【完結】地味な村人が伝説ドラゴンをカード化したら、最強無双の人生が始まりました

東野あさひ

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101話(エピローグ)「カードは未来へ」

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 夜の冷えが、庭の草先に小さな雫を残していた。
 東の空がひと筆だけ明るくなり、村の屋根に朝が降りる。窓辺からはパンの匂い、鍋の湯気。ミナが木杓子でスープを混ぜ、リオは乾いた布で精製盤を拭(ぬぐ)う。壁には、子どもたちが描いた〈しあわせカード〉が三枚、いつまでも色褪せずに並んでいた。

 英雄の鐘は鳴らない。
 代わりに、日曜結界の杭を持った子どもたちの「おはよう!」が、通りの角で三度、元気よく跳ねた。

 「今日は畑の見回りと、午前の授業。それから――」
 「鍛冶場の留め具講習、屋台の“秋味”の試食会、だね」
 ミナは笑い、テーブルに小さな紙片を置いた。〈休む許可カード〉。
 「午後のどこかで、これも配ろう。最近がんばりすぎの人が多いから」
 「俺も一枚、もらっとくか」
 「先生は“配る側”」
 ふたりの、いつものやりとり。だが、暮らしの中央にカードがあることが、世界の新しい当たり前になっている。

 ◆

 畑の畝(うね)には露が光り、曲がった線のぶんだけ土の匂いが甘かった。
 リオが指で畝を撫でて直す横で、フワリネコがトマト籠に顔を突っ込む。ミナはそれを笑いながら諭(さと)し、首に巻いた布を一度締め直した。

 丘の上からは、村の全景が見える。
 屋台の煙。鍛冶場の火。学校の旗。結界杭の白。
 その一つずつに、カードの薄い灯(あか)り。
 ――希望連盟統括会議の誓約(ちかい)から季節がめぐり、〈村憲章〉は地図となり、地図は生活になった。
 “英雄がいなくても回る仕組み”を、誰もが手で押し、足で踏み、声で支えはじめている。

 ◆

 世界もまた、静かに変わっていた。

 砂海の国では、砂粒カードを織り込んだ水瓶が、井戸までの距離を短くする。
 氷海の町では、〈灯(あか)し合わせカード〉が吹雪の日の帰り道を太くし、漁の帰りを迎える窓明かりが増えた。
 海の島々では、潮の流れを読む〈合図カード〉を灯台の上に据え、船と港の合図が昔話よりやさしくなった。
 新世界アルカナシティでは、レイナの屋台の上に「ことばの甘味メーター」が揺れ、違う言葉が同じ笑顔の位置で交わる。
 旧都の一角では、ガロウが夜の路地に立ち、〈やり直しの証明〉を誰かの背に貼る。翌朝、同じ角に、同じ怒鳴り声はない。

 ユリエルは研究所の白板に第八稿の最後の句点を打ち、AI精製の倫理基準は“人の弱さを奪わない”を中枢に据えた。
 ティアナは新規格の杭を丘陵地帯に据え、日曜結界は“玄関マットを替えるみたいに”張り替えられるようになった。
 カイとルークは市民ヒーロー課程を開き、「見せたい勇気」「見せない勇気」「預ける勇気」を街角に配る。
 シュトラは領地の丸机を増やし、屋根の高い会議室を減らす。誇りを塔からテーブルの真ん中へ置き直した。
 ユウトは王都予選の最終戦を前に深呼吸をし、刃を強くする代わりに〈譲り合いのルーン〉を重ねる。
 リリィは保育院で〈おやつ半分こカード〉を配り、泣き声のリズムが笑い声のリズムに変わるのを確かめた。

 ――派手な爆ぜる音は少なくなった。
 けれど、小さな“いい音”が世界のあちこちで増え続けている。

 ◆

 午前の授業。
 黒板には大きく一行、『心が材料。想いがのり。君だけの一枚』。
 今日のテーマは〈ただいまカード〉と〈お見舞いカード〉。
 カナメは「となり町のおばあちゃんに毛布をかけるカード」を描き、初めて文字に影をつけた。
 ミナは教室の後ろで、“声に出す魔法”の実演。
 「『あったかいね』って言ってから、カードを光らせよう」
 その一言で、紙の絵はただの絵ではなくなる。教室中の色が、一瞬だけ脈を打つ。

 窓辺のベンチ。
 新しい弟子候補――トオマは、昨日より少し濃い線で、村の地図を描いていた。
 「太い線が見えるって、どんな感じだ?」
 「音がするんです。笑ってる方が“太い”。こわい方は“針が引っかかる音”」
 リオは頷く。「いい聴き方だ。今日は〈道標カード〉を試してみよう。太さを、誰かと分け合う線にする」

 トオマは白紙の中央に小さな矢印を描き、端っこに小さく〈ただいま〉と加えた。
 彼の指が震えたとき、ミナがそっと息を合わせる。
 「大丈夫。『一緒に帰ろう』って声に出せば、矢印は太くなるよ」
 矢印が、ほんの少しだけ生きた。

 ◆

 昼、広場は相変わらずおいしい匂いに満ちていた。
 マリナ婆さんの“世界焼きそばパン・秋味”は、辛さと甘さとバターの線が交わるところで上手に立ち止まる。レイナの言う「幸福のピーク」の交点に近いのかもしれない。
 子どもたちは半分ずつ交換し、見知らぬ旅行者とも半分こをして笑った。
 「交換は正義だ」とリオが言えば、「正義はおいしい」とミナが続ける。
 笑い声が一斉に広がって、翻訳紋がいらない瞬間が生まれた。

 連盟小屋の掲示板。
 ハーリンが作った新しい留め具は、背伸びした小さな手でも回せる。
 各地からの便りが紙片になって届き、〈必要なら、鐘を三度。喜びも三度〉の横に、ミナの〈今夜はスープあります〉が貼られる。
 ――制度は紙で始まり、紙の向こうで人が動く。
 紙を動かす手が増えるほど、誰か一人の肩にのしかかる重みは軽くなる。

 ◆

 夕暮れ、村はずれの丘。
 空は高く、半分だけ欠けた月が白い。
 リオとミナは腰を並べて下を見た。
 畑に、鍛冶場に、屋台に、学校に、家々に――細い灯が点々と生まれ、やがて輪になって村を囲む。
 ティアナの新規格の杭で張られた日曜結界は、まるで誰かの腕がそっと回るみたいにやさしい。

 『……リオ』
 グラン=ヴァルドの声が、いつもの高さから降りてきた。
 『お前が降りた分だけ、灯りは増えた。進化とは、守るものを増やすこと――お前が教え、世界が続けた』
 「俺も教わったさ。降りて見える顔があるって」
 『必要なら呼べ。鐘を三度。飛ぶ理由は、いつでもある』
 「分かってる。だから普段は、鍬(くわ)を握る」

 竜は小さく笑い、星の群れに溶けた。
 かつて世界を震わせた咆哮(ほうこう)は、今は村を眠りに誘う子守歌だ。

  ◆

 夜になると、家の前に小さな影が二つ。
 トオマと、近所の小さな女の子だ。
 「リオ先生、〈ただいまカード〉、ほんとに光りました」
 「帰り道が太くなった」
 女の子が胸を張る。「『ただいま』って言ったらね、お母さんが『おかえり』って言ってくれた」
 ミナはそっと膝を折り、目線を合わせた。「そのときの顔、覚えていてね。カードの力は、あの顔の形」
 トオマがうなずく。「……“線”の太さの形」

 リオは戸棚から小さな布袋を取り出した。
 中には、若葉の形をした紙のバッジが三つ。
 「これから“見習い”として動く子に渡す印だ。栄光じゃない、責任の印。怖くなったら預ける。嬉しかったら分ける。――いいか?」
 「はい」
 「はい!」
 紙の若葉が胸もとで小さく光り、三人分の鼓動が、ひとつぶん重なった。

 ミナが台所から湯気の立つカップを二つ持ってくる。
 「先生にも“休む許可カード”。今日はもう仕事おしまい」
 「了解」
 トオマと女の子にも、甘いミルクをひと口ずつ。
 温度は低いけれど、記憶の温度はきっと高い。

 ◆

 その夜、村の上に白い塔が立つ――あの“世界希望の塔”ではなく、静かな灯の束だ。
 各地の町でも同じように、いくつもの細い光が天に伸び、それぞれの場所でそれぞれの輪に結ばれている。
 砂海のテント、氷海の窓、港の波、山里の橋、王都の路地、新世界の屋台――
 どれも違って、どれも似ている。
 “伝説”は“日常”という名前で続き、日常は小さな伝説を生み続ける。

 翌朝の予定が頭に並ぶ。
 畑に水。学校の授業。鍛冶場で留め具講習。屋台の新作試食。結界の点検。
 そして、トオマの一枚。
 ページの端に、ミナが細い字で書き添える。『家族計画:庭の木/長いテーブル/秋の収穫祭』
 遠い未来ではない。歩いて届く距離の夢。
 それをひとつずつ、カードのように差し出し、受け取り、貼り重ねていけば、家族という章もきっと厚くなる。

 リオは机に新しい台帳を開いた。
 表紙に書く。
 『暮らしの精製録――希望は日付で増える』
 最初の行は、こうだ。
 “鐘が三度。今日も誰かの『ただいま』が太くなる”。

 窓の外、風鈴が小さく鳴った。
 グラン=ヴァルドは高みにいて、世界のネットワークを巡りながら、時々この屋根の上であくびをする。
 英雄の旗はもうない。
 かわりに、物干し竿に白い布が揺れ、子どもの笑い声が道の太さを決める。

 ――カードは未来へ。
 それは、誰かひとりの手柄の話ではない。
 紙の薄さで、世界の厚みを増す手つきの連なりだ。
 “精製師”を目指す新世代、“家族”を築く仲間、仕事帰りにスープをよそう人、朝の畑で土を撫でる人――
 みんながそれぞれの速さで、一枚を差し出す。

 門の向こうで、また小さな足音。
 見知らぬ子が白紙を抱え、ためらいながら立っている。
 ミナが微笑む。
「はじめまして。――タイトル、もう決まってる?」
 子どもは首を振り、そして頷く。
 リオは頷き返し、椅子を引いた。
 白紙は、いつだって物語の最良の始まりだ。

 物語は終わらない。
 伝説は日常に、日常は未来に渡される。
 そして今日も、どこかの小さな机で、一枚のカードが光る。

 ――“カードは未来へ”。
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