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第2話「共同生活のルール――“恋の定義”を決めましょう」
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夜明け前、砦の霧は粉砂糖のように淡かった。
麦粥の鍋に火を入れ、蜂蜜の壺を抱えて厨房に向かうと、支配人のマルタがもう腕まくりをしていた。
「奥様、使者は日の出とともに門へ。王都の監査役だそうですよ」
「ええ。……甘さを少し強めにしましょう。寒い朝ですから」
私は蜂蜜をひとかけ、砕いた胡桃を掌であたためてから散らした。湯気は壁際の聖人画を柔らかく曇らせる。
外圧は、早い。わかってはいたが、胸の奥の糸はきゅっと張り詰めた。
食堂へ向かう途中、廊下の窓から中庭が見える。常より早起きの兵たちが木剣の素振りをしている向こう、石畳の門の前に黒い馬。馬上の男は細身で、外套の裾を風に遊ばせていた。彼の背後には従者と書記官。ひと目で王都気質とわかる布地の質、靴の艶、頬の削げ方。
「――王都監査局、セルジュ・ヴァレン。婚姻更新監査の任により参上しました」
門番の号令に続き、乾いた声が中庭に落ちた。私は粥の盆を渡し、身なりを整える。
まずは迎え、そして会う前に、心の中に一枚紙を広げる。共同生活のルール。昨夜、レオンと決めた三条に、今朝もう一つ加えようと思っていた。
第四条――相手を勝手に守らない。守るなら、知らせて、頼って、半分ずつ。
◇
謁見室は石の冷気が強く、陽の筋が床の模様を切り取っていた。
執事のハーゼが到着の礼を受け、私たちは向かい合って座る。レオンは普段よりも、よく磨かれた軍衣。眉間に余計な力はないが、視線の固定は深い。私の膝の上では、銀の指輪がひやりと落ち着きなく、心拍を拾っている。
「辺境伯レオンハルト閣下、そしてアーデル夫人。更新期限まで三十日を切っておられるとか。王家の規定に基づき、三要件の進捗を確認いたします」
セルジュ・ヴァレン――監査役は、薄い笑みすら見せず、書記官に目配せした。ペンの先が紙を鳴らす。
「まず第一要件、“王家の指輪の反応”。昨夜、発光があったとの記録が?」
私が頷くと、セルジュは興味なさげに細い指を組んだ。「どの程度の光量です?」
「微光です。鼓動に合わせる程度」
「ふむ。『鼓動の共鳴による錯視』――王都の学匠がそう呼ぶ現象があります。情動に連動する脈動が金属に伝わると、反射が誇張される。恋とは限らない」
書記官のペンが、しゃり、と音を立てた。
言葉を選べ、と自分に命じる。私は喉の奥で言葉を湛え、静かに返す。
「承知しています。だからこそ、毎晩一時間の検証を設けています。条件を固定し、逐次記録するために」
「“検証”。……面白い。恋を、実務に落とし込めると?」
皮肉に似た微笑が、ほんの瞬きほど彼の目尻を動かした。
そのとき、レオンが低く言う。
「試すための生活ではない。だが、生活の中に証明はある」
セルジュの視線がすべる。彼は手帳を閉じ、第二要件に移る仕草をした。
「“共同の意思表示”。夫婦が互いに支え合う意思を社会的役割において示すこと。……将来の計画を」
私は胸の紙に書いた第四条を思い出し、息を整えた。「補給路の再編が急務です。今期の降雪は早く、春の雪代が前倒しで来ます。私が補給台帳を再設計し、レオン様が峠の巡回ルートを兵の疲労値に合わせて調整する。“半分ずつ”。それが共同の意思表示です」
「ふむ……」
セルジュの目はきれいな灰色をしていた。無色に見えるのは、相手を非難する気配を漂わせないからではない。判定だけを見ている目だ。
