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天才彼氏の甘い罠
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パーティーはガーディアングループが保有する渋谷駅前のホテルで開かれた。
受付は本社の秘書課と総務課が対応しているので、瀬名はホテルのVIP階層にある一室で怜に着物の着付けと髪型を整えてもらい、パーティー会場へ向かった。
パーティーは高臣の父でガーディアン本社社長の挨拶に始まり、新しいサービスと製品紹介が終ると出席者との懇談会になった。
怜と瀬名は高臣に呼ばれるまで、ドリンクを飲みながら会場の隅で待っていた。
「どこか痛いところはありませんか」
「大丈夫です」
怜が十分置きに瀬名の顔を見ながら確認するので、瀬名は思わず笑ってしまう。
「心配しすぎです」
「早く帰りたいですね」
怜はネクタイを直しながら、ウンザリした顔で言った。
パーティーは立食形式であるため、背中や腰が痛む瀬名には辛い状況だったが注射が効いているのか、今のところ痛みを感じなかった。
すると年配の男性とその息子と思われる二人組が近づいて来た。
「南條怜さんですよね。お世話になっております。松島精機の松島です」
と、年配の男性が挨拶をした。
松島精機とは、ガーディアングループが昔から取引きしている精密機械会社で、松島は二代目社長だった。
怜はテーラースーツの内ポケットから名刺を取り出して名刺交換をした。
「こちらは、息子の啓介です」
怜と同じ歳くらいのスポーツマン風の青年が名刺交換をした。
瀬名はその様子を怜の後ろから観察していた。
今日の怜は、光沢のある灰色に銀色のラインが入ったテーラースーツを身に纏い、ダイヤをあしらったネクタイピンとカフス、ブルージルコンが付いたラペルピンを付けている。少し長めの前髪を後ろに流している。そのせいか、いつもよりも男らしい色気が出ており、女性の視線を集めていた。
一方の松島もガッチリした体格に合った黒のテーラースーツに細身のネクタイを合わせているが、営業マンにしか見えず、華やかさに欠けていた。
「ところでそちらの綺麗な方は南條さんの秘書ですか」
啓介が尋ねると怜は露骨に嫌な顔をした。
「いいえ。婚約者です」
怜は瀬名の腰にさりげなく手を当て引き寄せた。瀬名は訳が分からないまま取りあえず挨拶をする。
「名波瀬名と申します。」
松島社長は挨拶を返してくれたが、啓介はしばらく瀬名を見つめている。
そこへ周子が呼びに来た。
「怜さん、高臣さんがお呼びです」
「すみません。失礼します」
怜と瀬名は断りを入れて松島親子の前を去った。
高臣が怜に紹介したかったのは、怜が予想した通り防衛省と警察庁の役人だった。
瀬名は自分には関係ないと思い、少し離れた場所で待つことにした。
「シャンパン、いかがですか」
いつの間にか啓介が横に来てシャンパンを勧めて来た。瀬名は戸惑いながらドリンクの入ったグラスを見せる。
「お気遣いありがとうございます。でも、まだ残っていますから大丈夫です」
「もしかして、お酒飲めないんですか。すみません」
しかし、松島は瀬名との距離を詰めてくる。瀬名は困りながら怜に視線を向けるが話し込んでいて終る気配がない。
「瀬名さんと怜さんは、いつ頃婚約されたんですか」
啓介が興味津々に尋ねた。瀬名は困って苦笑した。
どう交わそうか考えていると、背後から意地の悪い声がした。
「その人は婚約者なんかじゃないわよ」
瀬名が振り向くと水琴が下品な笑みを浮かべて立っていた。
「水琴さん。いらっしゃったんですね」
「当たり前でしょ。私はあんたと違って財務部長なんだから」
瀬名のボンヤリとした言葉にイライラした口調で答える。
「あぁ、そうですね」
水琴のことに興味がない瀬名はそういえばそうだった、と思い出した。
「松島さん。この人を狙っても無駄ですよ。南條家の使用人の娘で役立たずだもの」
と、水琴が言う。
「俺はそういう目的では・・・・・・」
啓介が慌てて否定すると、水琴はせせら笑う。
「嘘ばっかり。まぁ、それでもいいなら、取り持ってあげてもいいわよ」
瀬名は怜の話が早く終らないか願っていると、怜が役人との話を終えたようだった。瀬名は啓介と水琴を放って怜の元へ駆け寄ると袖を引いた。
「瀬名、どこに行っていたんですか」
振り向いた怜が言うと瀬名はふてくされる。
「すぐ後ろに居ました」
「うーん、でも僕の目が届かないところに行きましたよね」
「そんなに離れていません」
瀬名が昨日の話を思い出してムキになって言うと、怜が瀬名の耳元で艶のある声で囁いた。
「お仕置き決定」
怜は瀬名を会場の外へ連れ出すとVIP階層へ向かう。
しかし、その途中で男性に呼び止められた。
「恐れ入りますが、ガーディアンの方ですか?」
「どなたですか」
怜は瀬名を背中に隠して訊ねた。瀬名はその男に見覚えがあり、怜に背後から囁いた。
「Busiitの営業部長です」
Busiitとは瀬名が大学卒業後に新卒で入社したスカウト型の求人サービスを提供している企業である。
瀬名はカスタマーサクセス職として勤務したが、急成長中の会社ということもあって研修制度がなく、先輩がやるのを見て真似しながら売り上げを上げなければならなかった。ただでさえ、疲れやすい瀬名はストレスと疲労で朝起きるのが辛くなり、出社時間ギリギリになると「誰だ、あんなの採用したヤツ」と嫌みを言われるようになった。売り上げも上げられず、お荷物と認定された瀬名はストレスと疲労で体調を崩して半年で退職していた。
そもそも、難病の人間を雇用する習慣が日本にはない。障害者雇用やガン患者の雇用を守る法律はあるが形骸化しており、きちんと守っているのは大手優良企業だけだ。
障害者でも健常者でもない瀬名は、健康状態を偽って就職活動をすることを余儀なくされ、その結果早期退職に追い込まれたのである。
「失礼しました。Busiitの営業統括部長、鳥飼と申します」
自信満々に名刺を差し出す鳥飼だったが、怜は一瞥すると鼻で笑った。
「僕はガーディアンの南條怜です」
怜が冷たい声で名乗ると、鳥飼の顔に歓喜の色が浮かぶ。
「ガーディアンの南條様であられましたか。お目にかかれて光栄の極みです」
鳥飼は興奮気味に握手を求めるが、怜は応じない。
「要件を手短に訊かせてもらいましょうか」
「あ、はい。御社のGモバイルに当社のBusiitのアプリをインストールできるようにしていただきたく、お願いに・・・・・・」
「その件なら何度も通達している。あんな穴だらけのシステムをGモバイルに入れれば信用問題だ」
「セキュリティに関しては、改善しています。アップデート後のアプリを、もう一度検討していただけませんか」
「アップデート後のアプリなら見た。だが、特に対策されたようには見えなかった。では、失礼」
怜が瀬名をエスコートしながら、鳥飼の前を立ち去ろうとした。
「あの、なんとか・・・・・・」
鳥飼は追いすがるように瀬名の振袖を掴んだ。
「きゃ」
瀬名が袖を引っ張られてバランスを崩すが、怜が支える。
「失敬だな」
瀬名が聞いたことのない声で鳥飼を威嚇する。
「申し訳ありません」
「上司がこれでは良い人材が育つはずがない。こんな会社見切りをつけて正解でしたね」
瀬名に向かって怜が言う。瀬名はどう答えていいか判らず俯く。
「あのう。そちらの方は」
空気を読めないのか不躾に鳥飼は訊ねたが、怜は瀬名を隠すように前を歩かせて鳥飼を一蹴した。
「貴方に教える義理はない。二度と顔を出すな」
怜の剣幕に鳥飼は青ざめて頭を下げると、脱兎のごとく逃げ出した。
ようやく部屋に入った怜は、ドアに瀬名を磔にすると唇を塞いだ。
「んん・・・・・・はぁ・・・ん」
怜はキスをしながら帯に手をかけ、解いていく。
瀬名は訳がわからないまま、角度を変えて繰り返されるキスに身体を溶かされ、一人で立っていられずに怜のスーツを掴んだ。
帯を解くと怜は瀬名の髪を解き始める。
瀬名の髪が背中に流れると、ようやく唇を離して瀬名を横抱きにしてソファーに降ろした。
「怜さん」
「お風呂に入りましょう」
蕩けた顔で怜に縋り付いた瀬名の着物を脱がせた。
「え、今から」
瀬名の胎内はすでに欲情に火が付いている。てっきりベッドに連れて行かれると思っていたので、内心がっかりする。
「変な虫が付いたから消毒しないといけません」
怜は真剣な眼差しで着物を脱がすと自分も服を脱ぎ、ボンヤリしている瀬名を抱きかかえたまま風呂場に向かった。
風呂に入ると怜は箱根のホテルで純血を散らした後と同様に、丁寧に瀬名の身体を洗い、湯船に入れたまま髪を洗う。
瀬名を先に湯船に入れている間に怜が身体を洗い、バスローブを羽織って瀬名の身体や髪を洗う。
その後、瀬名を湯船に入れるとバスローブを脱いで怜が入って来た。
ドキドキして瀬名が後ろを向くと、怜に抱きすくめられた。
「わっ」
「松島精機の息子と何を話していたんですか」
「怜さんとの関係を疑っていました」
「そこに水琴さんが入って来て、婚約者ではないと言った、ということですね」
「えぇ。まぁ・・・・・・」
「瀬名は何も心配しないでいいですよ。僕のことだけ考えてください」
怜は耳元で囁きながら瀬名の乳房をすくうように揉みしだく。
「あぁ、ダメ」
瀬名が振り向くと怜が啄むようにキスをし、乳首を指で捏ねる。
「はぁ・・・ん」
部屋に入った時のキスで瀬名の胎内には、すでに火が付いている。
「ん・・・・・・あぁ・・・いや・・・・・・」
ぐにぐにと乳房を揉みながら乳首を捏ね、引っ張る。瀬名は下肢をすり合わせ始めた。
「ここでしますか」
瀬名の耳元で囁く。それだけで瀬名の胎内が疼くが、瀬名は首を振った。
「はぁ、のぼせちゃう」
怜は無言で笑みを浮かべながら瀬名を横抱きにして風呂から出ると、ベッドルームに向かうとシーツの上に瀬名を降ろし、獲物を狙う獣の目で瀬名を見つめる。
「怜さん」
すでに胎内に火が付いている瀬名は怜の首に腕を回す。怜は瀬名の頬から首筋、鎖骨、キスを振らせながら、腰周りや尻を撫で始める。
「あぁ・・・いや・・・・・・。ダメ・・・」
下肢をもじもじさせながら喘ぐ。
「どうして、ダメか教えてください」
瀬名に覆い被さり、両手で頬を包み込む。
「明日、仕事・・・・・・だから」
「それだけですか」
無言で瀬名が頷く。
「じゃあ、一回で済ませましょう」
口角を上げて笑うと瀬名の秘裂を指で撫でた。
「もう、ドロドロですね」
指に付いた蜜を瀬名に見せつけるように舌で舐める。
「いや・・・・・・。恥ずかしい」
首を振りながら羞恥で身体を染める瀬名を、怜は嬉しそうに見つめながら一気に指を挿入する。
「あぁん」
瀬名の身体がビクンと跳ねた。
怜は指を鉤型して回しながら挿入して、肉襞を擦ると瀬名が喘ぐ。
「瀬名が好きなのはどこでしょう」
言葉とは裏腹に、すでに瀬名の身体を熟知した怜は瀬名が悦ぶ箇所を擦り上げる。
「はぁ・・・ん。そこ、ダメ。いや・・・・・・」
愉悦から逃れようと身を捩る瀬名を押さえつけるように、乳房を力いっぱい揉みしだき、瀬名の反応
を見ながら乳首を弄る。
「あぁ・・・はぁ・・・・・・ん」
怜は瀬名の両脚を乳房につくように折り曲げて膝裏で両手を繋がせると、秘裂を舐め始めた。
「あぁ、ダメ。それ、いや・・・・・・」
甲高い声で身を捩る瀬名の腰を押さえつけて、秘裂の間から舌を差し入れて蜜を掻き出す。
「そんなにしたら、来ちゃう。いや・・・・・・あぁん」
怜は瀬名の高ぶりを感じ取ると、花芽を吸う。瀬名は悲鳴を上げて身を捩る。
「あぁ・・・あぁ・・・・・・あぁ・・・いや・・・・・・」
花芽を指で押して舌で舐め、吸い付くと瀬名は身体を震わせて達した。
怜は余韻に浸らせる間もなく瀬名を俯せにすると、自分の怒張を挿入した。
「あぁ・・・ん。まだ・・・・・・達ってる・・・あぁん」
頭が真っ白になっている状態で、瀬名は頭の先まで貫かれた。
怜はきゅうきゅうと締め付ける感触に耐えながらギリギリまで引き抜き、一気に奥処まで突く。ぷるぷる揺れる乳房の感触を楽しみながら乳首を摘まむと、肉襞が絡まり精を吐き出せと促す。
怜が腰を回して瀬名の胎内を楽しんでいる間に瀬名は何度か達し、身体を支えていた腕から力が抜けるのを見て、怜はラストスパートをかける。
怜はガツガツと腰を振り、瀬名の奥処を突き上げ続けると悲鳴に似た声を上げて瀬名が達する。同時に怜も薄膜の中に精を吐き出して瀬名の背中に倒れ込んだ。
その後も瀬名の肉襞が収斂を繰り返して、薄膜越しに一滴も残さず精を絞り取ろうとする。
怜はその余韻に浸りながら瀬名の肩や肩甲骨にキスをして、繋がったまま瀬名を仰向けにすると顔中にキスをして抱き締めた。
「怜さんの熱い」
汗で顔に髪を張り付かせたままの瀬名が微笑んで、怜の身体に腕を回す。
「そんな風に煽られたら離せなくなりますよ・・・・・・」
怜は瀬名が愛おしくて堪らなくなったが、溢れ出しそうな劣情を理性で抑えこんだ。
箱根で初めて抱き合ってから、週に一度は必ず怜に抱かれるようになった。
しかし、怜と交歓を交わした翌日、瀬名は寝たきりになる。
起き上がるのも一苦労する疲労感に加え関節が軋むような痛みと激しい筋肉痛、筋肉の強張り。特に腰には大きな石が埋まっており、マットに腰が当たる度に激痛が走り、全身が悲鳴を上げる。
さらに言えば、摩擦によりドライスキンのデリケートゾーンは痛みもあるので、回数を減らして欲しいと思う時がある。
それでも怜に抱かれると嬉しい。
女としての喜びと怜に愛されているという実感を味わえる。
それは後で起きる疲労と激痛を上回る多幸感と愉悦だ。
瀬名はセックスを拒んで怜に嫌われたくない。そもそも女として見てもらえないのは耐えられない。
だが、激しい痛みに襲われると怜が細やかな気遣いで瀬名を看病することになるは、毎回申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
怜は朝食や昼食、夕食を部屋に運んでは瀬名の腕や手が痛ければ食べさせ、瀬名が目を覚ませば緑茶を淹れて、トイレにも連れて行く。食事の準備以外は瀬名の部屋で過ごす徹底ぶりだった。
まさに、至れり尽くせりなのだが、瀬名の思考はネガティブになる。
瀬名は「他人の荷物になりたくない」という考え方が根本にある。それは、両親が共働きだったこともあり、「自分が居なければ両親は好きなだけ仕事ができたのに」と、思いながら成長したからかも知れない。
だから、他人に縋らないと生きていけない自分が生きていていいのかと考えてしまう。しかし、働けないので稼ぐこともできなければ、家事もできない。他人に迷惑をかけるぐらいなら自分は居ない方がいいのではないか。
怜が献身的に看病してくれればくれるほど、瀬名の気持ちは沈んでしまう。
そんな気持ちで過ごしている瀬名の元に、今日は悟が屋敷を訪れた。
小春は瀬名の病気が心配で時折、南條邸を訪れては我が子同然に世話をしていた高臣の顔を見て帰って行くが、悟は高雄と一緒に仕事をしていることもあり南條邸には近寄らない。用事がある時は会社か自分の家に呼びつける。
「瀬名。松島精機の松島社長のご子息と見合いをすることになった」
瀬名が応接間に入るなり悟が言うが、状況が飲み込めない。
「えっ・・・・・・」
「名波さん、どういうことでしょうか」
呆気に取られる瀬名に代わり、同席していた高臣が尋ねた。
「実は先日のパーティーで、松島精機のご子息が瀬名を見初めたらしく、先方から申し出がありました。社長は松島社長と昵懇にしておくのは悪くないと考えておいでです。なんでも、ご子息はMBAを取得した後に海外の企業で勤務した経験もあるようで、娘にはもったいない話です」
「そうでしょうか」
高臣が考え込む。だが、悟は無視して瀬名に命令した。
「見合いは来週末にヒルサイドホテルだ。瀬名、振り袖を用意しておきなさい」
「・・・・・・嫌です」
瀬名は小さい声だが、ハッキリと言った。
「何か言ったか」
悟がギロリと瀬名を睨んだ。
「私は、お見合いなんかしません」
今度はハッキリと高雄を見つめて言った。
「出来損ないが生意気を言うな。これぐらいは役に立て。この馬鹿が」
悟の言葉に瀬名の中で何かが弾けた。
「私が病気になったのは貴方のせいじゃない。私が小さい頃にきちんとした病院で耳を診てもらえていれば、こんな病気にならなかった」
「他人のせいにするな。誰のおかげで働かないで生活できていると思っているんだ」
「私はちゃんと働いている」
「社員とは名ばかりのアルバイトで何が働いているだ」
瀬名の言葉に悟は激高して立ち上がり、腕を振り上げようとする。
「殴って気が済むなら殴ればいいじゃない。私は殴られるよりも病気の痛みの方がずっと激しいから、殴られたって痛くもかゆくもない」
怒り慣れていない瀬名は泣きじゃくりながら、息を弾ませる。それでも毅然と立ち上がって歯をくい縛った。
「名波さんやめてください。怜」
高臣が静かに言うと、怜に目配せをする。怜は心得たとばかりに瀬名の腕を掴んで応接間から引きずり出した。
部屋に着くと怜は瀬名を優しく抱き締めた。
「瀬名は何も悪くありません。病気になったのは誰が悪いわけでもないんです。その中で瀬名は、たくさん我慢して、よく頑張っていますよ」
瀬名を抱き締めて頭を撫でる。
怜の匂いと体温を感じて瀬名の涙腺が完全に崩壊した。だが、怜は黙って瀬名を抱き締めたまま泣き止むのを待った。
悟と瀬名は、生活と認識のすれ違いがあるだけで仲が悪いわけではない。
それは、瀬名が幼い頃に聴力障害があったことに原因がある。
瀬名は聴力の中でも特に低音域が聞き取りにくかった。そのせいで、悟のバリトンボイスがほとんど聞こえなかった。さらに、社長秘書の悟は忙しく瀬名とコミュニケーションを取るのを諦めて、瀬名のことを小春に任せた。
しかし、小春も高雄の家での仕事が忙しくて構うことができなかった。
だから、瀬名が「身体がだるいから学校を休みたい」と小春に訴えても、小春は「逃げてはダメよ」と言うだけで理解してもらえなかった。
一般的に子供が疲れやすいとか身体がだるい、と言ってすんなり信じることができないのは当然である。
だが、子供の瀬名はそのことが理解できなかった。
中学生になると突然腕に痛みと震えが起こり、驚きのあまり過換気症候群になったが、医師からは思春期の女子にはよくある症状と片付けられ、シェーグレン症候群や線維筋痛症は見過ごされてしまった。
過換気発作はそれから病名が判明するまで度々起こった。
過換気発作だけではない。冷たい水に触れると電気が走るような痛みや肘が痛むことが起きることが時々起きた。しかし、十代で関節痛や神経痛が起こるはずがない、と周囲から目で見られ続けると瀬名は自分が嘘をついているような気持ちになった。
そのうえ、悟から「お前は病気になりたがっているようにしか見えない」とまで言われ傷ついた。
どこか痛む度に「心の弱さ」や「嘘」という言葉が瀬名の脳裏に浮かび、「私は弱くない」「もっと頑張らないといけない」と自分を鼓舞した。
それでも、体調はどんどん悪化して行き、全身をワイヤーでぐるぐる巻きにされて縛り上げられるような痛みや、突然背後から大きな石が腰にぶつかり骨を砕きながら食い込むような痛みに襲われるようになった。
ある時は急に鉄の塊が腰に食い込んできて、その衝撃でヒビの入った壺が砕けるような骨盤の痛みに襲われて意識を失いそうになり足首を捻挫してしまった。
それでも、「自分は人前で倒れるほど弱くない」と言い聞かせて2~3年我慢を続けていた高校二年生の時に駅で倒れ病名が判明した。
結果、今までのことが嘘でも心の弱さでもないことがわかり、瀬名は病気が治らないことに絶望するよりも自分の訴えが真実であったことにホッとした。
両親には病気のことを説明して冊子を渡したが、悟は疑いを改めることはなく冊子に目を通すことはなかった。
高校生になっても瀬名は毎日のように身体がだるく、身体の痛みや頭痛、音に対して過敏になる悩みを抱えながら、健常者として振る舞っていたので精神的にも疲れ切ってしまった。
そんなある日、なにげない会話から悟とぶつかった。
「私の病気は原因がわからないから、治ることはないって言ったでしょ」
瀬名の言葉に対して悟の一言が瀬名を傷つけた。
「原因がわからないのも治療法がないのは当たり前だ。お前は病気じゃないんだ」
悟は酔っていたが、瀬名は酔っているからこそ出た本音だと受け取った。
その日以来、悟と瀬名には埋められない溝ができてしまったのである。
「本当にこんな高価な振袖を私が着ていいの?」
「えぇ。旦那様からの指示ですから」
総絞りの振袖を前に瀬名は固まってしまう。この旧華族に伝わる振袖は高級外車、いや家を買えるだけの価値があるはずだ。
瀬名は自分が袖を通すことで価値が下がりそうで気が進まない。しかし、怜は嬉しそうに帯や帯締めを選んでいる。
やっぱり自分の振袖を着る、と言おうとした途端に瀬名のスマホが鳴った。
「もしもし」
着信表示は鳥飼だった。嫌な予感がした瀬名はスピーカーにして怜にも聞こえるようにした。
「名波さん。お久しぶりです。先日は失礼しました。いや、綺麗になっていたから気が付かなかったよ」
馴れ馴れしい口ぶりの鳥飼に、瀬名は嫌悪感で通話を切りたくなる。
怜は忌々しそうにスマホを見つめていた。
「何のご用でしょうか」
瀬名は事務的に話す。
「あの、知り合いに聞いたんだけど、名波さん体調崩してリモート勤務なんだって?だったら、今度ウチでもリモート勤務者を探しているから働かない?副業でもいいからさ」
「お誘いいただいたのは嬉しいですが、ガーディアンで働いているのでお断りします」
瀬名が冷たく断る横で怜は自分のスマホに何か文字を打ち込んでいる。
「そんなこと言わないで一度、話だけでも聞いてくれないかな?新しいポジションだから電話やメールでは伝えにくいからさ」
「いえ、興味ありませんので」
瀬名は再度、断るが鳥飼は引き下がらない。
「そんなこと言わないでよ。ウチに居た頃のことで誤解もあるみたいだから、そのことも話たいし」
「御社に居た頃のことは忘れました」
今更、言い訳してどうするのだろう、と瀬名は疑問に思う。こんなに冷たく言っているのに、しつこくしてくるには何か裏がありそうだ、と瀬名は疑い始める。
なぜなら、数日前にBusiitのスカウトサービスが外部の不正アクセスにより、企業側の求人情報が複数の求人検索総合サイトに求人が掲載されるとういう事件が発生したからである。
スカウトサービス会社を利用する企業の多くは、求人掲載サイトに掲載できないような新規プロジェクトに関する人材やハイクラス人材を探していて一般公募できない採用案件で利用している。それを誰もが目に出来るサイトに掲載されたら、わざわざ高い料金を払ってスカウトサービスを利用した意味がない。何よりPマーク取得が常識といわれる人材業界で個人情報流出のダメージは計り知れない。
「予定は名波さん合わせるし、30分いや、15分でいいから話せないかな」
鳥飼のしつこさに辟易して瀬名が怜に視線を送ると、怜がスマホを見せた。瀬名は怜のスマホに打ち込まれた文字を読み上げる。
「わかりました。恐れ入りますが明日の午後1時半に、当社の9階にお越し頂けますか。その時間でしたら、フロアには私しかおりませんから」
「本当に?そう、じゃあ、また明日ね」
鳥飼の言葉尻を打ち消すように瀬名は電話を切った。
「どういうことですか」
「五月蠅い虫は一撃で退治しましょう」
瀬名の問いに怜は不適な笑みを浮かべた。
翌日、午後はガーディアン本社の採用チームで仕事をする瀬名を見送った怜は、テーラースーツに着替えて髪型も変える。誰も居なくなったフロアでワガママな天才エンジニア風に変身し終わった頃、時間通りに鳥飼が9階に着いた。
受付のインターホンでは瀬名と声質の似ている女性エンジニアに対応させているので、鳥飼は瀬名が居ると思って9階まで来ているはずだ。
「お待ちしていました」
エレベーターが着いたタイミングで怜がフロアの扉を開けて出迎えると、鳥飼は怯えたような表情をした。
「あの、名波さんは?」
「本日は僕が彼女の代理でお話を伺います」
怜は優雅な仕草で鳥飼を招き入れると、ソファーに座らせた。
「いや、その今日は名波さんに話があって伺ったのですが」
鳥飼の額から汗が浮かぶ。怜は冷ややかな視線を鳥飼に送る。
「どうせ僕との繋ぎで彼女を利用したいだけでしょう。それよりも、胸の録画装置を渡してください」
「えっ。そ、そんな物は持っていませんよ。嫌だな」
鳥飼は笑って誤魔化そうとするが、怜は鋭い眼差しで見つめる。
「ここを何処だと思っているんですか。そんな嘘、通用しませんよ。それとも、僕を挑発しているんですか」
冷たい眼差しのまま、口元だけで笑って見せると鳥飼は姿勢を正した。
「そんなつもりはありません」
鳥飼は慌てて胸ポケットのボールペン型録画装置を怜に渡した。
「これは動画も撮れるタイプですよね。若い女性と二人きりで会う時に、このような物を用意している・・・・・・」
「言い掛かりですよ」
怜の話を遮って鳥飼が叫んだ。
「貴方が何を言おうが、僕はそう思えません」
ボールペン型録画装置を指でクルクル回しながら鳥飼を見つめる。鳥飼は顔中に汗を流しながら首を振る。
「違います。それは保険のつもりで」
「保険?」
怜は録画機能がONになっているボールペン型録画装置を放り投げた。
「彼女に何をして脅迫しようと思ったのか、知りたくもありません。ただ、金輪際、彼女に近づいたら、タダでは済みませんよ」
ニコリと笑って見せると鳥飼は青ざめて頷いた。
「では、ビジネスの話をしましょう。本当の要件を話してくれますね」
怜は悠然と長い脚を組んで微笑んだ。
「そ、その南條様に弊社のサービスBusiitのセキュリティ対策にお力添えをいただけませんでしょうか。外部からの不正アクセスにより弊社は信頼を失ってしまい、非常に苦しい状況です。セキュリティのエキスパートであられる南條様にお力添えをいただければ、Busiitの信頼を取り戻せると考えています。お願いできませんでしょうか」
鳥飼は頭を膝に頭を擦りつけるようにして頭を下げている。
怜は冷ややかに鳥飼を見つめて言った。
「僕は何度も忠告した」
怜はパーティーの時にも言ったが、その前から何度もBusiitのセキュリティの甘さをしている。それにも関わらず、きちんと対策ができなかった挙げ句、瀬名を利用して自分を引きずり出そうとしたBusiitのやり方は許せない。
「南條様のおっしゃる通りです。ですが、ご指摘いただいたように対策をしても、南條様が求めるレベルにはならず、今回の事態を招いてしまいました。ですから、南條様に・・・・・・」
「人を育てられないのは、そちらの問題だ。新人を入れてはロクな教育もせず、使えないと思えば切り捨てる。そんな会社を助ける義理はない」
怜は淡々と話す。その冷たさに鳥飼は怯えながらも食い下がる。
「南條様のおっしゃる通りです。弊社は設立間もない上に急成長していることもあり、新人には良い環境とは言えません。名波さんに対して、きちんと教育ができなかったことは謝罪いたします。ですが、弊社のサービスはお客様に大変喜ばれております。Busiitのサービスによって企業の採用方法が変化したことも事実です。お客様が安心してBusiitを利用できるように助けていただけませんでしょうか。この通りです」
鳥飼は再び頭を下げた。
怜は、瀬名から「誰がこんな役立たず、採用したんだ」と言った張本人であることを聞いていた。だが、鳥飼は自分の暴言を謝罪するつもりがないのか、発言したことを忘れているらしい。
「頭が悪い」
怜が呟くと、鳥飼が顔を上げた。
「今、何かおっしゃいましたか」
「お前では話にならない、と言ったんだ。社長に話をつけておくから、帰れ」
怜は立ち上がって扉を開けると、鳥飼を帰るように促した。
「ありがとうございます。ご連絡をお待ちしております」
鳥飼は怜の剣幕に圧倒されながら、そそくさと帰って行った。
後日、Busiitはガーディアンが筆頭株主になり、セキュリティを強化してサービス展開していくことが決まった。表向きにはBusiit株式会社は存続するが、Busiitの幹部は鳥飼を含めて放出され、ガーディアンが持つアウトソーシングサービス会社ガーディアンブルーへ徐々に吸収される予定だ。
「お前のおかげで上手く行ったよ。だが、本番はこれからだ。しくじるなよ」
怜はスマホを切ると冷酷な笑みを浮かべた。
瀬名がどれだけ嫌がってもガーディアングループのトップである高雄の決定に逆らうことはできず、見合いの日が来た。
VIPフロアの一室に部屋を取って瀬名は怜に着付けと髪を結ってもらっていた。
今回は南條家の家紋が入った総絞りの振袖に白金地に錦糸で牡丹を描いた帯を合わせ、髪は洋風に上げて赤玉の簪で飾った。
名波性を名乗る瀬名が南條家の家紋が入った振袖を着たのは、瀬名は南條家当主の高臣が認めた怜の婚約者だと見せつけるためである。
「この部屋で待っていますから、早めに切り上げて帰ってきてください」
怜はそう言うと瀬名を抱き寄せて耳朶を甘噛みして腕を解いた。
「・・・・・・ん、わかりました」
少し赤くなりながら瀬名は答えたが、言葉とは裏腹に部屋を出て行く気になれない。瀬名は黙ったまま俯いて、怜の指先に指を絡めた。
「御守です」
怜は瀬名がジュエリーボックスにしまってきたブルージルコンとダイヤが交互に並んだプラチナリングを瀬名の左手薬指にはめた。このリングはブルージルコンの色が怜の瞳を彷彿させるので、瀬名のお気に入りであり、御守りだ。
「行ってらっしゃい」
瀬名はそこで覚悟を決めてドアまで歩くと振り向いて「行ってきます」と、笑顔で部屋を出た。
見合いはホテルのVIP階層にあるレストランの個室で行われた。
パーティーの時と同様に松島啓介は営業マンのようなスーツ姿で、瀬名の付き添いで来た高臣に貫禄負けしていた。
見合いを強要しておきながら悟は高雄のお供で接待ゴルフに行ってしまったらしい。
瀬名は悟の顔を見たくなかったので内心ほっとした。
食事をしながら進む話は啓介の自慢話ばかりで、瀬名は適当に聞き流しながら高臣に助けを求めたが、高臣からは「我慢しなさい」と目配せされた。
瀬名が座っているのが苦痛になってきたのを見計らったように高臣が提案した。
「このホテルは庭園が有名らしい。瀬名は花を見るのが好きなんですよ。啓介さん、瀬名をお願いできますか」
瀬名は余計なことを言わなくても、と思った。だが、啓介は満面の笑みを浮かべる。
「わかりました。瀬名さん、行きましょう」
勢いよく立ち上がると瀬名に手を差し伸べた。しかし、瀬名は差し伸べられた手に気がつかない振りをして立ち上がると、高臣と松島夫妻に退出の挨拶をしてレストランを出た。
庭園に出るまで啓介は何かと瀬名に話しかけて来るので、瀬名は啓介の機嫌を損ねない程度に相槌を打って有名と言われている庭園に向かう。
ところが、到着したホテルの庭園は整備されているものの、南條邸の庭に劣るもので瀬名は散歩する気が失せた。怜が造る庭は一株一株愛情が込められているだけあって花々が美しく咲く。だが、ホテルの花は枯れた花を摘み取らず、落ちた花びらもそのままにしてある。
これでは、満開を迎えている花が可哀想だと瀬名は思った。
「綺麗ですね。瀬名さん」
おそらく、興味を持っていないであろう庭園をキョロキョロ見回しながら啓介は、どんどん歩いて行く。
男性経験は乏しいが、周囲にいる男性陣がエスコート慣れしている大人しか居ない瀬名にとって、啓介のエスコートは最悪だった。
振袖を着て歩いている女性に思いやりを持って歩けないのか、と我慢の限界が来た瀬名は覚悟を決めた。
「松島さん、今回の件はなかったことにしてください。失礼します」
啓介の背中に向かって一方的に言うと踵を返してホテル内に戻り、到着したエレベーターに乗り込んだ。後ろで啓介が何か言っているが聞く気もない。
エレベーターは運良く上に向かう。だが、そこで思わぬ人物に出会った。
「あら、こけしちゃん、じゃない」
隣に居た同年代の女性に呼ばれて首を傾げた。瀬名の周囲で自分をこけし呼ばわりするのは、水琴と一緒にいた生徒しかいない。
「どなたですか」
瀬名は警戒心をむき出しにして、つっけんどんに答えた。
「私よ。長谷川祥子。あぁ、覚えてないか。まぁ、いいわ。私、今業界紙の記者をしているの。それでね・・・・・・」
VIP階層行きに乗り換えるために降りた瀬名に祥子は付いて来る。
しかし、VIP階層行きのエレベーターは誰でも乗れるものではない。そこで瀬名は、ちょうど前から歩いてくるVIP専用ラウンジのコンシェルジュを見つけた。
「長谷川さん。お名刺頂戴できますか」
「ありがとうございます。では、失礼します」
わざと祥子に丁寧な言葉遣いで名刺をもらうと、動きにくい振袖で早歩きで祥子から離れてコンシェルジュを呼び止めた。
「すみません。あの方、勝手に取材しているけど大丈夫なのかしら?」
「申し訳ございません。すぐに対応いたします」
呼び止められたコンシェルジュは、頭を下げると祥子に近づいて行った。その隙に瀬名はエレベーターに乗り込み、怜が待つ部屋へ足早に向かった。
ドアをノックするとすぐに扉が開いて、怜に抱き締められた。
「お帰りなさい」
怜の笑顔と匂い、温もりに安心した瀬名は腕を伸ばしてしがみつくとキスを強請った。
啄むようなキスを繰り返しているうちに深い口づけに変わる。
「はぁ・・・ん、んん」
角度を変えて何度も交わし、身体を離す頃には瀬名の身体が燃え上がり立っていられなくなる。怜は瀬名を抱きかかえるとソファーに下ろした。
そこで、瀬名は怜に報告しなければならない事を伝えた。
「そういえば、変な人に会ったの」
「変、というとどんな方でしょうか」
「女子校のクラスメイトだったいう人。今は業界紙の記者をやっているって言っていたけど、休日の昼間にホテルにいるのはおかしいでしょう」
ガーディアンエンジニアリングには、毎日のように怜宛にインタビュー依頼が舞い込む。
新商品の発売が近づいた時には社員が会社周囲で待ち伏せされることや、高臣や怜を追いかけて南條邸付近に現れる記者もいる。
それだけに新サービスと新商品発表が終った今、高臣や怜を待ち伏せする記者がいるのはおかしいと、瀬名は感じたのだ。
「それで、どうしたのですか」
「ちょうどVIP専用のコンシェルジュが居たから、勝手に取材している人が居るって言って名刺を渡して逃げて来た」
「そうですか。でも、ここなら大丈夫ですよ」
言うが早いか瀬名の瞳を覗き込むとキスをする。
「・・・・・・んん」
怜は徐々にキスを深めながら、器用に帯を解いた。
背中に当たる怜の大きな手が心地よくて瀬名の口から思わず声が漏れてしまう。
「あぁ・・・・・・」
「ん・・・・・・」
角度を変える度に瀬名の声が漏れる。
瀬名が怜の首に両腕を絡めてキスを強請ると怜は瀬名を抱きかかえて寝室に入る。
気がつくと瀬名はベッドで怜に組み敷かれていた。
「カーテン締めて。明るいからイヤ・・・・・・」
突然スマホが鳴り、怜は顔を顰めた。
「旦那様。何かありましたか」
怜がスマホ片手に寝室を出て行く。
瀬名は起き上がると振袖を脱ぎ襦袢姿で髪を解く。
振袖を衣紋掛けようと四苦八苦していると怜が戻って来た。
「後で僕がやりますから」
後ろから瀬名を抱き締めると、瀬名の顔を振り返らせてキスをした。
怜は瀬名の口内を味わいながら襦袢の上から双丘を揉みしだき、唇を離すと首筋から鎖骨へ吸い付く。
怜が唇を離して瀬名を見下ろすと、いつもの清楚で可愛らしい瀬名はおらず、妖しい色香を纏い、瞳を潤ませる生身の女がいた。
怜は瀬名の見合いの様子がわからない苛立ちや嫉妬心もあり、瀬名をめちゃくちゃにしたい気分だった。そこに来て、瀬名の妖艶な表情に背筋がゾクゾクしてくる。
怜は襦袢の襟を開くと一気に脱がした。
「ひゃぁっ」
驚く瀬名の下着を剥ぎ取ると、すでに乳首が勃っていた。
「もう、期待しているんですか。あんまり煽ると酷くしますよ」
半分冗談のつもりで言う。ところが、瀬名はじっと怜を見つめると笑って言った。
「うん。酷くして」
その瞬間、怜の中で理性が崩壊した。
怜はキスをしながらベッドの端にあった志古貴を手に取ると、瀬名の両腕を縛る。
「え・・・・・・」
唖然とする瀬名をよそに、怜はもう一本の志古貴で目隠しをした。
