ある伯爵と猫の話

秋澤えで

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本編

解けた呪いとかけられる魔法

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 「……ああ、そうだったのか。」
 「ええ、貴方の父親が、私の宝物を奪っていった。さも自分たちは正しいことをしているという顔で。私は魔女だった。だから私が殺されるならまだわかったわ。それくらいの覚悟はしていた。でも、でもベルは本当に何も知らない普通の子だった。ようやく病気を治せて、これからというところで、生きたまま、あの子はあなたの親の命令で焼き殺された!」


 声を震わせて嘆く魔女の言葉に返す言葉が見つからなかった。

 私は本当に、何も知らなかった。何の興味も持たなかった。
 父がしてきたことも、為人も、罪も、知ろうとしてきたことなどなかった。

 『ご子息は呪われている』
 『魔女に呪いをかけられた』
 『彼は誰も愛せない』

 「なんで僕は魔女に呪われたの?」


 呪いにかけられたと囁かれていることは、知っていた。
 年配の使用人に聞くと、顔を青ざめさせ言葉を濁して足早に去っていた。誰もが魔女の呪いについて口にしたのに、呪われた理由だけは誰も知らなかった。いや、子供の時はきっと周囲の皆知っていたのだろう。そのうえで口を閉ざしていた。そしてかつて魔女と迫害してきた歴史を、きれいさっぱり忘却してしまった。隠蔽してしまった。

 そして残ったのは、私にかけられたおとぎ話のような呪いの話。

 私にできることはない。何をすれば、彼女の怒りに悲しみに応えることができるのか。先代の犯した罪を精算できるのか。
 死んだ人間を取り戻すことはできない。彼女の妹、ベル・パラヴィティーノを蘇らせることはできないし、とうに死んだ父を生き返らせ謝罪させることもできない。

 きっと私は今も、その時あったことの十分の一も理解できてなどいないだろう。だが今必要な本質だけはわかった。
 
 放っておいてもいいだろうになぜ彼女はここに来たのか。
 何も帰ってこないと分かっていてなぜ再び憎くてやまない人間の子のところまでやってきたか。
 なんの役にも立たないだろうに、本人でもない限り意味もないだろうに、謝罪を求めたのか。
 怒り狂い、嘆き悲しみ、恨みつらみを嗚咽交じりに吐き散らしてまで、この物語を私に話したのか。

 それは彼女がすべてを終わらせるためだろう。
 ならばたとえ空虚なものであろうとも、なんの意味もないものであろうとも、一つの儀式として、私は誠意を尽くさなければならない。

 立ち尽くす魔女の前に歩み出て、少しでも誠実さが伝わるように膝をついた。


 「エーヴァ・パラヴィディーノ。話していただきありがたく思う。今となっては私には知ることができなかった事実だ。そしてベル・パラヴィティーノに謝罪を。謝ったところで許されない、許されざる行いを、我々はした。謝罪をしたところで何もかもが遅い。」


 謝罪をしたところで何も解決はしない。何も戻ってはこない。
 それでもこの女性は私の謝罪を求めた。


 「しかしどうか謝らせてくれ。その蛮行は先代の罪であると同時に、イチェベルク家の罪でもある。……君の妹を殺し、君に絶望を与えたイチェベルク家の当主として謝罪する。すまなかった。」


 深々と頭を下げる。愚かしい前時代の罪を贖うには足りないだろうが、確かにその罪を今代当主たる自身が背負うという意思を込めて。


 幼子の呼吸音だけが、救護室を占めていた。
 何の反応を示さない彼女に、怪訝に思い顔を上げた。
 何も言わずただただ涙を流す彼女は、幼い少女のように見えた。


 「エーヴァ、気は済んだかい?」
 「っ誰だ!」


 背後から声がした。とっさに振り向くが、そこには誰も何もいない。扉も窓も鍵がかかったままだ。


 「エーヴァ。」


 今度は前から聞こえ向き直る。エーヴァ・パラヴィティーノのすぐそばに黒装束の男が立っていた。音もなく部屋の中に現れた男は私に目もくれず、ただ滂沱する魔女の隣にたたずんでいた。


 「エーヴァ、俺の可愛い魔女。長年の怨みも、怒りも、歯がゆさもこれでおしまいだ。そうだろ?」


 透き通る氷のような白い肌、金貨のような目をした男は謳うように慰撫するように魔女に語り掛ける。


 「悲劇、喜劇、復讐劇、全部ここでおしまいだ。もう呪いは解けて良い頃合い。物語が終われば、みんなみんな自由になるのさ。」


 魔女の涙をぬぐう、鋭い爪の大きな手を見て、その男もまた、人でないことに気が付いた。


 「物語の最後はいつだってハッピーエンド。人魚だって風の精になって天国へ行った。どんな悲しみも、救いを作ることができる。君ならハッピーエンドの幕を引ける。もうわかるだろ、エーヴァ。」


 男に促されるように、彼女は右腕を振るった。手のひらから太陽を紡いだような金糸の光があふれ出る。泉のように湧き上がる光は涙を流す魔女を中心に広がった。それが何かはわからない。けれどただ目が離せなかった。
 少し震えた澄んだ声で、彼女は歌うように囁いた。


 「愛を返そう、光を返そう。閉じ込めていたぬくもりを今持ち主へと返そう。あるものはなく、ないものはある。目に見えるものはなく、目に見えないものはある。確かさは不確かであり、不確かであることは確かである。天の与えた祝福を。愛を返そう、光を返そう。閉じ込めていたぬくもりを今持ち主へと返そう。」
 「一つの呪いを解いてしまおう。恨みも怒りも無為なもの。君のために終わらせるんだ。」


 これが魔法だとでもいうのだろうか。部屋の中に溢れこぼれる金の光、澄んだ冬の朝のような歌声。どうしてこれを邪悪などといえるだろう。
 

 「叶えよう、与えよう。鈴のような声を、天に伸ばす両手を、物語を紡ぐ言葉を、無垢なるものに与えよう。あるものはなく、ないものはある。目に見えるものはなく、目に見えないものはある。確かさは不確かであり、不確かであることは確かである。豊かな心に祝福を。叶えよう、与えよう。鈴のような声を、天に伸ばす両手を、物語を紡ぐ言葉を、無垢なるものに与えよう。」
 「一つ魔法をかけてしまおう。この小さな白猫に。君が福音を鳴らすんだ。」


 部屋の中に光が満ちる。揺らめく金糸は宙を舞い、零れた光は床を跳ねていた。ひときわ輝く風のような光が私とぱいにゃんへと向かってきた。もうそれに身構えることはなかった。
 それは決して悪いものではない。
 暖かなそれはウィンドベルに似た音を立ててからだの中へと吸い込まれていった。
 床を覆いつくさんばかりに溢れていた光は徐々に粉雪のような粒になって弾け、あるいは空気に溶け消えていく。まるで夢から覚めていくように。

 少しずつ収まっていく光の中、神秘的な空気に似つかわしくない芝居がかった仕草で黒い男が言う。


 「さてさてこれにて幕引き終焉!三つで一つの物語もこれでおしまい!二つの呪いは解け、幼子に一つの祝福がなされた!悲劇も喜劇も復讐劇も、これにて皆様大団円!」


 黒い爪が私を指さす。


 「さてさて、醜い人間から生まれた美しい伯爵、クラウス・フォン・イチェベルク伯!誰も愛せない呪いは解かれた!物語の終焉をもって、愛は再び返ってきた。しかし忘れてはいけない。人生で一度も人を愛したことのない貴殿は愛が返ってきても愛し方も存じ上げない。せいぜい頑張って学ぶと良い。白のお嬢さんに教わりなさい。彼女は愛が何たるかをよく知っている!」


 黒い爪は未だベッドで眠る少女へと向かう。


 「さてさて、純粋無垢なる愛らしい猫、ぱいにゃん!人間になりたいと願った君の想いは叶えられた、おめでとう!眠っているようだが起きてから喜びをかみしめると良い!勇敢な物語の終焉をもって、人として生きられる祝福が与えられた!けれど人としての生き方を君は知らない。せいぜい頑張って学ぶと良い。愛する伯爵に教わりなさい。彼は人間が何たるかをよく知っている!」


 黒い爪はしまわれ、包み込むように男は魔女の肩を抱いた。


 「さてさて、燃え上がった怒りに飲まれてしまった可愛い俺の魔女、エーヴァ・パラヴィティーノ。恨み辛みに縛られた空虚な呪縛は解かれた。物語の終焉をもって、君はハッピーエンドの呪文を紡いだ。悲しみを忘れろとは言わない。すべてを許せとは言わない。けれど君自身は許しなさい。行き先を失った怒りや恨みは、風に攫わせてしまいなさい。」


 消えゆく光とともに、男と魔女の姿も薄くなっていく。あわやかな藍色の光が静かに足元から溢れ出て行く。


 「家族を愛したエーヴァ・パラヴィティーノ。西の森の魔女。虚ろの呪いは全て解けた。祝福をもって、この物語は幕引きだ。君の手をもって、幕はひかれた。幸福は君の手によって与えられた。」


 煙のように湧き上がる藍色の光が二人を包み込むと、まるで掻き消えるように二人の姿はなくなっていた。


 「エーヴァ、君は自由だ。」


 声だけが部屋に残って、それから掠れて消えていった。

 気が付けば部屋に掛かっていた鍵はすべて解かれ、閉じていたはずの窓が一つだけ開いていた。
 溢れる光も不思議な二人もなく、救護室はいつもの見慣れた景色に変わっていた。



 「クラウス!何があった!」


 けたたましい音を立てて救護室の扉がマルコによって開けはなたれる。やはり外から見ても鍵がかかっていたらしい。


 「マルコ……、」
 「突然この部屋の扉と窓が開かなくなったんだ。お前が閉めたわけじゃないだろ。」
 「魔女が、来ていたんだ。」
 「……魔女だぁ?」


 怪訝な顔をしながら器用に心配そうな顔をするマルコを見る。長い付き合いだが、彼の顔をこうもまじまじと見たのは初めてな気がした。決してともにいた時間は短くないというのに初めて彼の声を聴き、顔を見たような不思議な心地だった。
 それはきっと閉じ込められてきた愛が返ってきたからだろう。初めて興味を持って、人の顔を見た。
 呪いだったとしたのなら、私はもしかしたら私が思っている以上に損をしてきたのかもしれない。誰も愛さないなど、なんの不自由も不満もなかったはずなのに、唐突に世界が色づいた気がした。


 「魔女が、私の呪いを解き、ぱいにゃんを人間にする魔法をかけて行った。」
 「……クラウス、お前相当疲れてるな。まあ今日はいろいろあったしな、今日はもう休め。シロの嬢ちゃんは俺が見ておくから。」
 「いや、シロじゃなくてぱいにゃんだ。ぱいにゃんが魔女の魔法でシロになっていて、それでこれからぱいにゃんは人間として生きるらしい。」
 「本当、マジでもう休んでくれ、な?ぱいにゃんはお前の猫!シロは人間!理解したか?」
 「だから猫が人間になっていて、ぱいにゃんがシロに……、」


 少し顔色を悪くしながらもう一つのベッドに俺を押し込もうとするマルコに説明しようとするが、まるで聞いてもらえない。けれどこれ以上抵抗して余計なことをいえばそれこそ屋敷に戻され医者を呼ばれてしまうだろう。そうなれば眠るぱいにゃんから離れてしまう。人間として生きろとあの男が言っていたから、猫に戻ってそのまま死んでしまうということはないだろうが、不安なものは不安だ。

 黒い男は、二つの呪いが解け、一つの魔法がかけられたと言っていた。
 一つの呪いは私のもので、一つの魔法はぱいにゃんのもの。
 あの魔女自身も、誰かに呪いをかけられていたのだろうか。

 彼らに嫌われているだろう私が、再び彼らに会い答え合わせをすることはきっとないだろう。
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