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楽しい食事
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そうは言っても、結局あの男性従業員が悪いわけではない。
慣れていないうちは、あの程度のしくじりは許容範囲であろう。
アレくらいはかわいいと感じるほどのミスに出くわしたことなど、何度もある。
楽しい食事どきなのだ。
これくらいのことでカリカリするのはよそう。
よくよく考えたら、いままでにもいろいろあったのに、なぜ直生のことに限ってだけこうも自分はあわてふためくのだろう。
自分たちはもうすでに結婚していて、番にもなって、子どもまで設けようとしている間柄だというのに。
そう自分に言い聞かせているうち、総治郎が注文したサバの味噌煮定食が運ばれてきた。
「ご注文、以上でよろしいでしょうか?」
女性従業員が確認しながら、注文票をテーブルに置いた。
「ええ、ありがとうございます」
直生が、とんかつを一切れつまみながら礼を言った。
女性従業員は返事の代わりに軽く会釈すると、無駄のない軽い足取りで去って行った。
「美味しいです、コレ」
行儀良く箸を動かしながら、直生がこちらに笑いかける。
「それはよかった」
総治郎は味噌汁が入った碗を手に取ると、一口すすった。
麹のいい匂いが食欲をそそる。
ここで総治郎は、朝っぱらからバタついていたせいで、食事をちきんと摂っていなかったのを思い出した。
「ここには、よく行かれるんですか?」
「そうだな。若い頃…俺がいまのきみくらいの頃は、普通のサラリーマンだったんだけど、そのときには、ここにはほぼ毎日来ていたな。美味いし安いし。当時勤めていた会社がここから近かったんだ」
総治郎は店内に漂っている麹の匂いを嗅ぎ取りながら、遠い昔を思い出していた。
たしか、最初に来たのは、当時世話になっていた先輩社員に連れてこられたときだった。
ここは安くて上手いぞと教えてもらって以降、すっかり気に入って常連になったのだ。
起業してからは足が遠のいたが、それでも、ときどき食べたくなる。
いろいろと大変ではあったが、楽しさもあったあの頃の残滓が、ここにあると実感できるからかもしれない。
「総治郎さんの若い頃、すごくハンサムだったから、目立ったんじゃないんですか?」
直生が白米をつまみながら、クスッと笑った。
「そんなまさか!若い頃はだいたい昼に行ってたんだけどな、いまはけっこう空いてるけど、昼どきはバタバタするから、誰かをボーッと見てる余裕なんかなかったと思うぞ。みんな食べるのに大忙しだ」
「そうでしょうか?」
直生はまたクスクス笑った。
「ホントだとも!」
談笑しているうちに、箸は進んでいく。
不思議なことに、しばらく経つと周囲の視線もあまり気にならなくなっていた。
食事中、快活に饒舌に楽しそうに話す総治郎が見られて、直生は嬉しかった。
総治郎は優しいけれど、いつでもどこか気づかわしげなところがある。
妻としてはそれが気になるし、少しは自分も楽しむことを覚えて欲しかったのだ。
直生は談笑している最中、総治郎の顔に、ときどき若者の影がよぎるのを感じた。
彼が普通のサラリーマンのときに戻って、楽しんでいるのが見て取れて、直生はますます箸が進んだ。
2人はあっという間に完食して、店を出た。
慣れていないうちは、あの程度のしくじりは許容範囲であろう。
アレくらいはかわいいと感じるほどのミスに出くわしたことなど、何度もある。
楽しい食事どきなのだ。
これくらいのことでカリカリするのはよそう。
よくよく考えたら、いままでにもいろいろあったのに、なぜ直生のことに限ってだけこうも自分はあわてふためくのだろう。
自分たちはもうすでに結婚していて、番にもなって、子どもまで設けようとしている間柄だというのに。
そう自分に言い聞かせているうち、総治郎が注文したサバの味噌煮定食が運ばれてきた。
「ご注文、以上でよろしいでしょうか?」
女性従業員が確認しながら、注文票をテーブルに置いた。
「ええ、ありがとうございます」
直生が、とんかつを一切れつまみながら礼を言った。
女性従業員は返事の代わりに軽く会釈すると、無駄のない軽い足取りで去って行った。
「美味しいです、コレ」
行儀良く箸を動かしながら、直生がこちらに笑いかける。
「それはよかった」
総治郎は味噌汁が入った碗を手に取ると、一口すすった。
麹のいい匂いが食欲をそそる。
ここで総治郎は、朝っぱらからバタついていたせいで、食事をちきんと摂っていなかったのを思い出した。
「ここには、よく行かれるんですか?」
「そうだな。若い頃…俺がいまのきみくらいの頃は、普通のサラリーマンだったんだけど、そのときには、ここにはほぼ毎日来ていたな。美味いし安いし。当時勤めていた会社がここから近かったんだ」
総治郎は店内に漂っている麹の匂いを嗅ぎ取りながら、遠い昔を思い出していた。
たしか、最初に来たのは、当時世話になっていた先輩社員に連れてこられたときだった。
ここは安くて上手いぞと教えてもらって以降、すっかり気に入って常連になったのだ。
起業してからは足が遠のいたが、それでも、ときどき食べたくなる。
いろいろと大変ではあったが、楽しさもあったあの頃の残滓が、ここにあると実感できるからかもしれない。
「総治郎さんの若い頃、すごくハンサムだったから、目立ったんじゃないんですか?」
直生が白米をつまみながら、クスッと笑った。
「そんなまさか!若い頃はだいたい昼に行ってたんだけどな、いまはけっこう空いてるけど、昼どきはバタバタするから、誰かをボーッと見てる余裕なんかなかったと思うぞ。みんな食べるのに大忙しだ」
「そうでしょうか?」
直生はまたクスクス笑った。
「ホントだとも!」
談笑しているうちに、箸は進んでいく。
不思議なことに、しばらく経つと周囲の視線もあまり気にならなくなっていた。
食事中、快活に饒舌に楽しそうに話す総治郎が見られて、直生は嬉しかった。
総治郎は優しいけれど、いつでもどこか気づかわしげなところがある。
妻としてはそれが気になるし、少しは自分も楽しむことを覚えて欲しかったのだ。
直生は談笑している最中、総治郎の顔に、ときどき若者の影がよぎるのを感じた。
彼が普通のサラリーマンのときに戻って、楽しんでいるのが見て取れて、直生はますます箸が進んだ。
2人はあっという間に完食して、店を出た。
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