「瀬名が誰のものか解らせてあげましょう」
「やだ、怖い」
甘えた声で暴れる瀬名の身体に怜は優しくキスを落とす。
視覚を奪われた分だけ感覚が鋭敏になったのか、先ほどとは比べ物にならない快感を得て、瀬名は喘ぐ。
「あぁ、ん、もう、いや・・・・・・」
腰を揺らす瀬名の脚を開いて、ピンク色の花びらを視姦した。
「もう、こんなに濡れている」
上ずった声で言うと怜は指を秘裂から奥へ進める。
「まさか、見合い中から濡らしていたわけではありませんよね」
最低な質問をしていると解っていたが、怜は止められなかった。瀬名は快感にもだえながら、首を振り
「ち、がう。・・・ん・・・・・・だって、つまらなかったし・・・・・・」
瀬名の答えに満足しながら、指を鉤状にして肉襞をこすりながら念を押す。
「本当に?」
瀬名はコクコクと頷きながら叫んだ。
「んん、それ、ダメ」
「では、ご褒美をあげないといけませんね」
怜は鉤状にした指で瀬名の悦ぶ箇所を何度も虐める。
「はぁああ・・・あぁん・・・」
瀬名は悲鳴に近い声を上げながら、白い肌を薄らと桃色に染める。
白いシーツに広がる黒い髪、桃色に染まり始めた肌に志古貴で縛られた肢体、キスで腫れて赤くなった唇が半開きになった姿は背徳感を覚え、怜は喉を鳴らした。
怜は瀬名の限界ギリギリまで快感を極めて指を抜くと、抱き起こした瀬名をヘッドボードにもたれ掛かって座った自分をまたぐように膝立ちにした。そして縛った瀬名の腕に首を入れる。
「瀬名。このままゆっくり腰を下ろしてごらん」
怜が耳元で囁くと状況がわからない瀬名は不安を滲ませて首を振る。怜は漲りを瀬名の秘裂にあてがうだけで膣がビクビクっと震える。
「瀬名」
怜の呼びかけに瀬名は緊張しながら、ゆっくり腰を下ろそうとするが膝がガクガクしている瀬名は一気に怜を飲み込んでしまう。
「あぁー」
快感が破裂しそうになるのをギリギリまで我慢させられた瀬名は、自重では怜をいつもより深く受け入れてしまい、今までにない程快感を極めてしまう。しかし、怜は構わず下から瀬名を突き上げる。
「あぁ、ダメ。ダメ・・・いや・・・・・・」
瀬名は背中を弓なりにして怜の頭をかき抱く。
瀬名の姿勢は怜に胸を突き出すような格好になっているが、本人は気が付かない。
怜は突き出された白桃のような乳房を食み、乳首を甘噛みする。
瀬名は呻くような喘ぎ声を上げて身もだえ、肉襞が怜の怒張を締め付けてくる。
「うぅ・・・・・・」
思わず怜は声を漏らす。汗を流しながら腰を突き上げ、乳房を鷲掴みにすると瀬名の脚が震えてきて身体を支えられなくなった。
「しっかり立って」
覆い被さりながら怜が耳元で囁く。だが、愉悦の坩堝に落ちている瀬名には聞き取れない。
今の瀬名には怜の身体から零れる汗ですら、快感になってしまう。
「もう、無理・・・あぁん・・・深い・・・・・・」
許しを乞いながらも自ら腰を振って、より強い快感を得ようとしていることに瀬名は気が付かない。
怜は指で乳首を弄り、うなじや首筋に吸い付いき腰を振る速度を上げる。
瀬名は壊れた人形のように振られ「あぁ、あー、あぁ・・・いや・・・・・・あぁ、あ、あぁー」と、獣のように声を上げると快感の階段を駆け上がり達し、怜も薄膜の中で爆ぜた。
怜は胴震いをすると瀬名に噛みつくようなキスをした。
「・・・・・・熱くて気持ちいい」
「わかるんですか」
怜が目隠しと両腕の縛めを解きながら訊くと、蕩けた表情の瀬名が無言で頷く。
そんな瀬名に怜は愛おしさがこみ上げてきて避妊具を交換すると、瀬名を押し倒してすぐに挿入れた。
「あぁん」
ドロドロになった膣はすんなり復活した怜の怒張を受け入れた。
瀬名を仰向けにして腰の下に枕を挟み右足を肩に担いで尻が浮く姿勢にすると、鋭角な角度で奥を突く。
「あぁ・・・怜さん・・・・・・好き・・・ん・・・・・・」
瀬名は背中を反らして、喘ぎながら頭の先まで快感が突き抜け、乳首の先が尖るのを実感する。
瀬名の甘い声と蕩けた表情、淫猥な姿が怜を昂ぶらせる。
瀬名が感じる部分を亀頭の傘で擦ると何度も達して、怜の漲りを締め付ける。
「もう、無理・・・あぁ・・・怜さん・・・・・好き」
瀬名の告白に怜も応える。
「瀬名、愛しています」
右足を下ろして瀬名を抱き締めると、瀬名も怜の身体に腕を回して身体を密着させる。怜は首筋や頬にキスを降らせると腰を振る速度を上げる。
「あぁ・・・ん・・・・・・あぁー」
瀬名は怜の腰に脚を絡ませて身体を密着させ、首筋にキスをした。
「瀬名・・・・・・瀬名」
怜はうめき声を上げ、瀬名と共に快感の階段を駆け上がった。
怜が瀬名の胎内で爆ぜると、抱き合ったまま二人は余韻に浸った。
翌日、瀬名はだるすぎて食欲が無かった。
身体の上に大きな岩が身体を押さえつけられたうえ、下肢がバラバラになりそうな痛みを感じて寝ているのも辛い。
「目が覚めましたか?緑茶の用意ができていますよ」
ホテルのデスクで仕事をしていた怜が声をかけながら近づいて来た。
「うん」
起き上がろうとするが、大きな岩に押さえつけられていて起き上がれない。怜に手を貸してもらってようやく起き上がれるようになったが、起き上がっただけでグッタリしてしまった。
怜は瀬名の背中に枕を二つ入れ、腕の下に長いクッションを入れて身体が楽になるようにしてから、緑茶を持って来た。
「さっきは、ごめんなさい」
「なぜ、瀬名が謝るのでしょう」
怜はベッドサイドの椅子に座って笑う。
「だって・・・・・・」
瀬名は恥ずかしくなって俯く。
先程、瀬名の体調が余りにも悪かったので、藤崎先生を呼んで注射を打ってもらったのだが、その時に「あんまり無理をさせないの」と、怜が睨まれたのである。
藤崎医師は何も問わなかったが体調不良の原因はお見通しだったようだ。
「瀬名は悪くありませんよ」
怜はそう言うが、瀬名は自分の我儘から始まったことなので自業自得だと思う。だが、結果的に怜の負担が増えたうえ、藤崎医師に睨まれてしまい、瀬名は申し訳なさでいっぱいだった。
「僕はこうして瀬名を独り占めして世話ができるので、いいことづくしです。ところで、海鮮粥を注文しようと思っているのですが、食べられますか」
「食べたいけど、もうちょっと休んでから」
瀬名は座っているのも辛くなって、ずるずると布団に潜り込む。
「では、用意ができたら起こします」
クッションを手にベッドから離れて行こうとするのを、瀬名が「ねぇ」と呼び止めた。
「なんでしょう」
「旦那様は何か言っていた?」
「旦那様は心配なさっていました。ストレスで病気が悪化したのではないかと。でも、気分転換にホテル療養も悪くないとおっしゃっていましたよ」
「そう」
線維筋痛症はストレスで痛みが悪化する。そのことを言っているらしい。
まさか高臣は怜に抱かれたせいで病気が悪化しているとは思っていないのだろう。瀬名は高臣に心の中で謝った。
「それから、お見合いの件と記者の件は心配ない、ともおっしゃっていました」
「ありがとう」
怜に礼を言うと瀬名は目を瞑った。
ガーディアンでは月に一度、ガーディアングループの経営会議が行われる。この会議には高雄をはじめとした幹部が出席し、ガーディアンエンジニアリングからは高臣と悠仁、怜が出席する。
怜は経営会議に参加、会議が終ると本社のプロフェッショナル・フェロー室でガーディアンエンジニアリングと本社開発部の各マネジメント会議が行われる。
怜は世界的に有名なエンジニアであることから、ガーディアン本社のプロフェッショナル・フェローという肩書きも持っている。
この会議がある日は瀬名も忙しい。
怜と一緒にガーディアン本社へ出社してプロフェッショナル・フェロー室へ向かう。
今日の怜は前髪を上げ、光沢のある生地で仕立てた三つ揃いのオーダーメイドスーツに、ダイヤのネクタイピンとお揃いのカフスを上品に身に纏っていた。
「瀬名さん」
「はい」
プロフェッショナル・フェロー室でドサッと腰を下ろした怜が、瀬名を見て手招きをするので席に行くと荷物からランチバックとポットを取り出して笑顔で手渡す。
「お昼ご飯です。食べられる時に食べてくださいね」
「ありがとう」
怜は出勤する時には必ず自分と瀬名の弁当を持参する。作ったのはもちろん怜だ。
瀬名の仕事はお茶汲みである。
経営会議が始まる前に怜にハーブティーを淹れて運び、中にいる高臣からお茶を配って欲しいと呼ばれるまで給湯室で待機する。一緒に待機するのは周子を始めとした本社秘書室の社員である。
事業本部長にはセクレタリーが付き、マネージャーやリーダーにはグループセクレタリーがお茶を出す。瀬名はセクレタリーではないのだが、怜が「瀬名の淹れたお茶以外は飲まない」と公言したせいで本社の秘書と一緒に給湯室にいなければいけない。人見知りの瀬名は、この仕事が当初は苦痛だった。
さらに、瀬名を悩ませているのがガーディアンエンジニアリングと本社開発部の各マネジメント会議の時間である。
プロフェッショナル・フェロー室は扉を開けた正面に怜の席があり、怜の席を底辺としたL字を書くように瀬名の席がある。
マネジメント会議は瀬名が仕事をしている目の前で行われた。
怜は各マネジメント達の話を冷たい眼差しで聞くと「こんなものを見るヒマはない。帰れ」「できないじゃない。やるんだよ」と、冷たく言い放つのでマネジメント達が気の毒でならない。
目の前にいる怜と普段接している怜が別人のようなので、当初は本気で双子なのではないかと思っていた。
だが、最近ではどちらも南條怜だと理解している。むしろ、冷たい目で人を見る怜の方が本質だと瀬名は感じている。何でもすぐにできる怜から見れば、他人は無能にしか見えないのだから厳しい言動になるのは仕方がないのだろう。最近では怜が苛立ちを露わにしている姿を見る度に、怜も誰にも理解されない苦しみを背負っているのだと思う。それでも瀬名自身とは種類が違うものだと判っているので、自分と怜が同じだとか似ているとまでは思っていないが。
マネジメント会議が終るとガーディアンエンジニアリングへ戻って仕事をする。
怜の運転する車で戻ることもあるが、怜が高臣や悠仁と打ち合わせをする日は歩いて戻る。
健常者であれば歩いて十分程度の距離だが、瀬名はワイヤーでギリギリと締め付けられるような全身の痛みに襲われ、鉄板のように固まる背中や筋肉が強張って棒のような脚では道玄坂を歩くのが厳しい。
このような状態で歩く時、いつも瀬名は「歩け、歩け」と心の中で呟きながら歩いている。
特に膝から下が強い強張りで棒のような脚では前へ進みたいのに、脚がついてこない。
他の人は何も考えずにスタスタと歩いているのに、自分には難しい。
次々と他人に追い越されると瀬名は、あまりにも自分が情けなくて自然と目から涙が零れそうになる。
だが、人前で倒れるわけにはいかない。
「人前で倒れるほど私は弱くない」
今日も心の中で呟くと、瀬名は前を向いて歩き始めた。
ガーディアンエンジニアリングで一時間程仕事をしていると、怜が帰って来た。
「お帰りなさい」
「これ、瀬名にお土産です」
怜はUSBケースを差し出した。
「私に?」
「人事部から来年の春に入社する内定者データをチェックして欲しいというので、受け取って来ました」
ため息交じりに怜が言った。だが、瀬名は笑顔でUSBケースを受け取った。
「ありがとうございます」
自分でも役に立てることがあるのが嬉しかった。ただ、このデータをチェックするのであれば出社しないといけない。納期までに間に合うのか少し不安である。
「そのデータですが、家で作業してもいいですよ」
瀬名の不安を読み取ったように怜が言うので、驚いて怜を見つめる。
「え、でも、これ全部個人情報です」
ガーディアングループはPマークもISOも取得している優良企業である。
「お屋敷も事務所として登録されていますから、問題ありません。そもそも、旦那様も僕も仕事しているでしょう」
「確かに」
言われてみればそうだった。しかも、住んでいる人も訪問してくる人達は、瀬名より上役の人ばかりで、部外者は一人もいない。
「ただし、勤務時間外に仕事をするのは禁止です。いいですね」
「はい」
「では、帰りましょう」
にこりと笑うと、怜は瀬名の荷物を持って部屋を出ようとする。
「あ、もしかして迎えに来てくれたんですか」
「ええ。あのまま直帰しても良かったのに、瀬名ことだから仕事をしていると思っていました」
普段、瀬名は思うように出社できない。だから出社できる日は出社して、仕事をしたかっただけなのだが心配をかけてしまったらしい。
「すみません。すぐ、片付けます」
「別に悪いことをしているわけではないので、謝らなくてもいいんですよ。手伝いましょう」
怜は笑いながら瀬名の机に置かれていた分厚いファイルを片付け始めた。
その夜、瀬名が怜に髪を乾かしてもらいルイボスティーを飲んでいると怜のスマホが来客を知らせた。
南條邸のインターホンや警備システムは怜のスマホに来客や、侵入者を知らせる機能が付いている。
「大旦那様がお見えになったようです」
緊張した面持ちで怜が立ち上がった。
「え・・・・・・どうして」
時計の針は23時を過ぎている。
こんな時間に突然来るとは余程の事情があるに違いない。
瀬名がオロオロしている間に怜は瀬名のクローゼットから、ワンピースを持って来た。
「瀬名は着替えてから来てください」
「はい」
「心配しなくても旦那様が応対してくれます」
怜は瀬名の頭を撫でて微笑んだ。
怜が部屋を出ていくと高雄の怒鳴り声が響いた。
「出迎えもせず、女の部屋から出て来るとは、使用人にどんな躾をしているんだ。高臣」
高雄の声に、瀬名は慌ててパジャマ姿のまま出て行く。
「あの、怜さんは寝る前にお茶を持って来てくださったんです」
高雄は怜をジロリと睨むと怜に詰め寄り、胸倉を掴んだ。
「お前達のことを俺が知らないとでも思っているのか。馬鹿にするな」
怜は高雄の腕を捻りあげてから振り払う。
「僕が誰と付き合おうが貴方には関係ありません」
冷ややかな眼差しと声音で言う。
「愛人の子供が生意気言うな。誰のおかげで生きて居られると思っているんだ」
「僕が生きて居られるのは先代の大旦那様と、高臣様のおかげです。部外者の貴方は関係ありません」
「なんだと」
「貴方はいつまで南條家にしがみつくつもりですか。それとも、南條の名がないと何もできませんか」
怜が鼻で笑うと、高雄は怒りで真っ赤になって身体を震わせる。
「貴様、言わせておけば。お前は金になる機械を造っていればいいんだ」
「何を騒いでいるんですか」
高臣が執務室から顔を出した。
「高臣。松島精機の見合い、勝手に断ったそうだな」
高雄は高臣の顔を見るなり詰め寄った。
「あぁ、その件でしたら、明日ご説明に上がる予定でした。まぁ、どうぞ。怜達も来なさい」
高臣は今の騒ぎがなかったかのように悠然と高雄を招き入れた。
後から部屋に入った瀬名と怜はドアの前で立っていた。
高臣は執務室の隅に掛かっていたカーディガンを取ると、「着なさい」と、瀬名の肩に掛けた。
瀬名は目礼して羽織る。高臣は何枚かの用紙をソファーでふんぞり返るように座っている高雄の前に広げた。
「なんだ。これは」
高雄は一枚を手に取る。
「これは松島精機の現状です。まず、納品されている品質が落ちています。そのせいで、警報装置のトラブル件数が急増しています」
「最近、外国人の技能実習生を入れているらしいからな」
高雄は大した問題ではない、と用紙をテーブルに放った。
「確かに技能実習生を受け入れているようですが、当社から人事交流で松島精機に派遣された社員によると、技能実習生として受け入れている以外にも多くの外国人が働いているようです」
「それは、外国人採用でもしているのだろう。教育を徹底すればいい話だ」
「それが、不法就労者を斡旋する業者との癒着もあるようです。それでも、問題がないとお考えですか」
「何?それは確かな情報なのか」
高雄は驚愕して前のめりの姿勢になった。部屋の隅で聞いていた瀬名も驚いた。
取り引き先とはいえ、不法就労をさせていたことやブローカーと癒着があればガーディアンの評判にも関わる。
「ええ。出入国在留管理局がマークしているようです」
高臣の答えに高雄はため息をついた。
「それから、当社への請求が水増しされていましたよ」
高臣は一枚の紙を高雄に手渡した。
高雄は苦々しい表情で用紙を見た。
「これらの状況を鑑みて瀬名との見合いを断りました。明日にでも私は松島精機を取り引き先から外します。よろしいですね」
淡々と高臣は告げた。
「お前に任せる」
高雄は平然とした様子で告げて出て行った。
「想像以上にダメージが大きかったようですね」
怜は高臣に言う。高臣は淡々とした表情から一変して、リラックスした表情を見せた。
「松島社長とは親友だと思っていたから、裏切られた気持ちがあるのだろう」
「これで大旦那様が大人しくなるといいのですが」
「さぁ。どうだろう。怜、瀬名を寝かしつけたら酒を持って来てくれ」
ふっと微笑む高臣に瀬名はムッとして言い返す。
「子供じゃないので一人で眠れます。お休みなさいませ」
翌日、高臣は松島精機との取引を中止し、人事交流も取りやめになった。さらに翌週、出入国管理局が松島精機の工場に入り不法就労者を多く摘発し、ブローカーとの関係も明らかになった。
11月の下旬になり、瀬名はガーディアン本社の人事部に来ていた。
「こちらが内定者のデータ済みチェックです。辞退しそうな人はファイルを分けて置きました。」
「おぉーありがとう」
由紀が受け取りながらデータをチェックする。
「それにしても、辞退しそうな人多いな」
春に入社する新卒はグループ全体で1500名が内定しているが、内定辞退と3ヶ月以内に辞めそうな人が50名近くいた。
「そうですね」
瀬名は微妙な表情を浮かべる。採用担当者が合格を出した人を「すぐに辞めそう」と弾くのは、正直いい気持ちがしない。
「何かお手伝いしましょうか」
話題を変えようと由紀に聞くと由紀はフロアを見回して、労務担当の麻子に声を掛けた。
「今日は大丈夫かな?あ、浜子ちゃん退職者荷物整理するー?」
浜崎麻子は人事ファイルが格納されているキャビネットの前で新人社員と一緒に荷物を広げていた。
「今やるところ。来月の中途採用者の制服が足りないんだって」
麻子は由紀に浜子ちゃんと呼ばれている。
瀬名は麻子に声をかけた。
「私、お手伝いします」
「ありがとう。助かる」
キャビネットに囲まれるように置いてある作業用テーブルに、退職者から会社に返却されたパソコンやスマホ、無線機、制服、マニュアルなどを取り出して各備品を管理する部署へ返却をする。
これらの荷物は段ボールに乱雑に入れられているので取り出すのも大変だが、中には健康保険証や退職届を適当に入れて返却してくる人もいる。これらの荷物から、健康保険証や退職届を探し出して麻子に処理してもらうのが最重要任務である。
瀬名は退職者の返却物から退職届や健康保険証を探し出す特技があった。
新人社員は面倒くさそうに制服やパソコンを取り出してマニュアルは中身も見ずに、テーブルに置くのを見た瀬名は新人社員に指摘をする。
「そのマニュアル、ちゃんと調べた方がいいですよ」
「マニュアルの中には入れないんじゃない」
瀬名の指摘にベテランの麻子ですら半信半疑だったが、麻子がマニュアルをパラパラとめくると退職届が出て来た。
「あった。これ、探していたんだよー」
さらに、瀬名は自分の段ボールの中身をチェックしながら向かいで作業していた新人社員に指摘した。
「その段ボールの側面に何か貼ってあります」
「え?どこですか」
「ここ」
瀬名が指を指した先には、段ボールの側面に白い封筒が貼り付けてあった。
「何?これ、もうヤダ」
麻子が嫌な顔をしながら封筒を剥がして中身を確認すると脱力する。
「保険証、こんな所に入れるぅ?信じられない」
このようにして瀬名は宝探しを終えた。
「本当にありがとう。これで退職処理が進むわ」
瀬名は、労務処理担当の麻子に感謝されてガーディアンエンジニアリングへ戻った。
「履歴書を渡しに行っただけなのに、遅いと思ったら宝探しをしていたんですね」
お風呂上がりに瀬名の髪を乾かしながら、呆れたように怜が言う。ところが、人の役に立てたと瀬名は上機嫌だった。
「助かったと言われて、少しだけ人事部の役に立てたようで嬉しかったです」
「はい、終わりました。暖かくして寝てくださいね」
怜はベッドに潜り込む瀬名が寝るのを見届けてから部屋を出た。
キッチンで食器を洗いながら怜は安堵する。
最近の怜は、瀬名の姿が少しでも見えなくなると不安になる。
瀬名が居なくなったらきっと自分は、金を生み出す便利なアンドロイドに戻るだろう。
そんな風に扱われて生きるのは二度とご免だ。
必要とされるのは容姿や能力だけ。
誰も自分に心があることを理解しようとしない。
生まれてからずっと怜は、天才的な頭脳ときれいな見た目だけを必要とされてきた。
幼い頃はそれでも母の栞や祖父の忠に構ってもらえるので、それでも良かった。
だが、成長するにつれて虚しさを感じるようになる。
特に栞を自動車事故で亡くしてからは、大切な人すら守れない自分には生きている価値がないと思い始めた。
栞亡き後、怜は児童養護施設に入るはずだった。しかし、栞の父である忠が「南條家の正式な跡取りである栞の子供を施設に預けると、南條家の名に傷が付く」と、高雄を説得して引き取られた。
この件は「高雄が血の繋がらない愛人の子を引き取った」と、懐の深さを示す美談として語られているが、実際は違う。
怜は南條家の執事見習い兼、高臣の勉強や習い事のパートナー兼、ガーディアンの商品開発を任され、自分の意志や時間を持てない生活を送ることになった。
さすがに学校には行かせてもらえたが学ぶことはなく、同級生とは話が合わない。それでも、年齢問わず女子にはキャーキャー言われたが興味はなく、逆ナンされても性処理の機会としか思えなかった。
生きる気力を持ち始めたのは、瀬名に出会った瞬間だ。
瀬名は栞が大切にしていた木目込み人形によく似ていた。
普段なら非科学的な事は信じない怜も、栞の死に傷ついたまま目的のない生活を送っていたせいか「栞が自分に瀬名を与えてくれたに違いない」と思い込んでしまった。
病弱な瀬名と精神を病んでいた栞。
次第に怜は瀬名を護ることに全力を注ぐようになった。
瀬名はいつも身体が辛い、だるいと訴える日々を送っていたが両親に理解してもらえない。
怜と知り合った頃の瀬名は、最終的に両親から「人は自分が経験したことしかわからないから、お前の言うことはわからない」「耳が聞こえないから勉強ができないのは許されない」と、次々に言われて自分を追い込んでいた。
怜は、そんな瀬名を甘やかして慰めることで、自分から離れられないように計画を練った。
瀬名は健康な子供達と違う人生を歩んでいる。
子供は親から、周囲に理解されなくても協調性と同調を求められ、身体や発達が普通の子供と違っても同じように発達することを望まれる。
怜も幼いながら周囲から浮かないように、異質さを隠して優しさという仮面をかぶることで生きる辛さや孤独、寂しさを誤魔化して来た。
だから、瀬名を理解できるのは自分しか居ないと自負している。
身体が弱い子供でも知能が高すぎる子供であっても、親の期待に応えたいという気持ちに変わりはない。
現実と理想の乖離が心を壊すとも知らずに。
両親は瀬名の倦怠感を、怠け癖や学校に馴染めない言い訳だと疑っていた。
瀬名が健康な他人になりたい、という自分との乖離に苦しんで感情が爆発して以降、怜は自ら瀬名の面倒を見たいと手元に置いて見守るという名目で囲い込んだ。
瀬名を栞の二の舞にしてはいけないという自戒と、男として瀬名を自分のモノにしたいという欲望を満たすために。
12月に入って最初の休日、瀬名と怜は応接間でクリスマスツリーの飾り付けをした。
瀬名が高校生の時、南條邸で静養していた12月にクリスマスツリーを高臣が買って来たのである。それ以来、12月になると瀬名と怜で飾り付けをするのが慣例になっている。
「今年はどの飾りにしましょうか」
リボンやベル、スノーフレイク、スターなどを模った電飾が一式揃っている。これは、ツリーを購入してきた時に「どれがいいのか分からなかった」と、高臣が店にあるものをすべて購入して来たからである。
「去年とは違う方がいいかな」
「それなら、スターは外しましょう」
「二種類付けたら重い?」
「他の飾りを減らせば大丈夫ですよ」
「じゃあ、リボンとスノーフレイクを交差させてみない?」
「そうしましょう」
こうして二人はクリスマスツリーの飾り付けを終え、部屋を暗くしてライトを点灯させた。
「二種類付けたので例年より煌びやかになりましたね」
フルーツティーを淹れて来た怜が、瀬名の隣に座りながら言った。
「一種類で良かったかも」
「そんなことありませんよ」
カップを片手に怜は瀬名を抱き寄せた。
キラキラ点滅する灯りの中で、瀬名は素直に怜の方に頭を預ける。怜は瀬名の頭を撫でながら髪に指を入れ、耳を触る。
「くすぐったい」
思わず怜の顔を見ると、怜はすかさずキスをした。
「もう・・・・・・」
瀬名がむくれると怜は部屋の灯りを点ける。
「来年のクリスマスは二人きりで過ごしましょうね」
「それもいいですね」
瀬名は怜の意図に気が付かないまま返事をして微笑む。
怜は複雑な表情を見せていたが、瀬名は気が付かなかった。
クリスマス・イブ当日。
怜は前日の夜からチキンや他の料理を仕込み、ほぼ丸一日キッチンに立っていた。
瀬名は身体の痛みと手がむくんで細かい作業ができないので、パーティー用の食器や酒が保管されている倉庫から食器を出してきて洗浄と磨きを繰り返していた。
午後になるとケーキが焼けた。
「美味しそう」
「冷めたら一緒に飾り付けをしましょう」
「えっ、私はいいです」
「瀬名が飾り付けしたら、旦那様も喜びますよ」
「でも、いいです」
瀬名は手のむくみとは関係なく、料理や図工は苦手だった。
怜がケーキを作ると、店に並んでいるケーキと遜色ない仕上がりになるのを知っている瀬名は、手を出したくない。
「わかりました。でも、来年は一緒に作りましょうね」
「え?あ、はい」
瀬名は先日もこんなやり取りがあったな、と思いながら返事をする。しかし、怜の意図が分からない。
瀬名は途中、何度かカウチソファーで休んだが、怜はずっと立ったまま料理を次々と作っていた。
そして、夜の8時過ぎ。
遅くなるのであれば周子からすでに連絡が入っているのだが、連絡もないまま高臣も帰って来ていなかった。
「何かあったのでしょうか」
「クリスマス・イブに残業なんて社員も嫌だろうな」
「予定のある人は多いでしょうね」
瀬名と怜は応接間で緑茶を飲みながら高臣達の帰りを待つ。
応接間にあるアンティークの時計が8時半を知らせた時、怜のスマホが鳴った。
「旦那様からメッセージです。監視システムの不具合で今日は帰れないようです」
「え?」
瀬名は帰れない程の不具合とは重大なトラブルなのではないか、と怜を見つめた。
「僕が行く必要はないでしょう。監視システムの設計はしましたが、実際にシステムを組んだのは本社のエンジニアですから。それより、旦那様達は夕食を食べずに仕事をしているでしょうから、今日の料理を折詰にしましょう」
「はい」
瀬名はトラブルも心配だったが、余った料理のことも心配だった。
明日食べてもいいが今日中に食べた方が美味しい。
怜は高臣の運転手に連絡をして近くのパティスリーで余ったケーキを買い占めてから、南條邸に来るように指示をすると、用意していたチキンや料理を具材におにぎりやサンドイッチを作る。瀬名はおにぎりやサンドイッチを入れるタッパーや紙皿、割り箸、使い捨てのフォークやスプーン、倉庫にあった魔法瓶を洗っては片端からホットコーヒーと紅茶を淹れた。
高臣の運転手に折詰とケーキ、魔法瓶を渡すと瀬名は周子に残っている全社員に差し入れて欲しいと連絡をした。
「喜んでくれるといいですね」
「そうですね」
「では、僕たちも食べましょう」
「はい」
どちらともなく手を繋いでキッチンに向かった。
二人きりで食事と片付けをすると、怜宛てに高臣から電話が入ったので瀬名は先に風呂に入った。そして、高臣と話を終えた怜がお風呂に入っている間に瀬名はランジェリーに着替える。
恥ずかしくてデパートで試着をせずに購入したのだが、実際に着てみると胸が見えるので瀬名は購入したことを後悔した。
瀬名が購入したのは、ボタニカル柄のレースをあしらったブラジャーとショーツ、ガーターベルトで留めたストッキングのベビードールセットだった。ブラジャーの頂にはスリットが入って、肩紐の代わりに背中のリボンで解けるようになっている。さらに、ショーツはオープンクロッチで左右のリボンで結ぶ今の瀬名にはセクシー過ぎた。
やっぱりクリスマスプレゼントに買ったエプロンを渡すだけにしよう、と瀬名はベッドボードにエプロンの入った袋を置いた。そして、着替えるためにウォークインクロゼットに向かう途中で部屋の扉が開いた。
扉を開けた怜と振り向いた瀬名は互いに驚いて無言で見つめ合ったが、やや間があってから怜が大股で近づくと瀬名を抱き締めてキスをした。
「はぁ」
怜がため息を吐くと瀬名が不安そうに腕を胸元で交差させて呟く。
「黒、似合わないですか」
怜は首を左右に振り「そうではなく・・・・・・」と呟き、瀬名を抱き上げてベッドに押し倒すと乱暴に前髪を掻き上げた。
「こんなことされたら、優しくできませんよ」
怜は劣情を称えた瞳で不敵な笑みを浮かべると、ブラジャーのスリットに噛みついた。
「きゃあん・・・あぁん・・・いや・・・・・・」
片方を口に含み舌で弄って吸い付きながら、もう片方は指で摘まんで引っ張り弾く。
異なる刺激を乳首に与えられ、瀬名は快楽を逃がそうと身もだえる。
怜は丹念に舌や指で愛撫をしながら耳元で囁く。
「どうして、こんな色っぽい下着にしたんですか」
「ん、怜さんのものだって実感したかったから」
瀬名は首筋に吸い付かれながら告白した。
旅行以来、セクシーな下着は身につけていなかった。だが、今日はクリスマス・イブという日以外に数ヶ月に一度ある「誰でもいいから抱かれたい」欲求が高まる日だった。怜の思うままに抱いて欲しくてセクシーなランジェリーを意識して選んだ。
「酷くしても知りませんよ」
「はい。酷くしてください」
恥ずかしそうに言う瀬名を怜は力いっぱい抱き締めると、瀬名も腕を回してキスをした
怜の舌は生き物のように瀬名の口腔内を動き周り、歯列を丁寧に舐めたかと思うと瀬名の舌に自分の舌を絡める。そして、口蓋を丹念になめ回された瀬名は腰が抜けて、甘いため息をつきながら怜に縋りついた。
怜は縋りついてきた瀬名を抱き締めながらベッドに横たえる。
キスをしながら怜が胸を揉む度にブラジャーのスリットから赤い蕾がのぞく。怜はその蕾を口に含むと舌先で嬲った。その度に胎内がキュッと締まるのがわかって瀬名の喉から声が切ない声が漏れる。
「もう、これだけで気持ちがいいんですね。それとも、この下着のせいで興奮しているんですか」
怜は蠱惑的な笑みを浮かべるとベロッと瀬名の首筋を舐め、瀬名は「ひゃあ」と悲鳴をあげた。
「脱がせるのが勿体ないですね」
怜は大腿部をなで回しながら、瀬名の全身を口づけた。瀬名の真っ白な肌に赤い痕が次々と散らばった。
「瀬名、きれいですよ」
怜の舌が爪先から大腿部の内側を這っていく。
だが、瀬名は早く怜が欲しくて胎内が疼いている。
怜はギラギラした眼差しで、指をショーツのオープンクロッチから挿入れて秘裂を嬲り始める。瀬名は喘ぎながら腰を跳ね上げた。
「いや、あん・・・・・・」
「この前まで処女だったのに、もう、こんなに濡らしているんですね」
意地悪く微笑みながら、指に付いた蜜を舐めて見せる仕草が色っぽくて、瀬名は目を奪われてしまう。その隙に怜は、秘裂に二本の指を一気に挿入れる。
「ひゃん」
怜が指を入れると媚肉が勢いよく絡みついてきた。怜はさらに指を増やしてかき回しながら隘路を広げると蜜が次々と溢れ出て来た。親指で膨れ上がってきた蕾を擦り、もう片方の手で乳首を弄る。
瀬名の全身が揺れて喘ぎ声が部屋に響き、瀬名の意識がだんだんと高まってきた時、怜のスマホが鳴った。怜は無視して瀬名を愛撫していたが、しつこく鳴るので怜が仕方なく出る。
もう少しで達しそうだった瀬名は、自然と脚を擦り合せて慰めるが上手くいかない。その様子を見ていた怜は、オープンクロッチから秘裂に指を挿入れる。それだけで瀬名の肌は粟立ち、声が漏れそうになるのを必死でこらえる。
相手は高臣らしく、怜は淡々と話しをしながら蠱惑的な表情を浮かべて指一本で瀬名を犯す。
瀬名は両手で口を押さえながら怜の指から逃れるためにベッドの上で暴れる。
「かしこまりました。明日、対応します」
怜の通話が終わると瀬名は俯せの状態で押さえつけられた。
「えっ」
瀬名は何が起きたのかわからずに大人しくしていると怜が枕を渡して来た。
「顔の下に枕を置いて、両手で掴んでいてくださいね」
瀬名が枕を掴んでいる間に怜は瀬名のショーツと自身の服を脱ぎ捨て避妊具をつけると、漲りを一気に挿入した。
「ひゃぁぁぁ、あん・・・・・・あぁ」
散々焦らされていた瀬名は、挿入されただけで達してしまう。
怜は瀬名の腰を持ち上げて抽挿を繰り返しながら白くて丸い尻を甘噛し、揺れる胸の頂きを摘まむと胎内が収斂する。さらに乳房をぐにぐにと揉みしだく。
瀬名は怜の漲りが奥処に当たる度に頭の先まで、悦びが突き抜けていくような感覚に陥って愉悦の闇に堕とされた。怜が触れるところなら髪の毛一本でも悦んでしまいそうなほど、全身が性感帯になってしまった。
怜も抽挿を止めて円を描くように腰を動かすと、ただでさえ絡みついてくる肉襞がさらに締まって持っていかれそうになる。
瀬名がバテ始めると怜は漲りを挿入したまま、瀬名の背中にあるリボンを解いてブラジャーを脱がせると仰向けにして座らせる。瀬名は怜の漲りを咥えたまま蕩けた表情で怜の首に腕を回す。互いに舌を差し込むと何度も角度を変えてキスをすると、瀬名の胎内で肉襞が漲りを締め付ける。唇を離すと瀬名は甘えるように胸に頭を預けた。
「怜さん、キス好きですよね」
「さぁ、どうでしょう」
淫靡な笑みで瀬名の顔を覗き込むと唇を貪る。
「ん・・・・・・」
ギュッと抱き締めると瀬名の口から甘い声がこぼれ、さらに漲りを締め付ける。
「あぁ、もう限界です」
少し苦しそうな表情で怜は呟き、瀬名を組み敷くと抽挿を始める。今までブラジャー越しに揉みしだいていた乳房を直接揉みしだき、掌に吸い付いて来る感触を楽しむ。さらに、乳首をなめ回すと瀬名の喉から悲鳴とも悦びともつかない声が上がり怜の身体に脚を巻き付けてしがみつく。
何度か瀬名が達した後に、怜は瀬名を強く抱き締めて精を放つと、胎内に熱い射液を感じた瀬名はまた達してしまい、そのまま意識を失ってしまった。
クリスマスが終ると寒さが厳しくなり、瀬名の身体は冷気が当たるとガラス片で切られる痛みが全身に起きる。顔に少しでも冷気が当たれば頭痛が起きるので、庭に出るのも容易ではない。
お灸やホットパックなど、いろいろな方法で身体を温めて様子をみていたが一向に体調が良くならない。
南條家では、年末年始に南條邸に親族一同が集まるのが恒例になっている。
今日は低気圧のせいで背中や肋骨付近の筋肉、肩から腕にかけて痛む。
シェーグレン症候群は全身の乾燥、線維筋痛症は寒さから来る痛みが起こるため、冬場の体調は最悪だった。
なんとか食事を終えて薬を飲むとソファーに寝転ぶ。
普段はダイニングテーブルで向かい合って仕事をするのだが、瀬名が横になっているので怜もソファーに座ると、瀬名に膝枕をしながらタブレットで仕事をしていた。
タブレットを操作しながら時折、瀬名の髪や頬を撫でる。その度に瀬名は気持ちが良くて、ウトウトしながら考え事をする。
年末年始の料理作りや準備、当日の給仕を怜一人任せるわけにはいかないと思うが、年末年始は気温が下がりやすく思うように動けない。戦力にならない自分がいると怜の迷惑になるので気は進まないが実家に帰るべきではないか、と瀬名は悩んでいた。
「紅茶を飲みませんか」
タブレットを置いて怜が言ったので、瀬名は目を覚まして頷いた。
怜がローズマリーティーを運んで来ると、瀬名は起き上がる。しかし、すぐに肋骨に痛みが走って肘掛けにもたれかかる。