「三要件の最後、“公的な承認”。これは私の権限外、最終監査の場で扱います。が――」
彼はわずかに身を乗り出す。「昨夜の発光記録、今夜も再現を。第三者立会いのもとで」
ユルクが肩をぴくりと動かしたのが見えた。私は指輪を軽く抑え、頷いた。
「立会人は執事ハーゼと支配人マルタでどうぞ。……ただし条件が一つ。監査のために、私たちの生活を変えないこと」
セルジュは面白そうに片眉を上げた。「無論。私は観察者です」
口元の乾きが消えないまま、謁見は終わった。
扉を出たところで、私の肩にそっと重みがのしかかる。レオンの手だ。重いのに、落ち着く。
「大丈夫だ」
そう言う彼の声は、いつもより低く穏やかだった。
私は頷いて、彼の掌を指先で掠めた。触れたのは一瞬。だけど、指輪は小さく応えた。
◇
昼は台帳の森を歩いた。
倉庫の数字、運搬馬車の車輪の摩耗、峠の雪代予測。私は数列の隙間に氷の影を見つけては、鉛筆で塗りつぶし、別の線を引き直す。恋の定義を紙の上に練るように。
定義、と言い切ると人は嫌う。恋は自由であるべきだ、と。けれど、私にとって言葉は働く器具だ。定義は枠ではなく、手すり。手すりがあるから、階段を上れる。
午後。台所からマルタの呼ぶ声がした。「奥様、手をお借りしても?」
鍋の蓋を開けると、湯気が弾む。胡桃を砕くための麻袋、蜂蜜を温める小鍋、そして――見慣れない背中。
濃紺の軍衣の上に、生成りのエプロン。袖を肘まで捲ったレオンが、黙々と小麦粉を量っている。
「……何を」
「パンを焼こうと思ってな。ハーゼに教わった手順を覚えてきた」
「執事が?」
「若い頃、伯母上の屋敷で仕事をしていたそうだ。パン職人の下働きのようなことを」
レオンは不器用そうに笑った。笑っているのに、手つきは驚くほど正確だ。水の量を指で確かめ、小麦の山に指で窪みをつける。
私は気づけば彼の横に立ち、粉の真ん中に酵母を落とした。指先の白さが寄り添う。手袋の採寸で合わせたばかりの長さと幅が、ここでは頼もしい。
「パン、焼けるんですね」
「焼けるようになりたい。君が台所にいる時間に、俺も居たい」
指輪が小さく温かい。マルタが気付かなかったふりをして、にやりと口の端を上げた。
「閣下、粉はそこまで。こねは奥様に。恋のパンは女性の手でなくては」
「そんな俗説、ありますか」
「今できましたよ」
笑い合う。笑いながら、私はこね台に生地を落とし、掌で押し、返し、折る。レオンは隣で黙って見ているだけ――なのに、見られていると、こねた生地がふわりと空気を抱くような気がした。
一次発酵のあいだ、蜂蜜酒をほんの少しだけ湯で割り、二人で味を見た。昼間の台所で杯を合わせるのは正しくない。でも、どちらかの体が冷えているなら、少量の甘さは薬だ。
「セルジュの言葉、気にするな」
「気にしていません」
「嘘をつかない」
「……第二条、でしたね」
私たちは同時に黙った。鍋の泡がひとつ弾ける。
私は視線を落とし、湯気の向こうで言った。
「怖いんです。**“依存だ”**と言われたとき、少しだけ、図星だと思ってしまった」
レオンは何も言わず、布巾を取り、私の手についた粉を拭った。
相手を勝手に守らない。守るなら、知らせて、頼って、半分ずつ。
私は続ける。
「でも、依存と支え合いは、違う。依存は自分の足を捨てること。支え合いは、自分の足で立ったまま、相手の荷も半分持つこと」
「それを“恋”の定義に入れよう」
「はい」
発酵済みの生地に指を差す――フィンガーテスト。跡がゆっくり戻る。焼成の合図。
私たちは丸めた生地を並べ、切れ込みに蜂蜜を塗り、胡桃を一粒ずつ埋めた。証明は、生活の所作に宿る。 セルジュに見せたいのは、光の強さではなく、こういう手順だ。
