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第六章 王立学院サフラン・ブレイバード編

第115話 終わりの始まり

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 メリナ・ティッカードの家は、ライテール王国で最も西側にあるそうだ。
 周囲に家屋が一軒もない、こじんまりとした空間に居を構えているらしい。
 テオネスは気乗りしない顔をしているが、渋々手紙を見てため息をつきながら笑顔を見せる。
 なんとも不安が見え隠れする面持ちのまま、目的地に着いた。

 「……」

 メリナの家に着いてからというもの、テオネスは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 扉をノックする拳に、異常な力が入っている。
 伝説の魔術師と顔を合わせるんだ、無理もない。

 「大丈夫?」

 「うん…大丈夫」

 テオネスは再度扉を叩こうとした。
 すると、キィと音を立ててゆっくりと扉が開いた。
 まだ触ってないのに。

 「怖過ぎるだろ…」

 恐る恐る中に入ってみた。

 「お邪魔します」

 「……」
 
 テオネスは何も言わなかった。
 玄関は暗く、飾りも何も無い。
 奥の部屋にだけ明かりが灯っている。
 とりあえず、その奥の部屋に顔を出した。

 「勝手にあがって申し訳ないです。メリナさ……………えっ」

 俺は地面にへたりこんでしまった。
 自身の目を疑った。
 心臓が止まるかと思った。

 ライが居た。

 白髪の少年と少女も居た。
 エルンとミリーが、血だらけで床に這いつくばっていたのだ。

 「ライネル!来てくれたのか!」

 ライが嬉しそうに駆け寄ってきて、勢いで抱き締められた。
 そのまま壁に押さえつけられて唇を塞がれた。

 「んグッ――!」

 俺は咄嗟にライを突き飛ばした。
 しかし、精々引き剥がす程度の力しか出せなかった。
 力の向きを変えられたのか…?
 そうとしか思えない。

 「お兄ちゃんに何してんの…」

 「あ?あー……お前か。てかそれはこっちのセリフだ。人ん家にズカズカと上がり込みやがって」

 ライは威圧的な態度で、テオネスを見下ろすように立つ。

 「死ぬ覚悟は出来てんだろうな?」

 そう言ってライが拳を振り上げた。
 なんで!?
 待て待て待て待て!訳が分からない!
 状況がまるで理解できないが、俺はテオネスの前に立った。
 そうするしかなかった。

 「やめてくださいライさん!そんないきなり…どうしたんですか!?」

 「退いてくれライネル。わたしはそいつを殺さないといけない」

 「意味がわかりませんよ!それに貴方は――」

 メリナの名を口にしようとした瞬間、俺は頬を引っぱたかれた。

 「退く。わかった?」

 「い…嫌です!」

 俺はライの脇腹にしがみついた。
 動けないようにガッチリと掴んだ。
 刹那、砲弾が直撃したかのような激痛を腹部に感じた。

 「ゴハッ…!」

 俺は膝から崩れ落ちた。
 呼吸が出来ない。力が入らない。
 痛い痛い痛い痛い痛い。
 内蔵がねじ切れてしまいそうだ…。

 「お兄ちゃんに何してんだ!」

 テオネスの叫び声が聞こえた。
 今どうなってるか確認したいが、視界が暗い。
 どうして。
 普段ならすぐに起き上がれるのに、起き上がれない。
 回復までの時間が遅いどころの騒ぎじゃない。
 回復しないんだ。

