した事じゃない」

 メルナ・ティッカードの所在について聞こうと思ったのだが、この様子じゃ、聞くに聞けない。
 忙しそうだし日を改めよう。
 そう思い、職員室から出ようとしたらセスティーに裾を掴まれた。

 「…ちょっと手伝ってくれ」

 「何をです?」

 「机の下にペンを落としてしまってな。わたしじゃ狭くて入れないから、代わりに拾って欲しいんだ」

 「そのぐらいなら、お安い御用です」

 さっそく机の下に頭を入れてみたが、案外広い。
 うつ伏せにならずとも、赤子を背中に乗せたまま入れるくらいには。
 胸があるとはいえ、つっかえるとも思えない。
 ペンも見当たらないし、おかしいな。

 「ハァ…ハァ…」

 なんかセスティーの吐息が聞こえる。
 嫌な予感は的中し、セスティーも机の下に入って来た。
 俺の背中に乗り上げ、服に手を入れてきた。
 ベルトに手をかけられて、ぐいぐいと引っ張られる。
 
 「ちょっ!先生!?」

 「誰も居ないんだ…ちょっとぐらいいいだろう?」

 「狭い狭い狭い!」

 狭過ぎて息苦しい。
 背中に胸が当たって頭を上げられない。
 甘い葡萄の匂いがセスティーから香った。
 彼女の息遣いが徐々に荒くなり、俺も呼吸が乱れる。
 触り方が気持ち良くて眠くなってきた。
 セスティー…上手すぎ…。

 「お二人さん!何をしているのかな!」

 「ヒィ!」

 突如聞こえた男の声に、驚いたセスティーが魚のように跳ねた。
 俺もびっくりして心臓が止まりそうになった。
 聞き覚えのある若い男の声だが、机の中なので分からない。
 恐る恐る出た。

 「生徒はもう帰る時間だよ。なぜここに居るのかな、ライネル君」

 緑色の髪に、片眼鏡をかけた若い男。コルチカムだった。
 かなりご立腹のご様子。

 「セスティー先生に聞きたいことがあって、職員室を訪ねました」

 「じゃあなんで、君の服はそんなにクシャクシャなんだい?」

 「机の下にペンが落ちてしまったので拾おうとしたところ、机と机の間に服が挟まってしまい、無理やり引っ張ったらこうなりました」

 「じゃあなんで、セスティー先生も机の下に居たんだい?」

 「体が抜けなくなってしまい、セスティー先生に助けを乞いました」

 「じゃあなんで、君のズボンのベルトが取れかかっていて、セスティー先生の服のボタンが外れているんだい?」

 「……まず俺のズボ――」

 「一瞬考えたね。君は自分のズボンまでは認識していた。だけどセスティー先生の服のボタンまでは知らなかった。だから、予め練っていた言葉を再度構成し直した。残念、ボタンは嘘だ。そして、君の嘘もバレバレだ」

 全て読まれていた。
 コルチカムは分かっていて質問を繰り返した。
 状況を瞬時に見抜ける彼に、付け焼き刃の嘘は通用しない。
 終わりだ。何もかも。

 「さて、君たち二人の処遇についてたが…」

 コルチカムが冷酷な目でセスティーを見た。
 セスティーは真っ青な顔で体を震わせ、コルチカムの顔を見ていない。
 恐怖で見れないんだ。
 コルチカムは、呆れたように「はぁ」と軽く溜息をついた。

 「今日のところは目を瞑ろう。ただし、次、校内でこのようなことをすれば二人とも消えてもらう。まして職員室だ。少しは考えられなかったんですか、セスティー先生」

 「あの…若い子っていいなぁ…て」

 「あなたも十分若いでしょうが。今年で28のくせに」
 
 「…はい」

 コルチカムの説教は30分ほど続いた。
 主にセスティーに説教した。
 生徒を誑かすとは何事だとか言われていた。
 その点に関しては、俺も同罪だと思う。
 俺も彼女を利用した面はあったし、されて嫌な気分じゃなかったから。
 そこがダメだとコルチカムは言っている。
 ぐうの音も出ない。

 「君は結婚してるんだ。夫がこれじゃ、奥さんが悲しむよ」

 「はい…すみません」

 「まぁセスティー先生はいい体してるよね」

 「ですよね」

 「話聞いてたかな?」

 「すみません…」
 
 まだまだ学校生活は続く。
 メルナ・ティッカードは後回しでいいだろう。
 伝説的な魔術師を相手に、未熟な剣を向けるわけにはいかない。
 ゆっくりと歩を進めるとしよう。
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