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第2話

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シアンの傀儡達との訓練が終わると綺羅は淑女としての振る舞いを求められる。
「綺羅様は王女殿下なのですから当然です」
と、望月は言うが綺羅は納得していない。
「龍宮国には戻らないし、意味がないわ」
「何を言っているのです。黄金龍の力を持つということは即ち、龍使いの女王。龍宮国に戻る戻らないは関係ありません。それだけの力を持つのであれば、ガルシャム帝国以外の国で要人と会うこともあります。淑女としての教養や礼儀作法は必要です」
望月は鼻息を荒くして力説した。
結果的に綺羅が根負けして訓練以外はドレスを着て化粧をし、必要な教養を身につけるべく本を読み、刺繍やレース編み、ピアノの練習などをして過ごしている。
今日は、ワインレッドを煮詰めたようなバーガンディのベルベットドレスを身に纏い、後頭部で纏めた髪をドレスの共布で作ったリボンで飾っていた。
首元を覆い細身のドレスは金糸で縁取られ、裾に向かって花びらが幾重にも重なるようにデザインされており、綺羅は花の真ん中に立っているような気分になる。
「まぁ、気分転換にはなるのよね」
訓練中は騎士服ということもあり、ドレスを着ると華やかな気持ちになる。
さらに、ドレスに合わせて望月が趣向を凝らして髪を結ってくれる。
龍使いとはいえ、綺羅も18歳の女性である。
ドレスを着て化粧をし、髪を結えば気持ちが華やぐ。
これで褒めてくれる相手でもいればさらに、気持ちが高揚するのだが・・・・・・。
「着替えたのか」
シアンは着替え終わった綺羅に一言、声をかけると姿を消してしまう。
どんなに美形で自分を護ってくれるとはいえ、相手は妖魔だ。
人間の男がするような世辞を期待しても仕方が無い。
そもそも、なぜシアンに褒められたいと思っているのか、綺羅自身もわからない。
「・・・・・・」
「まぁ、綺羅様。綺麗でございます。やはり、ドレスが良くお似合いですわ」
綺羅がムスッとしていると、望月は手を叩いて褒める。
だが、望月はどのドレスを着ても大げさに褒めるので、賞賛は自然と右から左へ素通りしていく。
「ありがとう」
綺羅の礼も条件反射的に出て来るというものだ。
窓の外では雪が次第に強くなっているようだが、シアンが創った隠れ家には外の音が入ってこない。
綺羅は溜息交じりにデスクに座ると、望月に与えられた本を読み始めた。


夜になって吹雪は酷くなって来た。
『お外楽しかった』
『雪崩防いだよ』
「ありがとう。青龍、赤龍」
綺羅は2匹の龍を撫でる。2匹の龍はキャッキャッと喜んで部屋を飛び回っている。
綺羅はその様子を見ながら夕食を食べた。
夕食は望月がけじめとして別で摂るため、綺羅1人だが青龍と赤龍が居てくれるので寂しくない。
しばらく追いかけっこのような遊びをしていた2匹が、綺羅の前に急降下して来た。
『いっぱい人間来た』
『みんな死にそう。助けるの?』
「え、この吹雪の中?」
綺羅は立ち上がると窓から外を見るが、吹雪が酷くて外の様子がわからない。
『大きな荷物持ってる』
『獣の匂いする。食べ物?』
大きな荷物。それも食料を持った人がこの吹雪の中何をしに来たのだろう。
シャラ街の別荘地ならまだしも、ここは切り立った岩場にある。
「シアン。シアン」
「うるさい。大声で呼ばなくても聞こえる」
無表情の顔をさらに顰めてシアンが現れた。
「遭難者がいるみたいなの。連れて来て」
「連れて来てどうする」
「助けるのよ」
「あのな。俺たちは妖魔から逃げている身だ。人助けなどしている暇はない」
綺羅の願いをシアンは正論でバッサリと斬った。
だが、綺羅は諦めない。
「私は人を助ける龍使いなの。妖魔絡みではなくても困っている人が居れば助けるわ。早く行って来て」
シアンは綺羅の言い分を聞くと無言のまま消えた。
「望月。望月」
綺羅が呼ぶと望月が慌ただしく現れた。
「どうかなさいましたか」
「遭難者をシアンが連れてくるから、毛布とお湯、食べ物の用意をしてちょうだい」
「・・・・・・。遭難者でございますか」
望月は状況が飲み込めない。
そこへ、侍女が現れた。
「もうすぐお着きになりますが、どちらへ案内しましょう」
「応接間へ」
望月が指示したが侍女は綺羅に向かって言った。
「入りきらないかも知れません」
「え?」
綺羅は素っ頓狂な声を上げた。
「まぁ、そんなにたくさんいらっしゃるのですか。何の団体でしょう」
望月は訝しむ。
「そんなことは関係ないわ。多くの人がいらっしゃるのなら、この食堂を開放しましょう」