◇
夕刻。立会いの検証は食堂の隅で行われた。
テーブルの上には、昼に焼いた小さなパンと、昨夜からの**“恋の記録帳”**。表紙はまだ白い。ハーゼが眼鏡を繕い、マルタが腕を組む。ユルクは壁際で顔を赤くしながら咳払いをした。
セルジュは身じろぎもせず座り、書記官は羽根ペンを構えている。私は深呼吸を一度。
夜の一時間――第二夜――を始める前に、監査役は言った。
「断っておきますが、これは私の意見です。多くの“発光記録”は情緒的依存の裏返しです。戦場の後、砦や屋敷で“寄り添い”が過剰に美化される。あなた方の光がそうでないなら、それはそれで結構」
マルタが私の背に手を置いた。手の温度は炉の残り火のようだ。
私は頷き、記録帳を開いた。
「――では、第二夜の議題。“恋の定義”。私案を読み上げます」
読み上げたのは、昼の台所で練った文だ。
〈恋とは、相手の自由を増やすこと〉
〈恋とは、未然形で約束しないこと。できることを現在形で差し出すこと〉
〈恋は、相手の重さを半分持ち、半分渡すこと〉
〈恋は、弱さを見せる訓練を続けること〉
言葉にすると、胸の奥が静かになる。セルジュの瞳が一瞬だけ動いたのを見逃さない。
レオンが席を立ち、厨房へ向かった。マルタとハーゼが当然のように目配せをして動き、私は戸惑って彼の背を追う。
「どこへ」
「台所。今日決めた“共同生活のルール”を、生活で示す」
戻ってきたレオンは、私の腰の後ろで軽くエプロンの紐を結んだ。彼の指が私の腰骨の少し上を通る――ただそれだけで、指輪がふっと温かくなる。
彼は焼いたパンを薄く切り、蜂蜜を指先で落とし、胡桃の香りを立たせてから、ひと切れを私に差し出した。
「甘すぎない?」
「ちょうどいい。兵たちには厚く。君には薄く」
「なぜ私には薄く?」
「甘いのは、言葉で足りる」
食堂の片隅で、誰かが咳払いを飲み込んだ音がした。
私はパンを受け取り、笑って、頷いた。**“現在形で差し出す”**がここにある。
レオンは続ける。
「アーデル。俺は“勝手に守らない”。守るなら、必ず知らせ、頼り、半分ずつ持つ。……それを、共同の意思表示とする」
ぱっ――
指輪が、確かな光を放った。 昨夜の微光ではない。短いが、明滅のコアが見える。ハーゼが目を見開き、マルタが手を打ち、ユルクが「おお」と低く呟く。
セルジュは――瞬きを一度。書記官のペン先が、走った。
「記録。第二夜、共同生活の実施に伴う発光。光度、昨日比――」
「主観で語るな」セルジュが淡々と制す。「第三者の反応を記せ。執事?」
ハーゼは背筋を伸ばし、「奥様の指輪は、明らかに昨夜より強く光りました。私の老眼の誤りでなければ」と答えた。
マルタは唇を結んでから、「この光を“依存”だとは言わせませんよ」と、いつもの荒い優しさで言った。「依存なら、女は台所を手放す。奥様は、手を濡らしながら笑ってる」
セルジュは無表情のままだったが、視線だけが少し柔らぐ。「なるほど」
私は、記録帳のページ端に小さく書き込んだ。〈第二夜 定義の草案/パン焼き(分担)/発光:短く強い/第三者立会い〉
ペン先に迷いはない。恋が私の言語へ翻訳されるとき、指輪は必ず応じる。 そう信じられるほどには、今の光は確かだった。
◇
検証が終わると、セルジュは立ち上がった。外套の裾を整え、わずかに頭を下げる。
「では明日。臨時の仮監査を行います。王都への最終報告に先立ち、地域共同体の前でお二人に“共同の意思表示”をしていただく」
「共同体?」
「兵、使用人、領民代表。あなた方が“生活”で示したいと言うなら、生活の単位で承認を仰ぐのが筋でしょう」
