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第九章 天壊人編

第144話 最後の一時

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 ――ヴォルデット王国を壊乱の後横断。更には近郊の港を蒸発させ、動植物を腐らせた。

 ああ、もちろん俺はやってないよ。
 天壊人の仕業だよ。

 この話を俺はコルチカムから聞いて、ルピナスに相談された。
 難しい顔で「どうか」と頼まれた。
 変にイチャつくと天井裏からミラ様が降臨なされるので、気丈顔でやり過ごした。

 帰宅して。
 色々考え事をしているうちに溜まるものが溜まり、テオネスでも寝取ろうかと思い、彼女の寝室に移動すると、今まさに子育ての真っ最中でそれどころではなかった。
 蒼穹で待つ両親にごめんなさいと謝った。
 言っとくけど、全部冗談だからね?

 剣のメンテナンスは早々に終わらせ、暫くスレナとだべっていた。
 けしからん谷間に顔を埋めた途端、天井裏がパカりと開く。

「ただいま」

「玄関はそこじゃないの。あとなんで理事長室以外の天井を改造してんの?」

「完全なる趣味。ライネルを監視するの大好きだから」

「ああ…そゆこと」

 両手に花が、異常に暑苦しく感じた。
 俺を中心として、二人が両隣に座る。

「なにも、無理しなくていいのでは?」

「いやいや、俺の目指す勇者の称号は、つまるところ世界最強の頂。天壊人は避けて通れないよ」
 
「……死んだら嫌です」

「死にません。絶対に生きて帰ってくる」

 スレナの潤んだ瞳に、大洪水不可避。
 流れでキスしようとしたが、ミラに身体を引っ張られた。
 生殺しが過ぎる。

「あの人外に、貴方の剣が届くかしら?」

 ミラが、珍しく冷たいことを言う。

「闇属系の強化魔術なら、光属系の相殺魔術で完封できる。まあ……素のスペックが壊れてるからな、なんとも言えない」

「…死ぬ前にはシましょ」

「敵前で野外プレイはナッシング。奴をぶち回してからでいいか?」

「……うん」

 とか濁しつつも、やっぱり可哀想に思う。
 本当に可哀想だ。
 可哀想、可哀想…。

 と、今度はスレナに耳を強く引っ張られた。

「私の本気の拳で、ようやく互角かもしれないんですよ?」
 
 これは否定しようもない事実である。
 奴は、こと筋力の一点に評価を絞ろうとも世界最強。
 小突き一つで人間を絶命まで追いやれる、その超人的な腕が六本もあるのだ。
 考えたくもない。

「全部斬り落とした後、一文字切りでフィニッシュする」

「搦手を使うんですね」

「ああ。付け焼き刃がどの程度作用するかわからないけど、取り敢えずやってみる。通用しないなら手数で押し切るまでだ」

「その自信、わたしを助けてくれた時と似てますね」

「……あの時はまだ幼稚で、考えもだいぶ幼かったよ」

「そんなことないです。今も昔も、変わらずライネルさんは頼もしいですよ」

 強い言葉で、ありもしない誇りを語る俺が?
 そんなわけないよ。
 俺はただ、家族を守りたいだけで…。

 …ミラと目が合って、視線を逸らした。
 不甲斐なくて。

「その気持ちは曲げちゃダメよ」

「曲げるもんか。俺は……いや、思えば俺は…」

「……」

 テオネスに支えられ生きてきた。
 リーズに愛され生きてきた。
 リードが遊びに連れ出してくれて、シズクが俺を強くしてくれた。
 そして、影からリンドウ師匠が見守ってくれていたんだ。

「俺の言う全ては最小単位なのかもしれない。でも、それは誰もが同じことで、その後成すことの重大さが、その人の価値を決定付ける。そうだな…うん。俺は、ただ夢を叶えたいだけなんだな」
 
「ライネルさんが夢の話をするなんて…初めてです」

「まあ、夢ってほどでもないんだけど。そんな感じのがある。追いかけたい背中があるんだよ」

 ダメだ…これ以上はいけない。
 遺言みたいになってしまう。

「負けないから」

 そう言い残し、自室へと戻った。

 
---


 早朝、身支度を整えた。
 玄関扉に手をかけて、ふと振り返った。

 寝巻き姿のテオネスが、俺の胸に飛び込んできた。

「いやだ…」

 誰よりも長く一緒にいた妹からの、切実な願い。
 それはどんな願いよりも、重く痛かった。

「大丈夫。ちゃんと帰ってくるから」

「やだ…いやだぁ…」

 ボロボロに泣き崩れるテオネスの頭をそっと撫で、扉を開けた。

「愛してるよ、テオネス」

 この世全ての生物を無に帰す怪物、天壊人。
 たとえ相手がそれだろうと、五体が引き裂かれようと、俺は死ねない、負けられない。

 もう、泣いた背中は見せられない。
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