【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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5章

54話「春祭り、襲来の影」

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 空は春のやわらかな青に満ち、砦には祭りの賑わいが溢れていた。
 昨夜の不安も、魔物の影の報せも、今はどこか遠い出来事のよう――
 村と砦の人々が手を取り合い、音楽と笑い声があふれる。子どもたちが輪になって踊り、大人たちは屋台を囲んで談笑し、花壇には“奇跡の花”の苗も小さな芽をのぞかせていた。

 ノクティアは、心に残るわずかな不安を胸の奥にしまい込み、花壇の前でそっと微笑んでいた。

 (春祭り……この時間が、みんなの記憶にあたたかく残るように)

 だが、その願いは唐突に破られる。

    * * *

 鋭い悲鳴が、広場を貫いた。
 「きゃあああっ!」

 子どもたちが一斉に逃げ惑い、屋台の向こうから黒い影が現れる。
 ――巨大な魔物だった。

 それは狼にも似た四本足、全身を覆う黒い毛並み、血のように赤い双眸。
 唸り声とともに、砦の門を突き破って現れた。

 「魔物だ――!!」

 兵士たちが悲鳴を上げ、剣を構えて立ち向かうが、魔物は咆哮一つで数人を吹き飛ばす。
 屋台の棚が弾け飛び、花壇の飾りが舞い上がった。

 ノクティアは咄嗟に花壇の前に立った。
 「皆、下がって! ここは私が――!」

 彼女は両手をかざし、魔力の奔流を呼び起こす。
 光の壁が一瞬、砦の人々を覆う。
 だが魔物は、壁ごと跳ね飛ばすほどの力で突進してくる。

    * * *

 「ノクティア、危ない!」

 カイラスが叫び、剣を抜いて魔物の側面へ走り込む。
 アリシアも同時に剣を構え、息を合わせて魔物の足元へ斬りかかる。
 だが魔物は素早く跳ね返り、カイラスをかすめるようにして花壇へ突進した。

 子どもたちを抱えて避難するエイミー、混乱する村人たち。
 レオナートが負傷した兵士を助けながら怒号を飛ばす。

 「砦の奥へ下がれ! 子どもたちを守れ――!」

 ノクティアは歯を食いしばり、再び魔力を集中した。
 だが、魔物の動きはあまりにも速い。

 「――っ!」

 ノクティアが魔法で魔物を引き止めようとした瞬間、視界が揺れる。
 (ダメ……力が……)

 何度も繰り返した防御魔法が、身体を蝕む。
 指先が震え、立っているのがやっとだった。

    * * *

 魔物は再び咆哮し、花壇を蹴散らす。
 “奇跡の花”の苗が、泥とともに空へ舞い上がる。

 「やめて――!」

 ノクティアは最後の力を振り絞り、魔物の頭上に光の矢を放った。
 閃光が魔物の目を射抜き、一瞬動きが止まる。

 だが、その反動でノクティアの膝が崩れる。
 「っ……!」

 すぐにカイラスが駆け寄り、倒れかけたノクティアを抱きとめる。

 「ノクティア、大丈夫か! もう無理はするな!」

 「でも……みんなが……!」

 ノクティアは苦しげに肩で息をする。

 カイラスはノクティアを守るように抱き寄せ、剣を抜いたまま魔物に向かって立ち塞がる。

    * * *

 アリシアは魔物の背後を回り、剣の柄で思い切り魔物の脚を狙った。
 「こっちを向きなさい!」

 村人たちも石や棒を手に取り、恐怖に震えながらも広場の外へと子どもたちを誘導する。
 レオナートが先頭に立ち、「村の女たち、砦の奥へ!」と叫ぶ。

 その間にも、魔物は花壇を何度も踏みにじり、ついに“奇跡の花”の苗を泥にまみれさせた。

 エイミーが思わず声を上げる。「やめて、あの花だけは――!」

 ノクティアは必死で手を伸ばすが、身体は言うことをきかない。

    * * *

 混乱と恐怖、砦中に響き渡る咆哮――

 そのなか、カイラスが叫ぶ。「ノクティア、下がっていろ!」

 ノクティアは、カイラスの腕の中でもがく。
 (私が守らなきゃ、みんなを、花を……)

 涙があふれそうになる。
 でも、カイラスは必死でノクティアを守り、全身で魔物の攻撃を受け止めていた。

 「ここは俺が引き受ける――みんな、協力しろ!」

 カイラス、アリシア、兵士、村人――
 皆が一致団結し、魔物に立ち向かう。

 ノクティアの視界が滲み、世界がぼやけていく。
 (お願い……誰も、失わないで……)

    * * *

 長いような、短いような、混乱の果て。
 魔物はついに追い詰められ、カイラスとアリシアの連携で倒される。

 だが広場には、壊れた屋台、傷ついた人々、泥だらけの花壇――
 “奇跡の花”の苗は、完全に踏みつけられていた。

 ノクティアは膝をつき、泥にまみれた苗を手に取る。
 震える指先で、かろうじて花の形を残すそれを見つめた。

 (ごめんね、守れなかった……)

 だが、そのとき子どもたちが駆け寄る。

 「ノクティア様、大丈夫?」「あの花、また咲くよ!」

 エイミーも、泥だらけになったノクティアをそっと抱きしめる。

 「ノクティアさん、無理しないで……みんな、無事でよかった……」

 ノクティアは涙をこぼし、仲間たちの温もりを感じた。

    * * *

 混乱が収まり始めるなか、カイラスがノクティアの肩に手を置く。

 「みんな、お前がいたから助かった。……ありがとう」

 ノクティアは小さく頷き、壊れた花壇の前でそっと祈った。

 (いつか、またこの場所に、奇跡が咲きますように)

 春の青空は、痛みと希望を包み込むように、静かに砦を照らしていた。
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