ハーゼが眉を持ち上げた。マルタが膝を打ち、ユルクが姿勢を正す。
私は喉の奥で息を飲んだ。公的な承認を最終監査で――と言っていたのに。だが、臨時の仮監査は前哨戦として悪くない。生活の文脈で合意を取ることは、私たちに有利なはずだ。
「――受けます」
私が言うより早く、レオンが答えた。
セルジュは満足げでも不満げでもない顔で頷き、踵を返す。扉が閉じる音は軽かった。
静寂が落ちる。
私は肩の力を抜き、息を吐いた。レオンと目が合う。彼は少しだけ、照れて見えた。
「エプロンを結ぶの、上手でした」
「ハーゼに習った」
「なんでもハーゼに」
「頼った」
「……半分ずつ、ですね」
私たちは笑った。小さな笑いが、石の壁に丸く響く。
◇
夜の一時間は、パンの香りと共に過ぎた。
レオンは今日の巡回で見た雪代の白さを、私は穀量表の数字の端に潜む黒い影を語った。語りながら、記録帳に**“今日の好き”**を書き合うことにした。彼は「粉だらけで笑う君」。私は「大きな手で小さな紐を結ぶ彼」。
馬鹿みたいに単純な見出しだが、文字にすると笑いが込み上げる。未然形で約束しない。現在形で差し出す。 このページは、現在形の束だ。
やがて、マルタが余熱の残るオーブンに鍋をしまい、ハーゼが燭台の炎を落とす。ユルクは誰にも気付かれないよう背伸びを一度してから、見回りに戻った。
「明日、共同体の前で何を示す?」
レオンが尋ねる。私は記録帳の余白に新しい行を作った。
「分担表を見せます。兵の当直、倉庫の棚卸し、洗濯室の帳簿、厨房の買い付け。どれを誰がどの曜日にやるか。……恋を数字で語るのは滑稽に見えるかもしれませんが、支え合いは、目に見える形で示すのが一番早い」
「滑稽だとは思わない」
レオンは静かな目で言う。「君の言葉で、俺は安心する。定義は、君の剣だ」
指輪がまた、温かくなる。
私はふと、窓に映る自分の頬が、以前より色づいて見えることに気づいた。蜂蜜色の灯りのせいだけではない。
「記念日」
「え?」
「昼に決めた。記念日を増やす」
「年に二回までと申し上げたはずです」
「では、今日を“エプロン記念日”に。増えた分は、俺が――」
「守る前に、相談してください」
私は笑いながら遮った。レオンも笑う。
笑い合うあいだ、廊下の向こうから誰かの足音。セルジュではない。もっと軽く、弾む音。ハーゼが扉を開け、伝令の少年が顔をのぞかせた。
「奥様、明日の市場、雪代で道が狭いと。馬車は四台までしか通れません」
「了解。買い付けの順番を入れ替えましょう。蜂蜜は先に、胡桃は後で」
レオンが即座に言う。「峠道は俺が見に行く。勝手に守らない。ユルクに伝えて、同行を頼む」
――よし。私は記録帳に、小さく丸をつけた。第四条、運用開始。
生活の中で恋が走り出す手応え。明日の仮監査は怖くない。怖くないふりではなく、本当に。
「おやすみ、レオン」
「おやすみ、アーデル」
部屋へ戻る廊下は、パンと蜂蜜の匂いが薄く漂っている。
扉の前で、私は自分の指輪にそっと触れた。微光はもはや、微ではない。短く、確信のある灯り。
契約書の余白は、まだ広い。今日増えた文字が、明日を少しだけ軽くする。
◇
寝台に腰を下ろし、記録帳の最後に明日の段取りを書いた。
――領民代表:粉屋、鍛冶屋、洗い場の頭。
――食堂での仮監査。分担表の掲示。
――宣言の言葉(共同の意思表示)を短く、現在形で。
ペンを置いたとき、小さな音がした。窓の外、雪代の水音だ。春は早い。
期限まで二十九日。短い。けれど、短いからこそ、毎晩が愛おしい。
恋の定義は、ひと晩で完成しない。粉のように指にまとわり、湯気のように逃げ、けれど確かに、パンになる。
