担任教師と温泉旅行

麻婆

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二人の始まり 1

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「ふう」

 身体を洗いながら、渚は大きく息をついた。

 旅館の大浴場。周りには他の宿泊客も大勢いて、かなりの盛況である。

 なぜ部屋付きの風呂でなく大浴場なのかというと、これはもう耕平のせいである。一緒にお風呂に入れば必ずエッチになってしまうため、ろくに身体を洗わせてもらえないのだ。

「いくら何でも溺れすぎだよね……」

 冷静になると、それがわかる。しかし、二人きりで、ムードが作られてしまうと、もう抗う術はないのであった。

「自覚がなかっただけで、色々たまってたってことなのかしら……」

 立場が立場だけに、つきあいに関して色々と制約が出てくるのは仕方ないというのは理解している。ただ、理解と納得は似ているようで結構違う。心のどこかで納得できずに消化しきれなかったものが、今回溢れ出したということなのだろう。



 渚が耕平とつきあうようになったのは、半年ほど前のことである。

 出会いそのものはもう少し遡る。耕平が二年生に進級するタイミングで渚が異動してきたのだ。そして耕平のクラスの副担任になっての挨拶が初顔合わせだった。

 その美貌とわかりやすい授業で渚は早々に生徒たちの支持を得た。調子に乗って告白してくる男子生徒などもいたのだが、当然玉砕した。

 この頃耕平は渚に対して特別な感情を抱くことはなかった。綺麗だとは思ったもののそれだけであり、渚とどうこうなろうという気はまったくなかった、というよりは、どうこうなれると思っていなかったというのが正しい。

 そんな二人の距離が縮まったのは、その年の文化祭がきっかけだった。

 耕平たちのクラスは焼きそばの模擬店を開いたのだが、発注ミスが発生し、麺が大量に余る事態になってしまった。

 ミスした女子は泣き出すし、誰もいい案を出せないしでかなり空気が険悪になった。

「上手くいくかどうか保証はできねえが、たぶん何とかできると思うーー任せてくれるか?」

 耕平はクラスの中で目立つ存在ではなかった。自己主張することはほとんどなく、いるかいないかわからないような男の突然の申し出に、周囲はまず困惑した。

 最初に反応したのが渚だった。

「奥原くん、お願いできる?」

 真剣な表情で見つめられて、耕平は表情を改めた。

「はい」

「何か手伝えることはある?」

「そうですね、じゃあお願いしてもいいですか?」

「あ、あたしにも手伝わせてください」

 発注ミスをした女子が申し出て、三人で新しいメニューの開発に取り組むことになり、二時間ほどの試行錯誤であんかけ焼きそばの試作品が完成した。

「これ美味しい!」

 女性陣のお墨付きを得てあんかけ焼きそばを売り出したところ、大評判になり、最後には材料が足りなくなるほどの活況を呈したのであった。

 後夜祭の後、渚は耕平を労った。

「本当にありがとう。君のおかげで、みんなが笑顔で終わることができたわ」

 そう言った時の渚の笑顔ーー滅多に見せることのなかった満面の笑みに、耕平は思わず見惚れた。

「そ、そんなに大したことはしてないです」

 吃りながら答えると、渚は笑顔のまま首を振った。

「そんなことないよ。少なくともあたしの中で奥原くんの株は最強の買い銘柄になったよ」

 褒め言葉としては正直微妙だったが、渚の笑顔が最強に可愛かったので、素直に褒め言葉として受け止められた。

「それにしても、見事な手際だったわね。随分慣れた感じだったけど、料理はよくやるの?」

「俺、将来料理人になりたいんです」

 耕平が将来の夢を初めて他人に語った瞬間だった。

 それ以来渚は何かあれば耕平を頼るようになったし、耕平も渚を善き相談相手としていた。いってみれば理想の師弟関係だった。

 そこに変化が生まれたのは、今年の春のことだった。お節介な教頭が、渚に見合話を持ち込んだのだ。

 それを聞きつけた時、耕平は自分でも意識せぬうちに渚の下へ駆け出していた。

 駆け込んだ英語科の準備室にいたのは渚だけだった。

「先生、お見合いするってホント!?」

「どこから聞いたの!?」

 図らずもそのびっくりが答えになっていた。

「何で!?」

「何でって…あたしもいい年だし、教師なんてしてると出会いもないし……」

「ダメ、絶対ダメ」

「どうして?」

「先生には俺がいるじゃん!」

「え!?」

「俺、先生が好きだ」

 耕平はストレートに自分の想いを口にした。

「ちょ、ちょっとーー」

 当然渚は驚いたのだが、実は告白した側の耕平自身も驚いていた。

 自分で自分の気持ちに気づいていなかったのだ。年の差、社会的な立場、諸々の障害が無意識のうちにブレーキをかけていたのだが、お見合いの話を聞いた時、渚が遠くへ行ってしまうかもしれないということに恐怖を覚えたのだ。

