あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕

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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

47.祇園に咲く真紅の紫陽花(2)

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 黒い誘導灯を頼りに沖田さんの行方を追います。やがて満月の照らす明るい街道に出ると、髪から角を生やした浅葱あさぎ色のだんだら羽織の背中が見えました。

「沖田さん、待って!」

 五臓さんの胸倉を掴み、刀の先を喉元に向けています。振り返った形相は恐ろしく、両目に光を宿し、歯を尖らせ、まさに鬼そのものでした。

「ひぃぃぃぃ、助けてくれぇ!」

 五臓さんが必死に抵抗しながら哀願していますが、更に持ち上げられて、バタバタと両足が宙に浮いて苦しそうな声を発しています。

「沖田さん、そんなことをしたって!」
「そんなこと?」

 今度は唐突に手を放したため、五臓さんが地面に落ちました。あまりの恐怖に五臓さんはうずくまって、全身を震わせながら両手を掲げて祈っています。

「薫さん……僕は……殺さなきゃあ、ならないんです。母さんを……父さんを……姉さんとの過去を奪ったコイツを殺さなきゃあ、終わらないんです」
「でも、それじゃあ沖田さんも罪を背負うことになるから」
「背負う罪って何ですか? 他人から奪うのは罪じゃないってコイツが僕に証明したんですよ」
「だけど、せっかくお姉さんと再会できるのに!」
「姉さんとの再会は大事ですよ。だけど、それでも僕の過去は戻らないんです。じゃあ、やっぱり、今、僕は、コイツを殺さなくてはならない」

 ダメだ、とても説得に応じてくれない。

 虚ろな瞳で私を見つめて、それから向き直って五臓さんを見下ろしています。五臓さんは両手で顔を覆ったまま念仏を唱えています。沖田さんはゆっくりと後頭部に刀を向けました。

「止めとくれよ、蘭丸」

 割って入ったのはアヤメさんです。いつの間に沖田さんの正面に回り込んでいたのか、刀の先を素手で握っています。

「殺すのは、止めておくれよ」

 悲しそうな表情で、頼むように、擦れた声で繰り返しました。まるでかたきではなく、それを守るかのような表現に沖田さんは動揺し、同時に、怒りを覚えたようです。

「姉さん、そいつは!」

 さっきまでの虚ろな声ではなく、明らかに感情が高ぶっています。

「コイツは、僕と姉さんを別れさせた悪魔なんだ。そうして母さんと父さんを奪ったかたきなんだ!」
「知ってるよ。さっき、聞いたから」
「知っているって……それで、どうして止めるんだよ! まさか、そいつに味方するの?」
「味方しているわけじゃない。ただ、殺すのは止めて欲しいから」
「味方していないって……僕を止めるんだったらかばっているのと一緒じゃないか! やっぱり姉さんはずっと母さんといて、それで僕に会いに来てくれなかった。僕は会えなかったんだ、誰にも会えなかった! 僕の気持ちなんて、姉さんには分かりっこない!」
「会いに行ったんだよ。母さんは黙って、独りで、蘭丸に会いに行った。あの子は人間のままがいいって正体を明かさずに会いに行った。その時のアタシはね、父さんに捨てられたと思っていたから、祖父母を恨んでいたから行かなかった」

 アヤメさんが握っている刀から、血が滴り落ちています。

「その時に一緒に行かなかったのは悪かったって思ってる。だけどね、それから十年経ったけど、アタシも広島に行ったんだよ。父さんと会って、それから二人とも亡くなって、移住先を教えてもらったから会いに行った……けどさ……空き家になっていた。誰もいなかった。誰もいない家で、それでも蘭丸に会えるかもしれないって、ずっと待った。そうして半年経って、再会が叶わないって思った。だから、また、京都に戻った。ねえ、蘭丸。アタシのココが見えるかい?」

 アヤメさんは握った刀を、自分の胸に突き付けました。

「今はね、塞がっているけど、ずっと、穴が開いてた。欠けた穴を埋めるために馬鹿やって、酒を飲んで、ずっと誤魔化してた。そうしているうちに、穴が開いているのが普通になった。でも、本当のアタシを忘れてはいけないから、いつも花を飾ってた。その穴がね、やっと、塞がったんだよ。蘭丸に会えて、穴がなくなった」

 アヤメさんの表情は穏やかなのに、とても物悲しい。まるでサルビアの花のように可憐で、物憂げで。

「四条大橋で再会して、一緒に戦って、アタシにも生きる目標が見つかった気がした。だからさ、頼むよ……復讐してさ、また蘭丸がいなくなったらさ、もっと大きな穴が胸に開いちまうよ……そんな穴が開いたらさ、死んじまうよ……だから止めとくれよ……姉ちゃんを殺さないでくれよ」

 沖田さんの両腕から力が抜けて、もう刀を握ってはいません。

「本当の原因は、アタシらなんだよ。父さんも、母さんも、アタシも、蘭丸も、どんなことがあっても離れるべきじゃなかった……離されたのなら、また、戻れば良かった」
「僕は……言えなかったんだ」

 沖田さんの両肩が震えています。後ろ姿だから分からないけど、きっと、泣いているのだと。

「独りで遊んでいたら僕の手を握って、優しく微笑んでくれた人がいた……懐かしい匂いがして、きっとこの人が母さんだって思った……だけど、僕は母さんをほとんど覚えていなくて、結局、それっきりになった……僕は、言えなかった……自分の言葉で、覚えている言葉で、一度も、言えなかったんだ」
「だったら姉ちゃんに言いな」

 アヤメさんがそっと、沖田さんを抱きしめました。

「父さんを、母さんを、もし自分の中で見失ったのなら、代わりに姉ちゃんに言えばいい」
「……姉さん……母さん……僕は……」
「愛している、蘭丸。ずっと、大好きだ」

 その瞬間に――

 それまで黒く染まっていた紫陽花あじさいの群れが二人を中心に、波紋が広がるようにして黒から紅へと変わりました。強く、優しく、慈愛に満ちた母性の色が復讐の心を溶かして、瞬く間に祇園の街道を深紅に染めたのです。

「なんて……綺麗な……」

 眼前の光景に圧倒されて、私の頬から雫が伝って、ぽたぽたと落ちてゆきます。そうして私と音兎ちゃんが見つめる視線の先で、アヤメさんの髪に結んだひもが虹色の蝶となって空へと舞いました。

「薫はん……あの蝶は……ウチの時と一緒や」

 蝶は抱き合う二人の頭上を越えて、月の光を目指して飛んでいきます。私は物悲しくも美しい情景に心を奪われたまま、しばらくその場で立ち尽くしていました。その情愛は一瞬の輝きではなく、ずっと、これからも続いてゆくのだと。
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