胡蝶の夢

秋澤えで

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高等部編

道化師の忠誠心

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「千切ったって……、」
「実際に見たわけじゃねぇからどんなもんかは知らねぇが、光ならできるだろ。単純に武道やってるから強いとかそれ以前に、力そのものが強いだろ。」


体力があるだけじゃなく、力もある。

『この家系は白樺の盾になる者だ。最初の内は普通だったが代を重ねる度に強くなってるんだ。ただ物理的に身体を強くする事はできない。その分筋力の質がよく、治癒能力が高く、身体能力が良くなったんだ。』

いつかの父様の言葉を思い出した。


「普段はそんなこと気づかねぇが、いざ力を使う場面になれば出し惜しみはしない、事と場合によっては躊躇も手加減もしない。お前に心当たりはねぇか?」
「……ないことはないでしょうね。基本的には手加減しますが、事と場合によっては全力を尽くすかとおもいます。……しかし流石に腕を千切るなんてことはしませんよ。主人の身の安全が確保されたのであれば相手を昏倒、もしくは拘束すればこと足りますので。」


そこまではしないと思う、というのも所詮は仮定の話でしかない。実際にその状況に陥ったとき、僕はどうするだろうか。


「理性があれば、だろ。守らなきゃいけねぇ相手を攫われ、傷つけられ、命の危機に陥れたやつに対して、冷静でいられるか?むしろ、殺意を抱かずにいられるか?」
「それは、」
「光は殺すつもりだったらしい。それを嘉人が止めた。腕を千切るだけで済んだのは止めるやつがいたからだ。」

「…………、」
「忠誠心は結構だが、一歩間違えれば取り返しのつかないことになる。懐刀も鞘に収まらねぇならただの凶器だ。」


僕が凶器だと、藤本教諭は言いたいのだろうか。
鞘のない刀は凶器だ。それはわかる。だが、鞘があれば途端に凶器は鳴りを潜める。凶暴な野良犬も飼い主が居れば立派な番犬だ。


「……鞘があればいいでしょう。」
「鞘がなくなればどうなる。」
「なくならない。……なくしは、しません。」


ふつふつと苛立ちが湧きだす。鞘を、主人をなくすことなど、ありはしない。
結局何が言いたいのか、父を引き合いに出してまで僕に言いたいこととは何なのか。伝わらない。


「『絶対』ということは『絶対』にない。それが真理だ。」
「それでもっ、」
「嘉人と光がお前らの見張りを頼んだ理由は、昔の光と似たようなことしないかを見張ること。それからもう一つ。」


相変わらず神妙な顔をしているが少なくとももう教諭は僕にとって不都合、いや不愉快なことしかきっと言わないだろう。それが的を射ているか否か、それは主観でしかものを見れない僕にはわからない。誰に何を言われようと僕のすることは変わらない。いや、そもそも関係のない他者にここまで突っ込んだことを言われるのが単純に、いい気分ではない。


「……そう怒るな。不愉快だろうが一応聞け。誰から見てもわかることだが、言わなきゃ自覚しねぇだろ。お前の白樺に対する態度は紛うことなき忠誠心だろう。だが自覚しろ。」


ぐぐ、と眉間に皺がよる。間違いなく僕は今凶悪な顔をしているだろう。自覚とは、何を指すだろう。聞きたくないが、聞くべきか。年長の言うことは割と素直に聞いてきたが、今の自分はどうにも頑なだ。それは全くの部外者からの言葉だと認識している僕自身のプライドのせいか。


「忠誠心は依存と紙一重だ。依存は人を殺す。」


ぐ、と息がつまったのは、何故か。


「お前のそれは、圧倒的な依存だ。必ずそれはお前の首を絞める。」
「……は、」
「どうにかできる物かは知らねぇ。だが自覚だけはしておけ。」


赤霧、お前は白樺蓮に依存しすぎている。



******



「……ん、涼?」
「おはようございます、蓮様。気分はどうですか?」


窓から差し込む日が横になる蓮様に掛かっていることに気づき、今更ながらカーテンを閉めておけばよかったと後悔する。目を擦る蓮様の手をやんわりと止め、寝癖のついてしまっている白い髪をそっと整えた。


「大丈夫だ。打ったところは痛いけど、気持ち悪いとかはないしふらついたりもしない。」


ちょっと寝すぎたかもしれねぇ、と壁に掛けられた時計を見てはにかむ蓮様に思わずこちらも口元を緩める。
黒海たちがここまで持ってきた鞄やコートをまとめて寮に帰る準備をする。テーブルに置いてある問診票に簡単に書き込みをすれば今日はひとまず良いだろう。明日にでも一応症状の有無、打ち身の具合の報告をすれば問題ないだろう。加害者がいない分、何かと話が簡単に済む。


「涼?」
「どうかしましたか、蓮様?」


上体を起こした蓮様がぐい、と僕の左腕を引く。持っていた問診票のファイルを落としそうになったのでさっさとテーブルの上に戻しベットに座る彼に視線を合わせる。さっきの照れ笑いは仕舞われ、少しだけ眉間に皺をよせ、じっと僕の顔を見ている。


