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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花
42.四条決戦(7)
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十名ずつ、三列に並んで突き進みます。
こんな夜更けにも関わらず視界の左右を歓声が埋めて、裏町住人の熱気で溢れています。まるでスポーツの観戦みたい。私が持っている勾玉がボールだとすれば、やったことはないけどラグビーをしているような感覚になって、突っ込んでくる相手に突っ込むだなんて彼らは何と勇気があるのだろうと感心しつつも、私も一騎当千の勢いを携えて走った、つもりなのですけど。
日頃の運動量の違いなのか、肉体のスペックが根本的に異なるのか、おそらくは両方で、前方にいたのにすぐに追い越されました。
「切り込み隊、行きますよ」
――おおっ!
真神さんの号令にアマモリの武闘派が先陣を切ります。アヤメさんを先頭に、ハル、切目さん、唐変木さん、火車さんが突っ込んで、その上空を真神さんと孫悟空が軽やかに飛んでいます。彼らは走る速度を少しも緩めない。それは相手も同様で、強者と強者がぶつかり合う衝動に夜空に火花が散ったように見えました。
いえ、実際に炎が舞っています。
正面から鵺が吐いたであろう炎が襲いかかり、それを火車さんが身にまとって防ぎます。数で劣る前線部隊に対抗してハルが結界を張り、孫悟空さんが髪の毛で分身を作っています。
「おのれ、信長!」
「アタシが信長ってわけじゃないんだけどね」
「伏見の戦いの借りは返してもらうぞ!」
「それは西南戦争で返却済だ、愚か者め!」
因縁同士がぶつかり、ここで膠着するのかと思いきや大きな影が前方を覆って、
――どぉん!
がしゃ髑髏の巨大な掌が上から叩きつけられました。敵、味方を問わずに戦線が乱れます。
ちょっと確認しておきたいことがあります。
これって、あくまで鬼ごっごですよね?
武闘派同士が全力でやり合っても怪我はしないというお互いの信頼が成せる無茶なのでしょうか、だとしても平凡なアヤカシへの配慮が足らず、これでは呪い札も意味がないと考え(貼れば邪魔にはなるでしょうけどそれどころではない)、せめて目くらましにでもなればと紙吹雪のように持っていた呪い札を前方に放った結果、私の視界だけがよけいに分かりにくくなりました。そのことで更に出遅れたのですが、余りものに福があるとの格言通りになったようで、衝突と衝突の隙間に物理的な活路を見出したのです。
ここを抜けてやる!
なんて意気込んだ矢先のこと。
「罠に掛かりおった!」
敢えて抜け道を作っていた敵の策に見事に引っ掛かります。これはピンチ、なのですけど、私がずっと勾玉を持っている必要はありません。
「切目さん!」
まさにラグビー、近くにいた切目さんに勾玉を投げてパス。敵の罠を見通せる切目さんなら抜けられる気がする。ついでに重責を他人に託せた精神で気が楽になりましたが、すぐに五里霧中の煙に覆われました。これは比喩ではなくて本物の煙が立ち込めたのです。
きっと、煙々羅に違いない。つまりは切目さんの天敵。これでは何も見えない。煙から逃れて視界を確保しようと道路の端に逃げたところで、煙の上を走る真神さんが見えました。手に勾玉を持っています。切目さんから真神さんへの見事な連携です。
「今度こそ覚悟しろ、真神!」
「我らの術を受けよ!」
「それは四百年前に見切っていますよ」
服部半蔵と百地丹波が同時に術を放って襲い掛かりますが、真神さんには当たらない。あれ、真神さんが勾玉を持った時点で勝ちなのではと楽観視したけれど、そんなに甘くはないようで、相手は真神さんに備えていました。数で勝る相手です、さらに五、六のアヤカシが真神さんを囲みます。そこで下を走っているハルに勾玉が渡りました。
「陽動二衝厳神、害気を攘払し四柱神を鎮護し――」
「それで儂が止まると思うたか、案内人!」
アヤカシの包囲をハルの術で見事に打破しましたが、唯一、ひるまなかったのが鵺さんでした。勾玉を奪おうと虎の爪が振り回されて(怖すぎる)、ハルは身をかわしながら、