 「い…嫌ァー!離して!」

 「あーあー昔から変わんないなー、その耳障りな声。わたし大っ嫌いなんだよ。お前の顔も髪も声も匂いも全部全部全部全部全部、姉さんそっくりで大嫌いだ」

 おそらく、テオネスは髪を掴まれている。
 早く助けないといけない。
 なのに…クソッ。
 動けよ足…。

 「テオネスから…手を離してくれませんか?」

 辛うじて声は出せた。
 相変わらず腹は痛いが、なんとか。

 「いくらライネルの頼みでも、それは聞けないなぁ」

 ライの声は、どこか引っかかる声色だった。
 まるで何かを引き出そうとしているみたいで。

 「なんでもします。だからどうか…テオネスだけは…」

 「なんでも…ねぇ」

 悪魔みたいな声だ。

 「お願いします…お願いします…」

 俺は床を這いずりながら進み、ライの足を掴んだ。
 吐き気を我慢して力を込めて。
 すると、太ももに変な水気を感じた。
 冷たいような暖かいような微妙な水気だ。
 
 「ライネル…ダメ…」

 ミリーが血みどろの手で俺の足に触れていた。
 息も絶え絶えで、決死の思いで何かを伝えようとしている。
 しかし「ダメ」までしか聞こえず、ミリーは倒れ込んでしまった。

 「愚か者がぁ。わたしに楯突くからそうなるんだよ!」

 ライはミリーの頭を踏みつけた。
 何度も何度も。
 しまいには壁に向かって蹴り飛ばした。

 「お願いです!やめてください!」

 どうしてこうなった。
 俺たちはただ、メリナ・ティッカードに会い来ただけなのに。

 「好きだぞ、ライネル」

 しかもそこにはライが居て、テオネスに酷い暴言を吐いた挙句、俺は殴られた。
 話も通じない。
 エルンもミリーも、一刻を争う状態で投げ捨てられていた。

 「そうだ。うん、それがいい」

 ライが手を伸ばしてくる。
 俺は髪を乱暴に掴まれて引き摺られた。
 テオネスも同様に捕まった。
 
 「離して!離してェー!」

 「うるさ。寝てろっ…このォ!」

 ライはテオネスの頭を酒瓶で思い切り殴りつけた。
 鈍い音に、バリンと割れる音がした。
 酒瓶は砕け散り、床に赤ワインが撒き散らされた。
 テオネスは静かになった。
 意識は無い。息をしているかも怪しい。
 とうとう鮮血なのかお酒なのかわからない赤い液体が床一面に撒き散らされた。
 俺は我慢できなくなって、ライのふくらはぎに噛み付いて噛みちぎろうとした。