「ローズマリーには筋肉を柔らかくする効能があると言われていますから、効くといいですね」
「美味しいです」
瀬名は笑って見せるが、すぐにうずくまってしまう。そんな瀬名を怜は自分の胸に抱き寄せる。
「瀬名が喜んでくれて、嬉しいです」
「怜さんがしてくれることなら何でも嬉しい」
「私は側に居てくれるだけで嬉しいですよ」
「でも、私何もできないし・・・・・・」
「だから、側に居てくれるだけでいいんですよ」
怜はニコリと笑って言うが、瀬名は不満な表情を見せた。
「私は人に尽くすのが好きなんです。だから、もっと甘えてください」
「もう十分甘えています」
「ぜんぜん足りません。言葉使いも表情も固いですし、遠慮しているでしょう。自分の家だと思って自由にしていいんですよ」
怜はそう言って瀬名の頭を撫でれば、負けずに瀬名も言い返す。
「怜さんも言葉使いが固いですよ」
「これは、子供の時からしつけられているので直せません。会社に居る時は演技をしていますが・・・・・・」
怜は少し淋しそうに笑った。瀬名は訊いてはいけないことを訊いてしまった、と怜から離れようとした。ところが、首筋にキスを落とされた。
「ひゃん・・・・・・」
瀬名が甘い声を上げると怜が手を離してクスクス笑った。
「ずっと一緒に居ましょう」
怜が優しく頭を撫でた。瀬名は「うん」と頷くものの複雑な思いで怜を見つめた。
寒さが本格的になると、こんな風にリモートワークすら難しくなり、ゴロゴロする日が増える。
普通、好きな人から一緒にいようと言われると嬉しいものだが、瀬名は喜ぶ事ができなかった。
気温が下がるに連れて、怜から求められる日が減ってきている。
無論、身体を気遣ってのことだと分かっている。身体を重ねるだけが愛情ではないことも。
それでも、世話もしてもらっている自分には、あげられるものが何もないと瀬名は嘆く。
本当に側にいるだけでいいのか、分からなかった。
12月31日の夕方から新村家の人々が続々と集まって来た。
瀬名は上下黒で統一したセーターとパンツスタイルに瑠璃色のエプロンを付け、キッチンの奥からグラスや食器類、酒を出す。
怜は白い長袖シャツに黒のパンツ、腰に黒のエプロンとギャルソンスタイルで料理を運んでいた。
「気分が悪くなったら休んでいいですからね」
この日、日本海側に居座っている冬将軍の影響で気圧性頭痛が起きやすい状況だった。
宴会が始まる前から肩に重石が乗っているような鈍痛を感じていたが、怜には告げずに笑顔で明るく振る舞う。
「大丈夫」
18時から忘年会を兼ねた年越しの飲み会が始まった。
瀬名はキッチンの端に座って緑茶を飲んで食事をしながら、怜の指示を待っていた。
ダイニングルームと応接間をコネクトさせた会場で給仕をしていた怜がキッチンに戻り、瀬名の姿を認めると微笑んだ。
「怜さん、夕食は食べたの?」
「えぇ、味見をしながら摘まんでいたらお腹一杯になりました」
「それならいいけど。緑茶もらってもいい?」
「もちろん」
瀬名は怜を心配しながらカップを受け取ると、緑茶を淹れる。
「お腹が空いていたら軽食もありますし、疲れていたらお部屋に戻っていてもいいですよ」
怜は、どうしますか?と目で尋ねる。
瀬名の気持ちとしては、すでに目の奥がチカチカして肩の重さは痛みに変わり肩甲骨が軋み始めていたので一刻も早く部屋に戻りたかった。だが、自分が部屋に戻れば怜が忙しくなる。
「大丈夫」
怜の負担になりたくない瀬名は無理して笑った。
トイレに行く途中、少し暗い所で休もうと廊下で壁にもたれかかって一息付いた。
応接間を覗くと酔っぱらった高雄がすでに眠っており、新村家の人々は大きな声で何か騒いでいる。
その声すら頭に響いて辛い瀬名は、やっぱり部屋に戻ると告げようと踵を返した。
「こんなところでコソコソ何してるの?」
背後から水琴が声をかけてきた。
瀬名は面倒くさい人に見つかったと顔を顰める。
「トイレに行く途中です」
素っ気なく答えて、立ち去ろうとするのを水琴が引き止めた。
「また、怜さんが優しいからって仮病を使って気を引こうとして。何にもできない人間ほど、具合が悪いとか言って人の気を引こうとするのよね」
意地の悪い笑みを浮かべて笑う。
鮮やかな紫紺の振袖を着こなす水琴を見て、瀬名はこの性格さえなければ美人なのにもったいないと思う。だが、ポーカーフェイスを貫く。
「用がないなら、私に構わないでください」
瀬名の言葉に水琴の目がつり上がった。
「生意気なのよ。だいたい、アンタに怜さんは不釣り合いなの。そんな簡単なこともわからないの?あんなハイスペックな男は、もっと世の中に出るべきなのよ。それができるのは私。病人なら病人らしく死ねばいいのに」
水琴は廊下に響くような笑い声を上げる。
水琴の発言に怜に対する愛情はなく、自分の虚栄心を満たすために怜を利用としようとしているのが明確だった。
怜への侮辱と死ねと言われ、さすがに瀬名の我慢も限界に達した。
瀬名は無言で水琴に近づくと頬を平手打ちした。
「何するのよ」
水琴が瀬名掴み掛かろうとするのを、高臣の声が止めた。
「今の発言は、ガーディアンの人間の言葉と受け取っても構わないな」
瀬名が目を見開いて水琴の後ろにいる人物を見つめた。
「旦那様」
応接間から出て来た高臣が立っていた。
「我が社はセキュリティサービス会社だということを忘れてないか。人々の生命と幸福を護ることが我々の使命だ。今の発言は、ガーディアンのマネジメントは思えないな」
高臣は厳しい表情で水琴を見つめながら淡々と話す。静かだが反論を許さない迫力に水琴が震える。
「ち、違います。今のは…・・・」
水琴は弁解しようとするが無視して、高臣は表情一つ変えず淡々と続ける。
「我が社では障害者や難病、ガン患者も積極的雇用しているのは知っているな。確か財務経理部にも何名か在籍しているはずだが。違うか、水琴」
高臣の言葉に水琴は「はい」と静かに頷いた。
「それを承知で今の発言をしたのであればマネジメントとして失格だ。明日付で役を解く」
高臣はそう告げると、キッチンへ向かおうとした。
「待ってください。高臣様・・・・・・」
水琴は青ざめながら高臣に追い縋る。
「水琴さん、今は戻りましょう」
いつの間にか応接間から現れた周子が高臣から引き離した。水琴は周子になだめられ応接間へ戻った。
瀬名は高臣に駆け寄ると頭を下げた。
「旦那様、申し訳ありません」
高臣は瀬名を見つめて優しく微笑む。
「お前が謝ることではない。それより、顔色が悪いぞ。大丈夫か」
「申し訳ありません。先に休ませてもらいます」
「あぁ、そうするといい。父上も寝てしまっているから、もうお開きにしよう」
高臣は悠仁に親戚を客間へ案内するよう指示を出し、怜には片付けを言いつけた。
瀬名は自分の部屋に戻ると常夜灯だけを灯して、頭痛用の漢方を飲むとベッドに倒れ込んだ。
頭痛とめまいがして気持ちが悪い。
加えて首筋から肩甲骨にかけてと、腰の痛み、右腕のしびれもあり横になっているのも辛いが、起きてもいられない。仰向けや横向き、枕を上下逆さにして寝心地を確かめるが、悪心と身体の痛みは消えない。
ただ、運のいいことに瀬名は漢方が効きやすい体質だった。
漢方薬は服用を始めてから1週間前後で効果が現れると言われているが、瀬名はその日の内に効果が現れる。そのため、頭痛の前兆や症状が出てから漢方を服用して2時間休めば回復する。
ちなみに、瀬名は毎日食前に服用する疼痛に効く桂枝加朮附湯の他に今日のような首の痛みがある頭痛で服用する葛根湯、目の奥が痛む頭痛に効く呉茱萸湯、下腹部の冷えからくる腹痛用に大建中湯を常に持ち歩いている。
漢方薬は副作用が少ないが、これだけの種類を服用し続けると便秘になりやすくなり、肝臓の数値が悪くなる。
できるだけ服用せずに済むように瀬名は我慢しているが、寒くなると服用せずに済ますことは難しい。
我慢しすぎて悪化すれば怜の手を煩わせることになる。特に今日は忙しい日だ。
怜の重荷になりたくない、その一心で瀬名は何も言わず黙って痛みに耐えていた。
瀬名がしばらく目を瞑ってベッドで横になっていると「瀬名、瀬名」と、名前を呼ばれている気がして目を開けた。視界がぐるっと回転して気持ちが悪い。
「大丈夫なの、瀬名」
小春が顔を覗き込んでいる。
「さっき薬飲んだから大丈夫」
「怜様に全部任せて、瀬名は何をやっているのよ」
「ごめんなさい」
両親には高臣と怜の世話をする家政婦として、屋敷に置いてもらっていることになっている。
「そんなに具合が悪いなら、家に帰ってきなさい」
「・・・・・・考えておく」
「何言っているの。高臣様には私から言っておくから、年明けには帰って来なさい」
小春の言い分は正しい。だが、家には帰りたくなかった。
布団を頭から被って小春に背を向けると、小春がため息を付いて部屋を出て言った。
目を瞑ると、漢方で身体が温まったのと気疲れで瀬名はすぐに眠ってしまった。
怜はシャワーを浴びるとバスローブに袖を通した。
バスタオルで乱暴に髪を拭いながら、スマホをチェックするとメッセージが届いている。
怜は内容を確認すると、ため息をついた。
予定よりも作戦が早く決行されることになるのは予想していたが、瀬名の気持ちが固まっていないのが気がかりだった。
プロポーズしてから5ヶ月。
病気の自分が負担になるのを恐れて、瀬名は結婚をためらっている。
怜は瀬名が居てくれれば何もいらないと本気で思っている。
瀬名には何度もその想いを伝えていが、信じてもらえない。
基本的に他人を信じていない怜は人間に興味がない。しかし、金を稼ぐには周囲と上手くやっていく必要があった。そこで、影のように生きる気遣いの人、を演じることにした。
南條邸で使用人同然でいるのは、影として生きる為である。
社長の弟や創業一族として振る舞うと、興味のない他人の機嫌を取り馬鹿を相手に駆け引きをしなければならない。
一変して会社で我儘な弟を演じているのも、社員を寄りつかせない為だ。
会社で影のように生きる『気遣いの人』を演じれば、玉の輿を狙う女性や、使えるモノは何でも使って這い上がろうとする社員の鴨にされる可能性が高い。
だが、扱いにくい天才で我儘な弟を演じていれば、馬鹿な人間に絡まれずに心の平穏が保たれた。
しかし、ずっと他人を寄せ付けずに来た分、どうすれば他人の心を捉えられるかが解らない。
だからといって、やっと捕まえた瀬名を手放すつもりはない。
本当は水琴に瀬名が絡まれていた時、自分が助けに行くはずだった。ところが、高臣に先を越されてしまった。
あの時は相手が高臣だとわかっていても嫉妬で気が狂いそうだった。そのうえ、すぐに瀬名に駆け寄って甘やかしてやるつもりだったが、新村の人間に用事を言いつけられて瀬名を一人で部屋に行かせてしまったことも悔やまれた。
その間に小春が瀬名に余計な事を吹き込んでしまった。
怜はバスローブからパジャマに着替えるとベッドに潜り込む。
すると、先にベッドで寝ていた瀬名が身体を寄せて来た。
襟の合わせから覗く怜の素肌に鼻を擦りつけて、怜の匂いを確かめると安心したように笑顔を見せる。怜は欲情に駆られそうになり理性を総動員して押さえる。
怜は瀬名の乱れた髪を直して抱き締めると額にキスをする。
いつもは無表情で水琴の言葉をかわす瀬名が手を上げたのは相当傷ついたはずだ。
瀬名の心は繊細だが、それを感じさせない鉄面皮の持ち主でもある。だからこそ、爆発した時が怖い。心に積もった怒りや悲しみが爆発しないようにドロドロに甘やかそうと思っていたのだが、瀬名の体調を考えると今日は難しい。
身体を繋げることだけが甘やかすことではないが、物欲もなく食べ物に拘らず、我儘を言わない瀬名をどう甘やかせばいいのか、未だにわからない。
怜は溜息を吐いて目を閉じた。
正月休みが終っても瀬名は、毎日のように冷気による全身の疼痛で出社できずにいた。
高臣は水琴に告げた通り翌日の1月1日付けで財務部長の役を解き、ガーディアンスタッフの管理部経理担当へ異動を命じた。
さらに、3月の経営会議を最重要会議と位置付けて各担当者に情報収集と資料作成を命じていた。そのメンバーには怜も含まれているので、怜は資料作成をしながら瀬名の看病と通常のエンジニア業務、家事をこなしていた。
瀬名は頭痛と首や肩の痛みを漢方で紛らわしながら、休みなしで働く怜の身体を心配していたが何もできずモヤモヤしていた。
だからといって黙って寝ていると小春の言葉が頭の中でリフレインして、いつ高臣からクビを告げられるのかビクビクしながら過ごしていた。
ウジウジ考えていても仕方がないので、瀬名は漢方の効果が出たところで起き上がって気分転換に12月末締め分の事務処理を始めた。
瀬名が自室のデスクで仕事をしていると、ノック音がして怜が姿を見せた。
「瀬名。仕事していたんですか」
「はい。寝てばかりいても身体が痛くなるだけなので」
怜は厚手の大判ストールを持ってくると、瀬名の肩にかけた。
「身体を冷やさないようにしてください。すぐに、お茶を持ってきますね」
そう言うと怜は部屋を出て行こうとした。
「待って。私も行く。キッチンでお茶飲んでもいい?」
瀬名が珍しく甘えるように首を傾げて見せると、怜は蕩けるような笑みを浮かべて頷く。
「もちろんです」
怜は瀬名のパソコンを持ってキッチンへ向かい、瀬名はブランケットを身体に巻き付けながら怜の後を追った。
怜が緑茶を淹れている間、瀬名はキッチンの隅にあるカウチソファーに座って月末処理を進めた。すると、初めて一人で最後まで完璧にできた。
「怜さん、経理の月末処理ができました」
嬉しくなって瀬名が声を掛けると、ティーポット片手に怜が振り返って笑みを浮かべた。
「本当ですか。確認するので、ちょっと待ってくださいね」
緑茶を淹れた怜はパソコンをカウンターに乗せ、瀬名に緑茶を出して内容をチェックした。
怜は請求書の枚数を数えるようにめくると、データと照合をする。怜はパラパラとめくっただけで内容を覚えることができ、一度覚えたことは忘れない。
瀬名はその能力が羨ましい反面、「人と違う」辛さを知っている瀬名は、怜にも他人とわかり合えない辛さがあるのだろうと怜の横顔を眺める。
「完璧です」
データをチェックし終わった怜は、「よくできました」と瀬名の隣に座ると頭を撫でた。
「一人でできるようになるのに2年かかりました」
請求書の内容を入力して、予算から引き算するだけの作業だ。それすらできなかった自分を情けなく思う。
「それは違いますよ。権限の問題です。今月から権限が代わったからですよ」
「そうなんですか」
ガーディアン本社の権限や連結決算について疎い瀬名は、怜の指摘していることがわからない。
一方怜は、この件が高臣の計画の中で鍵を握ることだっただけに、今日の結果は自分達にとって良い方向に進むだろうと確信した。
「頭痛は良くなりましたか」
「うーん、少し首が痛いぐらい」
瀬名が首を左右に曲げながら答える。怜はそっと項に触れる。
「この辺ですか」
「うん、でも触らないで」
瀬名はそっと身体を離す。
「どうして」
「からかわないで」
怜はわざと耳元で囁くので、瀬名は真っ赤になって俯いた。
「怒らないでください。ね」
瀬名はムスっとした顔を見せながらも、怜の胸にもたれかかる。そんな瀬名を怜は可愛いと思いながら、指先で長い黒髪を弄ぶ。
「こうして二人きりで、のんびりお茶を楽しめるのはいいですね」
「うん」
怜の胸にもたれかかりながら瀬名は好きな人が自分と同じ気持ちでいてくれることや、こうやって甘やかしてくれる奇跡を噛みしめる。
「瀬名はこんな時間をずっと過ごしたいと思いませんか」
髪を弄んでいた指を離して頬を撫でる。
「うん」
瀬名は頷きながら頬を撫でる怜の手に手を重ねる。
「では、この家を出て二人きりでのんびり暮らしましょう」
「え?」
瀬名は怜を見上げた。
「今すぐではありませんよ」
「住む場所は決まっているんですか」
「いいえ。二人で決めましょう。僕は庭のある温泉付きの一軒家が希望ですが瀬名はどうですか」
穏やかに怜は話しているが、瀬名にとって温泉付き一軒家は夢の世界で現実感が持てない代物だった。だが、怜の収入や資産から考えれば高い買い物ではないのだろう、と考え直す。
「ここのお花はどうするんですか」
怜はここ数年バラに凝り出して、年中バラが咲き乱れるローズガーデンを造り上げていた。手間暇かけて育て上げたこのバラ達をどうするのか心配になる。
「瀬名は優しいですね。バラの心配をするなんて。そうですね。土壌が合うものは植え替えるかもしれません。ただ、全部持って行くわけにはいかないので、考えます」
「それはいいですね」
「それで、瀬名はどんな家がいいですか」
「私ですか」
「えぇ」
期待で満ちた目で怜に見つめられて、瀬名は戸惑う。だが、憧れがないわけではない。付き合っていれば、「結婚したら」「一緒に暮らしたら」と心の隅で思うことは何度もある。
「静かな環境で、医療や買い物に困らない場所がいいです」
瀬名が現実的な希望を言うと怜は瀬名の頭を撫でながら頷いた。
「確かに、それは重要ですね」
それから二人は理想の間取りや内装、家具の話など、とりとめなく話した。
話をしながら瀬名は、「こんなに自分のことを大切に思ってくれる人は他にいない」という気持ちを強くし、先延ばしにしていた結婚の話を前向きに考えてみてもいいのかも知れないと思い始めた。
その夜、ずっと寝てばかりいたせいか寝付けなかった瀬名は、キッチンでルイボスティーを淹れていた。すると、キッチンの扉が開き高臣が顔を出した。
「旦那様、どうかされましたか」
瀬名が声を掛けると高臣が驚いた顔をした。
「瀬名、起きていたのか。ちょっと喉が渇いた」
「今淹れているのはルイボスティーですが、お酒を用意しましょうか」
瀬名が淹れたばかりのルイボスティーのカップを見せると、高臣は笑みを浮かべた。
「いや、同じものでいい」
「では、お持ちしますね」
瀬名が笑顔で言うと高臣は少し考えるような表情をしてから言った。
「では、私の部屋で一緒に飲もう」
珍しい高臣からの誘いに瀬名は先日、小春に言われた話を思い出して緊張した。
ルイボスティーを淹れて高臣の私室で二人用のソファーセットでお茶を飲む。
「うまいな」
「そうですね」
瀬名が社会人になってから、高臣と二人きりでお茶を飲むことがなかった。それに、小春の話が気になる。
「あの・・・・・・」
「なんだ」
高臣が優しい眼差しを瀬名に向けた。瀬名は思い切って気になっていたことを訊いた。
「私はここを出ていかないといけませんか」
高臣は少し驚いたようだったが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「その話なら心配しなくていい」
「本当ですか」
「あぁ」
「瀬名を名波家に返したら私が怜に恨まれる」
高臣が微笑んだ。
「そうでしょうか」
瀬名が曖昧に返すと高臣が話を切り出した。
「ところで、怜との結婚を迷っているらしいが、病気のことを気にする必要はない」
結婚の話を高臣が知っているとは思わず、瀬名は喉が鳴る勢いでルイボスティーを飲み込んだ。
「えっと、病気が解った時に自分の結婚は諦めました。旦那様と怜さんが幸せになってくれれば、それでいいと思うようになったんです。だから、結婚を申し込まれても、どうすればいいのか解らないんです」
「瀬名の気持ちは嬉しいが、私も怜も瀬名の幸せを祈っている。だから、瀬名が幸せにならなければ誰も幸せにはなれない。特に怜はな」
高臣は兄の顔をして語った。
瀬名は高臣が自分や怜の幸せを考えてくれることを知って、胸が一杯になって言葉が出ない。
「怜は瀬名と暮らすようになって人間らしくなった。私と会った時は笑顔でいても、どこか冷めていて他人に関心がないようだった。もちろん、子供の時は自然体だった。ただ、子供の割に周囲の状況がよく理解できる子供だったから、母を護ろうとしている姿は健気だったな。母が亡くなってから変わってしまったが・・・・・・」
高臣から語られた内容は瀬名の知らない事実だった。
「旦那様は子供の頃の怜さんを知っているんですか」
「あぁ。と言っても一緒に暮らしていたわけではない。私は今、父が暮らしている家で育った。だが、母と怜はこの屋敷で暮らしていたんだ。だから、母と会うために私は月に1~2度この屋敷に来ていたんだ」
「そうだったんですね」
「怜は何も言っていなかったのか」
「はい」
「まぁ、あまり楽しい思い出ではないのかも知れないな」
高臣は遠くを見るような目をした。
「楽しい思い出ではない」
「・・・・・・。気になるなら訊いてみるといい。瀬名には話すだろう」
確信があるように高臣は言うが瀬名は不安だった。
「そうでしょうか」
「あぁ、瀬名は気が付かないか。瀬名がここで暮らすようになってから庭がローズガーデンになっているのを」
「え、怜さんがバラに凝り始めたのは知っていますけど、それは私のせいなんですか」
瀬名の驚く様子に高臣はクスクス笑いながら、訊いてごらん、という表情で言った。
「怜がバラに拘っているのは瀬名が関係していると思うよ」
瀬名は飲み終わった自分と高臣のティーカップを持つと、「お休みなさい」と告げて高臣の部屋を出た。高臣の部屋を出た瀬名はキッチンでティーカップを洗う。
すると、キッチンの扉がバンっという音とともに開いた。
「瀬名」
驚いて瀬名が振り向くと、珍しく慌てた表情の怜が飛び込んで来た。
「怜さん」
怜は何も言わずに背後から瀬名を抱きしめた。抱き締める怜の鼓動が速い。
「怜さん、何かあったんですか」
蛇口の水を止めて振り向くと、怜が途方にくれた表情をしている。
怜らしくない態度に心配になって、顔を覗き込むと深く口づけられた。
いつものように雰囲気に飲まれそうになりながらも、瀬名は怜の胸を両手で押してキスを中断させる。
名残惜しそうに怜の唇が離れた。
「怜さん、何があったんですか」
瀬名がもう一度訊くと怜は前髪をくしゃくしゃっと掻き上げた。
「瀬名がベッドに居なかったので、探し回りました」
「あ、ごめんなさい。旦那様とお茶を飲んでいたんです」
瀬名は答えながら広いとはいえ外ではぐれたわけではないのに、何故ここまで焦っているのか瀬名にはわからない。しかし、怜は納得のいかない顔で「そうでしたか」とため息を吐いた。
「さぁ、寝ましょう。後は僕が片付けておきます」
怜は瀬名に有無を言わさず瀬名の手を引くと、キッチンを出てズンズン瀬名の部屋に向かう。部屋に入ると怜は瀬名の顔中にキスをした。
「怜さん、ちょっと、待って」
瀬名は身体を捩って逃れようとするが、怜は瀬名の肩を押さえつけて額や唇から首筋に吸い付き、鎖骨に甘噛みした。
「・・・ん・・・・・・」
思わず瀬名が声を上げると、怜は力一杯抱き締める。
「瀬名、何処にも行かせません。嫌だって言っても離しません。いいですね」
瀬名の耳元で怜が掠れた声で言った。
「苦しい・・・・・・私は、何処にも行きません」
わずかに動く腕で怜を抱き返すと、怜は安心したように瀬名の頭を撫でた。
訳が分からず瀬名がキョトンとしていると、お姫様抱っこして互いの額をコツンと合わせる。
「僕は瀬名が居ないとダメなんです」。
「私も同じです」
「瀬名、おいで」
ベッドに入ると怜はいつものように腕を伸ばして腕枕をする。
瀬名は怜に安心して眠って欲しくて、いつものように胸元に顔を埋めながら怜に強くしがみついて眠った。
年末から始まっていた4月入社の新入社員を受け入れる準備は、1月中旬になると佳境に入った。
ガーディアンエンジニアリングは秋入社が多いので、それほど忙しくはならないが本社では猫の手も借りたいほど忙しくなる。
そこで瀬名は怜に了承を受けたうえで由紀に相談をして、内定者専用SNSで内定者研修の進捗と成績管理、質問回答、本社から内定者向けの連絡事項の伝達を請け負っていた。
内定者のSNSが動き出すのは夕方以降が多いため、瀬名が仕事をするのは夕方から夜になる。
ガーディアンは日本を代表するセキュリティサービス企業である。収益は黒字続き、福利厚生は充実しており、海外でも名の通った優れたエンジニアが多数在籍している。新サービスを発表すれば話題になるので将来性は高く、男女問わず能力が評価されて昇進できるので働きがいがあると、評判がいい。そのうえ、高臣が障害者や難病、ガン患者、介護や養育の必要な人材を継続的に雇用できる制度とリモート化をいち早く取り入れていている。
現在、ガーディアングループでは国内だけで60拠点のサテライトオフィスを持ち、ガーディアングループが経営するホテルでも、空き室があれば社員は無料で利用できる。
仕事の資料はすべて怜が開発したクラウドに保管されているので、その気になればバカンス中でも仕事ができるようになっていた。
これらのことから、ガーディアングループは就職したい企業の一社に上げられている。
ところが、就職したい企業の一社に内定をもらっても、より理想的な就職先を求めて活動する学生は多い。
さらにビックリするような優良企業が追加募集をするので、内定式が終ったからと言って安心できない。
瀬名の役割は内定者フォローという業務であり、SNSで本社からの伝達事項を伝えるに留まらず、社内の様子や内定者同士で盛り上がれそうな話題を振って自由にトークしてもらうなどの工夫をしている。
瀬名がこの役割を与えられたのは次期社長である高臣と親しく、扱いにくいと思われている天才エンジニアの怜と親しいからである。
つまり、カリスマ的存在の二人から内定者向けてコメントや動画をもらって内定者を繋ぎ止めようというのが、本社人事部の狙いである。
高臣と怜は瀬名に協力的で、依頼すればすぐにコメントを書いてくれた。怜に至ってはエンジニアの内定者向けに、読んでおくべき本や習得しておくといいスキルのアドバイスをくれる。さらに、周子や悠仁も身につけておくといいビジネスマナーやコミュニケーション術のアドバイスをくれたこともあり、内定者SNSは好評だった。
瀬名は辞退者が出ないまま入社式を迎えて欲しいと願っていた。
しかし、2月の経営会議で大スキャンダルが明るみになる。
瀬名は毎月の経営会議で瀬名はハーブティーを出して部屋を出て行くのだが、その日は違った。
「瀬名、怜の隣に座りなさい」
怜にハーブティーを出すと高臣に命令された。
唐突なことに瀬名が困っていると周子が近づいてきて耳打ちする。
「新社長の指示通りに」
そこで瀬名は高臣が新社長になる発表があるから、残るように言われたのかと思った。
だが、始まったのはガーディアンエンジニアリングの予算が横領されていたという怜の告発だった。
「この2年間、ガーディアンエンジニアリングの予算から毎月200万が何者かにより横領されています。そこで、この200万をガーディアングループに導入している財務会計システムで追跡しました」
スクリーンには本社から割り当てられた予算が、「株式会社ガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名」名義の口座を経由してガーディアンスタッフへ送金されている図が表示された。
役員達の目が一斉に瀬名に向けられる。
突然、降ってわいた横領の疑惑に瀬名の頭は混乱した。
瀬名は月末の経理業務が苦手で、毎月決まって200万足りなくなった。その都度、怜に相談して「このままでいい」と指示されていた。だから、瀬名はその後の処理を怜に任せていたが、なぜ横領犯に仕立て上げられているのか理解ができない。
「瀬名、どういうことだ」
上座に座る高雄の後ろから悟が声を張り上げた。
瀬名はビクッと身体を震わせただけで、声を出すことができない。
「名波さん、瀬名は横領していません。まだ説明が終っていませんので、もう少々お時間をいただけませんか」
怜は冷ややかな声で悟を制した。
悟は不機嫌な表情で怜と瀬名を見比べながらも黙った。
「このガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名の口座はフェイクです。僕を含めてガーディアンエンジニアリングの役員は口座開設の話を聞いたことも、承認した覚えもありません。また、銀行に確認しましたが、提出されたガーディアンエンジニアリングの銀行印は偽造されたものでした」
怜の説明を聞いた瀬名は、ホッと胸をなで下ろした。
「だったら、彼女が勝手に作ったんでしょ」
声を上げたのは水琴だった。水琴は役員の任を解かれたにも関わらず、今日はガーディアンスタッフ社長補佐として出席していた。
「それは違います。僕は名波瀬名のGPSやデバイスを確認しましたが、口座を作った支店に行った形跡や、ネットで口座開設形跡はありませんでした」
瀬名は「え?」と驚いて怜を見るが、怜はチラリと瀬名に目配せして口角を上げた。
「ちょっと、あなた瀬名のスマホを勝手に見たの?」
「詳細はここでは言えません」
水琴の問いを怜は濁した。
「それでは、証拠にはならないだろう」
「そうだ」
新村家の役員が言い始めると高臣が静かに言い放った。
「怜の調べには問題ない。私が保証する。怜、続けろ」
高臣の言葉に会場が静まり返る。
怜は高臣に軽く一礼して続ける。
「口座が勝手に作られたものであったことから、横領犯はガーディアンエンジニアリングから口座に送金できる人間だと考えて、財務会計システムの操作ログを解析しました。それがこちらです」
スクリーンに毎月200万をガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名の口座に送金した履歴が映し出された。
カラクリはこうだ。
ガーディアン本社からの予算は概算で1年分グループ会社へ分配される。その予算は、さらに上期と下期に分けられて、グループ会社の経理担当は概算ではなく確定した上期(または下期)の予算表を見ながら経費や交通費の精算を行っていた。
つまり瀬名は、確定になった半期分の予算しか見ることができない。だが、その裏で財務部長である水琴は1年分の予算を見ることも操作することも可能なため、瀬名が見ることができない上期(または下期)の予算から200万を横領していたのである。
通常なら、毎月の経費精算をしても半期分の合計は合うはずなのだが、水琴の悪事を知っていた怜は瀬名の分だけ年間合計が表示できるようにしていた。
だから、瀬名は「(年間の)合計が合わない」と言っていたのである。しかし、水琴はそのことを知らなかった。
「そんな権限申請書、見てないわ」
「グループ会社の権限申請書を本社まで回す必要はありません。社長決済が下りているのに」
怜が嘲笑すると水琴は悔しそうに唇を噛む。
そのやり取りを見ていた高雄が激高して立ち上がった。
「水琴、お前だな」
会場中の視線を集めた水琴は首をブンブンと横に振った。
「ち、違います。私じゃない」
「証拠は挙がっています。素直に認めたらいかがですか」
冷たい声で怜が言うと、水琴は立ち上がって震える声で言った。
「誰かに嵌められたのよ。絶対そうよ」
「それはあり得ません。僕の作ったシステムでデータの改ざんは不可能です。ちなみに、先ほどの送金履歴の中には水琴さんが削除した形跡もありました。さらに、本来は経費で認められない役員の飲食代が経費として処理されています。ここ10年で5億円を超えています」
スクリーンに操作履歴が映し出された。水琴が瀬名名義の口座へ送金した後、その履歴を削除している。そして、昼食代やキャバクラでの飲食代、自宅までのタクシー代など新村家の人間が使った私的なお金が経費で処理されていた。
スクリーンを見た水琴は、ガックリと崩れ落ちるように椅子に座った。
また、会社の金を私的流用していた新村家の面々は外部役員に睨まれ小さくなった。
「ちょっと待ってくれ。口座を作って送金したのが水琴だとしても、最終的にはガーディアンスタッフに入金されていたんだろう。そこはどう説明するんだ」
沈黙を破って指摘したのは、業務請負会社ガーディアンブルーの社長で高雄の弟、高保だった。
この指摘に答えたのは悠仁だった。
「水琴さんは最終的にどこへ金が流れたのか隠すために、わざわざコンビニのATMから送金していました。証拠もあります」
スクリーンにはガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名名義の口座から200万が引き出され、日刊警備業界社の長谷川祥子へ送金し、日刊警備業界社から謝礼の名目でガーディアンスタッフへ入金されていた証拠が並べて映し出された。
「おい、個人の口座情報なんか入手できるはずがないだろ」
高志が怒鳴る。
「日本を代表するセキュリティ会社が動けば、このぐらい朝飯前です」
悠仁と高臣が互いを見て微笑む。その光景に会場が凍り付いた。
悠仁の父はメガバンクの仁科銀行の頭取である。そのコネクションと高臣の人脈を使えばこれぐらい朝飯前だ。
再び静まり返った会場に高臣の言葉が響く。
「この日刊警備業界社の長谷川祥子からも話を聞いて確認を取り、その時の動画を検察に提出した」
どよめく会場内で高雄が叫んだ。
「高臣。なんてことをしたんだ」
「社長。不正が発覚した以上、隠す訳には参りません。今後の対策を講じましょう」
「貴様、父を裏切ったのか」
顔を真っ赤にして怒り狂う高雄に対して、高臣は冷たい眼差しで高雄を見つめる。
「裏切ったとは心外です。右も左もわからない新人を財務部長に承認したあげく、身内に侮られて犯罪を許すような人に、ガーディアングループを任せる訳には参りません」
息子から父へ引導が渡された瞬間だった。
瀬名は周子によって先に家に帰された。
怜からも帰宅後に詳細を説明するから、身体を休めておくように言われたので瀬名はベッドに潜ったが眠れない。
会社が今後どうなるのか、なぜ水琴は自分を嵌めようとしたのか、そもそも水琴が横領した動機は何か、頭の中を疑問が駆け巡る。
それでも、長時間緊張して会議に臨んでいたので疲れていたせいか瀬名は眠ってしまった。
起きた時には怜が夕食を作り終えて、瀬名の部屋でハーブティー片手に仕事をしていた。
「目が覚めましたか」
枕元に腰を下ろした怜に声を掛けられるが、寝ぼけ眼の瀬名は声を出さずにコクコク頷いた。そんな瀬名を微笑みながら怜が頭を撫でる。瀬名が気持ちよさそうにしていると、指を瀬名の髪に潜り込ませて地肌を撫でた。瀬名は起き上がると怜の胸にもたれかかる。
「夕食の準備ができていますよ」
そういいながら怜は腕を回して瀬名を抱き寄せると頬や額、唇に啄むようにキスを繰り返した。
「今、おきる・・・ん・・・・・・」
瀬名は起きようとする前に、怜が舌を入れて口腔内を嬲り始めた。瀬名は怜から離れようと身体を捩るが、怜は瀬名の頭をしっかり抱え込み離そうとしない。
「すみません。今日一日中側に居たのに、触れることができなかったので止まりませんでした」
ようやく唇を離した怜は謝ったが、瀬名は目が覚めたものの頭はボーっとしたままだった。
今日は会議が長引いて帰れない高臣や悠仁、周子がおらず二人で夕食を食べ終え、食後に手作りのマンゴープリンと緑茶を楽しみながら怜は横領事件のあらましを瀬名に話し始めた。
水琴は家政婦の娘のくせに高臣や怜に可愛がられている瀬名が嫌いだった。
いつもボンヤリとしていて何もできず鈍くさい。それなのに、病気だからというだけで高臣と怜に構ってもらっているのが気に入らない。
水琴は従兄弟で紅一点ということもあり、周囲から可愛がられてきた。だが、高臣と怜は水琴には見向きもせずに瀬名ばかり可愛がっていた。
そのうえ、勉強もしていないのにトップクラスの成績を取り、それをひけらかすこともせず淡々としているのが鼻についた。
おまけに、学校での嫌がらせで精神的に参ってしまったと嘘を付いて、高臣と怜が暮らす屋敷に居候を始める厚かましさに水琴の怒りは膨れ上がった。
瀬名だけは許せない。
どんな手を使っても高臣と怜から引き離そう。
水琴は南條家から追い出してやると決めた。
大学卒業後、すぐに水琴はガーディアン本社へ入社したが、瀬名は一社目をリタイアした後にガーディアンエンジニアリングへ入社する。
父の高志や親戚の後押しもあって、すぐに役職に就いた水琴は経理システムの権限者になった。
水琴は自分の親や親戚達の思惑に気が付かないまま、瀬名を追い出すチャンスが来たと思った。
ガーディアンエンジニアリングの経理は瀬名が担当していたので、横領の罪を被せることはたやすい。
