5 / 19
少しだけ真面目な話
しおりを挟む
食事は大満足だった。
海のない長野県ということで船盛のようなものこそなかったが、代わりに出てきた地元産のサーモンはとても美味だったし、肉や野菜など食材のレベルは非常に高く、料理人の腕と相まって、二人の胃袋を喜ばせた。
「う~、満腹……」
「食べ過ぎちゃったわ……」
お腹をさすりながらぐてっと脱力する。
「後片付けしなくてもいいって、どんな天国なの」
仲居さんが片付けをしてくれている横で渚はリラックスモードである。
片付けが終わるタイミングで、茜が部屋にやって来た。
「野暮で悪いんだけど、後でちょっとお邪魔していいかしら?」
耕平にお伺いを立てる。
「どうぞ。大歓迎ですよ」
「ごめんなさいね。じゃあまた後で」
と言った一時間後、茜はカートを押してやって来た。
「お土産」
コーヒーとレアチーズケーキが座卓の上に並ぶ。
「あ、もしかして手作り?」
「久しぶりに作ったの」
「茜はね、元パティシエなのよ。中でも一番得意だったのがこのレアチーズケーキなの」
渚はにこにこしながら、自慢するように言った。
「へえ、そりゃ楽しみだ」
「どうぞ召し上がれ」
ケーキは確かに逸品だった。耕平がこれまでに食べたことのあるケーキとは次元が違った。
「美味い」
「でしょ」
「ありがとう。たまには作らないと腕が鈍っちゃうんだけど、なかなか忙しくてね……」
「こんなに大きな旅館の若女将だもんね」
「周りはみんな良くしてくれるから、辛いってことはないんだけどね」
悪戯っぽい笑みを浮かべて茜は言った。
それからしばらくは渚と茜の学生時代の話に耕平が相槌を打つ形で会話が進んでいった。渚の過去話は非常に興味深く、耕平的にも楽しい時間を過ごせた。
ふと会話が途切れた頃合いで、茜は耕平に好奇心を向けた。
「奥原さんは渚の教え子ってことだから、今高校生ってことですよね」
「はい」
「将来何になりたいとかもう決めてるんですか?」
いささか唐突な質問だったが、耕平は迷うことなく頷いた。
「料理人目指してます」
「へえ」
茜は意外そうに耕平を見た。
「進学しないの?」
「手に職つけたいんですよね」
耕平は笑顔で言った。
「今だとみんな大学行くじゃないですか。それが悪いとは言わないですけど、その他大勢のひとりになっちゃいそうなのが嫌なんですよ。それだったら大学行く時間を修行に使った方が有意義かな、って」
茜は渚に視線を向けた。
「それでいいの?」
「耕平くんが決めることだからね」
渚の答えは苦笑混じりだった。
「志望理由があたしのためだったりしたら考え直せって言うところなんだけどね、彼の場合、つきあい始める前からぶれてないのよ。だから、進路に関して口出しはしないわ」
「なるほど、話はできてるんだ」
茜は嬉しそうだった。
「よかった。なかなか彼氏ができないでいた中で、ようやくできた彼氏は教え子だって言うじゃない。正直、ものすごく心配だったのよ。で、悪いとは思ったんだけど、見せてもらいたいと思って招待させてもらったの」
「言ったでしょ。心配ないって」
「そうみたいね。話の加減で渚のために進学しないなんて言い出すようなら反対しようかとも思ってたのよ」
茜は真剣な表情で言った。
「どうして?」
「進学を諦めるってことは、無理をするってことでしょ。どちらかに負担がかかる関係って、長続きしないわよ。あんたにはちゃんと幸せになって欲しいからね……こういうところが世話焼きおばちゃん体質って言われちゃうんだけど……」
肩をすくめる茜が、耕平にはすごく大人に見えた。
「ひとつ訊いてもいいですか?」
「何かしら?」
「茜さんってパティシエだったって話でしたけど、それって小さい頃からの夢だったりします?」
「ええ、そうよ」
「よかったんですか?」
「諦めたのとは違うからね」
茜はにっこり笑って言った。
「パティシエって夢を叶えて、その上での選択だからね~。何かを諦めたり犠牲にしたりって話じゃないわけよ。例えば耕平くんが大学へ行った上で料理人になるって言うのと同じ感覚かな」
「……」
わかったような、わからなかったような微妙な気分。
ともあれ、茜による耕平の面接(?)は無事に終わった。
「ところで露天風呂にはもう入った?」
「ううん、これから入るつもり」
「きっと満足してもらえると思うわ。二人で楽しんでね」
含みをもたせた笑顔で言って、茜は立ち上がった。
「あんまり邪魔してもいけないから、これでおいとまするねーーごゆっくり」
「ケーキ、ごちそうさまでした」
「また明日ね」
ここから、二人の長い夜が始まる。