明日、私たちは生活で示す。指輪はきっと、また答える。
麦粥の鍋に火を入れ、蜂蜜の壺を抱えて厨房に向かうと、支配人のマルタがもう腕まくりをしていた。
「奥様、使者は日の出とともに門へ。王都の監査役だそうですよ」
「ええ。……甘さを少し強めにしましょう。寒い朝ですから」
私は蜂蜜をひとかけ、砕いた胡桃を掌であたためてから散らした。湯気は壁際の聖人画を柔らかく曇らせる。
外圧は、早い。わかってはいたが、胸の奥の糸はきゅっと張り詰めた。
食堂へ向かう途中、廊下の窓から中庭が見える。常より早起きの兵たちが木剣の素振りをしている向こう、石畳の門の前に黒い馬。馬上の男は細身で、外套の裾を風に遊ばせていた。彼の背後には従者と書記官。ひと目で王都気質とわかる布地の質、靴の艶、頬の削げ方。
「――王都監査局、セルジュ・ヴァレン。婚姻更新監査の任により参上しました」
門番の号令に続き、乾いた声が中庭に落ちた。私は粥の盆を渡し、身なりを整える。
まずは迎え、そして会う前に、心の中に一枚紙を広げる。共同生活のルール。昨夜、レオンと決めた三条に、今朝もう一つ加えようと思っていた。
第四条――相手を勝手に守らない。守るなら、知らせて、頼って、半分ずつ。
◇
謁見室は石の冷気が強く、陽の筋が床の模様を切り取っていた。
執事のハーゼが到着の礼を受け、私たちは向かい合って座る。レオンは普段よりも、よく磨かれた軍衣。眉間に余計な力はないが、視線の固定は深い。私の膝の上では、銀の指輪がひやりと落ち着きなく、心拍を拾っている。
「辺境伯レオンハルト閣下、そしてアーデル夫人。更新期限まで三十日を切っておられるとか。王家の規定に基づき、三要件の進捗を確認いたします」
セルジュ・ヴァレン――監査役は、薄い笑みすら見せず、書記官に目配せした。ペンの先が紙を鳴らす。
「まず第一要件、“王家の指輪の反応”。昨夜、発光があったとの記録が?」
私が頷くと、セルジュは興味なさげに細い指を組んだ。「どの程度の光量です?」
「微光です。鼓動に合わせる程度」
「ふむ。『鼓動の共鳴による錯視』――王都の学匠がそう呼ぶ現象があります。情動に連動する脈動が金属に伝わると、反射が誇張される。恋とは限らない」
書記官のペンが、しゃり、と音を立てた。
言葉を選べ、と自分に命じる。私は喉の奥で言葉を湛え、静かに返す。
「承知しています。だからこそ、毎晩一時間の検証を設けています。条件を固定し、逐次記録するために」
「“検証”。……面白い。恋を、実務に落とし込めると?」
皮肉に似た微笑が、ほんの瞬きほど彼の目尻を動かした。
そのとき、レオンが低く言う。
「試すための生活ではない。だが、生活の中に証明はある」
セルジュの視線がすべる。彼は手帳を閉じ、第二要件に移る仕草をした。
「“共同の意思表示”。夫婦が互いに支え合う意思を社会的役割において示すこと。……将来の計画を」
私は胸の紙に書いた第四条を思い出し、息を整えた。「補給路の再編が急務です。今期の降雪は早く、春の雪代が前倒しで来ます。私が補給台帳を再設計し、レオン様が峠の巡回ルートを兵の疲労値に合わせて調整する。“半分ずつ”。それが共同の意思表示です」
「ふむ……」
セルジュの目はきれいな灰色をしていた。無色に見えるのは、相手を非難する気配を漂わせないからではない。判定だけを見ている目だ。
「三要件の最後、“公的な承認”。これは私の権限外、最終監査の場で扱います。が――」
彼はわずかに身を乗り出す。「昨夜の発光記録、今夜も再現を。第三者立会いのもとで」