「あらよっと!」
今度は後ろから飛来した孫悟空さんにパス。
「三蔵さん、見てまっか! やったりまっせ!」
「余所見してはいけませんよ!」
三蔵法師さんの忠告も間に合わず、愉快に手を振って余所見なんかしているものだから、そこへ天狗の法眼さんが強襲したせいで如意棒と錫杖が激しくぶつかって、
勾玉が空からポロっと落ちます。
ごった返している最前線に落ちたものだから、危険性も相まり、まるで年末の福袋争奪戦の足元を探るようなものです。他の方々が戦闘に夢中になっている間に見つけないと、はたして勾玉はどこに、丸いのはどこ、などと探っていると、小学校のプールで玉拾いをやったのを思い出しました。
「あ~り、ま~した」
ぱたぱたと走ってくる座敷童さんが手渡してくれました。さすがは幸運のアヤカシです。しれっと最前線にいながら全く巻き込まれずに、しかも勾玉を誰よりも最初に見つけていました。
「ありがとう」
できれば幸運を肩に担いで走りたいけど、そんな腕力は私にはない。皆さんの協力があって前線を抜けられたので、今こそ河原町通を駆け抜けましょう!
「久しぶり~。あの札のお返しがしたいって待ってたの」
新たな障害。南へ走った先で糸を張っていたのは土蜘蛛の妹です。おのれ、執念深いな。最後に会った時に呪い札を貼ったことを恨んでいるみたい。そういうのはお互い様なんですけど。
「よくもアタシに『納豆の早食い』なんてやらせてくれたわね」
そういう呪いだったようです。
「蜘蛛なのに……糸が嫌いなの?」
「蜘蛛だからって納豆の糸が好きとかないっての! あんたには札を張りまくって脱落させてやる!」
「えらい元気やないの、塚っちゃん」
土蜘蛛の糸が足にからまって困っているところに、のんびりと加勢してくれたのは高千穂でした。
「風邪ひいたから今週は休みって聞いてたけど」
「高千穂……姐さん……あ、仮病やのうてホンマに風邪なんどすけど、こういう事情やから無理にでもやらんとあきませんし」
「別にええんよ、休みたい時もあるやろうから。でもホンマに風邪ひいてたら体を温めんとやし、一緒に添い寝でもしようか」
「は、はぃぃぃ……姐さん、その、はい」
あんなに威勢が良かったのに、借りてきた猫みたいに大人しい。すっかり縮こまって、そのわりに悪い気はしていないのか微かに頬を染めて照れているようで、これは役者が違ったか。
「ちょっと高ちゃん! 妹をからかわんで」
紅い振袖の、高千穂に負けないくらいの美人が登場。発言からして土蜘蛛のお姉さんかな。
「相手が高ちゃんでも本気でやらせてもらうよ」
「蜘蛛が蛇に本気なんて、やめときよ」
「薫はん、今のうちに」
小声で私の袴を引っ張っているのは音兎ちゃんでした。急に温度がまったりしたから忘れてた。土蜘蛛の姉妹は相当に厄介と聞いていましたが、仕事の関係性で今なら素通りできそう。音兎ちゃんなら糸の網をくぐれそうだし、こっそり勾玉を託しました。
「あ、突破されてるやんか!」
相手が気付いた時には音兎ちゃんは糸の網の後ろです。私も、よっこらせとネバネバする糸をかき分けながら追いかけます。
「通せんぼするつもりはないけど、通せんぼしております」
まるで道路工事のような、よく分からないフレーズと共に最後の障壁となって立ちふさがっていたのが『ぬりかべ』でした。はんぺんのような長方形に巨体なものだから、そこにいるだけで十分に邪魔です。ただ、さすがに河原町通を塞ぐには少し足りない。そういう両側の隙間には、
「兎が持ってるぞ!」
「うひゃあああ、助けとくれやす~」
他のアヤカシが群れていて、音兎ちゃんが逃げ帰ってきます。
「逃がさへんよ!」
土蜘蛛の妹は高千穂に抱き着かれてて無力化されていますが、後ろからは土蜘蛛の姉。さらにその後ろからも敵のアヤカシが逆走してきます。真神さんやハルや孫悟空さんもいるはずだけど、天狗とか鵺とか忍者とか煙とか、がしゃ髑髏とか、あっちはあっちで敵の勾玉の突破を防ぐ必要があるので離れるわけにはいかないのでしょう。
私と音兎ちゃんだけで切り抜けられる? いいえ、不可能。だけど覚悟を決めて突撃するしかない!