ガーディアン本社で保管しているガーディアンエンジニアリングの銀行印を偽造して、瀬名の名義で口座を作る。その口座に毎月200万を振り込み、その後は自分で使うはずだった。
だが、ここで計画が狂った。
水琴の父が経営を任されているガーディアンスタッフがアウトソーシングサービス会社のガーディアンブルーに押され、赤字続きで会社の資金繰りが苦しいが本社から予算が下りない、と泣きついてきたのである。
水琴はそれまで使わずに貯めていた金に加えて、毎月200万を渡すと約束した。
しかし、ガーディアンスタッフへ入金するには、どこかの業者を名乗らなければならない。そこで、幼なじみの長谷川祥子を頼ったのである。
記者である祥子は世界的エンジニアで、有名機関誌で世界を変える百人に選出されている怜の独占インタビューを取りたがっていた。
怜のインタビューを餌に、毎月200万を取材費や広告掲載費として支払い証明を出して入金するように頼んだ。
さらに、横領事件が露見した際に高臣を脅せるようなネタを掴むように依頼した。
「それで、長谷川さんはホテルに居たんですね」
それまで黙って聞いていた瀬名が口を開いた。
「そうです。記者の長谷川も悪事に荷担している以上、何かしらの情報が欲しかったようです」
「水琴さんは2年も横領していたんですか」
「正確には1年半です。いくら周りの後押しがあったからとはいえ、新人にすぐに権限は渡しません。半年間は試用期間ですからね。それでも早すぎると思いましたが、旦那様は何か裏があると思ったようで、あえて承認したんです」
「じゃあ、ずっと前から解っていたんですか」
「えぇ、もちろん」
ニコリと笑って怜は種明かしを始めた。
高臣は以前から新村一族による経費の私的流用を問題視していた。
そこで高臣は秘密裏に経理システムの改善を怜に依頼した。
高臣の要望を踏まえつつ、横領や粉飾決算などを防ぐシステムを怜は完成させた。
AIを搭載した財務会計システムは各企業の金の流れと承認ルートをAIに学習させて、通常の流れと異なる支払いや入金、承認が行われると内部監査室長に通知が届き、該当する承認や入出金ルートが表示される。これを内部監査室長が問題視すると、社長と会長、外部監査役、顧問弁護士に情報が一斉に共有される仕組みになっている。
財務会計システムでは、誰が・いつ・どのような操作をしたのかを、削除した履歴も含めてログが残る。
一番始めに水琴の横領に気が付いたのは怜だった。
毎回、瀬名の経費処理が上手くいかないことに疑問を抱き、ログを調べたら水琴が裏で操作していたことが判明した。
すぐに告発しても良かったのだが、一回や二回では操作ミスと言い逃れもできるので決め手に欠ける。また、200万の行方も突き止める必要があった。
そこで銀行周辺を悠仁が、ログの解析を怜が調査することになった。だが、銀行からの情報開示がなかなか難しく、高臣と付き合いのある警察庁にも協力してもらうことで全容が解明された。
さらに、水琴に横領するよう指示したのが高志であることがわかった。高志は怜が開発した財務会計システム導入以前から横領を続け総額1億円以上を着服していた。
「横領についてはわかりましたが、あの、私に付けたGPSって何ですか」
瀬名の質問に怜は苦笑する。
「そこ、気になりましたか」
「気になります」
瀬名がムッとした顔をすると、怜は「仕方がないですね」と呟いて白状した。
「瀬名の靴に付けてあります」
「え、全部ではないですよね?」
返事をする代わりに怜はふふっと笑った。
「嘘でしょう?全部に付けたんですか」
「すみません。でも、以前のように目の届かない所で具合が悪くなったら、と思うと心配なんです」
怜は眉尻を下げて瀬名を抱き締めた。
怜の言いたいことは瀬名にも理解できた。瀬名自身も一人で出かけた途中で痛み発作が起きたら、と考えると外出する勇気が出ないことが多い。
「悪用しないなら・・・・・・」
瀬名は自分で怜に甘いな、と思うが怜の胸から顔を上げて告げる。
怜は満面の笑みを浮かべて瀬名を強く抱き締めた。
翌朝、新聞やテレビ、ネットで一斉に横領事件が報道された。
南條邸やガーディアン本社にマスコミが大勢押しかけて来たので、高臣と怜、瀬名は外に出るのも難しい状況になった。
「窓際には立たないでくださいね」
広大な庭がある南條邸では、窓際に立ったところで外から見えないのだが、怜は朝からピリピリしながら高臣と瀬名に注意する。
二人は顔を見合わせて頷くしかできない。
騒ぎになっているので、今日はハウスキーパーを入れることもできず、怜は一人で掃除をしている。そこで、瀬名は怜に手伝いを申し出たが断られてしまった。
高臣は家に居ても周子や悠仁、顧問弁護士から次々と連絡が入るのでリビングにいても休む暇もない。
高臣が執務室ではなくリビングで仕事をしているのは、検察聴取の日程調整や財務会計システムについて怜に確認しなければならないからである。
瀬名は自室に居ても落ち着かないので、怜にくっついてリビングにいた。
特に急ぎの仕事はないが社内の様子が心配なので、仲の良いエンジニアや由紀にチャットで様子を聞いた。
ガーディアンエンジニアリングでは特に騒ぎはなく、いつも通り各々研究を進めているらしい。
だが、ガーディアン本社の採用チームには激震が走っているらしい。
朝から内定者からの問い合わせが多く寄せられて電話が鳴り止まないという。
由紀のチャットを読んだ瀬名は慌てて内定者SNSを確認すると、新卒も内定者同士でやり取りしているようだった。
何かアナウンスをしなければと思うが高臣はパソコンとスマホを交互に手にしていて、声を掛けられる状況ではない。
かといって瀬名が判断していいことではなく、どうするべきか頭を悩ませていると背後から声を掛けられた。
「どうかしましたか」
「わっ。あぁ、怜さん」
「何か困ったことでもありましたか」
「ええっと、内定者フォローのことで」
「もう辞退者が出ているんですか」
「いいえ。ただ、今のうちに対処しないと辞退者が続出すると思います」
「まぁ、その程度で辞退する人は、辞めてもらっても僕は構いませんが、それで瀬名の評価が落ちるのは困ります。策を練りましょう」
怜の言い分に賛同はできないが、怜が一緒に考えてくれるのは有り難い。
高臣が次々と指示を出しているのを横目に瀬名と怜は内定者にどうアナウンスをするか考えた。
会社としてのアナウンスはすでにHPで掲載してある。この内容に沿ったアナウンスをSNSで伝えることは決まったが、それだけでは不安を払拭することは難しい。
「怜さん、今回使用した財務会計システムはすでに販売されているんですよね」
「いいえ。試験的に導入しているだけで、一般発売はこれからです」
「それなら、今後発売される新製品によって横領事件が暴けた、ということを内定者に説明すれば不安は解消されますよね」
瀬名の提案に怜は腕を組んで考える。
「それで辞退を踏みとどまるでしょうか。彼らは雇用される保証が欲しいのでしょう」
「あぁ、そうですね」
テレビではガーディアングループの株価暴落が伝えられている。
「新製品が優れたもので将来性があるものだと伝えられると思ったんですけど、確かにそれだけだと弱いですよね」
「まぁ、会社の信頼はすぐに回復しますよ。ただ、内定者向けに説明会は必要でしょう。先ほどの謝罪文と日程を調整して後日案内すること、不安や疑問がある人はDMして欲しいことを、SNSでアップしましょう。あとは旦那様に相談して決めなければならないでしょうね」
怜の言葉に瀬名が頷く。
「瀬名。それなら、説明会では私が説明をすることと、少しでも不安や疑問がある人はメールや電話をしてくれれば、本社やオンラインで人事担当者が相談に乗ると伝えて欲しい。人事には私から指示しておく」
隣で電話を終えた高臣が指示を出した。
「はい。わかりました」
電話をしながら話を聞いていたことに驚きながら瀬名は返事をする。怜と一緒にアナウンス文を考え、高臣から承認をもらった。
その後、高臣が人事に指示を出したタイミングで内定者用SNSにアップ。さらに、人事部へSNSにアップしたアナウンス内容をメールで伝えた。アナウンス内容を人事に伝えておかなければ、人事担当者が問い合わせ内容を把握できず対応に困るうえ、学生に不信感を抱かせて辞退者が増えると考えたのである。
内定者向けSNSで告知後、不安なので面談したいという声が次々と寄せられ、瀬名は人事と内定者の面談スケジュールアレンジで忙しくなった。
横領事件が報道されて数日後、早朝から家宅捜査が入った。
その日は都心での初雪が予想される寒い日だったので、前日から身体の痛みとだるさを訴えていた瀬名は、起き上がれなかった。
だが、関係者として部屋を調べると言われ、すでに調べて何も出てこなかった客間で怜と休むことにした。さらに、検察聴取に協力を求められたが、駆けつけた弁護士が対応してもらった。
「まだ、家宅捜査は続いているの」
緑茶を持ってきた怜に訊ねると怜はいつも通りの笑みを浮かべた。
「全部の部屋を調べるそうです。片付けが大変そうです」
「私も手伝います」
「瀬名は自分の部屋だけ片付けてくれればいいですよ」
「水琴さんや高志さんは素直に聴取に応じているの」
「いいえ。水琴さんと高志さんは体調が悪いという名目で入院しています」
「え?」
健康な水琴と高志が病気と聞いて首をかしげる瀬名に、怜は忌々しそうに告げる。
「国会議員がよく使う手です」
「あぁ、そう・・・・・・」
「でも、その手も封じましたから、すぐに検察の取り調べを受けます。まぁ、水琴さんは誰かに嵌められたとか言っているようですが。それに、民事でも新村家の人間には横領や経費とした使った分を全額返還するよう請求もします」
水琴は往生際が悪いな、と思いながら瀬名は自分も同じようなものだと気が付いた。
「ねぇ、怜さん」
「なんでしょう」
「検察聴取、受けたいんだけど」
「え?」
瀬名の申し出に怜が珍しく動揺した顔をした。
「そんな必要はありません。瀬名は何も知らなかったのですから」
厳しい口調で瀬名の肩を掴む。
「でも、それでは水琴さんと変わらないじゃない」
「それは違います。瀬名は難病を二つも抱えているんです。検察庁へ出向いて長時間の聴取には耐えられません」
「注射を打って薬を飲んで行けばなんとかなるわ」
「注射が効くとは限らないでしょう」
「でも・・・・・・」
言い返そうと思っても言葉が出てこない。
いつも注射が効くとは限らないのは事実だ。さらに、ストレスは身体の痛みを増悪させる原因の一つである。だからといって逃げたくない。
「瀬名?」
「今回の事件で私は何もしていないのに、病気を理由に逃げたら疑われるでしょ。それはイヤ。」
怜は一度深くため息をついた。
「仕方がありません。無理しない範囲で聴取を受けられるように弁護士と相談します。それでいいですね」
「はい」
瀬名が頷くと怜は優しく微笑むと額にキスをした。
それから数日後、瀬名の検察聴取が南條邸の応接間で行われることになった。
南條邸に来た検事はスタイリッシュなメタリックの眼鏡と、鋭い眼差しで頭の良さが顔に出ている。
こういうタイプが苦手な瀬名は、顔を合わせただけで緊張した。
「早速、始めましょう」
検事はそう言うと事務的な質問し、瀬名は機械のように答える。
「新村水琴とは同級生ですが、仲は良かったのですか」
「いいえ。遊んだ記憶もありません」
「貴方は高校時代に嫌がらせを受けて休学した後、転校していますね。その事を恨んだことはありましたか」
「いいえ、ありません。そもそも、私が転校したのは病気療養のためです。水琴さんは関係ありません」
瀬名は昔の話を蒸し返されても動じずに答えたが、検事は切り込んだ。
「なるほど。しかし、その後も嫌がらせは続いていますよね。それでも新村水琴に対して憎しみを感じたことはありませんか」
瀬名は何を聞き出したいのか理解できず、怜を見つめる。
瀬名の隣には上司で介助者の怜と弁護士が付いているが、弁護士は仕事ができるような印象が持てなかったこともあり、瀬名は怜しか頼れなかった。
戸惑う瀬名に怜は目だけで「大丈夫」と伝えた。
「ありません。水琴さんについて思うことがあるとすれば、関わらないで欲しいということだけです」
瀬名の答えに検事が初めて戸惑う様子を見せた。
「どういう意味でしょうか」
「そのままの意味です。好きでも嫌いでもないので、私に関わらないで欲しい、ただそれだけです」
「それは、つまり・・・・・・興味がない、ということでしょうか」
「はい」
瀬名のキッパリとした答えに、検事から呆れたような「はぁ」というため息が漏れた。
検事は眼鏡の位置を直すと念押しをした。
「では、新村水琴の言動に関心がなかったということですね」
「はい」
瀬名が大きく頷く。
怜は検事と瀬名のやり取りを面白そうに見ていた。
その後、いくつか確認をして瀬名の聴取は終わり、最後に検事が怜にパソコンを見せた。
「先日お預かりしたパソコンです。ここに入っているファイルですが、すべて外国語で書かれていますよね」
「えぇ、そうです。でも、優秀な検事なら読めますよね」
怜は意地の悪い笑みを浮かべて検事に言う。
怜の態度に検事は額に汗を浮かべた。
「あの、何語で書いているんでしょうか」
「ヘブライ語ですよ。わかりませんでしたか」
唖然とする検事を前に怜は肩を揺らして笑っていた。
検事は額の汗を拭いながら「ありがとうございました」と頭を下げると、そそくさと帰って行った。
「どうしてあんな意地悪をしたんですか」
「そんなことはありません。自分の研究を盗まれないように対策を講じるのは常識です」
産業スパイのことを指しているとわかって瀬名は赤面した。
当たり前のように側にいるので、つい忘れてしまうが怜は世界が注目する天才エンジニアなのである。
「ごめんなさい。知ったような口をきいて」
「謝るようなことではありません。それより、あの弁護士は解雇するように進言しましょう。同席したにも関わらず、役に立ちませんでした」
「え・・・・・・」
確かに期待を持てる印象ではなかったので、頼りにはしなかったが解雇する必要があるのか、と瀬名は思う。だが、絶句する瀬名をよそに怜は高臣に進言した。
「今日のやり取りを見ても我々に有利な人材とは思えません」
「そうだな。彼は父が契約した弁護士だったからな。今後は友宏に顧問弁護士を依頼する。彼なら我々の意向を汲んでくれるだろう」
友宏とは悠仁の兄である。悠仁は五人兄弟の末っ子で、長男は仁科銀行のアメリカ支社長で次男は財務省の官僚、三男は国会議員、四男の友宏が弁護士をしている。
高臣は幼い頃、友宏と悠仁、怜の四人でよく遊んでおり、アメリカ留学にも一緒に行った仲だ。
「ところで、内定者向けの説明会だが来週行う。人事から今までに内定者面談を行った時のレポートをもらってくれ。内定者が何を不安に思っているのか知りたい」
「承知しました。いつまでにご用意すればよろしいですか」
社長からの指示に、瀬名は社員として答える。
「説明会の当日までで構わない」
「かしこまりました」
瀬名は怜と共に執務室を出ると、すぐに由紀に連絡を取った。すると、内定者との面談が毎日のように入っているという。
「じゃあ、前日までに纏めるのは難しいですよね」
「そうね。この時期は入社前準備と研修準備で手が回らないから」
ため息をつきながら言う由紀の声には疲れがにじみ出ていた。
「では、レポートは私が作ります。面談内容のデータや手書き報告書のPDFを送ってもらえませんか」
「それはいいけど、瀬名ちゃんは大丈夫なの?」
「大丈夫です」
他の社員が大変な思いをしているのに、身体が痛いからと家でゴロゴロしているわけにはいかない。
「後ほど人事部宛てに依頼を出すので、よろしくお願いいたします」
瀬名が電話を切ると怜が険しい顔で瀬名を見つめていた。
「どうしたんですか」
「どうしたんですか、ではありません。なぜ、そんな安請け合いをしたんですか」
「みなさん、忙しいですし。暇なのは私だけなので」
「暇ではないでしょう。この時期は起き上がるのも大変なのに、どうやって仕事するんですか」
「入力や内容の確認業務ならできます。というか、やります」
一向に引く気配のない態度に怜はため息をついた。
「わかりました。瀬名ができない時には手伝います。いいですね」
これが最大の譲歩だと思った瀬名は「ありがとう」と呟くと怜に抱きついた。
年末から身体の痛みが酷くなっていた瀬名は、2月上旬になると起きている時間がどんどん短くなり、一日の大半を寝て過ごすことになった。
理由は二つある。
一つは冷気に当たると全身の皮膚が切り刻まれ、筋肉が引きちぎられるような痛みと、頭痛に襲われること。もう一つは、痛みを抑えるために鎮痛剤を通常よりも増やすことで、副作用の倦怠感が酷くなるためである。
椅子に座っていても倦怠感で伏せってしまいたくなる。
だが、高臣に依頼された資料を作らなければならないので、身体がだるくても腕や腰が痛くても、頭痛がしていてもパソコンで作業をしていた。
しかし、無理をすればするほど身体の範囲が広がり痛みが増す。
痛みは次第に日常生活を困難にしていった。
朝食時にスプーンを持つと腕にビリっと電気が走るような痛みがして落とし、昼食では見えない何かに腕を上から押さえつけられていて、口元まで腕が上がらない。夕方、少し横になったが、夕食時には指がパンパンにむくんでいて、上手く手が動かせなくて箸で焼き魚をほぐすことができなかった。
「瀬名ちゃん。大丈夫?」
瀬名を見守っていた周子に気遣われて瀬名は笑って誤魔化す。
「大丈夫です。寒いから指がむくんでいるだけです」
「暖かくなれば良くなりますよ」
怜が瀬名の魚をほぐしながら援護射撃をすると、周子は「そう。大変ね」と納得した。
座っているのも辛い状況でも瀬名は資料作成を諦めずに行っていた。ただ、当然ながら痛みで集中力が散漫になってしまいミスタイプが多くなってしまう。そこで、出来上がったデータを怜がチェックして必要に応じて修正している。
その最中にガーディアンの信頼を回復させるニュースが飛び込んで来た。
スマホ利用者の9割が利用しているメッセージアプリのデータが、日本と緊張関係にある国で保管されていることが判明した。
このアプリはユーザー数が多いにも関わらず、Gモバイルではインストール時に警告メッセージが表示され、サービスが利用できないようになっている。
これがGモバイルの個人ユーザーが増えない原因となっていたが、怜は『規約に問題が多い』としてインストールを認めなかった。
このように、他社では普通に利用できるアプリがセキュリティの問題で利用できないことから、セキュリティ重視の法人ユーザーには人気が高いが個人ユーザーには敬遠されていた。
だが、今回の一件でSNSでは評判が高まった。
「さすがガーディアン頼りになる」
「使いにくいと思っていてごめんなさい。ガーディアンに乗り換えます」
このようなコメントがSNSに溢れ、翌日にはGモバイルを始めとして問い合わせが殺到して横領事件の影響を吹き飛ばした。
その頃、瀬名は資料提出期限ギリギリの面談分までレポートに纏めて高臣へ提出すると、瀬名はホッとして夕食もほとんど手をつけずに寝込んでしまった。
しかし、ベッドで横になっていても肋骨付近や首、肩甲骨付近の筋肉に針が刺さっているような痛みがある。腕の血管にガラス片が流れているように、何か刺さっているような痛みが移動していく。さらに、背中に鉄板が入っているように固く寝ているのも辛い。
だが、起き上がることもできず、布団の中で仰向けや左右を向いた横臥状態で、ゆっくり背中を丸める、反らす、仰向けになって枕を外してタオルを丸めたものを代用して寝てみるなど、ゴロゴロしていた。
すると、仕事を終えた怜がパジャマ姿で現れた。
「体調はどうですか。痛くて眠れませんか」
「うん」
「そう思って漢方と筋弛緩剤を持ってきました。これを飲んで様子を見ましょう」
「はい」
言われた通りに漢方薬と首や肩こりに効果のある筋弛緩剤を飲み、怜に抱き締められて横になっているうちに、筋弛緩剤による強い眠気に襲われて瀬名は眠ってしまった。
数時間後、背中に冷気と痛みを感じたせいで瀬名は目が覚めてしまった。
痛みを逸らすために寝返りを打とうと思うが、瀬名の身体は怜にしっかり抱き締められている。
怜を起こさないようにそっと身体を動かそうとして、あっさり失敗してしまう。
「瀬名、どうかしましたか」
「ちょっと身体が痛くて」
仕方なく本音を告げると怜が起き上がった。
「どこが痛いんですか。肋骨付近それとも背中ですか」
「背中がヒンヤリするような感じがして・・・・・・」
「そうですか。では、反対側を向いください」
瀬名が怜に背を向けて横になると、怜が後ろから抱き締めてきた。
「わぁ」
瀬名が思わず驚いて声を出してしまうと、背後で怜がクスクス笑う気配がする。
「これなら冷感も感じないでしょう」
確かに怜の熱い体温を感じて冷感は感じなくなるが、瀬名は物足りなさを感じて身体を回転させる。
「怜さんの顔を見えないと淋しいです」
怜の首に抱きつく。
「うわぁ」
今度は怜が驚いて声を上げた。
だが、怜は「仕方がないですね」と呟きながら、瀬名を抱き締めると大きな掌で背中を優しく撫でた。
瀬名は怜の首筋に鼻頭を押し付け、冷えた脚を絡ませると安心したような笑顔を見せると眠りについた。
瀬名の顔を見つめながら怜はため息を付く。
あんな可愛らしい笑顔で抱き付かれたうえに脚を絡ませられると、鉄壁な怜の理性も崩壊しそうになる。
瀬名の痛みが治まるように背中を撫でながら、膨らみ始める欲望を鎮めようと他の事を考えようとする。
他の事ならどうにでもできるが、瀬名のことになると自分をコントロールできなくなってしまう。鼻腔をくすぐる甘い香りと柔らかい感触の誘惑に負けそうになるのを堪えつつ、瀬名の髪に指を入れてかき回しながら、額にキスをして目を瞑った。
説明会当日。
当初は内定者向けに企画していたが、グループ会社の社員と内定者全員に向けて発信することになった。
これは、内定者に社員と仲間だという認識を持ってもらうことで、内定辞退防止効果を期待している。
瀬名は身体の痛みが酷くて出社できず、怜は瀬名の看病を名目に家に残ったので二人はオンラインで視聴することにした。
高臣は今回の不祥事によって不安を持たせたことや、取引先ならびに個人ユーザーに大きな影響を与えて社員に迷惑をかけたことを謝罪した。
そして横領事件の経緯を説明した後、今回の横領事件をきっかけに、同族経営および親族を取り立ててきた慣習を廃止。そして、新体制で高臣は社長に就任して、グループ会社の見直しを図ることを宣言した。
その中でガーディアンエンジニアリングはガーディアン本社の研究開発事業部に統合し、怜はアドバイザリー契約で外部から研究に携わることを発表した。
この発表に驚いた瀬名は隣にいる怜を見ると、怜はいつものように優しく微笑む。
「心配しなくても大丈夫ですよ。フリーランスになっても、瀬名に不自由ない生活をさせますから」
「はぁ・・・・・・」
瀬名は心配しているのはそこではないのに、と思う。
「これからは、会社に縛られないので以前二人で話したように温泉付きの家でのんびり暮らしましょう」
「え、あの話って本気だったの?」
「もちろんです。僕は実現できないような話はしません。もう、物件の目星も付けているんですよ」
そう言うと怜はもう一台のパソコンで物件の見取り図を出した。まだ、高臣の話は続いているにもかかわらず、瀬名と怜は物件の見取り図に夢中になって見ていた。
翌週、瀬名と怜が出社するとエンジニアがひっきりなしに怜の元を訪れていた。
エンジニアは母国語で話しているので、瀬名には詳細な内容まではわからないが雰囲気から「怜に付いて行きたい」と言っているようだった。
ガーディアンエンジニアリングのエンジニアは怜と一緒に働きたくて入社している。その怜が退社することになれば、彼らがガーディアンに残る理由はない。
彼らが慌てるのは当然だろう。
だが、興奮気味に話す彼らに怜が冷静に一言、二言告げると大人しく引き下がって行く。
瀬名は首を傾げながら見ていたが、午後から本社で採用チームの手伝いがあったので怜に訊ねる時間もないまま本社へ向かった。
「体調はどう?」
社員食堂の窓際で向かい合わせに座るなり、由紀が聞いた。瀬名は曖昧な微笑みを浮かべる。
「今日は暖かいのでなんとか」
「そう、良かったね。ところで、そっちのエンジニアは大丈夫?」
「それが、朝から怜さんのところにエンジニアが何か言いに来ています。母国語で話しているから、何を話しているのかはわかりませんが・・・・・・。」
「やっぱりねぇ。彼らはガーディアンに入りたくて入社したわけじゃないからね。怜さんがいなくなったら、会社に居る意味ないよね」
由紀は採用担当として面接にも立ち会っているので、彼らの入社動機を熟知している。百人が百人、怜と一緒に仕事がしたくて入社しているのである。
「今すぐに退社するわけではないけど、たぶん怜さんは早めにフリーランスになると思う」
瀬名は怜が自分と住む物件に目星を付けていることを考えると、3月末で退社もあり得ると思っている。
「アドバイザリー契約だっけ?でも、それって表向きだけで実際は、研究開発事業部するんでしょ?」
「さぁ。そこまではわかりません」
怜が何を考えているのかわからないので、瀬名は正直に答えた。
「それで、瀬名ちゃんはどうなるの?」
「え?」
「ガーディアンエンジニアリングが本社の研究開発事業部と一緒になったらどうなるの?」
瀬名の今後は、今回の再編とは関係なく説明会資料を作成した時に決まっていた。
「私は3月末で退社します。今の体調では働けませんから」
瀬名の答えに由紀は「やっぱり」という表情をしたが、笑顔を見せて笑う。
「いいんじゃない?今まで頑張って来たんだから。休むことも治療の一つだと思うよ」
瀬名の心に由紀の優しさが染みる。
「ありがとうございます」
「でも、少し良くなったらこっそり手伝ってね。リモートでもいいから」
悪戯っぽく笑う由紀に瀬名も「はい」と笑った。
「ところで、瀬名ちゃんって膠原病だったよね。膠原病って顔がパンパンになるの?」
由紀はそれまでの笑顔を消して真顔になった。
「あぁ、ステロイド薬を飲んでいるとムーンフェイスといって、顔がパンパンになるみたいです。私はステロイドが効かない膠原病なので、経験はありませんが」
「そっか。膠原病もいろいろあるっていうからね」
「膠原病がどうかしたんですか」
瀬名は咄嗟に「由紀が膠原病なのでは?」と勘ぐってしまったが、違った。
「妹が離婚したの」
「え?」
「去年、出産したんだけど、その後に全身性エリテマトーデスっていうの?それになって。でも、旦那は子供がもう一人欲しいとか言って。それどころじゃないのにさぁ。それで離婚して実家に戻って来たの。子連れでね」
由紀はすでに結婚して子供もいるが、両親が病気でちょくちょく顔を出していると言っていたのを思い出し、瀬名は複雑な気持ちになった。
怜との新しい生活を夢見ていた瀬名は突然、現実はそんなに甘いものではないと突きつけられたような気持ちになる。
「そうですか。入院はされているんですか」
「今は家にいるけど、急に立ち上がれなくなったりするから、一人にしておくのは無理かな。でも、両親は他人を家に入れたくないって、ヘルパーとか訪問看護を断っているのよね」
「難しいですね」
怜もきっと自分で面倒を見ると言うのだろうと、ぼんやり思う。子供が出来たら怜はどうするのだろう。子育ても自分でやりそうと、考えて自分はやっぱり結婚できない人間だと思った。
「まぁ、でもなるようにしかならないんでしょうけど」
由紀はカラッとした声で言うと、「おぉ、時間だ」と慌てて席を立ち、瀬名も続いた。
午後の仕事は入社する意志の固まった内定者に入社データチェックや、研修中に滞在するマンスリーマンションを確保する仕事をしたが、瀬名はどこか上の空でミスばかりしていた。
そんな瀬名を見て由紀に体調を心配されたが、瀬名は「大丈夫です」と笑って誤魔化した。
原因はハッキリしていた。
ランチでの会話から瀬名と怜が話した未来は絵空事でしかなく、現実はもっと厳しいことを痛感したからである。
以前から結婚は難しいと瀬名は口にしていたものの、頭の隅ではなんとかなると思っていた。だからといって怜と離れることができずに、今日まで一緒にいるのである。
帰宅してからも結婚できない、と言おうと思うが怜に話しかけられて触れられる度、やっぱり離れがたく口に出せないでいた。
「今日はずっと何を考えているんですか」
怜と瀬名は寝る前に一緒にルイボスティーを飲んでいた。
「えっ?何も考えてない・・・・・・」
瀬名は嘘がバレないように咄嗟に抱えていたクッションに顔を埋めた。
「嘘はいけません」
怜はクッションを取り上げて、瀬名の顎に指をかけて自分の方を向かせた。
瑠璃色の目にのぞき込まれ、瀬名は目を逸らす。
「瀬名には何でも話して欲しいと思っているのですが、僕では役不足なのでしょうか」
怜の淋しそうな呟きを耳にして瀬名は思わず怜を見つめる。
「それで、何を考えていたのでしょうか」
改めて怜に問われ、瀬名はしぶしぶ由紀とランチをした時の話をした。
「それは気の毒でしたね」
「はい。それで、やっぱり私は結婚するのは難しいと思い知りました」
「なぜですか」
「えっ、だって家事もできませんし。子供だって育てられません。怜さんの負担にしかならないでしょう」
瀬名が真面目に言うと怜が笑い出した。
「なんで笑うんですか」
怒る瀬名に怜は肩を揺らしながら怜は謝った。
「すみません。でもよく考えてください。何年一緒に暮らしていると思っているんですか。僕と瀬名の関係は、由紀さんの妹さん夫婦とは違うんですよ」
「それは、そうですけど」
「それとも、瀬名は僕と離れて暮らして行きたいですか」
「・・・・・・それは、難しいです。ずっと一緒に居て、なんでも怜さんに頼ってきたので。ただ、それがいいのかわかりません」
俯く瀬名の手を怜が優しく包む。
「それでいいんですよ。お互い自分に足りないモノを補い合えば。恋人や夫婦ってそういうものでしょう」
「でも、私は子供を育てられないと思うし・・・・・・」
「僕は、子供のことは特に考えていませんが、瀬名は欲しいんですか」
「今はわかりません。時々、怜さんに似た子供がいたらかわいいだろうなって、思うことはあります」
瀬名が話すと、怜は優しく微笑む。
「そうですね。僕も瀬名に似た子供が欲しくなるかも知れません。でも、大丈夫ですよ。難病の人が出産するためにチーム医療を整えてくれる病院もあります。日本で見つからなければ海外に行けばいいんです」
「そんな医療体制があるんですか」
「えぇ。だから何も心配せずに僕の側にいてください」
怜は瀬名の頬を優しく撫でる。
「本当に、このままの私でいいの」
「もちろんです」
瀬名は怜の手に自分の手を重ねて目を瞑り体温を感じて呟いた。
「ありがとう」
瀬名は思うように動けない自分が存在することを、怜の存在によって赦されたと感じていた。
臨時株主総会で高臣は社長に選任された。
だが、怜をアドバイザリー契約にすることは株主の猛反対にあって否決される。
なぜなら、世界的エンジニアである怜がガーディアンに居るから株主になっている人が多いからである。
結局、怜はガーディアン本社でプロフェッショナル・フェローとして留まることになったが、ガーディアングループの改革が始まるのはこれからだ。
瀬名は入社手続きが終った後の4月末で退社が決まり、怜はリモート勤務をしながら湯河原で趣味の園芸と瀬名の世話をして過ごすらしい。
そのために現在、怜は瀬名と暮らす温泉付きの家をリノベーションしている。
今までの給与や栞から相続した遺産や留学時代に開発したセキュリティアプリ、カメラや家電などで、いくつか特許を持っているのでお金には困らないらしい。
意気揚々と今後の計画を進めている怜を横目に瀬名は戸惑っていた。
まだ、怜にプロポーズの返事をしていないからである。
瀬名がモヤモヤした気持ちを抱えたまま時間は過ぎ、2月の経営会議を迎えた。
通常は月初に行われる経営会議だが、横領事件や臨時の株主総会などで遅れて開催された。
今回の経営会議はグループの再編を含むため、2日間設けられていた。
お茶出しで待機している瀬名は寒さが厳しく首の筋肉が固まってギシギシ鳴るような痛みや足の甲に杭を打たれたような痺れがあって、会議終了時まで待っていられるか不安だった。
「瀬名ちゃん。内定者全員入社してくれるみたいね」
周子に話しかけられ、瀬名は痛みを隠して笑みを作る。
「はい。エンジニアの皆さんは怜さんが直接説得してくれたので、安心しました」
「まぁ、憧れの人に説得されて断る人はいないわよね」
「そうですよね」
納得する周子に瀬名は晴れやかな気持ちで相槌を打った。
新卒のエンジニアにも怜に憧れて入社する人もいたが、怜がガーディアングループで経験を積んでから新しい会社を立ち上げた時に転職してくるように説得をしたので、全員が入社データを提出した。
今後もガーディアン本社の研究開発には、怜はプロフェッショナル・フェローとして携わるとは言っているが、それは表向きで怜は当面携わるつもりはない。
だが、そのことについて瀬名は心配していなかった。
元々ガーディアンの研究開発には定評がある。
どうしても怜の力が必要であれば、怜は協力すると信じているからである。
今、瀬名が心配しているのは自分の今後だった。
自分には怜が必要だということは分かっている。
だが、自分が居ることが怜のためになるのか。
自分の存在が怜の未来を阻むことにはならないのか。
どう決断することが怜のためになるのか。
瀬名の思考は堂々巡りを繰り返していた。
「瀬名、ホテルでイチゴフェアーをやっているので、気分転換に行きませんか」
悶々としていた瀬名を怜が連れ出した。
ホテルのVIPラウンジに着くと窓際の席が用意されており、二人で渋谷の景色を見ながらアフタヌーンティーセットを楽しむ。
「美味しい」
サンドイッチを一口食べて瀬名は笑顔を見せ、その様子を見て怜も微笑んだ。
イチゴフェアーだけあって、フルーツサンドやスコーンのジャム、ケーキはイチゴが使われていて美味しいうえ、見た目も可愛らしくて瀬名のテンションが上がっている。
そこへ白髪の英国風紳士が英語で話し掛けて来た。
声を掛けられた怜はムッとした表情で応対する。英語が流暢すぎて瀬名には聞き取れず、取り敢えずニコニコしていると紳士は瀬名をじっと見つめた。
すると、怜が瀬名に紳士を紹介した。
「僕の父親、ロバートです」
「えっ」
瀬名は驚きながら立ち上がると、たどたどしい英語で挨拶をした。すると、ロバートは満面の笑みで瀬名の手を握り早口で何か伝える。だが、瀬名は聞き取れず怜に助けを求めた。
「なんてかわいいお嬢さんだ。息子が羨ましい、だそうです」
怜は眉間に皺を寄せて瀬名に通訳すると、ロバートの手を瀬名から引きはがす。
ロバートは嫌な顔をせずニコニコしている。
「怜さん、せっかくだから一緒に・・・・・・」
「大丈夫ですよ。彼にも連れがいますから」
瀬名の申し出をあっさり断るとロバートに何か告げ、ロバートは挨拶をして奥の席に向かった。
「さぁ、食べましょう」
怜は瀬名の椅子を引いて座らせる。
「本当に良かったの?」
「えぇ、近々南條邸に来るようですし」
「そうなの?」
「私や悠仁、周子さんの恩師ですから。以前も河口湖に招待していますよ」
「あぁ、あの時の?」
「えぇ、あの時の、です」
意味深に怜が見つめる。プロポーズの時を思い起こさせるように熱っぽく見つめられて、瀬名の鼓動が早まる。
ラウンジでなければキスをしていたかも、と考えて瀬名は目を伏せた。
「怜さんは、お父様と連絡を取っていたんですね」
「偶然です。留学先の大学で彼が工学部の教授をしていたんです」
「それで、怜さんもエンジニアになったのかぁ」
「というより、面白そうだったからです」
瀬名は素直じゃないな、と思いながら質問を続けた。
「帰国後も連絡を取っていたんでしょう」
「いいえ。連絡を取っているのは旦那様です。僕は彼の論文は読みますが、連絡は取っていません」
「どうして?」
そこで怜は初めて迷うような表情を見せた。
「怜さん?」
「正直、よく分かりません。突然、父親という人が現れてもどう接すればいいのかわからないのです」