ユルクが肩をぴくりと動かしたのが見えた。私は指輪を軽く抑え、頷いた。
「立会人は執事ハーゼと支配人マルタでどうぞ。……ただし条件が一つ。監査のために、私たちの生活を変えないこと」
セルジュは面白そうに片眉を上げた。「無論。私は観察者です」
口元の乾きが消えないまま、謁見は終わった。
扉を出たところで、私の肩にそっと重みがのしかかる。レオンの手だ。重いのに、落ち着く。
「大丈夫だ」
そう言う彼の声は、いつもより低く穏やかだった。
私は頷いて、彼の掌を指先で掠めた。触れたのは一瞬。だけど、指輪は小さく応えた。
◇
昼は台帳の森を歩いた。
倉庫の数字、運搬馬車の車輪の摩耗、峠の雪代予測。私は数列の隙間に氷の影を見つけては、鉛筆で塗りつぶし、別の線を引き直す。恋の定義を紙の上に練るように。
定義、と言い切ると人は嫌う。恋は自由であるべきだ、と。けれど、私にとって言葉は働く器具だ。定義は枠ではなく、手すり。手すりがあるから、階段を上れる。
午後。台所からマルタの呼ぶ声がした。「奥様、手をお借りしても?」
鍋の蓋を開けると、湯気が弾む。胡桃を砕くための麻袋、蜂蜜を温める小鍋、そして――見慣れない背中。
濃紺の軍衣の上に、生成りのエプロン。袖を肘まで捲ったレオンが、黙々と小麦粉を量っている。
「……何を」
「パンを焼こうと思ってな。ハーゼに教わった手順を覚えてきた」
「執事が?」
「若い頃、伯母上の屋敷で仕事をしていたそうだ。パン職人の下働きのようなことを」
レオンは不器用そうに笑った。笑っているのに、手つきは驚くほど正確だ。水の量を指で確かめ、小麦の山に指で窪みをつける。
私は気づけば彼の横に立ち、粉の真ん中に酵母を落とした。指先の白さが寄り添う。手袋の採寸で合わせたばかりの長さと幅が、ここでは頼もしい。
「パン、焼けるんですね」
「焼けるようになりたい。君が台所にいる時間に、俺も居たい」
指輪が小さく温かい。マルタが気付かなかったふりをして、にやりと口の端を上げた。
「閣下、粉はそこまで。こねは奥様に。恋のパンは女性の手でなくては」
「そんな俗説、ありますか」
「今できましたよ」
笑い合う。笑いながら、私はこね台に生地を落とし、掌で押し、返し、折る。レオンは隣で黙って見ているだけ――なのに、見られていると、こねた生地がふわりと空気を抱くような気がした。
一次発酵のあいだ、蜂蜜酒をほんの少しだけ湯で割り、二人で味を見た。昼間の台所で杯を合わせるのは正しくない。でも、どちらかの体が冷えているなら、少量の甘さは薬だ。
「セルジュの言葉、気にするな」
「気にしていません」
「嘘をつかない」
「……第二条、でしたね」
私たちは同時に黙った。鍋の泡がひとつ弾ける。
私は視線を落とし、湯気の向こうで言った。
「怖いんです。**“依存だ”**と言われたとき、少しだけ、図星だと思ってしまった」
レオンは何も言わず、布巾を取り、私の手についた粉を拭った。
相手を勝手に守らない。守るなら、知らせて、頼って、半分ずつ。
私は続ける。
「でも、依存と支え合いは、違う。依存は自分の足を捨てること。支え合いは、自分の足で立ったまま、相手の荷も半分持つこと」
「それを“恋”の定義に入れよう」
「はい」
発酵済みの生地に指を差す――フィンガーテスト。跡がゆっくり戻る。焼成の合図。
私たちは丸めた生地を並べ、切れ込みに蜂蜜を塗り、胡桃を一粒ずつ埋めた。証明は、生活の所作に宿る。 セルジュに見せたいのは、光の強さではなく、こういう手順だ。
◇
夕刻。立会いの検証は食堂の隅で行われた。
テーブルの上には、昼に焼いた小さなパンと、昨夜からの**“恋の記録帳”**。表紙はまだ白い。ハーゼが眼鏡を繕い、マルタが腕を組む。ユルクは壁際で顔を赤くしながら咳払いをした。