「みなさん、頑張って~! ファイト~!」
可愛い声援が飛んできます。観衆の応援かと思いきや、味方の羅刹女さんで、では勾玉をパスしようとしたけれど、両手を口に添えて応援しているだけで勾玉を受け取る気配がない。
「はい、これ」
阿国さんも近くにまで来ていました。羅刹女さんの隣に行き、緑色の何かを渡しています。あれは……大きい柏餅の葉っぱ、じゃなくって、噂に名高い芭蕉扇なのかも。
「……げ」
敵味方問わず、何故か無関係の観衆までもが青ざめています。
「さあ、薫さん、鈴月さん、おきばりやす」
阿国さんの無邪気な笑顔の後に、ものすごい勢いで風が吹き荒れて、瞬く間に私の体が空へと放たれました。
「あはははは! 飛べ、跳べ、翔べ、み~んな吹き飛べ!」
原因は芭蕉扇を持った羅刹女さんでした。甲高い笑い声にドスの聞いた低音ボイスを混ぜて、もはや別人となった彼女が芭蕉扇を振り回しています。
「オラオラオラ! 全員、空へ飛んでいけ! あ~はっはっ!」
絶対に芭蕉扇を渡してはいけない性格。私を含めて、周囲にいる百や二百、三百のアヤカシや人間たちを巻き込んで上空の台風に飲まれて、全員でグルグルと回っています。
「さあ、みなさん! 愉快に踊りなんし! ヨーイヤーサァー!」
そういう事態になっても、いえ、災害を引き起こした本人だからこそでしょうか、阿国さんは手拍子で囃し立てています。
「乙女は美し、花いちもんめ」
――あ~、それっそれっ!
「河原の通りに三条、四条。そのまま先斗の花街へ!」
――あ~、それっそれっ!
なんか経験したことのある踊りです。そうだ、清水寺だ。一度は体験したせいか体が勝手に動きます。私も音兎ちゃんも他の方々も愉快に踊っています。こんな事態で何を呑気な、と思いはするものの、自然と楽しくなって、笑っちゃって、それが功を制したようです。
だって、ぬりかべも飛んでいるから。
偶然なのか、意図的なのか、芭蕉扇を振り回している方角が良かった。踊りながら三条の南へと飛ばされて、着地したのが風神電車の屋根の上。交差点で速度が遅くなったので飛び降りたら、もうそこは四条通でした。
「なんか知らへんけど、ラッキーどす」
ここまでたどり着いたのは、鬼ごっこの関係者としては私と音兎ちゃんだけみたい。勾玉は音兎ちゃんが持っているし、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいきません。さあ、走ろうと立ち上がったら、二人して同時にズッコケました。
足が小鹿のようにプルプル、無茶の代償としてそれなりの後遺症はあった。
膝をパンパンと叩いて気合を入れて、木屋町通を過ぎて、何とか四条大橋の前にまで辿り着きます。
この橋を渡れば、敵の本拠地、八坂神社。
しかも総力戦だったから防衛しているアヤカシは誰もいないはず。勝利の確信に安堵し、見慣れた裏町の四条大橋に親近感を覚えたところで、聞き慣れない笛の音色に足を止めました。
美しいのに、物悲しい。暖かいようで、殺伐とした。
「来たのはお前か、キツネ娘」
冷えた鉄のような声に黒い前髪、礼服の紺色の直垂、公家のようで武家のような。その隣には白い頭巾に白い袈裟の厳つい顔に大柄の男。
「てっきり真神か陰陽師の若造が来ると思っていたが……今宵の獲物とはしてはいささか手応えがない。そうだろう、弁慶」
「御意」
四条大橋で待ち受けていたのは、以前に市議会で対面した義経さんと弁慶さんでした。
こんな夜更けにも関わらず視界の左右を歓声が埋めて、裏町住人の熱気で溢れています。まるでスポーツの観戦みたい。私が持っている勾玉がボールだとすれば、やったことはないけどラグビーをしているような感覚になって、突っ込んでくる相手に突っ込むだなんて彼らは何と勇気があるのだろうと感心しつつも、私も一騎当千の勢いを携えて走った、つもりなのですけど。
日頃の運動量の違いなのか、肉体のスペックが根本的に異なるのか、おそらくは両方で、前方にいたのにすぐに追い越されました。
「切り込み隊、行きますよ」
――おおっ!