「そうだね。私が怜さんの立場でも、どうすればいいのか分からないと思う」
瀬名はそう言うと怜の手に自分の手を重ねて二人で微笑み合った。
受付は本社の秘書課と総務課が対応しているので、瀬名はホテルのVIP階層にある一室で怜に着物の着付けと髪型を整えてもらい、パーティー会場へ向かった。
パーティーは高臣の父でガーディアン本社社長の挨拶に始まり、新しいサービスと製品紹介が終ると出席者との懇談会になった。
怜と瀬名は高臣に呼ばれるまで、ドリンクを飲みながら会場の隅で待っていた。
「どこか痛いところはありませんか」
「大丈夫です」
怜が十分置きに瀬名の顔を見ながら確認するので、瀬名は思わず笑ってしまう。
「心配しすぎです」
「早く帰りたいですね」
怜はネクタイを直しながら、ウンザリした顔で言った。
パーティーは立食形式であるため、背中や腰が痛む瀬名には辛い状況だったが注射が効いているのか、今のところ痛みを感じなかった。
すると年配の男性とその息子と思われる二人組が近づいて来た。
「南條怜さんですよね。お世話になっております。松島精機の松島です」
と、年配の男性が挨拶をした。
松島精機とは、ガーディアングループが昔から取引きしている精密機械会社で、松島は二代目社長だった。
怜はテーラースーツの内ポケットから名刺を取り出して名刺交換をした。
「こちらは、息子の啓介です」
怜と同じ歳くらいのスポーツマン風の青年が名刺交換をした。
瀬名はその様子を怜の後ろから観察していた。
今日の怜は、光沢のある灰色に銀色のラインが入ったテーラースーツを身に纏い、ダイヤをあしらったネクタイピンとカフス、ブルージルコンが付いたラペルピンを付けている。少し長めの前髪を後ろに流している。そのせいか、いつもよりも男らしい色気が出ており、女性の視線を集めていた。
一方の松島もガッチリした体格に合った黒のテーラースーツに細身のネクタイを合わせているが、営業マンにしか見えず、華やかさに欠けていた。
「ところでそちらの綺麗な方は南條さんの秘書ですか」
啓介が尋ねると怜は露骨に嫌な顔をした。
「いいえ。婚約者です」
怜は瀬名の腰にさりげなく手を当て引き寄せた。瀬名は訳が分からないまま取りあえず挨拶をする。
「名波瀬名と申します。」
松島社長は挨拶を返してくれたが、啓介はしばらく瀬名を見つめている。
そこへ周子が呼びに来た。
「怜さん、高臣さんがお呼びです」
「すみません。失礼します」
怜と瀬名は断りを入れて松島親子の前を去った。
高臣が怜に紹介したかったのは、怜が予想した通り防衛省と警察庁の役人だった。
瀬名は自分には関係ないと思い、少し離れた場所で待つことにした。
「シャンパン、いかがですか」
いつの間にか啓介が横に来てシャンパンを勧めて来た。瀬名は戸惑いながらドリンクの入ったグラスを見せる。
「お気遣いありがとうございます。でも、まだ残っていますから大丈夫です」
「もしかして、お酒飲めないんですか。すみません」
しかし、松島は瀬名との距離を詰めてくる。瀬名は困りながら怜に視線を向けるが話し込んでいて終る気配がない。
「瀬名さんと怜さんは、いつ頃婚約されたんですか」
啓介が興味津々に尋ねた。瀬名は困って苦笑した。
どう交わそうか考えていると、背後から意地の悪い声がした。
「その人は婚約者なんかじゃないわよ」
瀬名が振り向くと水琴が下品な笑みを浮かべて立っていた。
「水琴さん。いらっしゃったんですね」
「当たり前でしょ。私はあんたと違って財務部長なんだから」
瀬名のボンヤリとした言葉にイライラした口調で答える。
「あぁ、そうですね」
水琴のことに興味がない瀬名はそういえばそうだった、と思い出した。
「松島さん。この人を狙っても無駄ですよ。南條家の使用人の娘で役立たずだもの」
と、水琴が言う。
「俺はそういう目的では・・・・・・」
啓介が慌てて否定すると、水琴はせせら笑う。
「嘘ばっかり。まぁ、それでもいいなら、取り持ってあげてもいいわよ」
瀬名は怜の話が早く終らないか願っていると、怜が役人との話を終えたようだった。瀬名は啓介と水琴を放って怜の元へ駆け寄ると袖を引いた。
「瀬名、どこに行っていたんですか」
振り向いた怜が言うと瀬名はふてくされる。
「すぐ後ろに居ました」
「うーん、でも僕の目が届かないところに行きましたよね」
「そんなに離れていません」
瀬名が昨日の話を思い出してムキになって言うと、怜が瀬名の耳元で艶のある声で囁いた。
「お仕置き決定」
怜は瀬名を会場の外へ連れ出すとVIP階層へ向かう。
しかし、その途中で男性に呼び止められた。
「恐れ入りますが、ガーディアンの方ですか?」
「どなたですか」
怜は瀬名を背中に隠して訊ねた。瀬名はその男に見覚えがあり、怜に背後から囁いた。
「Busiitの営業部長です」
Busiitとは瀬名が大学卒業後に新卒で入社したスカウト型の求人サービスを提供している企業である。
瀬名はカスタマーサクセス職として勤務したが、急成長中の会社ということもあって研修制度がなく、先輩がやるのを見て真似しながら売り上げを上げなければならなかった。ただでさえ、疲れやすい瀬名はストレスと疲労で朝起きるのが辛くなり、出社時間ギリギリになると「誰だ、あんなの採用したヤツ」と嫌みを言われるようになった。売り上げも上げられず、お荷物と認定された瀬名はストレスと疲労で体調を崩して半年で退職していた。
そもそも、難病の人間を雇用する習慣が日本にはない。障害者雇用やガン患者の雇用を守る法律はあるが形骸化しており、きちんと守っているのは大手優良企業だけだ。
障害者でも健常者でもない瀬名は、健康状態を偽って就職活動をすることを余儀なくされ、その結果早期退職に追い込まれたのである。
「失礼しました。Busiitの営業統括部長、鳥飼と申します」
自信満々に名刺を差し出す鳥飼だったが、怜は一瞥すると鼻で笑った。
「僕はガーディアンの南條怜です」
怜が冷たい声で名乗ると、鳥飼の顔に歓喜の色が浮かぶ。
「ガーディアンの南條様であられましたか。お目にかかれて光栄の極みです」
鳥飼は興奮気味に握手を求めるが、怜は応じない。
「要件を手短に訊かせてもらいましょうか」
「あ、はい。御社のGモバイルに当社のBusiitのアプリをインストールできるようにしていただきたく、お願いに・・・・・・」
「その件なら何度も通達している。あんな穴だらけのシステムをGモバイルに入れれば信用問題だ」
「セキュリティに関しては、改善しています。アップデート後のアプリを、もう一度検討していただけませんか」
「アップデート後のアプリなら見た。だが、特に対策されたようには見えなかった。では、失礼」
怜が瀬名をエスコートしながら、鳥飼の前を立ち去ろうとした。
「あの、なんとか・・・・・・」
鳥飼は追いすがるように瀬名の振袖を掴んだ。
「きゃ」
瀬名が袖を引っ張られてバランスを崩すが、怜が支える。
「失敬だな」
瀬名が聞いたことのない声で鳥飼を威嚇する。
「申し訳ありません」
「上司がこれでは良い人材が育つはずがない。こんな会社見切りをつけて正解でしたね」
瀬名に向かって怜が言う。瀬名はどう答えていいか判らず俯く。
「あのう。そちらの方は」
空気を読めないのか不躾に鳥飼は訊ねたが、怜は瀬名を隠すように前を歩かせて鳥飼を一蹴した。
「貴方に教える義理はない。二度と顔を出すな」
怜の剣幕に鳥飼は青ざめて頭を下げると、脱兎のごとく逃げ出した。
ようやく部屋に入った怜は、ドアに瀬名を磔にすると唇を塞いだ。
「んん・・・・・・はぁ・・・ん」
怜はキスをしながら帯に手をかけ、解いていく。
瀬名は訳がわからないまま、角度を変えて繰り返されるキスに身体を溶かされ、一人で立っていられずに怜のスーツを掴んだ。
帯を解くと怜は瀬名の髪を解き始める。
瀬名の髪が背中に流れると、ようやく唇を離して瀬名を横抱きにしてソファーに降ろした。
「怜さん」
「お風呂に入りましょう」
蕩けた顔で怜に縋り付いた瀬名の着物を脱がせた。
「え、今から」
瀬名の胎内はすでに欲情に火が付いている。てっきりベッドに連れて行かれると思っていたので、内心がっかりする。
「変な虫が付いたから消毒しないといけません」
怜は真剣な眼差しで着物を脱がすと自分も服を脱ぎ、ボンヤリしている瀬名を抱きかかえたまま風呂場に向かった。
風呂に入ると怜は箱根のホテルで純血を散らした後と同様に、丁寧に瀬名の身体を洗い、湯船に入れたまま髪を洗う。
瀬名を先に湯船に入れている間に怜が身体を洗い、バスローブを羽織って瀬名の身体や髪を洗う。
その後、瀬名を湯船に入れるとバスローブを脱いで怜が入って来た。
ドキドキして瀬名が後ろを向くと、怜に抱きすくめられた。
「わっ」
「松島精機の息子と何を話していたんですか」
「怜さんとの関係を疑っていました」
「そこに水琴さんが入って来て、婚約者ではないと言った、ということですね」
「えぇ。まぁ・・・・・・」
「瀬名は何も心配しないでいいですよ。僕のことだけ考えてください」
怜は耳元で囁きながら瀬名の乳房をすくうように揉みしだく。
「あぁ、ダメ」
瀬名が振り向くと怜が啄むようにキスをし、乳首を指で捏ねる。
「はぁ・・・ん」
部屋に入った時のキスで瀬名の胎内には、すでに火が付いている。
「ん・・・・・・あぁ・・・いや・・・・・・」
ぐにぐにと乳房を揉みながら乳首を捏ね、引っ張る。瀬名は下肢をすり合わせ始めた。
「ここでしますか」
瀬名の耳元で囁く。それだけで瀬名の胎内が疼くが、瀬名は首を振った。
「はぁ、のぼせちゃう」
怜は無言で笑みを浮かべながら瀬名を横抱きにして風呂から出ると、ベッドルームに向かうとシーツの上に瀬名を降ろし、獲物を狙う獣の目で瀬名を見つめる。
「怜さん」
すでに胎内に火が付いている瀬名は怜の首に腕を回す。怜は瀬名の頬から首筋、鎖骨、キスを振らせながら、腰周りや尻を撫で始める。
「あぁ・・・いや・・・・・・。ダメ・・・」
下肢をもじもじさせながら喘ぐ。
「どうして、ダメか教えてください」
瀬名に覆い被さり、両手で頬を包み込む。
「明日、仕事・・・・・・だから」
「それだけですか」
無言で瀬名が頷く。
「じゃあ、一回で済ませましょう」
口角を上げて笑うと瀬名の秘裂を指で撫でた。
「もう、ドロドロですね」
指に付いた蜜を瀬名に見せつけるように舌で舐める。
「いや・・・・・・。恥ずかしい」
首を振りながら羞恥で身体を染める瀬名を、怜は嬉しそうに見つめながら一気に指を挿入する。
「あぁん」
瀬名の身体がビクンと跳ねた。
怜は指を鉤型して回しながら挿入して、肉襞を擦ると瀬名が喘ぐ。
「瀬名が好きなのはどこでしょう」
言葉とは裏腹に、すでに瀬名の身体を熟知した怜は瀬名が悦ぶ箇所を擦り上げる。
「はぁ・・・ん。そこ、ダメ。いや・・・・・・」
愉悦から逃れようと身を捩る瀬名を押さえつけるように、乳房を力いっぱい揉みしだき、瀬名の反応
を見ながら乳首を弄る。
「あぁ・・・はぁ・・・・・・ん」
怜は瀬名の両脚を乳房につくように折り曲げて膝裏で両手を繋がせると、秘裂を舐め始めた。
「あぁ、ダメ。それ、いや・・・・・・」
甲高い声で身を捩る瀬名の腰を押さえつけて、秘裂の間から舌を差し入れて蜜を掻き出す。
「そんなにしたら、来ちゃう。いや・・・・・・あぁん」
怜は瀬名の高ぶりを感じ取ると、花芽を吸う。瀬名は悲鳴を上げて身を捩る。
「あぁ・・・あぁ・・・・・・あぁ・・・いや・・・・・・」
花芽を指で押して舌で舐め、吸い付くと瀬名は身体を震わせて達した。
怜は余韻に浸らせる間もなく瀬名を俯せにすると、自分の怒張を挿入した。
「あぁ・・・ん。まだ・・・・・・達ってる・・・あぁん」
頭が真っ白になっている状態で、瀬名は頭の先まで貫かれた。
怜はきゅうきゅうと締め付ける感触に耐えながらギリギリまで引き抜き、一気に奥処まで突く。ぷるぷる揺れる乳房の感触を楽しみながら乳首を摘まむと、肉襞が絡まり精を吐き出せと促す。
怜が腰を回して瀬名の胎内を楽しんでいる間に瀬名は何度か達し、身体を支えていた腕から力が抜けるのを見て、怜はラストスパートをかける。
怜はガツガツと腰を振り、瀬名の奥処を突き上げ続けると悲鳴に似た声を上げて瀬名が達する。同時に怜も薄膜の中に精を吐き出して瀬名の背中に倒れ込んだ。
その後も瀬名の肉襞が収斂を繰り返して、薄膜越しに一滴も残さず精を絞り取ろうとする。
怜はその余韻に浸りながら瀬名の肩や肩甲骨にキスをして、繋がったまま瀬名を仰向けにすると顔中にキスをして抱き締めた。
「怜さんの熱い」
汗で顔に髪を張り付かせたままの瀬名が微笑んで、怜の身体に腕を回す。
「そんな風に煽られたら離せなくなりますよ・・・・・・」
怜は瀬名が愛おしくて堪らなくなったが、溢れ出しそうな劣情を理性で抑えこんだ。
箱根で初めて抱き合ってから、週に一度は必ず怜に抱かれるようになった。
しかし、怜と交歓を交わした翌日、瀬名は寝たきりになる。
起き上がるのも一苦労する疲労感に加え関節が軋むような痛みと激しい筋肉痛、筋肉の強張り。特に腰には大きな石が埋まっており、マットに腰が当たる度に激痛が走り、全身が悲鳴を上げる。
さらに言えば、摩擦によりドライスキンのデリケートゾーンは痛みもあるので、回数を減らして欲しいと思う時がある。
それでも怜に抱かれると嬉しい。
女としての喜びと怜に愛されているという実感を味わえる。
それは後で起きる疲労と激痛を上回る多幸感と愉悦だ。
瀬名はセックスを拒んで怜に嫌われたくない。そもそも女として見てもらえないのは耐えられない。
だが、激しい痛みに襲われると怜が細やかな気遣いで瀬名を看病することになるは、毎回申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
怜は朝食や昼食、夕食を部屋に運んでは瀬名の腕や手が痛ければ食べさせ、瀬名が目を覚ませば緑茶を淹れて、トイレにも連れて行く。食事の準備以外は瀬名の部屋で過ごす徹底ぶりだった。
まさに、至れり尽くせりなのだが、瀬名の思考はネガティブになる。
瀬名は「他人の荷物になりたくない」という考え方が根本にある。それは、両親が共働きだったこともあり、「自分が居なければ両親は好きなだけ仕事ができたのに」と、思いながら成長したからかも知れない。
だから、他人に縋らないと生きていけない自分が生きていていいのかと考えてしまう。しかし、働けないので稼ぐこともできなければ、家事もできない。他人に迷惑をかけるぐらいなら自分は居ない方がいいのではないか。
怜が献身的に看病してくれればくれるほど、瀬名の気持ちは沈んでしまう。
そんな気持ちで過ごしている瀬名の元に、今日は悟が屋敷を訪れた。
小春は瀬名の病気が心配で時折、南條邸を訪れては我が子同然に世話をしていた高臣の顔を見て帰って行くが、悟は高雄と一緒に仕事をしていることもあり南條邸には近寄らない。用事がある時は会社か自分の家に呼びつける。
「瀬名。松島精機の松島社長のご子息と見合いをすることになった」
瀬名が応接間に入るなり悟が言うが、状況が飲み込めない。
「えっ・・・・・・」
「名波さん、どういうことでしょうか」
呆気に取られる瀬名に代わり、同席していた高臣が尋ねた。
「実は先日のパーティーで、松島精機のご子息が瀬名を見初めたらしく、先方から申し出がありました。社長は松島社長と昵懇にしておくのは悪くないと考えておいでです。なんでも、ご子息はMBAを取得した後に海外の企業で勤務した経験もあるようで、娘にはもったいない話です」
「そうでしょうか」
高臣が考え込む。だが、悟は無視して瀬名に命令した。
「見合いは来週末にヒルサイドホテルだ。瀬名、振り袖を用意しておきなさい」
「・・・・・・嫌です」
瀬名は小さい声だが、ハッキリと言った。
「何か言ったか」
悟がギロリと瀬名を睨んだ。
「私は、お見合いなんかしません」
今度はハッキリと高雄を見つめて言った。
「出来損ないが生意気を言うな。これぐらいは役に立て。この馬鹿が」
悟の言葉に瀬名の中で何かが弾けた。
「私が病気になったのは貴方のせいじゃない。私が小さい頃にきちんとした病院で耳を診てもらえていれば、こんな病気にならなかった」
「他人のせいにするな。誰のおかげで働かないで生活できていると思っているんだ」
「私はちゃんと働いている」
「社員とは名ばかりのアルバイトで何が働いているだ」
瀬名の言葉に悟は激高して立ち上がり、腕を振り上げようとする。
「殴って気が済むなら殴ればいいじゃない。私は殴られるよりも病気の痛みの方がずっと激しいから、殴られたって痛くもかゆくもない」
怒り慣れていない瀬名は泣きじゃくりながら、息を弾ませる。それでも毅然と立ち上がって歯をくい縛った。
「名波さんやめてください。怜」
高臣が静かに言うと、怜に目配せをする。怜は心得たとばかりに瀬名の腕を掴んで応接間から引きずり出した。
部屋に着くと怜は瀬名を優しく抱き締めた。
「瀬名は何も悪くありません。病気になったのは誰が悪いわけでもないんです。その中で瀬名は、たくさん我慢して、よく頑張っていますよ」
瀬名を抱き締めて頭を撫でる。
怜の匂いと体温を感じて瀬名の涙腺が完全に崩壊した。だが、怜は黙って瀬名を抱き締めたまま泣き止むのを待った。
悟と瀬名は、生活と認識のすれ違いがあるだけで仲が悪いわけではない。
それは、瀬名が幼い頃に聴力障害があったことに原因がある。
瀬名は聴力の中でも特に低音域が聞き取りにくかった。そのせいで、悟のバリトンボイスがほとんど聞こえなかった。さらに、社長秘書の悟は忙しく瀬名とコミュニケーションを取るのを諦めて、瀬名のことを小春に任せた。
しかし、小春も高雄の家での仕事が忙しくて構うことができなかった。
だから、瀬名が「身体がだるいから学校を休みたい」と小春に訴えても、小春は「逃げてはダメよ」と言うだけで理解してもらえなかった。
一般的に子供が疲れやすいとか身体がだるい、と言ってすんなり信じることができないのは当然である。
だが、子供の瀬名はそのことが理解できなかった。
中学生になると突然腕に痛みと震えが起こり、驚きのあまり過換気症候群になったが、医師からは思春期の女子にはよくある症状と片付けられ、シェーグレン症候群や線維筋痛症は見過ごされてしまった。
過換気発作はそれから病名が判明するまで度々起こった。
過換気発作だけではない。冷たい水に触れると電気が走るような痛みや肘が痛むことが起きることが時々起きた。しかし、十代で関節痛や神経痛が起こるはずがない、と周囲から目で見られ続けると瀬名は自分が嘘をついているような気持ちになった。
そのうえ、悟から「お前は病気になりたがっているようにしか見えない」とまで言われ傷ついた。
どこか痛む度に「心の弱さ」や「嘘」という言葉が瀬名の脳裏に浮かび、「私は弱くない」「もっと頑張らないといけない」と自分を鼓舞した。
それでも、体調はどんどん悪化して行き、全身をワイヤーでぐるぐる巻きにされて縛り上げられるような痛みや、突然背後から大きな石が腰にぶつかり骨を砕きながら食い込むような痛みに襲われるようになった。
ある時は急に鉄の塊が腰に食い込んできて、その衝撃でヒビの入った壺が砕けるような骨盤の痛みに襲われて意識を失いそうになり足首を捻挫してしまった。
それでも、「自分は人前で倒れるほど弱くない」と言い聞かせて2~3年我慢を続けていた高校二年生の時に駅で倒れ病名が判明した。
結果、今までのことが嘘でも心の弱さでもないことがわかり、瀬名は病気が治らないことに絶望するよりも自分の訴えが真実であったことにホッとした。
両親には病気のことを説明して冊子を渡したが、悟は疑いを改めることはなく冊子に目を通すことはなかった。
高校生になっても瀬名は毎日のように身体がだるく、身体の痛みや頭痛、音に対して過敏になる悩みを抱えながら、健常者として振る舞っていたので精神的にも疲れ切ってしまった。
そんなある日、なにげない会話から悟とぶつかった。
「私の病気は原因がわからないから、治ることはないって言ったでしょ」
瀬名の言葉に対して悟の一言が瀬名を傷つけた。
「原因がわからないのも治療法がないのは当たり前だ。お前は病気じゃないんだ」
悟は酔っていたが、瀬名は酔っているからこそ出た本音だと受け取った。
その日以来、悟と瀬名には埋められない溝ができてしまったのである。
「本当にこんな高価な振袖を私が着ていいの?」
「えぇ。旦那様からの指示ですから」
総絞りの振袖を前に瀬名は固まってしまう。この旧華族に伝わる振袖は高級外車、いや家を買えるだけの価値があるはずだ。
瀬名は自分が袖を通すことで価値が下がりそうで気が進まない。しかし、怜は嬉しそうに帯や帯締めを選んでいる。
やっぱり自分の振袖を着る、と言おうとした途端に瀬名のスマホが鳴った。
「もしもし」
着信表示は鳥飼だった。嫌な予感がした瀬名はスピーカーにして怜にも聞こえるようにした。
「名波さん。お久しぶりです。先日は失礼しました。いや、綺麗になっていたから気が付かなかったよ」
馴れ馴れしい口ぶりの鳥飼に、瀬名は嫌悪感で通話を切りたくなる。
怜は忌々しそうにスマホを見つめていた。
「何のご用でしょうか」
瀬名は事務的に話す。
「あの、知り合いに聞いたんだけど、名波さん体調崩してリモート勤務なんだって?だったら、今度ウチでもリモート勤務者を探しているから働かない?副業でもいいからさ」
「お誘いいただいたのは嬉しいですが、ガーディアンで働いているのでお断りします」
瀬名が冷たく断る横で怜は自分のスマホに何か文字を打ち込んでいる。
「そんなこと言わないで一度、話だけでも聞いてくれないかな?新しいポジションだから電話やメールでは伝えにくいからさ」
「いえ、興味ありませんので」
瀬名は再度、断るが鳥飼は引き下がらない。
「そんなこと言わないでよ。ウチに居た頃のことで誤解もあるみたいだから、そのことも話たいし」
「御社に居た頃のことは忘れました」
今更、言い訳してどうするのだろう、と瀬名は疑問に思う。こんなに冷たく言っているのに、しつこくしてくるには何か裏がありそうだ、と瀬名は疑い始める。
なぜなら、数日前にBusiitのスカウトサービスが外部の不正アクセスにより、企業側の求人情報が複数の求人検索総合サイトに求人が掲載されるとういう事件が発生したからである。
スカウトサービス会社を利用する企業の多くは、求人掲載サイトに掲載できないような新規プロジェクトに関する人材やハイクラス人材を探していて一般公募できない採用案件で利用している。それを誰もが目に出来るサイトに掲載されたら、わざわざ高い料金を払ってスカウトサービスを利用した意味がない。何よりPマーク取得が常識といわれる人材業界で個人情報流出のダメージは計り知れない。
「予定は名波さん合わせるし、30分いや、15分でいいから話せないかな」
鳥飼のしつこさに辟易して瀬名が怜に視線を送ると、怜がスマホを見せた。瀬名は怜のスマホに打ち込まれた文字を読み上げる。
「わかりました。恐れ入りますが明日の午後1時半に、当社の9階にお越し頂けますか。その時間でしたら、フロアには私しかおりませんから」
「本当に?そう、じゃあ、また明日ね」
鳥飼の言葉尻を打ち消すように瀬名は電話を切った。
「どういうことですか」
「五月蠅い虫は一撃で退治しましょう」
瀬名の問いに怜は不適な笑みを浮かべた。
翌日、午後はガーディアン本社の採用チームで仕事をする瀬名を見送った怜は、テーラースーツに着替えて髪型も変える。誰も居なくなったフロアでワガママな天才エンジニア風に変身し終わった頃、時間通りに鳥飼が9階に着いた。
受付のインターホンでは瀬名と声質の似ている女性エンジニアに対応させているので、鳥飼は瀬名が居ると思って9階まで来ているはずだ。
「お待ちしていました」
エレベーターが着いたタイミングで怜がフロアの扉を開けて出迎えると、鳥飼は怯えたような表情をした。
「あの、名波さんは?」
「本日は僕が彼女の代理でお話を伺います」
怜は優雅な仕草で鳥飼を招き入れると、ソファーに座らせた。
「いや、その今日は名波さんに話があって伺ったのですが」
鳥飼の額から汗が浮かぶ。怜は冷ややかな視線を鳥飼に送る。
「どうせ僕との繋ぎで彼女を利用したいだけでしょう。それよりも、胸の録画装置を渡してください」
「えっ。そ、そんな物は持っていませんよ。嫌だな」
鳥飼は笑って誤魔化そうとするが、怜は鋭い眼差しで見つめる。
「ここを何処だと思っているんですか。そんな嘘、通用しませんよ。それとも、僕を挑発しているんですか」
冷たい眼差しのまま、口元だけで笑って見せると鳥飼は姿勢を正した。
「そんなつもりはありません」
鳥飼は慌てて胸ポケットのボールペン型録画装置を怜に渡した。
「これは動画も撮れるタイプですよね。若い女性と二人きりで会う時に、このような物を用意している・・・・・・」
「言い掛かりですよ」
怜の話を遮って鳥飼が叫んだ。
「貴方が何を言おうが、僕はそう思えません」
ボールペン型録画装置を指でクルクル回しながら鳥飼を見つめる。鳥飼は顔中に汗を流しながら首を振る。
「違います。それは保険のつもりで」
「保険?」
怜は録画機能がONになっているボールペン型録画装置を放り投げた。
「彼女に何をして脅迫しようと思ったのか、知りたくもありません。ただ、金輪際、彼女に近づいたら、タダでは済みませんよ」
ニコリと笑って見せると鳥飼は青ざめて頷いた。
「では、ビジネスの話をしましょう。本当の要件を話してくれますね」
怜は悠然と長い脚を組んで微笑んだ。
「そ、その南條様に弊社のサービスBusiitのセキュリティ対策にお力添えをいただけませんでしょうか。外部からの不正アクセスにより弊社は信頼を失ってしまい、非常に苦しい状況です。セキュリティのエキスパートであられる南條様にお力添えをいただければ、Busiitの信頼を取り戻せると考えています。お願いできませんでしょうか」
鳥飼は頭を膝に頭を擦りつけるようにして頭を下げている。
怜は冷ややかに鳥飼を見つめて言った。
「僕は何度も忠告した」
怜はパーティーの時にも言ったが、その前から何度もBusiitのセキュリティの甘さをしている。それにも関わらず、きちんと対策ができなかった挙げ句、瀬名を利用して自分を引きずり出そうとしたBusiitのやり方は許せない。
「南條様のおっしゃる通りです。ですが、ご指摘いただいたように対策をしても、南條様が求めるレベルにはならず、今回の事態を招いてしまいました。ですから、南條様に・・・・・・」
「人を育てられないのは、そちらの問題だ。新人を入れてはロクな教育もせず、使えないと思えば切り捨てる。そんな会社を助ける義理はない」
怜は淡々と話す。その冷たさに鳥飼は怯えながらも食い下がる。
「南條様のおっしゃる通りです。弊社は設立間もない上に急成長していることもあり、新人には良い環境とは言えません。名波さんに対して、きちんと教育ができなかったことは謝罪いたします。ですが、弊社のサービスはお客様に大変喜ばれております。Busiitのサービスによって企業の採用方法が変化したことも事実です。お客様が安心してBusiitを利用できるように助けていただけませんでしょうか。この通りです」
鳥飼は再び頭を下げた。
怜は、瀬名から「誰がこんな役立たず、採用したんだ」と言った張本人であることを聞いていた。だが、鳥飼は自分の暴言を謝罪するつもりがないのか、発言したことを忘れているらしい。
「頭が悪い」
怜が呟くと、鳥飼が顔を上げた。
「今、何かおっしゃいましたか」
「お前では話にならない、と言ったんだ。社長に話をつけておくから、帰れ」
怜は立ち上がって扉を開けると、鳥飼を帰るように促した。
「ありがとうございます。ご連絡をお待ちしております」
鳥飼は怜の剣幕に圧倒されながら、そそくさと帰って行った。
後日、Busiitはガーディアンが筆頭株主になり、セキュリティを強化してサービス展開していくことが決まった。表向きにはBusiit株式会社は存続するが、Busiitの幹部は鳥飼を含めて放出され、ガーディアンが持つアウトソーシングサービス会社ガーディアンブルーへ徐々に吸収される予定だ。
「お前のおかげで上手く行ったよ。だが、本番はこれからだ。しくじるなよ」
怜はスマホを切ると冷酷な笑みを浮かべた。
瀬名がどれだけ嫌がってもガーディアングループのトップである高雄の決定に逆らうことはできず、見合いの日が来た。
VIPフロアの一室に部屋を取って瀬名は怜に着付けと髪を結ってもらっていた。
今回は南條家の家紋が入った総絞りの振袖に白金地に錦糸で牡丹を描いた帯を合わせ、髪は洋風に上げて赤玉の簪で飾った。
名波性を名乗る瀬名が南條家の家紋が入った振袖を着たのは、瀬名は南條家当主の高臣が認めた怜の婚約者だと見せつけるためである。
「この部屋で待っていますから、早めに切り上げて帰ってきてください」
怜はそう言うと瀬名を抱き寄せて耳朶を甘噛みして腕を解いた。
「・・・・・・ん、わかりました」
少し赤くなりながら瀬名は答えたが、言葉とは裏腹に部屋を出て行く気になれない。瀬名は黙ったまま俯いて、怜の指先に指を絡めた。
「御守です」
怜は瀬名がジュエリーボックスにしまってきたブルージルコンとダイヤが交互に並んだプラチナリングを瀬名の左手薬指にはめた。このリングはブルージルコンの色が怜の瞳を彷彿させるので、瀬名のお気に入りであり、御守りだ。
「行ってらっしゃい」
瀬名はそこで覚悟を決めてドアまで歩くと振り向いて「行ってきます」と、笑顔で部屋を出た。
見合いはホテルのVIP階層にあるレストランの個室で行われた。
パーティーの時と同様に松島啓介は営業マンのようなスーツ姿で、瀬名の付き添いで来た高臣に貫禄負けしていた。
見合いを強要しておきながら悟は高雄のお供で接待ゴルフに行ってしまったらしい。
瀬名は悟の顔を見たくなかったので内心ほっとした。
食事をしながら進む話は啓介の自慢話ばかりで、瀬名は適当に聞き流しながら高臣に助けを求めたが、高臣からは「我慢しなさい」と目配せされた。
瀬名が座っているのが苦痛になってきたのを見計らったように高臣が提案した。
「このホテルは庭園が有名らしい。瀬名は花を見るのが好きなんですよ。啓介さん、瀬名をお願いできますか」
瀬名は余計なことを言わなくても、と思った。だが、啓介は満面の笑みを浮かべる。
「わかりました。瀬名さん、行きましょう」
勢いよく立ち上がると瀬名に手を差し伸べた。しかし、瀬名は差し伸べられた手に気がつかない振りをして立ち上がると、高臣と松島夫妻に退出の挨拶をしてレストランを出た。
庭園に出るまで啓介は何かと瀬名に話しかけて来るので、瀬名は啓介の機嫌を損ねない程度に相槌を打って有名と言われている庭園に向かう。
ところが、到着したホテルの庭園は整備されているものの、南條邸の庭に劣るもので瀬名は散歩する気が失せた。怜が造る庭は一株一株愛情が込められているだけあって花々が美しく咲く。だが、ホテルの花は枯れた花を摘み取らず、落ちた花びらもそのままにしてある。
これでは、満開を迎えている花が可哀想だと瀬名は思った。
「綺麗ですね。瀬名さん」
おそらく、興味を持っていないであろう庭園をキョロキョロ見回しながら啓介は、どんどん歩いて行く。
男性経験は乏しいが、周囲にいる男性陣がエスコート慣れしている大人しか居ない瀬名にとって、啓介のエスコートは最悪だった。
振袖を着て歩いている女性に思いやりを持って歩けないのか、と我慢の限界が来た瀬名は覚悟を決めた。
「松島さん、今回の件はなかったことにしてください。失礼します」
啓介の背中に向かって一方的に言うと踵を返してホテル内に戻り、到着したエレベーターに乗り込んだ。後ろで啓介が何か言っているが聞く気もない。
エレベーターは運良く上に向かう。だが、そこで思わぬ人物に出会った。
「あら、こけしちゃん、じゃない」
隣に居た同年代の女性に呼ばれて首を傾げた。瀬名の周囲で自分をこけし呼ばわりするのは、水琴と一緒にいた生徒しかいない。
「どなたですか」
瀬名は警戒心をむき出しにして、つっけんどんに答えた。
「私よ。長谷川祥子。あぁ、覚えてないか。まぁ、いいわ。私、今業界紙の記者をしているの。それでね・・・・・・」
VIP階層行きに乗り換えるために降りた瀬名に祥子は付いて来る。
しかし、VIP階層行きのエレベーターは誰でも乗れるものではない。そこで瀬名は、ちょうど前から歩いてくるVIP専用ラウンジのコンシェルジュを見つけた。
「長谷川さん。お名刺頂戴できますか」
「ありがとうございます。では、失礼します」
わざと祥子に丁寧な言葉遣いで名刺をもらうと、動きにくい振袖で早歩きで祥子から離れてコンシェルジュを呼び止めた。
「すみません。あの方、勝手に取材しているけど大丈夫なのかしら?」
「申し訳ございません。すぐに対応いたします」
呼び止められたコンシェルジュは、頭を下げると祥子に近づいて行った。その隙に瀬名はエレベーターに乗り込み、怜が待つ部屋へ足早に向かった。
ドアをノックするとすぐに扉が開いて、怜に抱き締められた。
「お帰りなさい」
怜の笑顔と匂い、温もりに安心した瀬名は腕を伸ばしてしがみつくとキスを強請った。
啄むようなキスを繰り返しているうちに深い口づけに変わる。
「はぁ・・・ん、んん」
角度を変えて何度も交わし、身体を離す頃には瀬名の身体が燃え上がり立っていられなくなる。怜は瀬名を抱きかかえるとソファーに下ろした。
そこで、瀬名は怜に報告しなければならない事を伝えた。
「そういえば、変な人に会ったの」
「変、というとどんな方でしょうか」
「女子校のクラスメイトだったいう人。今は業界紙の記者をやっているって言っていたけど、休日の昼間にホテルにいるのはおかしいでしょう」
ガーディアンエンジニアリングには、毎日のように怜宛にインタビュー依頼が舞い込む。
新商品の発売が近づいた時には社員が会社周囲で待ち伏せされることや、高臣や怜を追いかけて南條邸付近に現れる記者もいる。
それだけに新サービスと新商品発表が終った今、高臣や怜を待ち伏せする記者がいるのはおかしいと、瀬名は感じたのだ。
「それで、どうしたのですか」
「ちょうどVIP専用のコンシェルジュが居たから、勝手に取材している人が居るって言って名刺を渡して逃げて来た」
「そうですか。でも、ここなら大丈夫ですよ」
言うが早いか瀬名の瞳を覗き込むとキスをする。
「・・・・・・んん」
怜は徐々にキスを深めながら、器用に帯を解いた。
背中に当たる怜の大きな手が心地よくて瀬名の口から思わず声が漏れてしまう。
「あぁ・・・・・・」
「ん・・・・・・」
角度を変える度に瀬名の声が漏れる。
瀬名が怜の首に両腕を絡めてキスを強請ると怜は瀬名を抱きかかえて寝室に入る。
気がつくと瀬名はベッドで怜に組み敷かれていた。
「カーテン締めて。明るいからイヤ・・・・・・」
突然スマホが鳴り、怜は顔を顰めた。
「旦那様。何かありましたか」
怜がスマホ片手に寝室を出て行く。
瀬名は起き上がると振袖を脱ぎ襦袢姿で髪を解く。
振袖を衣紋掛けようと四苦八苦していると怜が戻って来た。
「後で僕がやりますから」
後ろから瀬名を抱き締めると、瀬名の顔を振り返らせてキスをした。
怜は瀬名の口内を味わいながら襦袢の上から双丘を揉みしだき、唇を離すと首筋から鎖骨へ吸い付く。
怜が唇を離して瀬名を見下ろすと、いつもの清楚で可愛らしい瀬名はおらず、妖しい色香を纏い、瞳を潤ませる生身の女がいた。
怜は瀬名の見合いの様子がわからない苛立ちや嫉妬心もあり、瀬名をめちゃくちゃにしたい気分だった。そこに来て、瀬名の妖艶な表情に背筋がゾクゾクしてくる。
怜は襦袢の襟を開くと一気に脱がした。
「ひゃぁっ」
驚く瀬名の下着を剥ぎ取ると、すでに乳首が勃っていた。
「もう、期待しているんですか。あんまり煽ると酷くしますよ」
半分冗談のつもりで言う。ところが、瀬名はじっと怜を見つめると笑って言った。
「うん。酷くして」
その瞬間、怜の中で理性が崩壊した。
怜はキスをしながらベッドの端にあった志古貴を手に取ると、瀬名の両腕を縛る。
「え・・・・・・」
唖然とする瀬名をよそに、怜はもう一本の志古貴で目隠しをした。
「瀬名が誰のものか解らせてあげましょう」
「やだ、怖い」
甘えた声で暴れる瀬名の身体に怜は優しくキスを落とす。
視覚を奪われた分だけ感覚が鋭敏になったのか、先ほどとは比べ物にならない快感を得て、瀬名は喘ぐ。
「あぁ、ん、もう、いや・・・・・・」
腰を揺らす瀬名の脚を開いて、ピンク色の花びらを視姦した。
「もう、こんなに濡れている」
上ずった声で言うと怜は指を秘裂から奥へ進める。
「まさか、見合い中から濡らしていたわけではありませんよね」
最低な質問をしていると解っていたが、怜は止められなかった。瀬名は快感にもだえながら、首を振り
「ち、がう。・・・ん・・・・・・だって、つまらなかったし・・・・・・」
瀬名の答えに満足しながら、指を鉤状にして肉襞をこすりながら念を押す。
「本当に?」
瀬名はコクコクと頷きながら叫んだ。
「んん、それ、ダメ」
「では、ご褒美をあげないといけませんね」
怜は鉤状にした指で瀬名の悦ぶ箇所を何度も虐める。
「はぁああ・・・あぁん・・・」
瀬名は悲鳴に近い声を上げながら、白い肌を薄らと桃色に染める。
白いシーツに広がる黒い髪、桃色に染まり始めた肌に志古貴で縛られた肢体、キスで腫れて赤くなった唇が半開きになった姿は背徳感を覚え、怜は喉を鳴らした。
怜は瀬名の限界ギリギリまで快感を極めて指を抜くと、抱き起こした瀬名をヘッドボードにもたれ掛かって座った自分をまたぐように膝立ちにした。そして縛った瀬名の腕に首を入れる。
「瀬名。このままゆっくり腰を下ろしてごらん」
怜が耳元で囁くと状況がわからない瀬名は不安を滲ませて首を振る。怜は漲りを瀬名の秘裂にあてがうだけで膣がビクビクっと震える。
「瀬名」
怜の呼びかけに瀬名は緊張しながら、ゆっくり腰を下ろそうとするが膝がガクガクしている瀬名は一気に怜を飲み込んでしまう。
「あぁー」
快感が破裂しそうになるのをギリギリまで我慢させられた瀬名は、自重では怜をいつもより深く受け入れてしまい、今までにない程快感を極めてしまう。しかし、怜は構わず下から瀬名を突き上げる。
「あぁ、ダメ。ダメ・・・いや・・・・・・」
瀬名は背中を弓なりにして怜の頭をかき抱く。
瀬名の姿勢は怜に胸を突き出すような格好になっているが、本人は気が付かない。
怜は突き出された白桃のような乳房を食み、乳首を甘噛みする。
瀬名は呻くような喘ぎ声を上げて身もだえ、肉襞が怜の怒張を締め付けてくる。
「うぅ・・・・・・」
思わず怜は声を漏らす。汗を流しながら腰を突き上げ、乳房を鷲掴みにすると瀬名の脚が震えてきて身体を支えられなくなった。
「しっかり立って」
覆い被さりながら怜が耳元で囁く。だが、愉悦の坩堝に落ちている瀬名には聞き取れない。
今の瀬名には怜の身体から零れる汗ですら、快感になってしまう。
「もう、無理・・・あぁん・・・深い・・・・・・」
許しを乞いながらも自ら腰を振って、より強い快感を得ようとしていることに瀬名は気が付かない。
怜は指で乳首を弄り、うなじや首筋に吸い付いき腰を振る速度を上げる。
瀬名は壊れた人形のように振られ「あぁ、あー、あぁ・・・いや・・・・・・あぁ、あ、あぁー」と、獣のように声を上げると快感の階段を駆け上がり達し、怜も薄膜の中で爆ぜた。
怜は胴震いをすると瀬名に噛みつくようなキスをした。
「・・・・・・熱くて気持ちいい」
「わかるんですか」
怜が目隠しと両腕の縛めを解きながら訊くと、蕩けた表情の瀬名が無言で頷く。
そんな瀬名に怜は愛おしさがこみ上げてきて避妊具を交換すると、瀬名を押し倒してすぐに挿入れた。
「あぁん」
ドロドロになった膣はすんなり復活した怜の怒張を受け入れた。
瀬名を仰向けにして腰の下に枕を挟み右足を肩に担いで尻が浮く姿勢にすると、鋭角な角度で奥を突く。
「あぁ・・・怜さん・・・・・・好き・・・ん・・・・・・」
瀬名は背中を反らして、喘ぎながら頭の先まで快感が突き抜け、乳首の先が尖るのを実感する。
瀬名の甘い声と蕩けた表情、淫猥な姿が怜を昂ぶらせる。
瀬名が感じる部分を亀頭の傘で擦ると何度も達して、怜の漲りを締め付ける。
「もう、無理・・・あぁ・・・怜さん・・・・・好き」
瀬名の告白に怜も応える。
「瀬名、愛しています」
右足を下ろして瀬名を抱き締めると、瀬名も怜の身体に腕を回して身体を密着させる。怜は首筋や頬にキスを降らせると腰を振る速度を上げる。
「あぁ・・・ん・・・・・・あぁー」
瀬名は怜の腰に脚を絡ませて身体を密着させ、首筋にキスをした。
「瀬名・・・・・・瀬名」
怜はうめき声を上げ、瀬名と共に快感の階段を駆け上がった。
怜が瀬名の胎内で爆ぜると、抱き合ったまま二人は余韻に浸った。
翌日、瀬名はだるすぎて食欲が無かった。
身体の上に大きな岩が身体を押さえつけられたうえ、下肢がバラバラになりそうな痛みを感じて寝ているのも辛い。
「目が覚めましたか?緑茶の用意ができていますよ」
ホテルのデスクで仕事をしていた怜が声をかけながら近づいて来た。
「うん」
起き上がろうとするが、大きな岩に押さえつけられていて起き上がれない。怜に手を貸してもらってようやく起き上がれるようになったが、起き上がっただけでグッタリしてしまった。
怜は瀬名の背中に枕を二つ入れ、腕の下に長いクッションを入れて身体が楽になるようにしてから、緑茶を持って来た。
「さっきは、ごめんなさい」
「なぜ、瀬名が謝るのでしょう」
怜はベッドサイドの椅子に座って笑う。
「だって・・・・・・」
瀬名は恥ずかしくなって俯く。
先程、瀬名の体調が余りにも悪かったので、藤崎先生を呼んで注射を打ってもらったのだが、その時に「あんまり無理をさせないの」と、怜が睨まれたのである。
藤崎医師は何も問わなかったが体調不良の原因はお見通しだったようだ。
「瀬名は悪くありませんよ」
怜はそう言うが、瀬名は自分の我儘から始まったことなので自業自得だと思う。だが、結果的に怜の負担が増えたうえ、藤崎医師に睨まれてしまい、瀬名は申し訳なさでいっぱいだった。
「僕はこうして瀬名を独り占めして世話ができるので、いいことづくしです。ところで、海鮮粥を注文しようと思っているのですが、食べられますか」
「食べたいけど、もうちょっと休んでから」
瀬名は座っているのも辛くなって、ずるずると布団に潜り込む。
「では、用意ができたら起こします」
クッションを手にベッドから離れて行こうとするのを、瀬名が「ねぇ」と呼び止めた。
「なんでしょう」
「旦那様は何か言っていた?」
「旦那様は心配なさっていました。ストレスで病気が悪化したのではないかと。でも、気分転換にホテル療養も悪くないとおっしゃっていましたよ」
「そう」
線維筋痛症はストレスで痛みが悪化する。そのことを言っているらしい。
まさか高臣は怜に抱かれたせいで病気が悪化しているとは思っていないのだろう。瀬名は高臣に心の中で謝った。
「それから、お見合いの件と記者の件は心配ない、ともおっしゃっていました」
「ありがとう」
怜に礼を言うと瀬名は目を瞑った。
ガーディアンでは月に一度、ガーディアングループの経営会議が行われる。この会議には高雄をはじめとした幹部が出席し、ガーディアンエンジニアリングからは高臣と悠仁、怜が出席する。
怜は経営会議に参加、会議が終ると本社のプロフェッショナル・フェロー室でガーディアンエンジニアリングと本社開発部の各マネジメント会議が行われる。
怜は世界的に有名なエンジニアであることから、ガーディアン本社のプロフェッショナル・フェローという肩書きも持っている。
この会議がある日は瀬名も忙しい。
怜と一緒にガーディアン本社へ出社してプロフェッショナル・フェロー室へ向かう。
今日の怜は前髪を上げ、光沢のある生地で仕立てた三つ揃いのオーダーメイドスーツに、ダイヤのネクタイピンとお揃いのカフスを上品に身に纏っていた。
「瀬名さん」
「はい」
プロフェッショナル・フェロー室でドサッと腰を下ろした怜が、瀬名を見て手招きをするので席に行くと荷物からランチバックとポットを取り出して笑顔で手渡す。
「お昼ご飯です。食べられる時に食べてくださいね」
「ありがとう」
怜は出勤する時には必ず自分と瀬名の弁当を持参する。作ったのはもちろん怜だ。
瀬名の仕事はお茶汲みである。
経営会議が始まる前に怜にハーブティーを淹れて運び、中にいる高臣からお茶を配って欲しいと呼ばれるまで給湯室で待機する。一緒に待機するのは周子を始めとした本社秘書室の社員である。
事業本部長にはセクレタリーが付き、マネージャーやリーダーにはグループセクレタリーがお茶を出す。瀬名はセクレタリーではないのだが、怜が「瀬名の淹れたお茶以外は飲まない」と公言したせいで本社の秘書と一緒に給湯室にいなければいけない。人見知りの瀬名は、この仕事が当初は苦痛だった。
さらに、瀬名を悩ませているのがガーディアンエンジニアリングと本社開発部の各マネジメント会議の時間である。
プロフェッショナル・フェロー室は扉を開けた正面に怜の席があり、怜の席を底辺としたL字を書くように瀬名の席がある。
マネジメント会議は瀬名が仕事をしている目の前で行われた。
怜は各マネジメント達の話を冷たい眼差しで聞くと「こんなものを見るヒマはない。帰れ」「できないじゃない。やるんだよ」と、冷たく言い放つのでマネジメント達が気の毒でならない。
目の前にいる怜と普段接している怜が別人のようなので、当初は本気で双子なのではないかと思っていた。
だが、最近ではどちらも南條怜だと理解している。むしろ、冷たい目で人を見る怜の方が本質だと瀬名は感じている。何でもすぐにできる怜から見れば、他人は無能にしか見えないのだから厳しい言動になるのは仕方がないのだろう。最近では怜が苛立ちを露わにしている姿を見る度に、怜も誰にも理解されない苦しみを背負っているのだと思う。それでも瀬名自身とは種類が違うものだと判っているので、自分と怜が同じだとか似ているとまでは思っていないが。
マネジメント会議が終るとガーディアンエンジニアリングへ戻って仕事をする。
怜の運転する車で戻ることもあるが、怜が高臣や悠仁と打ち合わせをする日は歩いて戻る。
健常者であれば歩いて十分程度の距離だが、瀬名はワイヤーでギリギリと締め付けられるような全身の痛みに襲われ、鉄板のように固まる背中や筋肉が強張って棒のような脚では道玄坂を歩くのが厳しい。
このような状態で歩く時、いつも瀬名は「歩け、歩け」と心の中で呟きながら歩いている。
特に膝から下が強い強張りで棒のような脚では前へ進みたいのに、脚がついてこない。
他の人は何も考えずにスタスタと歩いているのに、自分には難しい。
次々と他人に追い越されると瀬名は、あまりにも自分が情けなくて自然と目から涙が零れそうになる。
だが、人前で倒れるわけにはいかない。
「人前で倒れるほど私は弱くない」
今日も心の中で呟くと、瀬名は前を向いて歩き始めた。
ガーディアンエンジニアリングで一時間程仕事をしていると、怜が帰って来た。
「お帰りなさい」
「これ、瀬名にお土産です」
怜はUSBケースを差し出した。
「私に?」
「人事部から来年の春に入社する内定者データをチェックして欲しいというので、受け取って来ました」
ため息交じりに怜が言った。だが、瀬名は笑顔でUSBケースを受け取った。
「ありがとうございます」
自分でも役に立てることがあるのが嬉しかった。ただ、このデータをチェックするのであれば出社しないといけない。納期までに間に合うのか少し不安である。
「そのデータですが、家で作業してもいいですよ」
瀬名の不安を読み取ったように怜が言うので、驚いて怜を見つめる。
「え、でも、これ全部個人情報です」
ガーディアングループはPマークもISOも取得している優良企業である。
「お屋敷も事務所として登録されていますから、問題ありません。そもそも、旦那様も僕も仕事しているでしょう」
「確かに」
言われてみればそうだった。しかも、住んでいる人も訪問してくる人達は、瀬名より上役の人ばかりで、部外者は一人もいない。
「ただし、勤務時間外に仕事をするのは禁止です。いいですね」
「はい」
「では、帰りましょう」
にこりと笑うと、怜は瀬名の荷物を持って部屋を出ようとする。
「あ、もしかして迎えに来てくれたんですか」
「ええ。あのまま直帰しても良かったのに、瀬名ことだから仕事をしていると思っていました」
普段、瀬名は思うように出社できない。だから出社できる日は出社して、仕事をしたかっただけなのだが心配をかけてしまったらしい。
「すみません。すぐ、片付けます」
「別に悪いことをしているわけではないので、謝らなくてもいいんですよ。手伝いましょう」
怜は笑いながら瀬名の机に置かれていた分厚いファイルを片付け始めた。
その夜、瀬名が怜に髪を乾かしてもらいルイボスティーを飲んでいると怜のスマホが来客を知らせた。
南條邸のインターホンや警備システムは怜のスマホに来客や、侵入者を知らせる機能が付いている。
「大旦那様がお見えになったようです」
緊張した面持ちで怜が立ち上がった。
「え・・・・・・どうして」
時計の針は23時を過ぎている。
こんな時間に突然来るとは余程の事情があるに違いない。
瀬名がオロオロしている間に怜は瀬名のクローゼットから、ワンピースを持って来た。
「瀬名は着替えてから来てください」
「はい」
「心配しなくても旦那様が応対してくれます」
怜は瀬名の頭を撫でて微笑んだ。
怜が部屋を出ていくと高雄の怒鳴り声が響いた。
「出迎えもせず、女の部屋から出て来るとは、使用人にどんな躾をしているんだ。高臣」
高雄の声に、瀬名は慌ててパジャマ姿のまま出て行く。
「あの、怜さんは寝る前にお茶を持って来てくださったんです」
高雄は怜をジロリと睨むと怜に詰め寄り、胸倉を掴んだ。
「お前達のことを俺が知らないとでも思っているのか。馬鹿にするな」
怜は高雄の腕を捻りあげてから振り払う。
「僕が誰と付き合おうが貴方には関係ありません」
冷ややかな眼差しと声音で言う。
「愛人の子供が生意気言うな。誰のおかげで生きて居られると思っているんだ」
「僕が生きて居られるのは先代の大旦那様と、高臣様のおかげです。部外者の貴方は関係ありません」
「なんだと」
「貴方はいつまで南條家にしがみつくつもりですか。それとも、南條の名がないと何もできませんか」
怜が鼻で笑うと、高雄は怒りで真っ赤になって身体を震わせる。
「貴様、言わせておけば。お前は金になる機械を造っていればいいんだ」
「何を騒いでいるんですか」
高臣が執務室から顔を出した。
「高臣。松島精機の見合い、勝手に断ったそうだな」
高雄は高臣の顔を見るなり詰め寄った。
「あぁ、その件でしたら、明日ご説明に上がる予定でした。まぁ、どうぞ。怜達も来なさい」
高臣は今の騒ぎがなかったかのように悠然と高雄を招き入れた。
後から部屋に入った瀬名と怜はドアの前で立っていた。
高臣は執務室の隅に掛かっていたカーディガンを取ると、「着なさい」と、瀬名の肩に掛けた。
瀬名は目礼して羽織る。高臣は何枚かの用紙をソファーでふんぞり返るように座っている高雄の前に広げた。
「なんだ。これは」
高雄は一枚を手に取る。
「これは松島精機の現状です。まず、納品されている品質が落ちています。そのせいで、警報装置のトラブル件数が急増しています」
「最近、外国人の技能実習生を入れているらしいからな」
高雄は大した問題ではない、と用紙をテーブルに放った。
「確かに技能実習生を受け入れているようですが、当社から人事交流で松島精機に派遣された社員によると、技能実習生として受け入れている以外にも多くの外国人が働いているようです」
「それは、外国人採用でもしているのだろう。教育を徹底すればいい話だ」
「それが、不法就労者を斡旋する業者との癒着もあるようです。それでも、問題がないとお考えですか」
「何?それは確かな情報なのか」
高雄は驚愕して前のめりの姿勢になった。部屋の隅で聞いていた瀬名も驚いた。
取り引き先とはいえ、不法就労をさせていたことやブローカーと癒着があればガーディアンの評判にも関わる。
「ええ。出入国在留管理局がマークしているようです」
高臣の答えに高雄はため息をついた。
「それから、当社への請求が水増しされていましたよ」
高臣は一枚の紙を高雄に手渡した。
高雄は苦々しい表情で用紙を見た。
「これらの状況を鑑みて瀬名との見合いを断りました。明日にでも私は松島精機を取り引き先から外します。よろしいですね」
淡々と高臣は告げた。
「お前に任せる」
高雄は平然とした様子で告げて出て行った。
「想像以上にダメージが大きかったようですね」
怜は高臣に言う。高臣は淡々とした表情から一変して、リラックスした表情を見せた。
「松島社長とは親友だと思っていたから、裏切られた気持ちがあるのだろう」
「これで大旦那様が大人しくなるといいのですが」
「さぁ。どうだろう。怜、瀬名を寝かしつけたら酒を持って来てくれ」
ふっと微笑む高臣に瀬名はムッとして言い返す。
「子供じゃないので一人で眠れます。お休みなさいませ」
翌日、高臣は松島精機との取引を中止し、人事交流も取りやめになった。さらに翌週、出入国管理局が松島精機の工場に入り不法就労者を多く摘発し、ブローカーとの関係も明らかになった。
11月の下旬になり、瀬名はガーディアン本社の人事部に来ていた。
「こちらが内定者のデータ済みチェックです。辞退しそうな人はファイルを分けて置きました。」
「おぉーありがとう」
由紀が受け取りながらデータをチェックする。
「それにしても、辞退しそうな人多いな」
春に入社する新卒はグループ全体で1500名が内定しているが、内定辞退と3ヶ月以内に辞めそうな人が50名近くいた。
「そうですね」
瀬名は微妙な表情を浮かべる。採用担当者が合格を出した人を「すぐに辞めそう」と弾くのは、正直いい気持ちがしない。
「何かお手伝いしましょうか」
話題を変えようと由紀に聞くと由紀はフロアを見回して、労務担当の麻子に声を掛けた。
「今日は大丈夫かな?あ、浜子ちゃん退職者荷物整理するー?」
浜崎麻子は人事ファイルが格納されているキャビネットの前で新人社員と一緒に荷物を広げていた。
「今やるところ。来月の中途採用者の制服が足りないんだって」
麻子は由紀に浜子ちゃんと呼ばれている。
瀬名は麻子に声をかけた。
「私、お手伝いします」
「ありがとう。助かる」
キャビネットに囲まれるように置いてある作業用テーブルに、退職者から会社に返却されたパソコンやスマホ、無線機、制服、マニュアルなどを取り出して各備品を管理する部署へ返却をする。
これらの荷物は段ボールに乱雑に入れられているので取り出すのも大変だが、中には健康保険証や退職届を適当に入れて返却してくる人もいる。これらの荷物から、健康保険証や退職届を探し出して麻子に処理してもらうのが最重要任務である。
瀬名は退職者の返却物から退職届や健康保険証を探し出す特技があった。
新人社員は面倒くさそうに制服やパソコンを取り出してマニュアルは中身も見ずに、テーブルに置くのを見た瀬名は新人社員に指摘をする。
「そのマニュアル、ちゃんと調べた方がいいですよ」
「マニュアルの中には入れないんじゃない」
瀬名の指摘にベテランの麻子ですら半信半疑だったが、麻子がマニュアルをパラパラとめくると退職届が出て来た。
「あった。これ、探していたんだよー」
さらに、瀬名は自分の段ボールの中身をチェックしながら向かいで作業していた新人社員に指摘した。
「その段ボールの側面に何か貼ってあります」
「え?どこですか」
「ここ」
瀬名が指を指した先には、段ボールの側面に白い封筒が貼り付けてあった。
「何?これ、もうヤダ」
麻子が嫌な顔をしながら封筒を剥がして中身を確認すると脱力する。
「保険証、こんな所に入れるぅ?信じられない」
このようにして瀬名は宝探しを終えた。
「本当にありがとう。これで退職処理が進むわ」
瀬名は、労務処理担当の麻子に感謝されてガーディアンエンジニアリングへ戻った。
「履歴書を渡しに行っただけなのに、遅いと思ったら宝探しをしていたんですね」
お風呂上がりに瀬名の髪を乾かしながら、呆れたように怜が言う。ところが、人の役に立てたと瀬名は上機嫌だった。
「助かったと言われて、少しだけ人事部の役に立てたようで嬉しかったです」
「はい、終わりました。暖かくして寝てくださいね」
怜はベッドに潜り込む瀬名が寝るのを見届けてから部屋を出た。
キッチンで食器を洗いながら怜は安堵する。
最近の怜は、瀬名の姿が少しでも見えなくなると不安になる。
瀬名が居なくなったらきっと自分は、金を生み出す便利なアンドロイドに戻るだろう。
そんな風に扱われて生きるのは二度とご免だ。
必要とされるのは容姿や能力だけ。
誰も自分に心があることを理解しようとしない。
生まれてからずっと怜は、天才的な頭脳ときれいな見た目だけを必要とされてきた。
幼い頃はそれでも母の栞や祖父の忠に構ってもらえるので、それでも良かった。
だが、成長するにつれて虚しさを感じるようになる。
特に栞を自動車事故で亡くしてからは、大切な人すら守れない自分には生きている価値がないと思い始めた。
栞亡き後、怜は児童養護施設に入るはずだった。しかし、栞の父である忠が「南條家の正式な跡取りである栞の子供を施設に預けると、南條家の名に傷が付く」と、高雄を説得して引き取られた。
この件は「高雄が血の繋がらない愛人の子を引き取った」と、懐の深さを示す美談として語られているが、実際は違う。
怜は南條家の執事見習い兼、高臣の勉強や習い事のパートナー兼、ガーディアンの商品開発を任され、自分の意志や時間を持てない生活を送ることになった。
さすがに学校には行かせてもらえたが学ぶことはなく、同級生とは話が合わない。それでも、年齢問わず女子にはキャーキャー言われたが興味はなく、逆ナンされても性処理の機会としか思えなかった。
生きる気力を持ち始めたのは、瀬名に出会った瞬間だ。
瀬名は栞が大切にしていた木目込み人形によく似ていた。
普段なら非科学的な事は信じない怜も、栞の死に傷ついたまま目的のない生活を送っていたせいか「栞が自分に瀬名を与えてくれたに違いない」と思い込んでしまった。
病弱な瀬名と精神を病んでいた栞。
次第に怜は瀬名を護ることに全力を注ぐようになった。
瀬名はいつも身体が辛い、だるいと訴える日々を送っていたが両親に理解してもらえない。
怜と知り合った頃の瀬名は、最終的に両親から「人は自分が経験したことしかわからないから、お前の言うことはわからない」「耳が聞こえないから勉強ができないのは許されない」と、次々に言われて自分を追い込んでいた。
怜は、そんな瀬名を甘やかして慰めることで、自分から離れられないように計画を練った。
瀬名は健康な子供達と違う人生を歩んでいる。
子供は親から、周囲に理解されなくても協調性と同調を求められ、身体や発達が普通の子供と違っても同じように発達することを望まれる。
怜も幼いながら周囲から浮かないように、異質さを隠して優しさという仮面をかぶることで生きる辛さや孤独、寂しさを誤魔化して来た。
だから、瀬名を理解できるのは自分しか居ないと自負している。
身体が弱い子供でも知能が高すぎる子供であっても、親の期待に応えたいという気持ちに変わりはない。
現実と理想の乖離が心を壊すとも知らずに。
両親は瀬名の倦怠感を、怠け癖や学校に馴染めない言い訳だと疑っていた。
瀬名が健康な他人になりたい、という自分との乖離に苦しんで感情が爆発して以降、怜は自ら瀬名の面倒を見たいと手元に置いて見守るという名目で囲い込んだ。
瀬名を栞の二の舞にしてはいけないという自戒と、男として瀬名を自分のモノにしたいという欲望を満たすために。
12月に入って最初の休日、瀬名と怜は応接間でクリスマスツリーの飾り付けをした。
瀬名が高校生の時、南條邸で静養していた12月にクリスマスツリーを高臣が買って来たのである。それ以来、12月になると瀬名と怜で飾り付けをするのが慣例になっている。
「今年はどの飾りにしましょうか」
リボンやベル、スノーフレイク、スターなどを模った電飾が一式揃っている。これは、ツリーを購入してきた時に「どれがいいのか分からなかった」と、高臣が店にあるものをすべて購入して来たからである。
「去年とは違う方がいいかな」
「それなら、スターは外しましょう」
「二種類付けたら重い?」
「他の飾りを減らせば大丈夫ですよ」
「じゃあ、リボンとスノーフレイクを交差させてみない?」
「そうしましょう」
こうして二人はクリスマスツリーの飾り付けを終え、部屋を暗くしてライトを点灯させた。
「二種類付けたので例年より煌びやかになりましたね」
フルーツティーを淹れて来た怜が、瀬名の隣に座りながら言った。
「一種類で良かったかも」
「そんなことありませんよ」
カップを片手に怜は瀬名を抱き寄せた。
キラキラ点滅する灯りの中で、瀬名は素直に怜の方に頭を預ける。怜は瀬名の頭を撫でながら髪に指を入れ、耳を触る。
「くすぐったい」
思わず怜の顔を見ると、怜はすかさずキスをした。
「もう・・・・・・」
瀬名がむくれると怜は部屋の灯りを点ける。
「来年のクリスマスは二人きりで過ごしましょうね」
「それもいいですね」
瀬名は怜の意図に気が付かないまま返事をして微笑む。
怜は複雑な表情を見せていたが、瀬名は気が付かなかった。
クリスマス・イブ当日。
怜は前日の夜からチキンや他の料理を仕込み、ほぼ丸一日キッチンに立っていた。
瀬名は身体の痛みと手がむくんで細かい作業ができないので、パーティー用の食器や酒が保管されている倉庫から食器を出してきて洗浄と磨きを繰り返していた。
午後になるとケーキが焼けた。
「美味しそう」
「冷めたら一緒に飾り付けをしましょう」
「えっ、私はいいです」
「瀬名が飾り付けしたら、旦那様も喜びますよ」
「でも、いいです」
瀬名は手のむくみとは関係なく、料理や図工は苦手だった。
怜がケーキを作ると、店に並んでいるケーキと遜色ない仕上がりになるのを知っている瀬名は、手を出したくない。
「わかりました。でも、来年は一緒に作りましょうね」
「え?あ、はい」
瀬名は先日もこんなやり取りがあったな、と思いながら返事をする。しかし、怜の意図が分からない。
瀬名は途中、何度かカウチソファーで休んだが、怜はずっと立ったまま料理を次々と作っていた。
そして、夜の8時過ぎ。
遅くなるのであれば周子からすでに連絡が入っているのだが、連絡もないまま高臣も帰って来ていなかった。
「何かあったのでしょうか」
「クリスマス・イブに残業なんて社員も嫌だろうな」
「予定のある人は多いでしょうね」
瀬名と怜は応接間で緑茶を飲みながら高臣達の帰りを待つ。
応接間にあるアンティークの時計が8時半を知らせた時、怜のスマホが鳴った。
「旦那様からメッセージです。監視システムの不具合で今日は帰れないようです」
「え?」
瀬名は帰れない程の不具合とは重大なトラブルなのではないか、と怜を見つめた。
「僕が行く必要はないでしょう。監視システムの設計はしましたが、実際にシステムを組んだのは本社のエンジニアですから。それより、旦那様達は夕食を食べずに仕事をしているでしょうから、今日の料理を折詰にしましょう」
「はい」
瀬名はトラブルも心配だったが、余った料理のことも心配だった。
明日食べてもいいが今日中に食べた方が美味しい。
怜は高臣の運転手に連絡をして近くのパティスリーで余ったケーキを買い占めてから、南條邸に来るように指示をすると、用意していたチキンや料理を具材におにぎりやサンドイッチを作る。瀬名はおにぎりやサンドイッチを入れるタッパーや紙皿、割り箸、使い捨てのフォークやスプーン、倉庫にあった魔法瓶を洗っては片端からホットコーヒーと紅茶を淹れた。
高臣の運転手に折詰とケーキ、魔法瓶を渡すと瀬名は周子に残っている全社員に差し入れて欲しいと連絡をした。
「喜んでくれるといいですね」
「そうですね」
「では、僕たちも食べましょう」
「はい」
どちらともなく手を繋いでキッチンに向かった。
二人きりで食事と片付けをすると、怜宛てに高臣から電話が入ったので瀬名は先に風呂に入った。そして、高臣と話を終えた怜がお風呂に入っている間に瀬名はランジェリーに着替える。
恥ずかしくてデパートで試着をせずに購入したのだが、実際に着てみると胸が見えるので瀬名は購入したことを後悔した。
瀬名が購入したのは、ボタニカル柄のレースをあしらったブラジャーとショーツ、ガーターベルトで留めたストッキングのベビードールセットだった。ブラジャーの頂にはスリットが入って、肩紐の代わりに背中のリボンで解けるようになっている。さらに、ショーツはオープンクロッチで左右のリボンで結ぶ今の瀬名にはセクシー過ぎた。
やっぱりクリスマスプレゼントに買ったエプロンを渡すだけにしよう、と瀬名はベッドボードにエプロンの入った袋を置いた。そして、着替えるためにウォークインクロゼットに向かう途中で部屋の扉が開いた。
扉を開けた怜と振り向いた瀬名は互いに驚いて無言で見つめ合ったが、やや間があってから怜が大股で近づくと瀬名を抱き締めてキスをした。
「はぁ」
怜がため息を吐くと瀬名が不安そうに腕を胸元で交差させて呟く。
「黒、似合わないですか」
怜は首を左右に振り「そうではなく・・・・・・」と呟き、瀬名を抱き上げてベッドに押し倒すと乱暴に前髪を掻き上げた。
「こんなことされたら、優しくできませんよ」
怜は劣情を称えた瞳で不敵な笑みを浮かべると、ブラジャーのスリットに噛みついた。
「きゃあん・・・あぁん・・・いや・・・・・・」
片方を口に含み舌で弄って吸い付きながら、もう片方は指で摘まんで引っ張り弾く。
異なる刺激を乳首に与えられ、瀬名は快楽を逃がそうと身もだえる。
怜は丹念に舌や指で愛撫をしながら耳元で囁く。
「どうして、こんな色っぽい下着にしたんですか」
「ん、怜さんのものだって実感したかったから」
瀬名は首筋に吸い付かれながら告白した。
旅行以来、セクシーな下着は身につけていなかった。だが、今日はクリスマス・イブという日以外に数ヶ月に一度ある「誰でもいいから抱かれたい」欲求が高まる日だった。怜の思うままに抱いて欲しくてセクシーなランジェリーを意識して選んだ。
「酷くしても知りませんよ」
「はい。酷くしてください」
恥ずかしそうに言う瀬名を怜は力いっぱい抱き締めると、瀬名も腕を回してキスをした
怜の舌は生き物のように瀬名の口腔内を動き周り、歯列を丁寧に舐めたかと思うと瀬名の舌に自分の舌を絡める。そして、口蓋を丹念になめ回された瀬名は腰が抜けて、甘いため息をつきながら怜に縋りついた。
怜は縋りついてきた瀬名を抱き締めながらベッドに横たえる。
キスをしながら怜が胸を揉む度にブラジャーのスリットから赤い蕾がのぞく。怜はその蕾を口に含むと舌先で嬲った。その度に胎内がキュッと締まるのがわかって瀬名の喉から声が切ない声が漏れる。
「もう、これだけで気持ちがいいんですね。それとも、この下着のせいで興奮しているんですか」
怜は蠱惑的な笑みを浮かべるとベロッと瀬名の首筋を舐め、瀬名は「ひゃあ」と悲鳴をあげた。
「脱がせるのが勿体ないですね」
怜は大腿部をなで回しながら、瀬名の全身を口づけた。瀬名の真っ白な肌に赤い痕が次々と散らばった。
「瀬名、きれいですよ」
怜の舌が爪先から大腿部の内側を這っていく。
だが、瀬名は早く怜が欲しくて胎内が疼いている。
怜はギラギラした眼差しで、指をショーツのオープンクロッチから挿入れて秘裂を嬲り始める。瀬名は喘ぎながら腰を跳ね上げた。
「いや、あん・・・・・・」
「この前まで処女だったのに、もう、こんなに濡らしているんですね」
意地悪く微笑みながら、指に付いた蜜を舐めて見せる仕草が色っぽくて、瀬名は目を奪われてしまう。その隙に怜は、秘裂に二本の指を一気に挿入れる。
「ひゃん」
怜が指を入れると媚肉が勢いよく絡みついてきた。怜はさらに指を増やしてかき回しながら隘路を広げると蜜が次々と溢れ出て来た。親指で膨れ上がってきた蕾を擦り、もう片方の手で乳首を弄る。
瀬名の全身が揺れて喘ぎ声が部屋に響き、瀬名の意識がだんだんと高まってきた時、怜のスマホが鳴った。怜は無視して瀬名を愛撫していたが、しつこく鳴るので怜が仕方なく出る。
もう少しで達しそうだった瀬名は、自然と脚を擦り合せて慰めるが上手くいかない。その様子を見ていた怜は、オープンクロッチから秘裂に指を挿入れる。それだけで瀬名の肌は粟立ち、声が漏れそうになるのを必死でこらえる。
相手は高臣らしく、怜は淡々と話しをしながら蠱惑的な表情を浮かべて指一本で瀬名を犯す。
瀬名は両手で口を押さえながら怜の指から逃れるためにベッドの上で暴れる。
「かしこまりました。明日、対応します」
怜の通話が終わると瀬名は俯せの状態で押さえつけられた。
「えっ」
瀬名は何が起きたのかわからずに大人しくしていると怜が枕を渡して来た。
「顔の下に枕を置いて、両手で掴んでいてくださいね」
瀬名が枕を掴んでいる間に怜は瀬名のショーツと自身の服を脱ぎ捨て避妊具をつけると、漲りを一気に挿入した。
「ひゃぁぁぁ、あん・・・・・・あぁ」
散々焦らされていた瀬名は、挿入されただけで達してしまう。
怜は瀬名の腰を持ち上げて抽挿を繰り返しながら白くて丸い尻を甘噛し、揺れる胸の頂きを摘まむと胎内が収斂する。さらに乳房をぐにぐにと揉みしだく。
瀬名は怜の漲りが奥処に当たる度に頭の先まで、悦びが突き抜けていくような感覚に陥って愉悦の闇に堕とされた。怜が触れるところなら髪の毛一本でも悦んでしまいそうなほど、全身が性感帯になってしまった。
怜も抽挿を止めて円を描くように腰を動かすと、ただでさえ絡みついてくる肉襞がさらに締まって持っていかれそうになる。
瀬名がバテ始めると怜は漲りを挿入したまま、瀬名の背中にあるリボンを解いてブラジャーを脱がせると仰向けにして座らせる。瀬名は怜の漲りを咥えたまま蕩けた表情で怜の首に腕を回す。互いに舌を差し込むと何度も角度を変えてキスをすると、瀬名の胎内で肉襞が漲りを締め付ける。唇を離すと瀬名は甘えるように胸に頭を預けた。
「怜さん、キス好きですよね」
「さぁ、どうでしょう」
淫靡な笑みで瀬名の顔を覗き込むと唇を貪る。
「ん・・・・・・」
ギュッと抱き締めると瀬名の口から甘い声がこぼれ、さらに漲りを締め付ける。
「あぁ、もう限界です」
少し苦しそうな表情で怜は呟き、瀬名を組み敷くと抽挿を始める。今までブラジャー越しに揉みしだいていた乳房を直接揉みしだき、掌に吸い付いて来る感触を楽しむ。さらに、乳首をなめ回すと瀬名の喉から悲鳴とも悦びともつかない声が上がり怜の身体に脚を巻き付けてしがみつく。
何度か瀬名が達した後に、怜は瀬名を強く抱き締めて精を放つと、胎内に熱い射液を感じた瀬名はまた達してしまい、そのまま意識を失ってしまった。
クリスマスが終ると寒さが厳しくなり、瀬名の身体は冷気が当たるとガラス片で切られる痛みが全身に起きる。顔に少しでも冷気が当たれば頭痛が起きるので、庭に出るのも容易ではない。
お灸やホットパックなど、いろいろな方法で身体を温めて様子をみていたが一向に体調が良くならない。
南條家では、年末年始に南條邸に親族一同が集まるのが恒例になっている。
今日は低気圧のせいで背中や肋骨付近の筋肉、肩から腕にかけて痛む。
シェーグレン症候群は全身の乾燥、線維筋痛症は寒さから来る痛みが起こるため、冬場の体調は最悪だった。
なんとか食事を終えて薬を飲むとソファーに寝転ぶ。
普段はダイニングテーブルで向かい合って仕事をするのだが、瀬名が横になっているので怜もソファーに座ると、瀬名に膝枕をしながらタブレットで仕事をしていた。
タブレットを操作しながら時折、瀬名の髪や頬を撫でる。その度に瀬名は気持ちが良くて、ウトウトしながら考え事をする。
年末年始の料理作りや準備、当日の給仕を怜一人任せるわけにはいかないと思うが、年末年始は気温が下がりやすく思うように動けない。戦力にならない自分がいると怜の迷惑になるので気は進まないが実家に帰るべきではないか、と瀬名は悩んでいた。
「紅茶を飲みませんか」
タブレットを置いて怜が言ったので、瀬名は目を覚まして頷いた。
怜がローズマリーティーを運んで来ると、瀬名は起き上がる。しかし、すぐに肋骨に痛みが走って肘掛けにもたれかかる。
「ローズマリーには筋肉を柔らかくする効能があると言われていますから、効くといいですね」
「美味しいです」
瀬名は笑って見せるが、すぐにうずくまってしまう。そんな瀬名を怜は自分の胸に抱き寄せる。