セルジュは身じろぎもせず座り、書記官は羽根ペンを構えている。私は深呼吸を一度。
夜の一時間――第二夜――を始める前に、監査役は言った。
「断っておきますが、これは私の意見です。多くの“発光記録”は情緒的依存の裏返しです。戦場の後、砦や屋敷で“寄り添い”が過剰に美化される。あなた方の光がそうでないなら、それはそれで結構」
マルタが私の背に手を置いた。手の温度は炉の残り火のようだ。
私は頷き、記録帳を開いた。
「――では、第二夜の議題。“恋の定義”。私案を読み上げます」
読み上げたのは、昼の台所で練った文だ。
〈恋とは、相手の自由を増やすこと〉
〈恋とは、未然形で約束しないこと。できることを現在形で差し出すこと〉
〈恋は、相手の重さを半分持ち、半分渡すこと〉
〈恋は、弱さを見せる訓練を続けること〉
言葉にすると、胸の奥が静かになる。セルジュの瞳が一瞬だけ動いたのを見逃さない。
レオンが席を立ち、厨房へ向かった。マルタとハーゼが当然のように目配せをして動き、私は戸惑って彼の背を追う。
「どこへ」
「台所。今日決めた“共同生活のルール”を、生活で示す」
戻ってきたレオンは、私の腰の後ろで軽くエプロンの紐を結んだ。彼の指が私の腰骨の少し上を通る――ただそれだけで、指輪がふっと温かくなる。
彼は焼いたパンを薄く切り、蜂蜜を指先で落とし、胡桃の香りを立たせてから、ひと切れを私に差し出した。
「甘すぎない?」
「ちょうどいい。兵たちには厚く。君には薄く」
「なぜ私には薄く?」
「甘いのは、言葉で足りる」
食堂の片隅で、誰かが咳払いを飲み込んだ音がした。
私はパンを受け取り、笑って、頷いた。**“現在形で差し出す”**がここにある。
レオンは続ける。
「アーデル。俺は“勝手に守らない”。守るなら、必ず知らせ、頼り、半分ずつ持つ。……それを、共同の意思表示とする」
ぱっ――
指輪が、確かな光を放った。 昨夜の微光ではない。短いが、明滅のコアが見える。ハーゼが目を見開き、マルタが手を打ち、ユルクが「おお」と低く呟く。
セルジュは――瞬きを一度。書記官のペン先が、走った。
「記録。第二夜、共同生活の実施に伴う発光。光度、昨日比――」
「主観で語るな」セルジュが淡々と制す。「第三者の反応を記せ。執事?」
ハーゼは背筋を伸ばし、「奥様の指輪は、明らかに昨夜より強く光りました。私の老眼の誤りでなければ」と答えた。
マルタは唇を結んでから、「この光を“依存”だとは言わせませんよ」と、いつもの荒い優しさで言った。「依存なら、女は台所を手放す。奥様は、手を濡らしながら笑ってる」
セルジュは無表情のままだったが、視線だけが少し柔らぐ。「なるほど」
私は、記録帳のページ端に小さく書き込んだ。〈第二夜 定義の草案/パン焼き(分担)/発光:短く強い/第三者立会い〉
ペン先に迷いはない。恋が私の言語へ翻訳されるとき、指輪は必ず応じる。 そう信じられるほどには、今の光は確かだった。
◇
検証が終わると、セルジュは立ち上がった。外套の裾を整え、わずかに頭を下げる。
「では明日。臨時の仮監査を行います。王都への最終報告に先立ち、地域共同体の前でお二人に“共同の意思表示”をしていただく」
「共同体?」
「兵、使用人、領民代表。あなた方が“生活”で示したいと言うなら、生活の単位で承認を仰ぐのが筋でしょう」
ハーゼが眉を持ち上げた。マルタが膝を打ち、ユルクが姿勢を正す。
私は喉の奥で息を飲んだ。公的な承認を最終監査で――と言っていたのに。だが、臨時の仮監査は前哨戦として悪くない。生活の文脈で合意を取ることは、私たちに有利なはずだ。