 「んぐうぅう!」

 硬い。
 魔力で強化されている。
 岩を咥えてるみたいだ。
 ライは意にも介さない様子で、奥に進んでいく。

 「可愛い可愛い」
 
 ふざけるな。
 出会い頭に体を迫り、零距離で寸勁を二発も打ちこんだくせに。
 テオネスの頭を本気でかち割ろうとしたくせに。

 「んぁあ!」

 俺は剣を抜いて、ライの首に突き立てた。
 しかし、俺の全身は固定されたように動かなくなった。

 「素晴らしい。このまま剥製にしたいくらいだ」
 
 「俺の妹に手を出したんだ。もう手加減はしませんよ」

 「虚勢を張れるぐらいにはなったか」

 メリナはフッと笑い、掌底から空撃を飛ばしてきた。
 威力は凄まじく、剣で受け流して腕の骨が軋むほどだ。

 「グッ!なろッ――!」
 
 「次いくぞ。ほら」

 「な…!?」

 二発目はまともに受ける形となり、家の外まで吹き飛ばされた。
 不思議なことに家屋は倒壊していない。
 玄関扉が自然に開いて、追い出されたような感じで飛ばされた。

 「状況判断能力の卓越。運を味方に付けず己の武技武芸のみで他者を蹂躙せしめる魔導剣士の最たる物。お前は既に持っているのだな」

 よくもぬけぬけと賞賛できるものだ。
 心底頭にくる。

 「青白の星」

 肉体強化を付与。
 ライを間合いに入れるな。

 「……」

 ライはニコッと笑って見せて、無言で迫まってくる。
 距離にして後10歩で間合いだ。

 9、8、7、

 「この手で…触って欲しいな」

 0!?
 一呼吸の間もなく、一瞬で詰められた!
 俺は慌てて距離を取る。

 「馬鹿にしてるんですか?」

 「馬鹿になんてしてないよー。ほんとだよー」

 ライは急に子供口調に変わった。
 舐められているな。

 「とまあ、それは冗談だ。はっきり言っておく。わたしとお前とでは場数が違う。大人しく投降しろ」

 「投降したら…テオネスを返してくれますか?」

 「それは無理。絶対に殺す」

 「なら交渉は無意味です。お覚悟を」

 俺はライの瞬きに合わせて背後に回り、重撃を浴びせた。
 はずだった。

 「……」
 
 どこにも居ない。
 確実に捉えたはずのライがいない。
 お腹を撫でられた感触だけが残った。

 「柔らかくて気持ちいい」

 耳にこびりつくような声が聞こえた。
 俺は剣を振り抜いて一回転した。
 しかし、影も形も無い。
 視界が急に暗く――

 「わたしはここに居るぞ」

 「ッ…!?」

 正面にライが立っていた。
 またしても飛び退いたが、今度は壁にぶち当たった。
 背中に当たる、綿が大量に詰まった枕の緩衝。
 
 「もういいだろ?」

 ライに耳をはむはむと噛まれた。
 この期に及んでまだ俺を甚振るつもりか。

 「あんた一体何者なんだ」

 「しがない天才魔術師メリナ・ティッカード様だよ」

 ライはわざと体を押し付けてくる。

 「本当の名前をなぜ隠したんです」

 「隠してなどいないさ。お前が勝手に誤解しただけで」

 「…は?」

 「初めに自己紹介したろ?わたしは偽る者ライだってな」
 
 ライは当たり前のように言った。
 俺は後頭部を殴り付けられ、首を締め上げられた。

 「い…痛てぇ」

 「大丈夫か!?任せろ!今痛みを取ってやるから!」

 ライはそう言って俺を殴りつけた。
 腕、足、腹、肩、顔、首、腹、腹腹腹腹腹腹。

 「ゴホッ!ゴホッ…」

 血が凄い。
 口から無限に湧き出る。
 首以外、全部折れてる。

 「いい顔だ。あの頃に戻ってくれたみたいで嬉しいぞ」

 あれ…。
 なんか暖かい。
 ああそうか。
 抱きつかれてんのか。
 触んなよ、畜生。

 「実験その一。付き合ってくれるか?」

 「……」

 「そうか!引き受けてくれるんだな!?やっぱりライネルはいい子だ!」

 「……」

 「うんうん!わたしともシたいよな!わかってる、ちゃんと準備しておくから」

 「……」

 「それはちょっと恥ずかしいぞ…まあライネルならいいけど…」

 「……」

 「まだ教えてない技が沢山あるんだ。だから頑張って覚えよう。なに、わたしが手取り足取り教えるさ。これからはずっと一緒だ」

 ライの一人芝居。
 動かない肢体に、鼻も触れそうな距離で話している。

 「おっともうこんな時間だ。そろそろ実験室へ移動しないとな」

 実験室…?

 「実験その一。テオネスを限界まで薬漬けにしたら、ライネルはどうなるのでしょうか実験!パチパチパチパチパチパチ!」

 何言ってんだこいつ。

 「いやー楽しみだな。さっきもエルンに刺してみたんだけどさ、もうすんごいの。逃げ惑うミリーを掴まえて無理矢理犯して、殴って、殺し合いよ。おかげであの有様」

 「…ざ…んな」

 「まあ、あれは種類が違うけどな。幻覚剤だし」

 こいつ…。
 人の心をなんだと思ってやがる。

 「…テ…メェ!」

 「ああ言い忘れてた」

 ライに首を踏みつけられた。

 「グゲッェ…!」

 痛い、苦しい。
 意識を失うまで後一分も無いかも。

 「セスティー殺すから」

 ライが言い放った冷酷な言葉を最後に、俺は意識を失った。
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