「瀬名が喜んでくれて、嬉しいです」
「怜さんがしてくれることなら何でも嬉しい」
「私は側に居てくれるだけで嬉しいですよ」
「でも、私何もできないし・・・・・・」
「だから、側に居てくれるだけでいいんですよ」
怜はニコリと笑って言うが、瀬名は不満な表情を見せた。
「私は人に尽くすのが好きなんです。だから、もっと甘えてください」
「もう十分甘えています」
「ぜんぜん足りません。言葉使いも表情も固いですし、遠慮しているでしょう。自分の家だと思って自由にしていいんですよ」
怜はそう言って瀬名の頭を撫でれば、負けずに瀬名も言い返す。
「怜さんも言葉使いが固いですよ」
「これは、子供の時からしつけられているので直せません。会社に居る時は演技をしていますが・・・・・・」
怜は少し淋しそうに笑った。瀬名は訊いてはいけないことを訊いてしまった、と怜から離れようとした。ところが、首筋にキスを落とされた。
「ひゃん・・・・・・」
瀬名が甘い声を上げると怜が手を離してクスクス笑った。
「ずっと一緒に居ましょう」
怜が優しく頭を撫でた。瀬名は「うん」と頷くものの複雑な思いで怜を見つめた。
寒さが本格的になると、こんな風にリモートワークすら難しくなり、ゴロゴロする日が増える。
普通、好きな人から一緒にいようと言われると嬉しいものだが、瀬名は喜ぶ事ができなかった。
気温が下がるに連れて、怜から求められる日が減ってきている。
無論、身体を気遣ってのことだと分かっている。身体を重ねるだけが愛情ではないことも。
それでも、世話もしてもらっている自分には、あげられるものが何もないと瀬名は嘆く。
本当に側にいるだけでいいのか、分からなかった。
12月31日の夕方から新村家の人々が続々と集まって来た。
瀬名は上下黒で統一したセーターとパンツスタイルに瑠璃色のエプロンを付け、キッチンの奥からグラスや食器類、酒を出す。
怜は白い長袖シャツに黒のパンツ、腰に黒のエプロンとギャルソンスタイルで料理を運んでいた。
「気分が悪くなったら休んでいいですからね」
この日、日本海側に居座っている冬将軍の影響で気圧性頭痛が起きやすい状況だった。
宴会が始まる前から肩に重石が乗っているような鈍痛を感じていたが、怜には告げずに笑顔で明るく振る舞う。
「大丈夫」
18時から忘年会を兼ねた年越しの飲み会が始まった。
瀬名はキッチンの端に座って緑茶を飲んで食事をしながら、怜の指示を待っていた。
ダイニングルームと応接間をコネクトさせた会場で給仕をしていた怜がキッチンに戻り、瀬名の姿を認めると微笑んだ。
「怜さん、夕食は食べたの?」
「えぇ、味見をしながら摘まんでいたらお腹一杯になりました」
「それならいいけど。緑茶もらってもいい?」
「もちろん」
瀬名は怜を心配しながらカップを受け取ると、緑茶を淹れる。
「お腹が空いていたら軽食もありますし、疲れていたらお部屋に戻っていてもいいですよ」
怜は、どうしますか?と目で尋ねる。
瀬名の気持ちとしては、すでに目の奥がチカチカして肩の重さは痛みに変わり肩甲骨が軋み始めていたので一刻も早く部屋に戻りたかった。だが、自分が部屋に戻れば怜が忙しくなる。
「大丈夫」
怜の負担になりたくない瀬名は無理して笑った。
トイレに行く途中、少し暗い所で休もうと廊下で壁にもたれかかって一息付いた。
応接間を覗くと酔っぱらった高雄がすでに眠っており、新村家の人々は大きな声で何か騒いでいる。
その声すら頭に響いて辛い瀬名は、やっぱり部屋に戻ると告げようと踵を返した。
「こんなところでコソコソ何してるの?」
背後から水琴が声をかけてきた。
瀬名は面倒くさい人に見つかったと顔を顰める。
「トイレに行く途中です」
素っ気なく答えて、立ち去ろうとするのを水琴が引き止めた。
「また、怜さんが優しいからって仮病を使って気を引こうとして。何にもできない人間ほど、具合が悪いとか言って人の気を引こうとするのよね」
意地の悪い笑みを浮かべて笑う。
鮮やかな紫紺の振袖を着こなす水琴を見て、瀬名はこの性格さえなければ美人なのにもったいないと思う。だが、ポーカーフェイスを貫く。
「用がないなら、私に構わないでください」
瀬名の言葉に水琴の目がつり上がった。
「生意気なのよ。だいたい、アンタに怜さんは不釣り合いなの。そんな簡単なこともわからないの?あんなハイスペックな男は、もっと世の中に出るべきなのよ。それができるのは私。病人なら病人らしく死ねばいいのに」
水琴は廊下に響くような笑い声を上げる。
水琴の発言に怜に対する愛情はなく、自分の虚栄心を満たすために怜を利用としようとしているのが明確だった。
怜への侮辱と死ねと言われ、さすがに瀬名の我慢も限界に達した。
瀬名は無言で水琴に近づくと頬を平手打ちした。
「何するのよ」
水琴が瀬名掴み掛かろうとするのを、高臣の声が止めた。
「今の発言は、ガーディアンの人間の言葉と受け取っても構わないな」
瀬名が目を見開いて水琴の後ろにいる人物を見つめた。
「旦那様」
応接間から出て来た高臣が立っていた。
「我が社はセキュリティサービス会社だということを忘れてないか。人々の生命と幸福を護ることが我々の使命だ。今の発言は、ガーディアンのマネジメントは思えないな」
高臣は厳しい表情で水琴を見つめながら淡々と話す。静かだが反論を許さない迫力に水琴が震える。
「ち、違います。今のは…・・・」
水琴は弁解しようとするが無視して、高臣は表情一つ変えず淡々と続ける。
「我が社では障害者や難病、ガン患者も積極的雇用しているのは知っているな。確か財務経理部にも何名か在籍しているはずだが。違うか、水琴」
高臣の言葉に水琴は「はい」と静かに頷いた。
「それを承知で今の発言をしたのであればマネジメントとして失格だ。明日付で役を解く」
高臣はそう告げると、キッチンへ向かおうとした。
「待ってください。高臣様・・・・・・」
水琴は青ざめながら高臣に追い縋る。
「水琴さん、今は戻りましょう」
いつの間にか応接間から現れた周子が高臣から引き離した。水琴は周子になだめられ応接間へ戻った。
瀬名は高臣に駆け寄ると頭を下げた。
「旦那様、申し訳ありません」
高臣は瀬名を見つめて優しく微笑む。
「お前が謝ることではない。それより、顔色が悪いぞ。大丈夫か」
「申し訳ありません。先に休ませてもらいます」
「あぁ、そうするといい。父上も寝てしまっているから、もうお開きにしよう」
高臣は悠仁に親戚を客間へ案内するよう指示を出し、怜には片付けを言いつけた。
瀬名は自分の部屋に戻ると常夜灯だけを灯して、頭痛用の漢方を飲むとベッドに倒れ込んだ。
頭痛とめまいがして気持ちが悪い。
加えて首筋から肩甲骨にかけてと、腰の痛み、右腕のしびれもあり横になっているのも辛いが、起きてもいられない。仰向けや横向き、枕を上下逆さにして寝心地を確かめるが、悪心と身体の痛みは消えない。
ただ、運のいいことに瀬名は漢方が効きやすい体質だった。
漢方薬は服用を始めてから1週間前後で効果が現れると言われているが、瀬名はその日の内に効果が現れる。そのため、頭痛の前兆や症状が出てから漢方を服用して2時間休めば回復する。
ちなみに、瀬名は毎日食前に服用する疼痛に効く桂枝加朮附湯の他に今日のような首の痛みがある頭痛で服用する葛根湯、目の奥が痛む頭痛に効く呉茱萸湯、下腹部の冷えからくる腹痛用に大建中湯を常に持ち歩いている。
漢方薬は副作用が少ないが、これだけの種類を服用し続けると便秘になりやすくなり、肝臓の数値が悪くなる。
できるだけ服用せずに済むように瀬名は我慢しているが、寒くなると服用せずに済ますことは難しい。
我慢しすぎて悪化すれば怜の手を煩わせることになる。特に今日は忙しい日だ。
怜の重荷になりたくない、その一心で瀬名は何も言わず黙って痛みに耐えていた。
瀬名がしばらく目を瞑ってベッドで横になっていると「瀬名、瀬名」と、名前を呼ばれている気がして目を開けた。視界がぐるっと回転して気持ちが悪い。
「大丈夫なの、瀬名」
小春が顔を覗き込んでいる。
「さっき薬飲んだから大丈夫」
「怜様に全部任せて、瀬名は何をやっているのよ」
「ごめんなさい」
両親には高臣と怜の世話をする家政婦として、屋敷に置いてもらっていることになっている。
「そんなに具合が悪いなら、家に帰ってきなさい」
「・・・・・・考えておく」
「何言っているの。高臣様には私から言っておくから、年明けには帰って来なさい」
小春の言い分は正しい。だが、家には帰りたくなかった。
布団を頭から被って小春に背を向けると、小春がため息を付いて部屋を出て言った。
目を瞑ると、漢方で身体が温まったのと気疲れで瀬名はすぐに眠ってしまった。
怜はシャワーを浴びるとバスローブに袖を通した。
バスタオルで乱暴に髪を拭いながら、スマホをチェックするとメッセージが届いている。
怜は内容を確認すると、ため息をついた。
予定よりも作戦が早く決行されることになるのは予想していたが、瀬名の気持ちが固まっていないのが気がかりだった。
プロポーズしてから5ヶ月。
病気の自分が負担になるのを恐れて、瀬名は結婚をためらっている。
怜は瀬名が居てくれれば何もいらないと本気で思っている。
瀬名には何度もその想いを伝えていが、信じてもらえない。
基本的に他人を信じていない怜は人間に興味がない。しかし、金を稼ぐには周囲と上手くやっていく必要があった。そこで、影のように生きる気遣いの人、を演じることにした。
南條邸で使用人同然でいるのは、影として生きる為である。
社長の弟や創業一族として振る舞うと、興味のない他人の機嫌を取り馬鹿を相手に駆け引きをしなければならない。
一変して会社で我儘な弟を演じているのも、社員を寄りつかせない為だ。
会社で影のように生きる『気遣いの人』を演じれば、玉の輿を狙う女性や、使えるモノは何でも使って這い上がろうとする社員の鴨にされる可能性が高い。
だが、扱いにくい天才で我儘な弟を演じていれば、馬鹿な人間に絡まれずに心の平穏が保たれた。
しかし、ずっと他人を寄せ付けずに来た分、どうすれば他人の心を捉えられるかが解らない。
だからといって、やっと捕まえた瀬名を手放すつもりはない。
本当は水琴に瀬名が絡まれていた時、自分が助けに行くはずだった。ところが、高臣に先を越されてしまった。
あの時は相手が高臣だとわかっていても嫉妬で気が狂いそうだった。そのうえ、すぐに瀬名に駆け寄って甘やかしてやるつもりだったが、新村の人間に用事を言いつけられて瀬名を一人で部屋に行かせてしまったことも悔やまれた。
その間に小春が瀬名に余計な事を吹き込んでしまった。
怜はバスローブからパジャマに着替えるとベッドに潜り込む。
すると、先にベッドで寝ていた瀬名が身体を寄せて来た。
襟の合わせから覗く怜の素肌に鼻を擦りつけて、怜の匂いを確かめると安心したように笑顔を見せる。怜は欲情に駆られそうになり理性を総動員して押さえる。
怜は瀬名の乱れた髪を直して抱き締めると額にキスをする。
いつもは無表情で水琴の言葉をかわす瀬名が手を上げたのは相当傷ついたはずだ。
瀬名の心は繊細だが、それを感じさせない鉄面皮の持ち主でもある。だからこそ、爆発した時が怖い。心に積もった怒りや悲しみが爆発しないようにドロドロに甘やかそうと思っていたのだが、瀬名の体調を考えると今日は難しい。
身体を繋げることだけが甘やかすことではないが、物欲もなく食べ物に拘らず、我儘を言わない瀬名をどう甘やかせばいいのか、未だにわからない。
怜は溜息を吐いて目を閉じた。
正月休みが終っても瀬名は、毎日のように冷気による全身の疼痛で出社できずにいた。
高臣は水琴に告げた通り翌日の1月1日付けで財務部長の役を解き、ガーディアンスタッフの管理部経理担当へ異動を命じた。
さらに、3月の経営会議を最重要会議と位置付けて各担当者に情報収集と資料作成を命じていた。そのメンバーには怜も含まれているので、怜は資料作成をしながら瀬名の看病と通常のエンジニア業務、家事をこなしていた。
瀬名は頭痛と首や肩の痛みを漢方で紛らわしながら、休みなしで働く怜の身体を心配していたが何もできずモヤモヤしていた。
だからといって黙って寝ていると小春の言葉が頭の中でリフレインして、いつ高臣からクビを告げられるのかビクビクしながら過ごしていた。
ウジウジ考えていても仕方がないので、瀬名は漢方の効果が出たところで起き上がって気分転換に12月末締め分の事務処理を始めた。
瀬名が自室のデスクで仕事をしていると、ノック音がして怜が姿を見せた。
「瀬名。仕事していたんですか」
「はい。寝てばかりいても身体が痛くなるだけなので」
怜は厚手の大判ストールを持ってくると、瀬名の肩にかけた。
「身体を冷やさないようにしてください。すぐに、お茶を持ってきますね」
そう言うと怜は部屋を出て行こうとした。
「待って。私も行く。キッチンでお茶飲んでもいい?」
瀬名が珍しく甘えるように首を傾げて見せると、怜は蕩けるような笑みを浮かべて頷く。
「もちろんです」
怜は瀬名のパソコンを持ってキッチンへ向かい、瀬名はブランケットを身体に巻き付けながら怜の後を追った。
怜が緑茶を淹れている間、瀬名はキッチンの隅にあるカウチソファーに座って月末処理を進めた。すると、初めて一人で最後まで完璧にできた。
「怜さん、経理の月末処理ができました」
嬉しくなって瀬名が声を掛けると、ティーポット片手に怜が振り返って笑みを浮かべた。
「本当ですか。確認するので、ちょっと待ってくださいね」
緑茶を淹れた怜はパソコンをカウンターに乗せ、瀬名に緑茶を出して内容をチェックした。
怜は請求書の枚数を数えるようにめくると、データと照合をする。怜はパラパラとめくっただけで内容を覚えることができ、一度覚えたことは忘れない。
瀬名はその能力が羨ましい反面、「人と違う」辛さを知っている瀬名は、怜にも他人とわかり合えない辛さがあるのだろうと怜の横顔を眺める。
「完璧です」
データをチェックし終わった怜は、「よくできました」と瀬名の隣に座ると頭を撫でた。
「一人でできるようになるのに2年かかりました」
請求書の内容を入力して、予算から引き算するだけの作業だ。それすらできなかった自分を情けなく思う。
「それは違いますよ。権限の問題です。今月から権限が代わったからですよ」
「そうなんですか」
ガーディアン本社の権限や連結決算について疎い瀬名は、怜の指摘していることがわからない。
一方怜は、この件が高臣の計画の中で鍵を握ることだっただけに、今日の結果は自分達にとって良い方向に進むだろうと確信した。
「頭痛は良くなりましたか」
「うーん、少し首が痛いぐらい」
瀬名が首を左右に曲げながら答える。怜はそっと項に触れる。
「この辺ですか」
「うん、でも触らないで」
瀬名はそっと身体を離す。
「どうして」
「からかわないで」
怜はわざと耳元で囁くので、瀬名は真っ赤になって俯いた。
「怒らないでください。ね」
瀬名はムスっとした顔を見せながらも、怜の胸にもたれかかる。そんな瀬名を怜は可愛いと思いながら、指先で長い黒髪を弄ぶ。
「こうして二人きりで、のんびりお茶を楽しめるのはいいですね」
「うん」
怜の胸にもたれかかりながら瀬名は好きな人が自分と同じ気持ちでいてくれることや、こうやって甘やかしてくれる奇跡を噛みしめる。
「瀬名はこんな時間をずっと過ごしたいと思いませんか」
髪を弄んでいた指を離して頬を撫でる。
「うん」
瀬名は頷きながら頬を撫でる怜の手に手を重ねる。
「では、この家を出て二人きりでのんびり暮らしましょう」
「え?」
瀬名は怜を見上げた。
「今すぐではありませんよ」
「住む場所は決まっているんですか」
「いいえ。二人で決めましょう。僕は庭のある温泉付きの一軒家が希望ですが瀬名はどうですか」
穏やかに怜は話しているが、瀬名にとって温泉付き一軒家は夢の世界で現実感が持てない代物だった。だが、怜の収入や資産から考えれば高い買い物ではないのだろう、と考え直す。
「ここのお花はどうするんですか」
怜はここ数年バラに凝り出して、年中バラが咲き乱れるローズガーデンを造り上げていた。手間暇かけて育て上げたこのバラ達をどうするのか心配になる。
「瀬名は優しいですね。バラの心配をするなんて。そうですね。土壌が合うものは植え替えるかもしれません。ただ、全部持って行くわけにはいかないので、考えます」
「それはいいですね」
「それで、瀬名はどんな家がいいですか」
「私ですか」
「えぇ」
期待で満ちた目で怜に見つめられて、瀬名は戸惑う。だが、憧れがないわけではない。付き合っていれば、「結婚したら」「一緒に暮らしたら」と心の隅で思うことは何度もある。
「静かな環境で、医療や買い物に困らない場所がいいです」
瀬名が現実的な希望を言うと怜は瀬名の頭を撫でながら頷いた。
「確かに、それは重要ですね」
それから二人は理想の間取りや内装、家具の話など、とりとめなく話した。
話をしながら瀬名は、「こんなに自分のことを大切に思ってくれる人は他にいない」という気持ちを強くし、先延ばしにしていた結婚の話を前向きに考えてみてもいいのかも知れないと思い始めた。
その夜、ずっと寝てばかりいたせいか寝付けなかった瀬名は、キッチンでルイボスティーを淹れていた。すると、キッチンの扉が開き高臣が顔を出した。
「旦那様、どうかされましたか」
瀬名が声を掛けると高臣が驚いた顔をした。
「瀬名、起きていたのか。ちょっと喉が渇いた」
「今淹れているのはルイボスティーですが、お酒を用意しましょうか」
瀬名が淹れたばかりのルイボスティーのカップを見せると、高臣は笑みを浮かべた。
「いや、同じものでいい」
「では、お持ちしますね」
瀬名が笑顔で言うと高臣は少し考えるような表情をしてから言った。
「では、私の部屋で一緒に飲もう」
珍しい高臣からの誘いに瀬名は先日、小春に言われた話を思い出して緊張した。
ルイボスティーを淹れて高臣の私室で二人用のソファーセットでお茶を飲む。
「うまいな」
「そうですね」
瀬名が社会人になってから、高臣と二人きりでお茶を飲むことがなかった。それに、小春の話が気になる。
「あの・・・・・・」
「なんだ」
高臣が優しい眼差しを瀬名に向けた。瀬名は思い切って気になっていたことを訊いた。
「私はここを出ていかないといけませんか」
高臣は少し驚いたようだったが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「その話なら心配しなくていい」
「本当ですか」
「あぁ」
「瀬名を名波家に返したら私が怜に恨まれる」
高臣が微笑んだ。
「そうでしょうか」
瀬名が曖昧に返すと高臣が話を切り出した。
「ところで、怜との結婚を迷っているらしいが、病気のことを気にする必要はない」
結婚の話を高臣が知っているとは思わず、瀬名は喉が鳴る勢いでルイボスティーを飲み込んだ。
「えっと、病気が解った時に自分の結婚は諦めました。旦那様と怜さんが幸せになってくれれば、それでいいと思うようになったんです。だから、結婚を申し込まれても、どうすればいいのか解らないんです」
「瀬名の気持ちは嬉しいが、私も怜も瀬名の幸せを祈っている。だから、瀬名が幸せにならなければ誰も幸せにはなれない。特に怜はな」
高臣は兄の顔をして語った。
瀬名は高臣が自分や怜の幸せを考えてくれることを知って、胸が一杯になって言葉が出ない。
「怜は瀬名と暮らすようになって人間らしくなった。私と会った時は笑顔でいても、どこか冷めていて他人に関心がないようだった。もちろん、子供の時は自然体だった。ただ、子供の割に周囲の状況がよく理解できる子供だったから、母を護ろうとしている姿は健気だったな。母が亡くなってから変わってしまったが・・・・・・」
高臣から語られた内容は瀬名の知らない事実だった。
「旦那様は子供の頃の怜さんを知っているんですか」
「あぁ。と言っても一緒に暮らしていたわけではない。私は今、父が暮らしている家で育った。だが、母と怜はこの屋敷で暮らしていたんだ。だから、母と会うために私は月に1~2度この屋敷に来ていたんだ」
「そうだったんですね」
「怜は何も言っていなかったのか」
「はい」
「まぁ、あまり楽しい思い出ではないのかも知れないな」
高臣は遠くを見るような目をした。
「楽しい思い出ではない」
「・・・・・・。気になるなら訊いてみるといい。瀬名には話すだろう」
確信があるように高臣は言うが瀬名は不安だった。
「そうでしょうか」
「あぁ、瀬名は気が付かないか。瀬名がここで暮らすようになってから庭がローズガーデンになっているのを」
「え、怜さんがバラに凝り始めたのは知っていますけど、それは私のせいなんですか」
瀬名の驚く様子に高臣はクスクス笑いながら、訊いてごらん、という表情で言った。
「怜がバラに拘っているのは瀬名が関係していると思うよ」
瀬名は飲み終わった自分と高臣のティーカップを持つと、「お休みなさい」と告げて高臣の部屋を出た。高臣の部屋を出た瀬名はキッチンでティーカップを洗う。
すると、キッチンの扉がバンっという音とともに開いた。
「瀬名」
驚いて瀬名が振り向くと、珍しく慌てた表情の怜が飛び込んで来た。
「怜さん」
怜は何も言わずに背後から瀬名を抱きしめた。抱き締める怜の鼓動が速い。
「怜さん、何かあったんですか」
蛇口の水を止めて振り向くと、怜が途方にくれた表情をしている。
怜らしくない態度に心配になって、顔を覗き込むと深く口づけられた。
いつものように雰囲気に飲まれそうになりながらも、瀬名は怜の胸を両手で押してキスを中断させる。
名残惜しそうに怜の唇が離れた。
「怜さん、何があったんですか」
瀬名がもう一度訊くと怜は前髪をくしゃくしゃっと掻き上げた。
「瀬名がベッドに居なかったので、探し回りました」
「あ、ごめんなさい。旦那様とお茶を飲んでいたんです」
瀬名は答えながら広いとはいえ外ではぐれたわけではないのに、何故ここまで焦っているのか瀬名にはわからない。しかし、怜は納得のいかない顔で「そうでしたか」とため息を吐いた。
「さぁ、寝ましょう。後は僕が片付けておきます」
怜は瀬名に有無を言わさず瀬名の手を引くと、キッチンを出てズンズン瀬名の部屋に向かう。部屋に入ると怜は瀬名の顔中にキスをした。
「怜さん、ちょっと、待って」
瀬名は身体を捩って逃れようとするが、怜は瀬名の肩を押さえつけて額や唇から首筋に吸い付き、鎖骨に甘噛みした。
「・・・ん・・・・・・」
思わず瀬名が声を上げると、怜は力一杯抱き締める。
「瀬名、何処にも行かせません。嫌だって言っても離しません。いいですね」
瀬名の耳元で怜が掠れた声で言った。
「苦しい・・・・・・私は、何処にも行きません」
わずかに動く腕で怜を抱き返すと、怜は安心したように瀬名の頭を撫でた。
訳が分からず瀬名がキョトンとしていると、お姫様抱っこして互いの額をコツンと合わせる。
「僕は瀬名が居ないとダメなんです」。
「私も同じです」
「瀬名、おいで」
ベッドに入ると怜はいつものように腕を伸ばして腕枕をする。
瀬名は怜に安心して眠って欲しくて、いつものように胸元に顔を埋めながら怜に強くしがみついて眠った。
年末から始まっていた4月入社の新入社員を受け入れる準備は、1月中旬になると佳境に入った。
ガーディアンエンジニアリングは秋入社が多いので、それほど忙しくはならないが本社では猫の手も借りたいほど忙しくなる。
そこで瀬名は怜に了承を受けたうえで由紀に相談をして、内定者専用SNSで内定者研修の進捗と成績管理、質問回答、本社から内定者向けの連絡事項の伝達を請け負っていた。
内定者のSNSが動き出すのは夕方以降が多いため、瀬名が仕事をするのは夕方から夜になる。
ガーディアンは日本を代表するセキュリティサービス企業である。収益は黒字続き、福利厚生は充実しており、海外でも名の通った優れたエンジニアが多数在籍している。新サービスを発表すれば話題になるので将来性は高く、男女問わず能力が評価されて昇進できるので働きがいがあると、評判がいい。そのうえ、高臣が障害者や難病、ガン患者、介護や養育の必要な人材を継続的に雇用できる制度とリモート化をいち早く取り入れていている。
現在、ガーディアングループでは国内だけで60拠点のサテライトオフィスを持ち、ガーディアングループが経営するホテルでも、空き室があれば社員は無料で利用できる。
仕事の資料はすべて怜が開発したクラウドに保管されているので、その気になればバカンス中でも仕事ができるようになっていた。
これらのことから、ガーディアングループは就職したい企業の一社に上げられている。
ところが、就職したい企業の一社に内定をもらっても、より理想的な就職先を求めて活動する学生は多い。
さらにビックリするような優良企業が追加募集をするので、内定式が終ったからと言って安心できない。
瀬名の役割は内定者フォローという業務であり、SNSで本社からの伝達事項を伝えるに留まらず、社内の様子や内定者同士で盛り上がれそうな話題を振って自由にトークしてもらうなどの工夫をしている。
瀬名がこの役割を与えられたのは次期社長である高臣と親しく、扱いにくいと思われている天才エンジニアの怜と親しいからである。
つまり、カリスマ的存在の二人から内定者向けてコメントや動画をもらって内定者を繋ぎ止めようというのが、本社人事部の狙いである。
高臣と怜は瀬名に協力的で、依頼すればすぐにコメントを書いてくれた。怜に至ってはエンジニアの内定者向けに、読んでおくべき本や習得しておくといいスキルのアドバイスをくれる。さらに、周子や悠仁も身につけておくといいビジネスマナーやコミュニケーション術のアドバイスをくれたこともあり、内定者SNSは好評だった。
瀬名は辞退者が出ないまま入社式を迎えて欲しいと願っていた。
しかし、2月の経営会議で大スキャンダルが明るみになる。
瀬名は毎月の経営会議で瀬名はハーブティーを出して部屋を出て行くのだが、その日は違った。
「瀬名、怜の隣に座りなさい」
怜にハーブティーを出すと高臣に命令された。
唐突なことに瀬名が困っていると周子が近づいてきて耳打ちする。
「新社長の指示通りに」
そこで瀬名は高臣が新社長になる発表があるから、残るように言われたのかと思った。
だが、始まったのはガーディアンエンジニアリングの予算が横領されていたという怜の告発だった。
「この2年間、ガーディアンエンジニアリングの予算から毎月200万が何者かにより横領されています。そこで、この200万をガーディアングループに導入している財務会計システムで追跡しました」
スクリーンには本社から割り当てられた予算が、「株式会社ガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名」名義の口座を経由してガーディアンスタッフへ送金されている図が表示された。
役員達の目が一斉に瀬名に向けられる。
突然、降ってわいた横領の疑惑に瀬名の頭は混乱した。
瀬名は月末の経理業務が苦手で、毎月決まって200万足りなくなった。その都度、怜に相談して「このままでいい」と指示されていた。だから、瀬名はその後の処理を怜に任せていたが、なぜ横領犯に仕立て上げられているのか理解ができない。
「瀬名、どういうことだ」
上座に座る高雄の後ろから悟が声を張り上げた。
瀬名はビクッと身体を震わせただけで、声を出すことができない。
「名波さん、瀬名は横領していません。まだ説明が終っていませんので、もう少々お時間をいただけませんか」
怜は冷ややかな声で悟を制した。
悟は不機嫌な表情で怜と瀬名を見比べながらも黙った。
「このガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名の口座はフェイクです。僕を含めてガーディアンエンジニアリングの役員は口座開設の話を聞いたことも、承認した覚えもありません。また、銀行に確認しましたが、提出されたガーディアンエンジニアリングの銀行印は偽造されたものでした」
怜の説明を聞いた瀬名は、ホッと胸をなで下ろした。
「だったら、彼女が勝手に作ったんでしょ」
声を上げたのは水琴だった。水琴は役員の任を解かれたにも関わらず、今日はガーディアンスタッフ社長補佐として出席していた。
「それは違います。僕は名波瀬名のGPSやデバイスを確認しましたが、口座を作った支店に行った形跡や、ネットで口座開設形跡はありませんでした」
瀬名は「え?」と驚いて怜を見るが、怜はチラリと瀬名に目配せして口角を上げた。
「ちょっと、あなた瀬名のスマホを勝手に見たの?」
「詳細はここでは言えません」
水琴の問いを怜は濁した。
「それでは、証拠にはならないだろう」
「そうだ」
新村家の役員が言い始めると高臣が静かに言い放った。
「怜の調べには問題ない。私が保証する。怜、続けろ」
高臣の言葉に会場が静まり返る。
怜は高臣に軽く一礼して続ける。
「口座が勝手に作られたものであったことから、横領犯はガーディアンエンジニアリングから口座に送金できる人間だと考えて、財務会計システムの操作ログを解析しました。それがこちらです」
スクリーンに毎月200万をガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名の口座に送金した履歴が映し出された。
カラクリはこうだ。
ガーディアン本社からの予算は概算で1年分グループ会社へ分配される。その予算は、さらに上期と下期に分けられて、グループ会社の経理担当は概算ではなく確定した上期(または下期)の予算表を見ながら経費や交通費の精算を行っていた。
つまり瀬名は、確定になった半期分の予算しか見ることができない。だが、その裏で財務部長である水琴は1年分の予算を見ることも操作することも可能なため、瀬名が見ることができない上期(または下期)の予算から200万を横領していたのである。
通常なら、毎月の経費精算をしても半期分の合計は合うはずなのだが、水琴の悪事を知っていた怜は瀬名の分だけ年間合計が表示できるようにしていた。
だから、瀬名は「(年間の)合計が合わない」と言っていたのである。しかし、水琴はそのことを知らなかった。
「そんな権限申請書、見てないわ」
「グループ会社の権限申請書を本社まで回す必要はありません。社長決済が下りているのに」
怜が嘲笑すると水琴は悔しそうに唇を噛む。
そのやり取りを見ていた高雄が激高して立ち上がった。
「水琴、お前だな」
会場中の視線を集めた水琴は首をブンブンと横に振った。
「ち、違います。私じゃない」
「証拠は挙がっています。素直に認めたらいかがですか」
冷たい声で怜が言うと、水琴は立ち上がって震える声で言った。
「誰かに嵌められたのよ。絶対そうよ」
「それはあり得ません。僕の作ったシステムでデータの改ざんは不可能です。ちなみに、先ほどの送金履歴の中には水琴さんが削除した形跡もありました。さらに、本来は経費で認められない役員の飲食代が経費として処理されています。ここ10年で5億円を超えています」
スクリーンに操作履歴が映し出された。水琴が瀬名名義の口座へ送金した後、その履歴を削除している。そして、昼食代やキャバクラでの飲食代、自宅までのタクシー代など新村家の人間が使った私的なお金が経費で処理されていた。
スクリーンを見た水琴は、ガックリと崩れ落ちるように椅子に座った。
また、会社の金を私的流用していた新村家の面々は外部役員に睨まれ小さくなった。
「ちょっと待ってくれ。口座を作って送金したのが水琴だとしても、最終的にはガーディアンスタッフに入金されていたんだろう。そこはどう説明するんだ」
沈黙を破って指摘したのは、業務請負会社ガーディアンブルーの社長で高雄の弟、高保だった。
この指摘に答えたのは悠仁だった。
「水琴さんは最終的にどこへ金が流れたのか隠すために、わざわざコンビニのATMから送金していました。証拠もあります」
スクリーンにはガーディアンエンジニアリングBO名波瀬名名義の口座から200万が引き出され、日刊警備業界社の長谷川祥子へ送金し、日刊警備業界社から謝礼の名目でガーディアンスタッフへ入金されていた証拠が並べて映し出された。
「おい、個人の口座情報なんか入手できるはずがないだろ」
高志が怒鳴る。
「日本を代表するセキュリティ会社が動けば、このぐらい朝飯前です」
悠仁と高臣が互いを見て微笑む。その光景に会場が凍り付いた。
悠仁の父はメガバンクの仁科銀行の頭取である。そのコネクションと高臣の人脈を使えばこれぐらい朝飯前だ。
再び静まり返った会場に高臣の言葉が響く。
「この日刊警備業界社の長谷川祥子からも話を聞いて確認を取り、その時の動画を検察に提出した」
どよめく会場内で高雄が叫んだ。
「高臣。なんてことをしたんだ」
「社長。不正が発覚した以上、隠す訳には参りません。今後の対策を講じましょう」
「貴様、父を裏切ったのか」
顔を真っ赤にして怒り狂う高雄に対して、高臣は冷たい眼差しで高雄を見つめる。
「裏切ったとは心外です。右も左もわからない新人を財務部長に承認したあげく、身内に侮られて犯罪を許すような人に、ガーディアングループを任せる訳には参りません」
息子から父へ引導が渡された瞬間だった。
瀬名は周子によって先に家に帰された。
怜からも帰宅後に詳細を説明するから、身体を休めておくように言われたので瀬名はベッドに潜ったが眠れない。
会社が今後どうなるのか、なぜ水琴は自分を嵌めようとしたのか、そもそも水琴が横領した動機は何か、頭の中を疑問が駆け巡る。
それでも、長時間緊張して会議に臨んでいたので疲れていたせいか瀬名は眠ってしまった。
起きた時には怜が夕食を作り終えて、瀬名の部屋でハーブティー片手に仕事をしていた。
「目が覚めましたか」
枕元に腰を下ろした怜に声を掛けられるが、寝ぼけ眼の瀬名は声を出さずにコクコク頷いた。そんな瀬名を微笑みながら怜が頭を撫でる。瀬名が気持ちよさそうにしていると、指を瀬名の髪に潜り込ませて地肌を撫でた。瀬名は起き上がると怜の胸にもたれかかる。
「夕食の準備ができていますよ」
そういいながら怜は腕を回して瀬名を抱き寄せると頬や額、唇に啄むようにキスを繰り返した。
「今、おきる・・・ん・・・・・・」
瀬名は起きようとする前に、怜が舌を入れて口腔内を嬲り始めた。瀬名は怜から離れようと身体を捩るが、怜は瀬名の頭をしっかり抱え込み離そうとしない。
「すみません。今日一日中側に居たのに、触れることができなかったので止まりませんでした」
ようやく唇を離した怜は謝ったが、瀬名は目が覚めたものの頭はボーっとしたままだった。
今日は会議が長引いて帰れない高臣や悠仁、周子がおらず二人で夕食を食べ終え、食後に手作りのマンゴープリンと緑茶を楽しみながら怜は横領事件のあらましを瀬名に話し始めた。
水琴は家政婦の娘のくせに高臣や怜に可愛がられている瀬名が嫌いだった。
いつもボンヤリとしていて何もできず鈍くさい。それなのに、病気だからというだけで高臣と怜に構ってもらっているのが気に入らない。
水琴は従兄弟で紅一点ということもあり、周囲から可愛がられてきた。だが、高臣と怜は水琴には見向きもせずに瀬名ばかり可愛がっていた。
そのうえ、勉強もしていないのにトップクラスの成績を取り、それをひけらかすこともせず淡々としているのが鼻についた。
おまけに、学校での嫌がらせで精神的に参ってしまったと嘘を付いて、高臣と怜が暮らす屋敷に居候を始める厚かましさに水琴の怒りは膨れ上がった。
瀬名だけは許せない。
どんな手を使っても高臣と怜から引き離そう。
水琴は南條家から追い出してやると決めた。
大学卒業後、すぐに水琴はガーディアン本社へ入社したが、瀬名は一社目をリタイアした後にガーディアンエンジニアリングへ入社する。
父の高志や親戚の後押しもあって、すぐに役職に就いた水琴は経理システムの権限者になった。
水琴は自分の親や親戚達の思惑に気が付かないまま、瀬名を追い出すチャンスが来たと思った。
ガーディアンエンジニアリングの経理は瀬名が担当していたので、横領の罪を被せることはたやすい。
ガーディアン本社で保管しているガーディアンエンジニアリングの銀行印を偽造して、瀬名の名義で口座を作る。その口座に毎月200万を振り込み、その後は自分で使うはずだった。
だが、ここで計画が狂った。