 そして、渚のことが一人の女性として好きだと意識したのであった。

「奥原くん?」

 何を言い出すのかと、渚は慌てて周囲を見回した。

 幸い、他の人の目も耳もなかったため、渚は胸を撫で下ろした。が、ここにいてはいつ他の先生が戻って来るかわからない。きちんと話す必要を感じた渚は、場所を変えることにした。

「ちょっと来なさい」

 連れて行ったのは生徒指導室。ここならば使用中の札だけ出しておけば、邪魔が入ることはない。

「…一体どうしちゃったのよ」

「どうもこうもさっき言った通りです。俺、渚先生のことが好きです。だから、お見合いなんてしないでください」

「……」

 渚は答えに窮して沈黙した。正直な話、渚が耕平のことを男として見たことは皆無である。当然と言えば当然なのだが、一人の教え子としてしか見たことはなかった。

 生徒から冗談半分の告白を受けたことはあったが、耕平はそういった手合いとは一線を画していたため、渚自身は耕平が自分に恋愛感情を持っているとは夢にも思っていなかった。

 これについては、渚を鈍いと責めることはできない。何しろ当の耕平が自分の気持ちに気づいたのがつい数分前のことなのだから。

 ただ、それだけに問題は深刻であるとも言えた。自分の答えひとつで今後が大きく変わるのだから。

「…奥原くん、まず落ち着きましょう」

 そう言いながら、自分も落ち着くために渚は深呼吸した。

 耕平は落ち着いたと言うよりは開き直ったような表情をしていた。

「…本気、なの?」

「はい」

「…今までそんな素振りなかったよね?」

「先生がお見合いするって聞いた時に自分の気持ちに気づきました」

「……」

 困惑。それしかなかった。

(どうすればいいのよ……)

 まだ渚は気づいていなかった。迷いがある時点で自分の中にも耕平に対する想いがあるということを。そうでなければ、今まで通りすぐに断ればいい話である。
耕平の真剣さに圧された面はあるにせよ、渚のスタンスはこれまでとは違っていた。

「…あたしの年、知ってるよね?」

「26才。なったばっかり」

「奥原くんから見ればおばさんだよ?」

「んなことありません。失礼な言い方かもしれませんが、キレイなお姉さんです」

 迷いのない口調と表情。渚は自分が追い込まれていくのを感じていた。

「…あたしは教師で、奥原くんは生徒だよ?」

「来年の今頃は違います」

「大学に行けばもっと若くてキレイなーー君に相応しい娘が現れると思うよ?」

「俺は料理人になるんで、大学には行きません」

 そうだった。

「……」

「他に障害になりそうな理由はありませんか?」

「あ……」

 言われて気づいた。ここまでの会話は、障害になりそうな理由ーー自分が恐れていた理由を潰していたのだということに。

 それはつまり、自分は奥原耕平という生徒のことをーー

「俺からひとつ訊いてもいいですか?」

「な、何かしら?」

「先生は、俺のことが嫌いですか?」

 その訊き方はズルい、と文句を言う前に耕平が自ら訂正した。

「すいません。今のはないですよね。質問を変えますーー俺に、チャンスをもらえませんか?」

 耕平は正面から渚の瞳を見つめた。

「先生から見れば、俺はまだガキで未熟で頼りないと思います。でも、先生に相応しい男になってみせますーー俺にチャンスをください!」

 耕平は渚に向かって右手を差し出し、深々と頭を下げた。

 この時の自分の答えを、渚は未だに後悔している。時間を戻せるのなら、答えをやり直したい。思い出すだけで悶死しそうになるのだ。

「し、しょうがないなあ。そこまで言うんだったら、チャンスをあげるよ。でも、勘違いしないでよ。仕方なくなんだからね。頑張ってなかったら、すぐに捨てちゃうんだから」

 何をどう拗らせたら、こんなに酷い答えになるのだろうか。百年の恋すら冷めてしまいそうなツンっぷりである。

 それでも耕平は大喜びして、宣言通り男磨きに取り組んだ。

「奥原は変わった」

 周りからもそんな声が上がるほど耕平はいい男になった。そうなるとクラスメイトの中にも耕平に目をつける者が現れてきたりもした。

 それでも耕平が目移りするようなこともなく、二人はひっそりとつきあいを深めていった。

 渚の立場を慮り、卒業まではプラトニックで我慢しようと考えていた耕平だったが、若きリビドーは発散の機会を与えられないと、あらぬ方向へ暴走しかねない。

 高校教師としてその辺の危うさを承知していた渚には何が何でも我慢させるつもりはなかった。

 かといって、こちらから「はい、どうぞ」というわけにはいかない。

 そこで渚はベタだが効果的な手法ーー勉強のご褒美を採用することにした。

 期末テストで学年順位が一桁だったら何でもひとつ言うことを聞いてあげる、と言われた耕平のテンションの上がり方は、言った渚が思わず退いてしまうほどだった。

(…そんなにしたかったの……)

 わかっていたつもりでいた男子高校生の性欲を、実はわかっていなかったのだと思い知らされた渚であった。

 そして、かつてないモチベーションに支えられた耕平のテスト勉強は見事に実を結び、全校からYDK認定される結果となったのであった。
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