海のない長野県ということで船盛のようなものこそなかったが、代わりに出てきた地元産のサーモンはとても美味だったし、肉や野菜など食材のレベルは非常に高く、料理人の腕と相まって、二人の胃袋を喜ばせた。
「う~、満腹……」
「食べ過ぎちゃったわ……」
お腹をさすりながらぐてっと脱力する。
「後片付けしなくてもいいって、どんな天国なの」
仲居さんが片付けをしてくれている横で渚はリラックスモードである。
片付けが終わるタイミングで、茜が部屋にやって来た。
「野暮で悪いんだけど、後でちょっとお邪魔していいかしら?」
耕平にお伺いを立てる。
「どうぞ。大歓迎ですよ」
「ごめんなさいね。じゃあまた後で」
と言った一時間後、茜はカートを押してやって来た。
「お土産」
コーヒーとレアチーズケーキが座卓の上に並ぶ。
「あ、もしかして手作り?」
「久しぶりに作ったの」
「茜はね、元パティシエなのよ。中でも一番得意だったのがこのレアチーズケーキなの」
渚はにこにこしながら、自慢するように言った。
「へえ、そりゃ楽しみだ」
「どうぞ召し上がれ」
ケーキは確かに逸品だった。耕平がこれまでに食べたことのあるケーキとは次元が違った。
「美味い」
「でしょ」
「ありがとう。たまには作らないと腕が鈍っちゃうんだけど、なかなか忙しくてね……」
「こんなに大きな旅館の若女将だもんね」
「周りはみんな良くしてくれるから、辛いってことはないんだけどね」
悪戯っぽい笑みを浮かべて茜は言った。
それからしばらくは渚と茜の学生時代の話に耕平が相槌を打つ形で会話が進んでいった。渚の過去話は非常に興味深く、耕平的にも楽しい時間を過ごせた。
ふと会話が途切れた頃合いで、茜は耕平に好奇心を向けた。
「奥原さんは渚の教え子ってことだから、今高校生ってことですよね」
「はい」
「将来何になりたいとかもう決めてるんですか?」
いささか唐突な質問だったが、耕平は迷うことなく頷いた。
「料理人目指してます」
「へえ」
茜は意外そうに耕平を見た。
「進学しないの?」
「手に職つけたいんですよね」
耕平は笑顔で言った。
「今だとみんな大学行くじゃないですか。それが悪いとは言わないですけど、その他大勢のひとりになっちゃいそうなのが嫌なんですよ。それだったら大学行く時間を修行に使った方が有意義かな、って」
茜は渚に視線を向けた。
「それでいいの?」
「耕平くんが決めることだからね」
渚の答えは苦笑混じりだった。
「志望理由があたしのためだったりしたら考え直せって言うところなんだけどね、彼の場合、つきあい始める前からぶれてないのよ。だから、進路に関して口出しはしないわ」
「なるほど、話はできてるんだ」
茜は嬉しそうだった。
「よかった。なかなか彼氏ができないでいた中で、ようやくできた彼氏は教え子だって言うじゃない。正直、ものすごく心配だったのよ。で、悪いとは思ったんだけど、見せてもらいたいと思って招待させてもらったの」
「言ったでしょ。心配ないって」
「そうみたいね。話の加減で渚のために進学しないなんて言い出すようなら反対しようかとも思ってたのよ」
茜は真剣な表情で言った。
「どうして?」
「進学を諦めるってことは、無理をするってことでしょ。どちらかに負担がかかる関係って、長続きしないわよ。あんたにはちゃんと幸せになって欲しいからね……こういうところが世話焼きおばちゃん体質って言われちゃうんだけど……」
肩をすくめる茜が、耕平にはすごく大人に見えた。
「ひとつ訊いてもいいですか?」
「何かしら?」
「茜さんってパティシエだったって話でしたけど、それって小さい頃からの夢だったりします?」
「ええ、そうよ」
「よかったんですか?」
「諦めたのとは違うからね」
茜はにっこり笑って言った。
「パティシエって夢を叶えて、その上での選択だからね~。何かを諦めたり犠牲にしたりって話じゃないわけよ。例えば耕平くんが大学へ行った上で料理人になるって言うのと同じ感覚かな」
「……」
わかったような、わからなかったような微妙な気分。
ともあれ、茜による耕平の面接(?)は無事に終わった。
「ところで露天風呂にはもう入った?」
「ううん、これから入るつもり」
「きっと満足してもらえると思うわ。二人で楽しんでね」
含みをもたせた笑顔で言って、茜は立ち上がった。
「あんまり邪魔してもいけないから、これでおいとまするねーーごゆっくり」
「ケーキ、ごちそうさまでした」
「また明日ね」
ここから、二人の長い夜が始まる。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる