担任教師と温泉旅行

麻婆

文字の大きさ
9 / 19

少しは休もうか

しおりを挟む
 それなりに名の知れた温泉地だけあって、メインストリートは大勢の湯治客で賑わっていた。雑踏の中を二人は手を繋いで歩いている。

 構成割合としては年配の人が多いのだが、若いカップルとおぼしき組合せも一定数見受けられる。

「へへ~」

 耕平がにんまり笑った。

「どうしたの?」

「やっぱり渚が一番綺麗だ」

「なーー」

 ぼんっ、と音がしそうな勢いで渚が赤面する。

「いきなり何言い出すのよ!?」

「ほら、こう見渡してみてもさ、渚よりいい女なんてどこにもいないじゃん」

「そ、そんなこと……」

 ごにょごにょと口ごもる。でも、満更でもなさそうだ。

「こ、耕平くんだってかっこいいよ?」

「クエスチョンマークがついてるみたいだけど?」

 苦笑しながら言う。耕平自身、自分がイケメンでないことは重々承知しているので、特に気を悪くするようなことはなかった。

「俺は、渚の一番なら、それでいいんだ」

「安心して。そこは間違いないから」

「うん」

 日頃抑圧されている反動か、こんなバカップル全開の会話にもまったく抵抗がない。

「あ、あそこかな、茜が紹介してくれたお店」

 年季の入った紺色の暖簾をくぐり店内に入ると、お昼にはまだ早い時間にもかかわらず既にほとんどの席が埋まっていた。

「早めに来てよかったね」

 かろうじて最後のテーブル席を確保した二人は、ホッと一息ついた。この寒空の下、並ばずに済んだのは素直にありがたかった。

「え~っと、ざるそばの大盛りと山菜そば、それから天婦羅の盛り合わせでお願いします」

 と普通の注文をしたつもりだったのだが、実はこの店、味だけではなく、盛りの豪快さでも勇名を馳せており、耕平の前に運ばれてきた蕎麦の山は高さ30センチを優に超えるワールドクラスのものだった。

 予備知識なしだった耕平は、絶対に一人前には見えない蕎麦山に軽く仰け反った。

「うお……」

「大丈夫?  食べきれそう?」

 渚も心配そうだ。

「…あれは無理だ。普通盛りにしよう」

 隣のテーブルで大盛りの注文を検討していた男性が、現物を見て怖じ気づいた。

 周りの注目を浴びて、耕平は静かに闘志を燃やした。

 料理人志望の耕平に出されたものを残すという選択肢は元からない。好きなものはたくさんあるが、嫌いなものはない、毎食ニコニコきれいに完食をモットーにしている耕平は、蕎麦山に敢然と戦いを挑んだ。

 山を崩さぬよう、てっぺんから蕎麦を摘まんでいく。

 つゆはつけすぎぬよう、半分くらいを浸してすすりこむ。

「美味い」

 目の色が変わった。

 口の中いっぱいに広がった蕎麦の香りは、耕平にとっては初めての体験だった。

「蕎麦ってこんなに美味かったのか」

 今まで食べたことがある蕎麦とはものが違った。まったく違う食べ物と言っても過言ではないレベルだ。

 一心不乱という言葉を体現するように、耕平は見事な食べっぷりを見せた。絶対に征服不可能と思われた蕎麦の山は見る見るうちにその高さを減らしていった。

 目の前の渚の存在すら忘れたかのような食べっぷりは、周囲の注目を集めた。それはどんな言葉よりも蕎麦の美味さを伝えるものだった。

 だから、5分程で耕平が完食した時、期せずして周囲から拍手が湧き、その音で耕平は我に返った。

「あ、ごめん」

 ほったらかしにしたことを渚に詫びる。

「耕平くんが食べるの見てるだけで幸せな気分になれたよ」

 渚は笑ってそう言った。



 その後、耕平の食べっぷりに触発された周囲の客が相次いで大盛りを注文し、店の売り上げを普段の二倍近くまで伸ばしたのは、まあ余談である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

処理中です...