「どうかしましたか?痛いところでも?」
「いや、涼の方こそ。俺が寝てる間に何かあったのか?」


気遣うように見ながら片手を僕の方へ伸ばし、そっと頬に触れた。びくり、と身体を跳ねさせ身を引こうとするが、それもすぐに気づかれ今度は両手で僕の顔を包み込んだ。
何のせいかわからない、心臓がひどく大きな音をたてた。


「なんか顔色悪いぞ……。」
「いえ、いつもと変わらないと思いますが……?」


ごまかしでもなんでもなく、備え付けられた鏡に映る自身の顔を横目で見て答える。いつも通りの顔色だ。強いて言うなら、差し込む夕日のせいで全体的に赤く染まり元の顔色はわからない。だが蓮様は確信を持っているようで、相変わらずキュッと眉間に皺を寄せている。


「大丈夫、何もありませんよ。」
「……そう、か?」


疑うような視線を向けてくるが、白いふわふわした髪を撫でつけながら、鞄とコートを手渡す。


「問題ないようなら、帰りましょう。黒海も心配してますよ。」
「ん、そうだな。」


いつもより体温の高い掌が、ゆっくりと頬から離れていった。



******



「心配かけて悪かったな。」
「いえ、蓮様が無事ならそれでいいですよ。」


さしたる距離でもないが、目を覚ましたばかりの彼を思いいつもより歩幅を緩めて寮への道を歩く。校舎の中にはもうほとんどもう人が残っておらず静かだったが、校庭では駅伝部が走り体育館からはボールを吐く音が聞こえてきた。橙の光を放ちあたりを染め上げていた日は、記憶よりも速く西へと消えゆこうとしているように見える。東の紫の空には濃い色の月が上がりかけていた。


「もう真冬って感じだな。雪はまだ降ってないけど、日が落ちるのが早い。」
「ですね。日も短いですし、葉も大分落ちてしまって残ってるのは常緑樹くらいですから。」


校庭の端には掃除でかき集められたのだろう落ち葉の山ができている。何となしにあげた視線の先に背の低い常緑樹があった。まだほころぶことはないが、目の覚めるような色の丸いつぼみがその存在を主張していた。どこでもよく見る花だが、やはりどうあっても気に入らない。僕にとってあれは不吉なものでしかないのだ。

今日は本当に、嫌な日だ。


「……やっぱ、なんかあったろ涼。」
「なんにもありませんよ。そんなに僕の様子がおかしいですか?」
「おかしい。」


牛歩を止め、じっとこちらを見る。白兎のような大きく透き通った双眸は射抜く様で、目を逸らしたいのに逸らせなくなってしまう。僕と同じ赤い目なのに根本的に何か違う気がしてならないその眼で見つめられると、胸の底に隠しているものすべてまで見透かされているような錯覚に陥り、それらを吐き出してしまいたくなる。僕はこの目に弱い。そしてそれは彼もわかっているだろう。こうして対面し視線を合わせる彼は確信犯だ。


「あなたが無事だったとはいえ心配ですから、そのせいかもしれません。」
「違う。普段のお前なら呆れたり怒ったりするだろ。それがお前の心配の仕方だ。」


言い返す言葉もない。長いこと一緒にいて彼のこともなかなかわかっているが、それはやはりお互いさまらしい。蓮様が無茶すれば怒る。だがそれは心配しているがためだということを彼もわかっている。ある意味年中行事のようなそれが行われないのは、なるほど違和感があるだろう。それに気づかないほどに余裕がなかったかと嘆息するが、笑い飛ばす気力もないことに気づき呆れた。


「怒られる方が好みでしたか?」
「そういう問題じゃない。」


また皺の寄る白い眉間を指先で伸ばすと軽く叩かれる。不機嫌そうに小さくとがる唇も相変わらずだが、適当に茶化してお茶を濁そうとしているのに気が付いたらしく、またじぃ、と凝視され口をつぐんだ。こういう確信犯的なところは少々可愛くない。


「それよりも、だ。さっきから笑い方が気持ち悪い。」
「気持ちっ……、厳しいですね。流石に傷つきますよ。」

「微笑むな気色悪い。優しさの塊みたいな作り笑いは他人にだけにしろ。俺にそんな顔を向けるな。らしくもない。笑いたくないときに笑う必要はないだろ。」


至極自然に僕の方へ伸ばされた彼の手。その手から逃れるように一歩引いたのは、何故であっただろうか。一瞬驚いたような顔をし、それから悲し気な顔をした。しかしそれはすぐに仕舞われる。


「蓮様、帰りましょう。」
「……ああ、」


僕はまた、彼の気に食わない顔で笑った。

蓮様の嫌いな顔で笑う僕が、何かを隠しているのを彼は知っている。それを隠すために彼にとって下手くそな作り笑いをして見せることを知っている。
どんな隠し事をしていても、その眼に見据えられるとそれが揺らいでしまうことも知っている。僕が罪悪感や後ろめたさを覚えることを知っている。

しかしたとえあの目で見つめられても、強請るように言われても、詰るように問い詰められても、僕が何を言わないことを彼は知っている。


僕は決して口を割らない。
彼は決して口を割れない。


それでも僕が何も言わないことを知っている彼がそれ以上、深く言及しないことを知っている僕がきっと誰よりもずるいのだ。

気色悪い微笑みは、おそらくこの上ないほどに的を射た言葉なのだろう。
本当にどうしようもない自己嫌悪に苛まれるが、僕には謝る権利もない。
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