「――受けます」
私が言うより早く、レオンが答えた。
セルジュは満足げでも不満げでもない顔で頷き、踵を返す。扉が閉じる音は軽かった。
静寂が落ちる。
私は肩の力を抜き、息を吐いた。レオンと目が合う。彼は少しだけ、照れて見えた。
「エプロンを結ぶの、上手でした」
「ハーゼに習った」
「なんでもハーゼに」
「頼った」
「……半分ずつ、ですね」
私たちは笑った。小さな笑いが、石の壁に丸く響く。
◇
夜の一時間は、パンの香りと共に過ぎた。
レオンは今日の巡回で見た雪代の白さを、私は穀量表の数字の端に潜む黒い影を語った。語りながら、記録帳に**“今日の好き”**を書き合うことにした。彼は「粉だらけで笑う君」。私は「大きな手で小さな紐を結ぶ彼」。
馬鹿みたいに単純な見出しだが、文字にすると笑いが込み上げる。未然形で約束しない。現在形で差し出す。 このページは、現在形の束だ。
やがて、マルタが余熱の残るオーブンに鍋をしまい、ハーゼが燭台の炎を落とす。ユルクは誰にも気付かれないよう背伸びを一度してから、見回りに戻った。
「明日、共同体の前で何を示す?」
レオンが尋ねる。私は記録帳の余白に新しい行を作った。
「分担表を見せます。兵の当直、倉庫の棚卸し、洗濯室の帳簿、厨房の買い付け。どれを誰がどの曜日にやるか。……恋を数字で語るのは滑稽に見えるかもしれませんが、支え合いは、目に見える形で示すのが一番早い」
「滑稽だとは思わない」
レオンは静かな目で言う。「君の言葉で、俺は安心する。定義は、君の剣だ」
指輪がまた、温かくなる。
私はふと、窓に映る自分の頬が、以前より色づいて見えることに気づいた。蜂蜜色の灯りのせいだけではない。
「記念日」
「え?」
「昼に決めた。記念日を増やす」
「年に二回までと申し上げたはずです」
「では、今日を“エプロン記念日”に。増えた分は、俺が――」
「守る前に、相談してください」
私は笑いながら遮った。レオンも笑う。
笑い合うあいだ、廊下の向こうから誰かの足音。セルジュではない。もっと軽く、弾む音。ハーゼが扉を開け、伝令の少年が顔をのぞかせた。
「奥様、明日の市場、雪代で道が狭いと。馬車は四台までしか通れません」
「了解。買い付けの順番を入れ替えましょう。蜂蜜は先に、胡桃は後で」
レオンが即座に言う。「峠道は俺が見に行く。勝手に守らない。ユルクに伝えて、同行を頼む」
――よし。私は記録帳に、小さく丸をつけた。第四条、運用開始。
生活の中で恋が走り出す手応え。明日の仮監査は怖くない。怖くないふりではなく、本当に。
「おやすみ、レオン」
「おやすみ、アーデル」
部屋へ戻る廊下は、パンと蜂蜜の匂いが薄く漂っている。
扉の前で、私は自分の指輪にそっと触れた。微光はもはや、微ではない。短く、確信のある灯り。
契約書の余白は、まだ広い。今日増えた文字が、明日を少しだけ軽くする。
◇
寝台に腰を下ろし、記録帳の最後に明日の段取りを書いた。
――領民代表:粉屋、鍛冶屋、洗い場の頭。
――食堂での仮監査。分担表の掲示。
――宣言の言葉(共同の意思表示)を短く、現在形で。
ペンを置いたとき、小さな音がした。窓の外、雪代の水音だ。春は早い。
期限まで二十九日。短い。けれど、短いからこそ、毎晩が愛おしい。
恋の定義は、ひと晩で完成しない。粉のように指にまとわり、湯気のように逃げ、けれど確かに、パンになる。
明日、私たちは生活で示す。指輪はきっと、また答える。
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