真神さんの号令にアマモリの武闘派が先陣を切ります。アヤメさんを先頭に、ハル、切目さん、唐変木さん、火車さんが突っ込んで、その上空を真神さんと孫悟空が軽やかに飛んでいます。彼らは走る速度を少しも緩めない。それは相手も同様で、強者と強者がぶつかり合う衝動に夜空に火花が散ったように見えました。
いえ、実際に炎が舞っています。
正面から鵺が吐いたであろう炎が襲いかかり、それを火車さんが身にまとって防ぎます。数で劣る前線部隊に対抗してハルが結界を張り、孫悟空さんが髪の毛で分身を作っています。
「おのれ、信長!」
「アタシが信長ってわけじゃないんだけどね」
「伏見の戦いの借りは返してもらうぞ!」
「それは西南戦争で返却済だ、愚か者め!」
因縁同士がぶつかり、ここで膠着するのかと思いきや大きな影が前方を覆って、
――どぉん!
がしゃ髑髏の巨大な掌が上から叩きつけられました。敵、味方を問わずに戦線が乱れます。
ちょっと確認しておきたいことがあります。
これって、あくまで鬼ごっごですよね?
武闘派同士が全力でやり合っても怪我はしないというお互いの信頼が成せる無茶なのでしょうか、だとしても平凡なアヤカシへの配慮が足らず、これでは呪い札も意味がないと考え(貼れば邪魔にはなるでしょうけどそれどころではない)、せめて目くらましにでもなればと紙吹雪のように持っていた呪い札を前方に放った結果、私の視界だけがよけいに分かりにくくなりました。そのことで更に出遅れたのですが、余りものに福があるとの格言通りになったようで、衝突と衝突の隙間に物理的な活路を見出したのです。
ここを抜けてやる!
なんて意気込んだ矢先のこと。
「罠に掛かりおった!」
敢えて抜け道を作っていた敵の策に見事に引っ掛かります。これはピンチ、なのですけど、私がずっと勾玉を持っている必要はありません。
「切目さん!」
まさにラグビー、近くにいた切目さんに勾玉を投げてパス。敵の罠を見通せる切目さんなら抜けられる気がする。ついでに重責を他人に託せた精神で気が楽になりましたが、すぐに五里霧中の煙に覆われました。これは比喩ではなくて本物の煙が立ち込めたのです。
きっと、煙々羅に違いない。つまりは切目さんの天敵。これでは何も見えない。煙から逃れて視界を確保しようと道路の端に逃げたところで、煙の上を走る真神さんが見えました。手に勾玉を持っています。切目さんから真神さんへの見事な連携です。
「今度こそ覚悟しろ、真神!」
「我らの術を受けよ!」
「それは四百年前に見切っていますよ」
服部半蔵と百地丹波が同時に術を放って襲い掛かりますが、真神さんには当たらない。あれ、真神さんが勾玉を持った時点で勝ちなのではと楽観視したけれど、そんなに甘くはないようで、相手は真神さんに備えていました。数で勝る相手です、さらに五、六のアヤカシが真神さんを囲みます。そこで下を走っているハルに勾玉が渡りました。
「陽動二衝厳神、害気を攘払し四柱神を鎮護し――」
「それで儂が止まると思うたか、案内人!」
アヤカシの包囲をハルの術で見事に打破しましたが、唯一、ひるまなかったのが鵺さんでした。勾玉を奪おうと虎の爪が振り回されて(怖すぎる)、ハルは身をかわしながら、
「あらよっと!」
今度は後ろから飛来した孫悟空さんにパス。
「三蔵さん、見てまっか! やったりまっせ!」
「余所見してはいけませんよ!」
三蔵法師さんの忠告も間に合わず、愉快に手を振って余所見なんかしているものだから、そこへ天狗の法眼さんが強襲したせいで如意棒と錫杖が激しくぶつかって、
勾玉が空からポロっと落ちます。
ごった返している最前線に落ちたものだから、危険性も相まり、まるで年末の福袋争奪戦の足元を探るようなものです。他の方々が戦闘に夢中になっている間に見つけないと、はたして勾玉はどこに、丸いのはどこ、などと探っていると、小学校のプールで玉拾いをやったのを思い出しました。
「あ~り、ま~した」
ぱたぱたと走ってくる座敷童さんが手渡してくれました。さすがは幸運のアヤカシです。しれっと最前線にいながら全く巻き込まれずに、しかも勾玉を誰よりも最初に見つけていました。
「ありがとう」
できれば幸運を肩に担いで走りたいけど、そんな腕力は私にはない。皆さんの協力があって前線を抜けられたので、今こそ河原町通を駆け抜けましょう!
「久しぶり~。あの札のお返しがしたいって待ってたの」
新たな障害。南へ走った先で糸を張っていたのは土蜘蛛の妹です。おのれ、執念深いな。最後に会った時に呪い札を貼ったことを恨んでいるみたい。そういうのはお互い様なんですけど。
「よくもアタシに『納豆の早食い』なんてやらせてくれたわね」
そういう呪いだったようです。
「蜘蛛なのに……糸が嫌いなの?」
「蜘蛛だからって納豆の糸が好きとかないっての! あんたには札を張りまくって脱落させてやる!」
「えらい元気やないの、塚っちゃん」
土蜘蛛の糸が足にからまって困っているところに、のんびりと加勢してくれたのは高千穂でした。
「風邪ひいたから今週は休みって聞いてたけど」
「高千穂……姐さん……あ、仮病やのうてホンマに風邪なんどすけど、こういう事情やから無理にでもやらんとあきませんし」
「別にええんよ、休みたい時もあるやろうから。でもホンマに風邪ひいてたら体を温めんとやし、一緒に添い寝でもしようか」
「は、はぃぃぃ……姐さん、その、はい」
あんなに威勢が良かったのに、借りてきた猫みたいに大人しい。すっかり縮こまって、そのわりに悪い気はしていないのか微かに頬を染めて照れているようで、これは役者が違ったか。
「ちょっと高ちゃん! 妹をからかわんで」
紅い振袖の、高千穂に負けないくらいの美人が登場。発言からして土蜘蛛のお姉さんかな。
「相手が高ちゃんでも本気でやらせてもらうよ」
「蜘蛛が蛇に本気なんて、やめときよ」
「薫はん、今のうちに」
小声で私の袴を引っ張っているのは音兎ちゃんでした。急に温度がまったりしたから忘れてた。土蜘蛛の姉妹は相当に厄介と聞いていましたが、仕事の関係性で今なら素通りできそう。音兎ちゃんなら糸の網をくぐれそうだし、こっそり勾玉を託しました。
「あ、突破されてるやんか!」
相手が気付いた時には音兎ちゃんは糸の網の後ろです。私も、よっこらせとネバネバする糸をかき分けながら追いかけます。
「通せんぼするつもりはないけど、通せんぼしております」
まるで道路工事のような、よく分からないフレーズと共に最後の障壁となって立ちふさがっていたのが『ぬりかべ』でした。はんぺんのような長方形に巨体なものだから、そこにいるだけで十分に邪魔です。ただ、さすがに河原町通を塞ぐには少し足りない。そういう両側の隙間には、
「兎が持ってるぞ!」
「うひゃあああ、助けとくれやす~」
他のアヤカシが群れていて、音兎ちゃんが逃げ帰ってきます。
「逃がさへんよ!」
土蜘蛛の妹は高千穂に抱き着かれてて無力化されていますが、後ろからは土蜘蛛の姉。さらにその後ろからも敵のアヤカシが逆走してきます。真神さんやハルや孫悟空さんもいるはずだけど、天狗とか鵺とか忍者とか煙とか、がしゃ髑髏とか、あっちはあっちで敵の勾玉の突破を防ぐ必要があるので離れるわけにはいかないのでしょう。
私と音兎ちゃんだけで切り抜けられる? いいえ、不可能。だけど覚悟を決めて突撃するしかない!
「みなさん、頑張って~! ファイト~!」
可愛い声援が飛んできます。観衆の応援かと思いきや、味方の羅刹女さんで、では勾玉をパスしようとしたけれど、両手を口に添えて応援しているだけで勾玉を受け取る気配がない。
「はい、これ」
阿国さんも近くにまで来ていました。羅刹女さんの隣に行き、緑色の何かを渡しています。あれは……大きい柏餅の葉っぱ、じゃなくって、噂に名高い芭蕉扇なのかも。
「……げ」
敵味方問わず、何故か無関係の観衆までもが青ざめています。
「さあ、薫さん、鈴月さん、おきばりやす」
阿国さんの無邪気な笑顔の後に、ものすごい勢いで風が吹き荒れて、瞬く間に私の体が空へと放たれました。
「あはははは! 飛べ、跳べ、翔べ、み~んな吹き飛べ!」
原因は芭蕉扇を持った羅刹女さんでした。甲高い笑い声にドスの聞いた低音ボイスを混ぜて、もはや別人となった彼女が芭蕉扇を振り回しています。
「オラオラオラ! 全員、空へ飛んでいけ! あ~はっはっ!」
絶対に芭蕉扇を渡してはいけない性格。私を含めて、周囲にいる百や二百、三百のアヤカシや人間たちを巻き込んで上空の台風に飲まれて、全員でグルグルと回っています。
「さあ、みなさん! 愉快に踊りなんし! ヨーイヤーサァー!」
そういう事態になっても、いえ、災害を引き起こした本人だからこそでしょうか、阿国さんは手拍子で囃し立てています。
「乙女は美し、花いちもんめ」
――あ~、それっそれっ!
「河原の通りに三条、四条。そのまま先斗の花街へ!」
――あ~、それっそれっ!
なんか経験したことのある踊りです。そうだ、清水寺だ。一度は体験したせいか体が勝手に動きます。私も音兎ちゃんも他の方々も愉快に踊っています。こんな事態で何を呑気な、と思いはするものの、自然と楽しくなって、笑っちゃって、それが功を制したようです。
だって、ぬりかべも飛んでいるから。
偶然なのか、意図的なのか、芭蕉扇を振り回している方角が良かった。踊りながら三条の南へと飛ばされて、着地したのが風神電車の屋根の上。交差点で速度が遅くなったので飛び降りたら、もうそこは四条通でした。
「なんか知らへんけど、ラッキーどす」
ここまでたどり着いたのは、鬼ごっこの関係者としては私と音兎ちゃんだけみたい。勾玉は音兎ちゃんが持っているし、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいきません。さあ、走ろうと立ち上がったら、二人して同時にズッコケました。
足が小鹿のようにプルプル、無茶の代償としてそれなりの後遺症はあった。
膝をパンパンと叩いて気合を入れて、木屋町通を過ぎて、何とか四条大橋の前にまで辿り着きます。
この橋を渡れば、敵の本拠地、八坂神社。
しかも総力戦だったから防衛しているアヤカシは誰もいないはず。勝利の確信に安堵し、見慣れた裏町の四条大橋に親近感を覚えたところで、聞き慣れない笛の音色に足を止めました。
美しいのに、物悲しい。暖かいようで、殺伐とした。
「来たのはお前か、キツネ娘」
冷えた鉄のような声に黒い前髪、礼服の紺色の直垂、公家のようで武家のような。その隣には白い頭巾に白い袈裟の厳つい顔に大柄の男。
「てっきり真神か陰陽師の若造が来ると思っていたが……今宵の獲物とはしてはいささか手応えがない。そうだろう、弁慶」
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