水琴の父が経営を任されているガーディアンスタッフがアウトソーシングサービス会社のガーディアンブルーに押され、赤字続きで会社の資金繰りが苦しいが本社から予算が下りない、と泣きついてきたのである。
水琴はそれまで使わずに貯めていた金に加えて、毎月200万を渡すと約束した。
しかし、ガーディアンスタッフへ入金するには、どこかの業者を名乗らなければならない。そこで、幼なじみの長谷川祥子を頼ったのである。
記者である祥子は世界的エンジニアで、有名機関誌で世界を変える百人に選出されている怜の独占インタビューを取りたがっていた。
怜のインタビューを餌に、毎月200万を取材費や広告掲載費として支払い証明を出して入金するように頼んだ。
さらに、横領事件が露見した際に高臣を脅せるようなネタを掴むように依頼した。
「それで、長谷川さんはホテルに居たんですね」
それまで黙って聞いていた瀬名が口を開いた。
「そうです。記者の長谷川も悪事に荷担している以上、何かしらの情報が欲しかったようです」
「水琴さんは2年も横領していたんですか」
「正確には1年半です。いくら周りの後押しがあったからとはいえ、新人にすぐに権限は渡しません。半年間は試用期間ですからね。それでも早すぎると思いましたが、旦那様は何か裏があると思ったようで、あえて承認したんです」
「じゃあ、ずっと前から解っていたんですか」
「えぇ、もちろん」
ニコリと笑って怜は種明かしを始めた。
高臣は以前から新村一族による経費の私的流用を問題視していた。
そこで高臣は秘密裏に経理システムの改善を怜に依頼した。
高臣の要望を踏まえつつ、横領や粉飾決算などを防ぐシステムを怜は完成させた。
AIを搭載した財務会計システムは各企業の金の流れと承認ルートをAIに学習させて、通常の流れと異なる支払いや入金、承認が行われると内部監査室長に通知が届き、該当する承認や入出金ルートが表示される。これを内部監査室長が問題視すると、社長と会長、外部監査役、顧問弁護士に情報が一斉に共有される仕組みになっている。
財務会計システムでは、誰が・いつ・どのような操作をしたのかを、削除した履歴も含めてログが残る。
一番始めに水琴の横領に気が付いたのは怜だった。
毎回、瀬名の経費処理が上手くいかないことに疑問を抱き、ログを調べたら水琴が裏で操作していたことが判明した。
すぐに告発しても良かったのだが、一回や二回では操作ミスと言い逃れもできるので決め手に欠ける。また、200万の行方も突き止める必要があった。
そこで銀行周辺を悠仁が、ログの解析を怜が調査することになった。だが、銀行からの情報開示がなかなか難しく、高臣と付き合いのある警察庁にも協力してもらうことで全容が解明された。
さらに、水琴に横領するよう指示したのが高志であることがわかった。高志は怜が開発した財務会計システム導入以前から横領を続け総額1億円以上を着服していた。
「横領についてはわかりましたが、あの、私に付けたGPSって何ですか」
瀬名の質問に怜は苦笑する。
「そこ、気になりましたか」
「気になります」
瀬名がムッとした顔をすると、怜は「仕方がないですね」と呟いて白状した。
「瀬名の靴に付けてあります」
「え、全部ではないですよね?」
返事をする代わりに怜はふふっと笑った。
「嘘でしょう?全部に付けたんですか」
「すみません。でも、以前のように目の届かない所で具合が悪くなったら、と思うと心配なんです」
怜は眉尻を下げて瀬名を抱き締めた。
怜の言いたいことは瀬名にも理解できた。瀬名自身も一人で出かけた途中で痛み発作が起きたら、と考えると外出する勇気が出ないことが多い。
「悪用しないなら・・・・・・」
瀬名は自分で怜に甘いな、と思うが怜の胸から顔を上げて告げる。
怜は満面の笑みを浮かべて瀬名を強く抱き締めた。
翌朝、新聞やテレビ、ネットで一斉に横領事件が報道された。
南條邸やガーディアン本社にマスコミが大勢押しかけて来たので、高臣と怜、瀬名は外に出るのも難しい状況になった。
「窓際には立たないでくださいね」
広大な庭がある南條邸では、窓際に立ったところで外から見えないのだが、怜は朝からピリピリしながら高臣と瀬名に注意する。
二人は顔を見合わせて頷くしかできない。
騒ぎになっているので、今日はハウスキーパーを入れることもできず、怜は一人で掃除をしている。そこで、瀬名は怜に手伝いを申し出たが断られてしまった。
高臣は家に居ても周子や悠仁、顧問弁護士から次々と連絡が入るのでリビングにいても休む暇もない。
高臣が執務室ではなくリビングで仕事をしているのは、検察聴取の日程調整や財務会計システムについて怜に確認しなければならないからである。
瀬名は自室に居ても落ち着かないので、怜にくっついてリビングにいた。
特に急ぎの仕事はないが社内の様子が心配なので、仲の良いエンジニアや由紀にチャットで様子を聞いた。
ガーディアンエンジニアリングでは特に騒ぎはなく、いつも通り各々研究を進めているらしい。
だが、ガーディアン本社の採用チームには激震が走っているらしい。
朝から内定者からの問い合わせが多く寄せられて電話が鳴り止まないという。
由紀のチャットを読んだ瀬名は慌てて内定者SNSを確認すると、新卒も内定者同士でやり取りしているようだった。
何かアナウンスをしなければと思うが高臣はパソコンとスマホを交互に手にしていて、声を掛けられる状況ではない。
かといって瀬名が判断していいことではなく、どうするべきか頭を悩ませていると背後から声を掛けられた。
「どうかしましたか」
「わっ。あぁ、怜さん」
「何か困ったことでもありましたか」
「ええっと、内定者フォローのことで」
「もう辞退者が出ているんですか」
「いいえ。ただ、今のうちに対処しないと辞退者が続出すると思います」
「まぁ、その程度で辞退する人は、辞めてもらっても僕は構いませんが、それで瀬名の評価が落ちるのは困ります。策を練りましょう」
怜の言い分に賛同はできないが、怜が一緒に考えてくれるのは有り難い。
高臣が次々と指示を出しているのを横目に瀬名と怜は内定者にどうアナウンスをするか考えた。
会社としてのアナウンスはすでにHPで掲載してある。この内容に沿ったアナウンスをSNSで伝えることは決まったが、それだけでは不安を払拭することは難しい。
「怜さん、今回使用した財務会計システムはすでに販売されているんですよね」
「いいえ。試験的に導入しているだけで、一般発売はこれからです」
「それなら、今後発売される新製品によって横領事件が暴けた、ということを内定者に説明すれば不安は解消されますよね」
瀬名の提案に怜は腕を組んで考える。
「それで辞退を踏みとどまるでしょうか。彼らは雇用される保証が欲しいのでしょう」
「あぁ、そうですね」
テレビではガーディアングループの株価暴落が伝えられている。
「新製品が優れたもので将来性があるものだと伝えられると思ったんですけど、確かにそれだけだと弱いですよね」
「まぁ、会社の信頼はすぐに回復しますよ。ただ、内定者向けに説明会は必要でしょう。先ほどの謝罪文と日程を調整して後日案内すること、不安や疑問がある人はDMして欲しいことを、SNSでアップしましょう。あとは旦那様に相談して決めなければならないでしょうね」
怜の言葉に瀬名が頷く。
「瀬名。それなら、説明会では私が説明をすることと、少しでも不安や疑問がある人はメールや電話をしてくれれば、本社やオンラインで人事担当者が相談に乗ると伝えて欲しい。人事には私から指示しておく」
隣で電話を終えた高臣が指示を出した。
「はい。わかりました」
電話をしながら話を聞いていたことに驚きながら瀬名は返事をする。怜と一緒にアナウンス文を考え、高臣から承認をもらった。
その後、高臣が人事に指示を出したタイミングで内定者用SNSにアップ。さらに、人事部へSNSにアップしたアナウンス内容をメールで伝えた。アナウンス内容を人事に伝えておかなければ、人事担当者が問い合わせ内容を把握できず対応に困るうえ、学生に不信感を抱かせて辞退者が増えると考えたのである。
内定者向けSNSで告知後、不安なので面談したいという声が次々と寄せられ、瀬名は人事と内定者の面談スケジュールアレンジで忙しくなった。
横領事件が報道されて数日後、早朝から家宅捜査が入った。
その日は都心での初雪が予想される寒い日だったので、前日から身体の痛みとだるさを訴えていた瀬名は、起き上がれなかった。
だが、関係者として部屋を調べると言われ、すでに調べて何も出てこなかった客間で怜と休むことにした。さらに、検察聴取に協力を求められたが、駆けつけた弁護士が対応してもらった。
「まだ、家宅捜査は続いているの」
緑茶を持ってきた怜に訊ねると怜はいつも通りの笑みを浮かべた。
「全部の部屋を調べるそうです。片付けが大変そうです」
「私も手伝います」
「瀬名は自分の部屋だけ片付けてくれればいいですよ」
「水琴さんや高志さんは素直に聴取に応じているの」
「いいえ。水琴さんと高志さんは体調が悪いという名目で入院しています」
「え?」
健康な水琴と高志が病気と聞いて首をかしげる瀬名に、怜は忌々しそうに告げる。
「国会議員がよく使う手です」
「あぁ、そう・・・・・・」
「でも、その手も封じましたから、すぐに検察の取り調べを受けます。まぁ、水琴さんは誰かに嵌められたとか言っているようですが。それに、民事でも新村家の人間には横領や経費とした使った分を全額返還するよう請求もします」
水琴は往生際が悪いな、と思いながら瀬名は自分も同じようなものだと気が付いた。
「ねぇ、怜さん」
「なんでしょう」
「検察聴取、受けたいんだけど」
「え?」
瀬名の申し出に怜が珍しく動揺した顔をした。
「そんな必要はありません。瀬名は何も知らなかったのですから」
厳しい口調で瀬名の肩を掴む。
「でも、それでは水琴さんと変わらないじゃない」
「それは違います。瀬名は難病を二つも抱えているんです。検察庁へ出向いて長時間の聴取には耐えられません」
「注射を打って薬を飲んで行けばなんとかなるわ」
「注射が効くとは限らないでしょう」
「でも・・・・・・」
言い返そうと思っても言葉が出てこない。
いつも注射が効くとは限らないのは事実だ。さらに、ストレスは身体の痛みを増悪させる原因の一つである。だからといって逃げたくない。
「瀬名?」
「今回の事件で私は何もしていないのに、病気を理由に逃げたら疑われるでしょ。それはイヤ。」
怜は一度深くため息をついた。
「仕方がありません。無理しない範囲で聴取を受けられるように弁護士と相談します。それでいいですね」
「はい」
瀬名が頷くと怜は優しく微笑むと額にキスをした。
それから数日後、瀬名の検察聴取が南條邸の応接間で行われることになった。
南條邸に来た検事はスタイリッシュなメタリックの眼鏡と、鋭い眼差しで頭の良さが顔に出ている。
こういうタイプが苦手な瀬名は、顔を合わせただけで緊張した。
「早速、始めましょう」
検事はそう言うと事務的な質問し、瀬名は機械のように答える。
「新村水琴とは同級生ですが、仲は良かったのですか」
「いいえ。遊んだ記憶もありません」
「貴方は高校時代に嫌がらせを受けて休学した後、転校していますね。その事を恨んだことはありましたか」
「いいえ、ありません。そもそも、私が転校したのは病気療養のためです。水琴さんは関係ありません」
瀬名は昔の話を蒸し返されても動じずに答えたが、検事は切り込んだ。
「なるほど。しかし、その後も嫌がらせは続いていますよね。それでも新村水琴に対して憎しみを感じたことはありませんか」
瀬名は何を聞き出したいのか理解できず、怜を見つめる。
瀬名の隣には上司で介助者の怜と弁護士が付いているが、弁護士は仕事ができるような印象が持てなかったこともあり、瀬名は怜しか頼れなかった。
戸惑う瀬名に怜は目だけで「大丈夫」と伝えた。
「ありません。水琴さんについて思うことがあるとすれば、関わらないで欲しいということだけです」
瀬名の答えに検事が初めて戸惑う様子を見せた。
「どういう意味でしょうか」
「そのままの意味です。好きでも嫌いでもないので、私に関わらないで欲しい、ただそれだけです」
「それは、つまり・・・・・・興味がない、ということでしょうか」
「はい」
瀬名のキッパリとした答えに、検事から呆れたような「はぁ」というため息が漏れた。
検事は眼鏡の位置を直すと念押しをした。
「では、新村水琴の言動に関心がなかったということですね」
「はい」
瀬名が大きく頷く。
怜は検事と瀬名のやり取りを面白そうに見ていた。
その後、いくつか確認をして瀬名の聴取は終わり、最後に検事が怜にパソコンを見せた。
「先日お預かりしたパソコンです。ここに入っているファイルですが、すべて外国語で書かれていますよね」
「えぇ、そうです。でも、優秀な検事なら読めますよね」
怜は意地の悪い笑みを浮かべて検事に言う。
怜の態度に検事は額に汗を浮かべた。
「あの、何語で書いているんでしょうか」
「ヘブライ語ですよ。わかりませんでしたか」
唖然とする検事を前に怜は肩を揺らして笑っていた。
検事は額の汗を拭いながら「ありがとうございました」と頭を下げると、そそくさと帰って行った。
「どうしてあんな意地悪をしたんですか」
「そんなことはありません。自分の研究を盗まれないように対策を講じるのは常識です」
産業スパイのことを指しているとわかって瀬名は赤面した。
当たり前のように側にいるので、つい忘れてしまうが怜は世界が注目する天才エンジニアなのである。
「ごめんなさい。知ったような口をきいて」
「謝るようなことではありません。それより、あの弁護士は解雇するように進言しましょう。同席したにも関わらず、役に立ちませんでした」
「え・・・・・・」
確かに期待を持てる印象ではなかったので、頼りにはしなかったが解雇する必要があるのか、と瀬名は思う。だが、絶句する瀬名をよそに怜は高臣に進言した。
「今日のやり取りを見ても我々に有利な人材とは思えません」
「そうだな。彼は父が契約した弁護士だったからな。今後は友宏に顧問弁護士を依頼する。彼なら我々の意向を汲んでくれるだろう」
友宏とは悠仁の兄である。悠仁は五人兄弟の末っ子で、長男は仁科銀行のアメリカ支社長で次男は財務省の官僚、三男は国会議員、四男の友宏が弁護士をしている。
高臣は幼い頃、友宏と悠仁、怜の四人でよく遊んでおり、アメリカ留学にも一緒に行った仲だ。
「ところで、内定者向けの説明会だが来週行う。人事から今までに内定者面談を行った時のレポートをもらってくれ。内定者が何を不安に思っているのか知りたい」
「承知しました。いつまでにご用意すればよろしいですか」
社長からの指示に、瀬名は社員として答える。
「説明会の当日までで構わない」
「かしこまりました」
瀬名は怜と共に執務室を出ると、すぐに由紀に連絡を取った。すると、内定者との面談が毎日のように入っているという。
「じゃあ、前日までに纏めるのは難しいですよね」
「そうね。この時期は入社前準備と研修準備で手が回らないから」
ため息をつきながら言う由紀の声には疲れがにじみ出ていた。
「では、レポートは私が作ります。面談内容のデータや手書き報告書のPDFを送ってもらえませんか」
「それはいいけど、瀬名ちゃんは大丈夫なの?」
「大丈夫です」
他の社員が大変な思いをしているのに、身体が痛いからと家でゴロゴロしているわけにはいかない。
「後ほど人事部宛てに依頼を出すので、よろしくお願いいたします」
瀬名が電話を切ると怜が険しい顔で瀬名を見つめていた。
「どうしたんですか」
「どうしたんですか、ではありません。なぜ、そんな安請け合いをしたんですか」
「みなさん、忙しいですし。暇なのは私だけなので」
「暇ではないでしょう。この時期は起き上がるのも大変なのに、どうやって仕事するんですか」
「入力や内容の確認業務ならできます。というか、やります」
一向に引く気配のない態度に怜はため息をついた。
「わかりました。瀬名ができない時には手伝います。いいですね」
これが最大の譲歩だと思った瀬名は「ありがとう」と呟くと怜に抱きついた。
年末から身体の痛みが酷くなっていた瀬名は、2月上旬になると起きている時間がどんどん短くなり、一日の大半を寝て過ごすことになった。
理由は二つある。
一つは冷気に当たると全身の皮膚が切り刻まれ、筋肉が引きちぎられるような痛みと、頭痛に襲われること。もう一つは、痛みを抑えるために鎮痛剤を通常よりも増やすことで、副作用の倦怠感が酷くなるためである。
椅子に座っていても倦怠感で伏せってしまいたくなる。
だが、高臣に依頼された資料を作らなければならないので、身体がだるくても腕や腰が痛くても、頭痛がしていてもパソコンで作業をしていた。
しかし、無理をすればするほど身体の範囲が広がり痛みが増す。
痛みは次第に日常生活を困難にしていった。
朝食時にスプーンを持つと腕にビリっと電気が走るような痛みがして落とし、昼食では見えない何かに腕を上から押さえつけられていて、口元まで腕が上がらない。夕方、少し横になったが、夕食時には指がパンパンにむくんでいて、上手く手が動かせなくて箸で焼き魚をほぐすことができなかった。
「瀬名ちゃん。大丈夫?」
瀬名を見守っていた周子に気遣われて瀬名は笑って誤魔化す。
「大丈夫です。寒いから指がむくんでいるだけです」
「暖かくなれば良くなりますよ」
怜が瀬名の魚をほぐしながら援護射撃をすると、周子は「そう。大変ね」と納得した。
座っているのも辛い状況でも瀬名は資料作成を諦めずに行っていた。ただ、当然ながら痛みで集中力が散漫になってしまいミスタイプが多くなってしまう。そこで、出来上がったデータを怜がチェックして必要に応じて修正している。
その最中にガーディアンの信頼を回復させるニュースが飛び込んで来た。
スマホ利用者の9割が利用しているメッセージアプリのデータが、日本と緊張関係にある国で保管されていることが判明した。
このアプリはユーザー数が多いにも関わらず、Gモバイルではインストール時に警告メッセージが表示され、サービスが利用できないようになっている。
これがGモバイルの個人ユーザーが増えない原因となっていたが、怜は『規約に問題が多い』としてインストールを認めなかった。
このように、他社では普通に利用できるアプリがセキュリティの問題で利用できないことから、セキュリティ重視の法人ユーザーには人気が高いが個人ユーザーには敬遠されていた。
だが、今回の一件でSNSでは評判が高まった。
「さすがガーディアン頼りになる」
「使いにくいと思っていてごめんなさい。ガーディアンに乗り換えます」
このようなコメントがSNSに溢れ、翌日にはGモバイルを始めとして問い合わせが殺到して横領事件の影響を吹き飛ばした。
その頃、瀬名は資料提出期限ギリギリの面談分までレポートに纏めて高臣へ提出すると、瀬名はホッとして夕食もほとんど手をつけずに寝込んでしまった。
しかし、ベッドで横になっていても肋骨付近や首、肩甲骨付近の筋肉に針が刺さっているような痛みがある。腕の血管にガラス片が流れているように、何か刺さっているような痛みが移動していく。さらに、背中に鉄板が入っているように固く寝ているのも辛い。
だが、起き上がることもできず、布団の中で仰向けや左右を向いた横臥状態で、ゆっくり背中を丸める、反らす、仰向けになって枕を外してタオルを丸めたものを代用して寝てみるなど、ゴロゴロしていた。
すると、仕事を終えた怜がパジャマ姿で現れた。
「体調はどうですか。痛くて眠れませんか」
「うん」
「そう思って漢方と筋弛緩剤を持ってきました。これを飲んで様子を見ましょう」
「はい」
言われた通りに漢方薬と首や肩こりに効果のある筋弛緩剤を飲み、怜に抱き締められて横になっているうちに、筋弛緩剤による強い眠気に襲われて瀬名は眠ってしまった。
数時間後、背中に冷気と痛みを感じたせいで瀬名は目が覚めてしまった。
痛みを逸らすために寝返りを打とうと思うが、瀬名の身体は怜にしっかり抱き締められている。
怜を起こさないようにそっと身体を動かそうとして、あっさり失敗してしまう。
「瀬名、どうかしましたか」
「ちょっと身体が痛くて」
仕方なく本音を告げると怜が起き上がった。
「どこが痛いんですか。肋骨付近それとも背中ですか」
「背中がヒンヤリするような感じがして・・・・・・」
「そうですか。では、反対側を向いください」
瀬名が怜に背を向けて横になると、怜が後ろから抱き締めてきた。
「わぁ」
瀬名が思わず驚いて声を出してしまうと、背後で怜がクスクス笑う気配がする。
「これなら冷感も感じないでしょう」
確かに怜の熱い体温を感じて冷感は感じなくなるが、瀬名は物足りなさを感じて身体を回転させる。
「怜さんの顔を見えないと淋しいです」
怜の首に抱きつく。
「うわぁ」
今度は怜が驚いて声を上げた。
だが、怜は「仕方がないですね」と呟きながら、瀬名を抱き締めると大きな掌で背中を優しく撫でた。
瀬名は怜の首筋に鼻頭を押し付け、冷えた脚を絡ませると安心したような笑顔を見せると眠りについた。
瀬名の顔を見つめながら怜はため息を付く。
あんな可愛らしい笑顔で抱き付かれたうえに脚を絡ませられると、鉄壁な怜の理性も崩壊しそうになる。
瀬名の痛みが治まるように背中を撫でながら、膨らみ始める欲望を鎮めようと他の事を考えようとする。
他の事ならどうにでもできるが、瀬名のことになると自分をコントロールできなくなってしまう。鼻腔をくすぐる甘い香りと柔らかい感触の誘惑に負けそうになるのを堪えつつ、瀬名の髪に指を入れてかき回しながら、額にキスをして目を瞑った。
説明会当日。
当初は内定者向けに企画していたが、グループ会社の社員と内定者全員に向けて発信することになった。
これは、内定者に社員と仲間だという認識を持ってもらうことで、内定辞退防止効果を期待している。
瀬名は身体の痛みが酷くて出社できず、怜は瀬名の看病を名目に家に残ったので二人はオンラインで視聴することにした。
高臣は今回の不祥事によって不安を持たせたことや、取引先ならびに個人ユーザーに大きな影響を与えて社員に迷惑をかけたことを謝罪した。
そして横領事件の経緯を説明した後、今回の横領事件をきっかけに、同族経営および親族を取り立ててきた慣習を廃止。そして、新体制で高臣は社長に就任して、グループ会社の見直しを図ることを宣言した。
その中でガーディアンエンジニアリングはガーディアン本社の研究開発事業部に統合し、怜はアドバイザリー契約で外部から研究に携わることを発表した。
この発表に驚いた瀬名は隣にいる怜を見ると、怜はいつものように優しく微笑む。
「心配しなくても大丈夫ですよ。フリーランスになっても、瀬名に不自由ない生活をさせますから」
「はぁ・・・・・・」
瀬名は心配しているのはそこではないのに、と思う。
「これからは、会社に縛られないので以前二人で話したように温泉付きの家でのんびり暮らしましょう」
「え、あの話って本気だったの?」
「もちろんです。僕は実現できないような話はしません。もう、物件の目星も付けているんですよ」
そう言うと怜はもう一台のパソコンで物件の見取り図を出した。まだ、高臣の話は続いているにもかかわらず、瀬名と怜は物件の見取り図に夢中になって見ていた。
翌週、瀬名と怜が出社するとエンジニアがひっきりなしに怜の元を訪れていた。
エンジニアは母国語で話しているので、瀬名には詳細な内容まではわからないが雰囲気から「怜に付いて行きたい」と言っているようだった。
ガーディアンエンジニアリングのエンジニアは怜と一緒に働きたくて入社している。その怜が退社することになれば、彼らがガーディアンに残る理由はない。
彼らが慌てるのは当然だろう。
だが、興奮気味に話す彼らに怜が冷静に一言、二言告げると大人しく引き下がって行く。
瀬名は首を傾げながら見ていたが、午後から本社で採用チームの手伝いがあったので怜に訊ねる時間もないまま本社へ向かった。
「体調はどう?」
社員食堂の窓際で向かい合わせに座るなり、由紀が聞いた。瀬名は曖昧な微笑みを浮かべる。
「今日は暖かいのでなんとか」
「そう、良かったね。ところで、そっちのエンジニアは大丈夫?」
「それが、朝から怜さんのところにエンジニアが何か言いに来ています。母国語で話しているから、何を話しているのかはわかりませんが・・・・・・。」
「やっぱりねぇ。彼らはガーディアンに入りたくて入社したわけじゃないからね。怜さんがいなくなったら、会社に居る意味ないよね」
由紀は採用担当として面接にも立ち会っているので、彼らの入社動機を熟知している。百人が百人、怜と一緒に仕事がしたくて入社しているのである。
「今すぐに退社するわけではないけど、たぶん怜さんは早めにフリーランスになると思う」
瀬名は怜が自分と住む物件に目星を付けていることを考えると、3月末で退社もあり得ると思っている。
「アドバイザリー契約だっけ?でも、それって表向きだけで実際は、研究開発事業部するんでしょ?」
「さぁ。そこまではわかりません」
怜が何を考えているのかわからないので、瀬名は正直に答えた。
「それで、瀬名ちゃんはどうなるの?」
「え?」
「ガーディアンエンジニアリングが本社の研究開発事業部と一緒になったらどうなるの?」
瀬名の今後は、今回の再編とは関係なく説明会資料を作成した時に決まっていた。
「私は3月末で退社します。今の体調では働けませんから」
瀬名の答えに由紀は「やっぱり」という表情をしたが、笑顔を見せて笑う。
「いいんじゃない?今まで頑張って来たんだから。休むことも治療の一つだと思うよ」
瀬名の心に由紀の優しさが染みる。
「ありがとうございます」
「でも、少し良くなったらこっそり手伝ってね。リモートでもいいから」
悪戯っぽく笑う由紀に瀬名も「はい」と笑った。
「ところで、瀬名ちゃんって膠原病だったよね。膠原病って顔がパンパンになるの?」
由紀はそれまでの笑顔を消して真顔になった。
「あぁ、ステロイド薬を飲んでいるとムーンフェイスといって、顔がパンパンになるみたいです。私はステロイドが効かない膠原病なので、経験はありませんが」
「そっか。膠原病もいろいろあるっていうからね」
「膠原病がどうかしたんですか」
瀬名は咄嗟に「由紀が膠原病なのでは?」と勘ぐってしまったが、違った。
「妹が離婚したの」
「え?」
「去年、出産したんだけど、その後に全身性エリテマトーデスっていうの?それになって。でも、旦那は子供がもう一人欲しいとか言って。それどころじゃないのにさぁ。それで離婚して実家に戻って来たの。子連れでね」
由紀はすでに結婚して子供もいるが、両親が病気でちょくちょく顔を出していると言っていたのを思い出し、瀬名は複雑な気持ちになった。
怜との新しい生活を夢見ていた瀬名は突然、現実はそんなに甘いものではないと突きつけられたような気持ちになる。
「そうですか。入院はされているんですか」
「今は家にいるけど、急に立ち上がれなくなったりするから、一人にしておくのは無理かな。でも、両親は他人を家に入れたくないって、ヘルパーとか訪問看護を断っているのよね」
「難しいですね」
怜もきっと自分で面倒を見ると言うのだろうと、ぼんやり思う。子供が出来たら怜はどうするのだろう。子育ても自分でやりそうと、考えて自分はやっぱり結婚できない人間だと思った。
「まぁ、でもなるようにしかならないんでしょうけど」
由紀はカラッとした声で言うと、「おぉ、時間だ」と慌てて席を立ち、瀬名も続いた。
午後の仕事は入社する意志の固まった内定者に入社データチェックや、研修中に滞在するマンスリーマンションを確保する仕事をしたが、瀬名はどこか上の空でミスばかりしていた。
そんな瀬名を見て由紀に体調を心配されたが、瀬名は「大丈夫です」と笑って誤魔化した。
原因はハッキリしていた。
ランチでの会話から瀬名と怜が話した未来は絵空事でしかなく、現実はもっと厳しいことを痛感したからである。
以前から結婚は難しいと瀬名は口にしていたものの、頭の隅ではなんとかなると思っていた。だからといって怜と離れることができずに、今日まで一緒にいるのである。
帰宅してからも結婚できない、と言おうと思うが怜に話しかけられて触れられる度、やっぱり離れがたく口に出せないでいた。
「今日はずっと何を考えているんですか」
怜と瀬名は寝る前に一緒にルイボスティーを飲んでいた。
「えっ?何も考えてない・・・・・・」
瀬名は嘘がバレないように咄嗟に抱えていたクッションに顔を埋めた。
「嘘はいけません」
怜はクッションを取り上げて、瀬名の顎に指をかけて自分の方を向かせた。
瑠璃色の目にのぞき込まれ、瀬名は目を逸らす。
「瀬名には何でも話して欲しいと思っているのですが、僕では役不足なのでしょうか」
怜の淋しそうな呟きを耳にして瀬名は思わず怜を見つめる。
「それで、何を考えていたのでしょうか」
改めて怜に問われ、瀬名はしぶしぶ由紀とランチをした時の話をした。
「それは気の毒でしたね」
「はい。それで、やっぱり私は結婚するのは難しいと思い知りました」
「なぜですか」
「えっ、だって家事もできませんし。子供だって育てられません。怜さんの負担にしかならないでしょう」
瀬名が真面目に言うと怜が笑い出した。
「なんで笑うんですか」
怒る瀬名に怜は肩を揺らしながら怜は謝った。
「すみません。でもよく考えてください。何年一緒に暮らしていると思っているんですか。僕と瀬名の関係は、由紀さんの妹さん夫婦とは違うんですよ」
「それは、そうですけど」
「それとも、瀬名は僕と離れて暮らして行きたいですか」
「・・・・・・それは、難しいです。ずっと一緒に居て、なんでも怜さんに頼ってきたので。ただ、それがいいのかわかりません」
俯く瀬名の手を怜が優しく包む。
「それでいいんですよ。お互い自分に足りないモノを補い合えば。恋人や夫婦ってそういうものでしょう」
「でも、私は子供を育てられないと思うし・・・・・・」
「僕は、子供のことは特に考えていませんが、瀬名は欲しいんですか」
「今はわかりません。時々、怜さんに似た子供がいたらかわいいだろうなって、思うことはあります」
瀬名が話すと、怜は優しく微笑む。
「そうですね。僕も瀬名に似た子供が欲しくなるかも知れません。でも、大丈夫ですよ。難病の人が出産するためにチーム医療を整えてくれる病院もあります。日本で見つからなければ海外に行けばいいんです」
「そんな医療体制があるんですか」
「えぇ。だから何も心配せずに僕の側にいてください」
怜は瀬名の頬を優しく撫でる。
「本当に、このままの私でいいの」
「もちろんです」
瀬名は怜の手に自分の手を重ねて目を瞑り体温を感じて呟いた。
「ありがとう」
瀬名は思うように動けない自分が存在することを、怜の存在によって赦されたと感じていた。
臨時株主総会で高臣は社長に選任された。
だが、怜をアドバイザリー契約にすることは株主の猛反対にあって否決される。
なぜなら、世界的エンジニアである怜がガーディアンに居るから株主になっている人が多いからである。
結局、怜はガーディアン本社でプロフェッショナル・フェローとして留まることになったが、ガーディアングループの改革が始まるのはこれからだ。
瀬名は入社手続きが終った後の4月末で退社が決まり、怜はリモート勤務をしながら湯河原で趣味の園芸と瀬名の世話をして過ごすらしい。
そのために現在、怜は瀬名と暮らす温泉付きの家をリノベーションしている。
今までの給与や栞から相続した遺産や留学時代に開発したセキュリティアプリ、カメラや家電などで、いくつか特許を持っているのでお金には困らないらしい。
意気揚々と今後の計画を進めている怜を横目に瀬名は戸惑っていた。
まだ、怜にプロポーズの返事をしていないからである。
瀬名がモヤモヤした気持ちを抱えたまま時間は過ぎ、2月の経営会議を迎えた。
通常は月初に行われる経営会議だが、横領事件や臨時の株主総会などで遅れて開催された。
今回の経営会議はグループの再編を含むため、2日間設けられていた。
お茶出しで待機している瀬名は寒さが厳しく首の筋肉が固まってギシギシ鳴るような痛みや足の甲に杭を打たれたような痺れがあって、会議終了時まで待っていられるか不安だった。
「瀬名ちゃん。内定者全員入社してくれるみたいね」
周子に話しかけられ、瀬名は痛みを隠して笑みを作る。
「はい。エンジニアの皆さんは怜さんが直接説得してくれたので、安心しました」
「まぁ、憧れの人に説得されて断る人はいないわよね」
「そうですよね」
納得する周子に瀬名は晴れやかな気持ちで相槌を打った。
新卒のエンジニアにも怜に憧れて入社する人もいたが、怜がガーディアングループで経験を積んでから新しい会社を立ち上げた時に転職してくるように説得をしたので、全員が入社データを提出した。
今後もガーディアン本社の研究開発には、怜はプロフェッショナル・フェローとして携わるとは言っているが、それは表向きで怜は当面携わるつもりはない。
だが、そのことについて瀬名は心配していなかった。
元々ガーディアンの研究開発には定評がある。
どうしても怜の力が必要であれば、怜は協力すると信じているからである。
今、瀬名が心配しているのは自分の今後だった。
自分には怜が必要だということは分かっている。
だが、自分が居ることが怜のためになるのか。
自分の存在が怜の未来を阻むことにはならないのか。
どう決断することが怜のためになるのか。
瀬名の思考は堂々巡りを繰り返していた。
「瀬名、ホテルでイチゴフェアーをやっているので、気分転換に行きませんか」
悶々としていた瀬名を怜が連れ出した。
ホテルのVIPラウンジに着くと窓際の席が用意されており、二人で渋谷の景色を見ながらアフタヌーンティーセットを楽しむ。
「美味しい」
サンドイッチを一口食べて瀬名は笑顔を見せ、その様子を見て怜も微笑んだ。
イチゴフェアーだけあって、フルーツサンドやスコーンのジャム、ケーキはイチゴが使われていて美味しいうえ、見た目も可愛らしくて瀬名のテンションが上がっている。
そこへ白髪の英国風紳士が英語で話し掛けて来た。
声を掛けられた怜はムッとした表情で応対する。英語が流暢すぎて瀬名には聞き取れず、取り敢えずニコニコしていると紳士は瀬名をじっと見つめた。
すると、怜が瀬名に紳士を紹介した。
「僕の父親、ロバートです」
「えっ」
瀬名は驚きながら立ち上がると、たどたどしい英語で挨拶をした。すると、ロバートは満面の笑みで瀬名の手を握り早口で何か伝える。だが、瀬名は聞き取れず怜に助けを求めた。
「なんてかわいいお嬢さんだ。息子が羨ましい、だそうです」
怜は眉間に皺を寄せて瀬名に通訳すると、ロバートの手を瀬名から引きはがす。
ロバートは嫌な顔をせずニコニコしている。
「怜さん、せっかくだから一緒に・・・・・・」
「大丈夫ですよ。彼にも連れがいますから」
瀬名の申し出をあっさり断るとロバートに何か告げ、ロバートは挨拶をして奥の席に向かった。
「さぁ、食べましょう」
怜は瀬名の椅子を引いて座らせる。
「本当に良かったの?」
「えぇ、近々南條邸に来るようですし」
「そうなの?」
「私や悠仁、周子さんの恩師ですから。以前も河口湖に招待していますよ」
「あぁ、あの時の?」
「えぇ、あの時の、です」
意味深に怜が見つめる。プロポーズの時を思い起こさせるように熱っぽく見つめられて、瀬名の鼓動が早まる。
ラウンジでなければキスをしていたかも、と考えて瀬名は目を伏せた。
「怜さんは、お父様と連絡を取っていたんですね」
「偶然です。留学先の大学で彼が工学部の教授をしていたんです」
「それで、怜さんもエンジニアになったのかぁ」
「というより、面白そうだったからです」
瀬名は素直じゃないな、と思いながら質問を続けた。
「帰国後も連絡を取っていたんでしょう」
「いいえ。連絡を取っているのは旦那様です。僕は彼の論文は読みますが、連絡は取っていません」
「どうして?」
そこで怜は初めて迷うような表情を見せた。
「怜さん?」
「正直、よく分かりません。突然、父親という人が現れてもどう接すればいいのかわからないのです」
「そうだね。私が怜さんの立場でも、どうすればいいのか分からないと思う」
瀬名はそう言うと怜の手に自分の手を重ねて二人で微笑み合った。
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