綺羅が決断すると侍女は食事を片付け始めた。
望月が屋敷にある毛布を客間と食堂へ運ばせ、料理人の傀儡にはお湯と温かいスープを用意させた。
綺羅はケープやストール、マフラー、手袋など身体を温められるような服を集めて遭難者を出迎える準備をして待つ。
『綺羅、シアンが帰ってきたよ』
青龍と赤龍の声で玄関ホールに向かうと冷たい風が廊下に吹いた。
「シアン」
「湯や毛布は用意してあるだろうな」
相変わらずの無表情だが、ローブは雪まみれだ。
「もちろんよ。さぁ、皆さんこちらへ」
シアンに連れられて来たのは望月と同じ歳ぐらいの男女でだった。
皆、幾重にも厚着をしたうえに重そうなリュックサックを背負っており、吹雪のせいで雪だるまのようになっている。
「ここはどこだ」
「妖魔の城か」
戦々恐々としている人々を前に綺羅は手の甲を見せて歩いた。
「私は龍使いです。貴方達の味方です。どうぞ、この屋敷で身体を休めてください」
「龍使い・・・・・・」
雪まみれの人々の顔に安堵の色が広がった。
「お嬢様。お部屋の用意が調いました」
望月は綺羅にケープを掛ける。
「ありがとう。さぁ、お部屋へどうぞ」
人間の望月が現れたことで遭難者達の警戒は完全に解け「申し訳ない」「ありがとうございます」と口々に言いながら、部屋に入って来た。
雪を落としながら入る人々の中には子供や綺羅と同じ年頃の男女もいた。
綺羅はここにきて、どんな集団なのだろうかと疑問に思う。
「望月、皆さんにホットミルクと毛布を。スープやパンも準備できたら、どんどん配って」
綺羅は指示をしながら最後の人を屋敷へ招き入れた。
「承知しました」
望月は返事をすると、シアンの傀儡である侍女にテキパキと指示を出した。
侍女達は「はい」と返事をすると、ホットミルクと毛布を配り始める。
遭難者は全部で30人。
半分以上は望月と同世代と思われた。
そこで、ソファーのある客間には年配者と子供を入れ、食堂には若い人達を通す。
「はぁー、暖かい」
「生き返る」
「旨い」
皆、暖炉の火や温かい飲み物と食べ物で安心したような顔を見せ始め、あっという間にホットミルクを飲み干し、スープは皿を舐める勢いで空にした。
「パンや他の料理が出せるようならどんどん差し上げて。もちろん、おかわりもね」
綺羅が言い終えると侍女達は次々と料理を出す。その度に、遭難者達が「おぉー」という歓声を上げ、無言で食事をかき込んでいく。
それは、まるで何日も食事をしていないような食べ方だ。
熱くなってきた遭難者達はコートを脱ぎ、マフラーや手袋を外す。そこから現れた手首や首の細さに綺羅は驚いた。
皆、骨と皮しかないのではないかと思うような細さだった。
ミュゲの街でモデルを見たが、ここまで細い腕や首を見たことがない。
『綺羅。獣の匂いがする』
『みんなお肉持ってる』
青龍と赤龍が六角柱の中から話しかけて来た。
「お肉?」
急に多くの人が入って来たので、いろいろな匂いが混じって綺羅には判別できない。
肉を持っているのであれば、部屋ではなく食料庫に運んだ方がいい。
綺羅が失礼のないように、どう声をかけるべきか悩んでいると目の前にいた男性がリュックサックを下ろした。
「あのう。お嬢さん。すまんが、ここに食料が入っているので外へ置かせてもらえないだろうか」
綺羅は腰を落として男性に視線を合わせた。
「食料とはどのようなものでしょう。生肉のようなものが入っているのであれば、当家の食料庫へ運びますが」
「やはり匂いましたか。すみませんが、お願いします」
男性は恥じるような表情を見せた。
「わかりました」
綺羅は手を叩いて侍女を呼ぶとリュックサックを食料庫へ運ばせる。
そして、他の人々にも食料庫で保管すべきものがないか確認して、保管が必要であれば預かるように指示をした。
すると、遭難者全員がリュックサックに生肉や酒を持っていたことが分かった。
「一体、何者なのでしょう。普通の人間のようですが」
侍女達と一緒に食料庫を整理していた望月は、様子を見に来た綺羅に訊ねる。
「そうね。こんな吹雪の中、食料を背負ってこの岩山を登ってくるなんて、よほどの事情があるとしか思えないわ」
「そうですね」
「今はとにかく休んでいただきましょう。事情は明日の朝にでも聞くわ」
「えぇ、その方がよろしいでしょう。綺羅様もお休みになられませ」
「え、でも・・・・・・」
綺羅は遭難者を客間と食堂に置いて、自分だけ暖かいベッドで眠るのは気が引けた。
「遭難者なら2階に部屋を用意した。もちろん、暖炉やベッド、風呂もある」
唐突にバリトンが耳に響いて綺羅が振り向くと、ローブではなく執事姿のシアンが居た。
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