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ゲームオーバー
しおりを挟む「イル、おめでとう」
「あ、ありがとう……」
目の前の王子に作り笑顔を浮かべると、彼は目を見開いて俯いた。怯えているのか、身体が僅かに震えている。王子なのだから正々堂々と、胸を張っていなければならないのに、本当にこの王子は出来損ないだ。婚約者をダンスに誘わないのも腹立たしくて仕方がない。
「今日はあなたが主役なのよ?もう少し堂々としたら如何?」
「う、あ……はい」
今日は目の前の男、イレール・マントノンの誕生日を祝う夜会だ。それぞれが着飾ったドレスやタキシードに身を整え、本音を包みお世辞を並び立てる。私は彼の横で、彼にあからさまな媚びを売る人間たちを見つめて、誰にも気づかれないよう溜め息を吐いた。あと一年で、私はこの男と結婚をさせられる。私のような美貌があれば、第一王子だって虜の筈なのに、どうして私はこの男の妻にならなくてはならないのだろう。腹立たしくて腹立たしくて仕方が無かった。ふと、グラスに注いだオレンジジュースに映る自分の顔に既視感を覚えた。この、顔。どこかで見たことがあるような……。漆黒の艶やかな髪を緩く巻いた、燃えるような赤い瞳。フェリシテ・アルベール。それが、私。これは、私……?
「ふぇ、フェル……?」
名前を呼ばれて声の方を向くと、イレールが怯えた目でこちらを見つめていた。ああ、この顔。婚約破棄を言い渡しておきながら相手に怯えている、小心者。どうせあの女に懐柔されたのだろう。この愚かな男が、憎い。……いやちょっと待って。私さっき、婚約破棄って言った……?私が……?突如として頭に流れてきたのは、イレールが見知らぬ女を胸に抱いて、私を断罪する場面だった。
『ようやくイレール攻略!悪役令嬢ざまあ!』
その場面は四角い箱が映し出していて、その箱の前には奇妙な格好の女がそう言って笑っていた。悪役令嬢?それって、私のこと?そう思った瞬間に、頭に大量の何かが入ってくるような感覚に襲われて、私は糸の切れた人形のようにその場から崩れ落ちた。
「フェル……?!」
薄れゆく意識の中で、心配そうに私の身体を揺するイレールが瞳に映った。本当にあなたは、お人よしな男ね……。
今だに重い瞼を開ける。きょろきょろと辺りを見回すと、ここは自室であることに気付く。誰かが家まで送り届けてくれたのだろうか。一先ず、ほっと息を吐き出す。私はクリアになった頭で、昨日のことを考えた。私は、フェリシテ・アルベール公爵令嬢は、乙女ゲームにおける悪役令嬢だ。
ここは、よくある剣と魔法の世界。五人の王子がいる王国が舞台の、乙女ゲームの世界だ。自分の生きる世界をゲームの世界と言うなんて、おかしな話だと思うけれど、これは本当だ。この世界は、私が前世で遊んでいたゲームの世界そのものだった。この世界で私、いや彼女はこの国の第四王子にあたるイレール王子の婚約者だ。イレール王子を攻略しようとすると必ず彼女が現れる。ゲーム内の彼女はとても強かだった。他の王子よりも真面目で、大人しい王子を彼女は嫌っていた。何も王子自身を嫌っているという訳ではなく、自分の夫となる人物として相応しくないと彼女は思っていたのだ。第四王子といえば、王位継承とは程遠く、彼女が王妃になる可能性は限りなく低い。それが彼女は嫌だった。事実、彼女は王妃となるための勉強や自国含め周辺諸国の情勢までも学んでいた彼女は確かに王妃となるだけの資質があった。プライドの塊であった彼女は、自分が王妃になれないという憤りを全てイレール王子にぶつけることにしたのだ。長年彼女によって虐められてきたイレール王子は卑屈になってしまったが、彼はヒロインと出会い、荒んだ心を癒されていく。しかし平民上がりのヒロインに王子を取られるなどありえない、と彼女はプライドを大いに傷つけられて、ヒロインも虐め始める。最終的には、彼女が婚約破棄され、平民落ちとなり、好きでもない男と結婚させられることになる。これが、ゲームでの彼女の情報だ。
そこまで考えて、身体が震える。私は頭を抱えてしまいたくなる衝動を必死に堪えた。どうしよう、と思った。気付くのが遅すぎたのだ。私はもう既に彼を散々虐めてしまっていたのだ。勿論暴力なんてことはしないけれど皆がいる前で彼にそっと悪口を耳打ちしてみたり、二人きりならばにこりと微笑んで愛を囁くように毒を吐いていた。彼は酷く傷ついた顔で、紫の瞳を濁らせていたのを、よく覚えている。
私はもう既にゲームのストーリーに添ってしまっている。けれど、この国では婚姻は成人を過ぎてからと決まっていた。生憎私はまだ未成年。と言ってもあと一年で成人だけど。ゲームだと確か、ヒロインと私が同い年で、出会って半年という異例の早さで結婚してしまうのだっけ。となると、あと半年でヒロインと王子が会うことになる。そこまで考えて、私は決めた。それまでは一切、彼を虐めないと。もう取り返しのつかないところまできているのかもしれないが、王子とヒロインを虐めなければ、婚約破棄程度で済むのではないだろうか。正直、今のイレール王子と結婚するのは怖い。絶対復讐されるに決まっているのだから。彼とは、最低限のお付き合いをさせてもらおう。そうすればきっと、最悪の事態にはならないはず……!
「よし、これでいこう!」
これで、大丈夫。普通の婚約者に、淑女に私は戻るのだ。
それからは、イレール王子との接触を控えることにした。夜会などで会った時には当たり障りのない会話をするだけ。夜会の後でくどくどと彼を虐めるようなことはもうしない。彼が何か言いたげな顔をこちらによこしていたが、無視を決め込む。それに今なら好都合だろう。彼はそろそろ、ヒロインと出会っている頃だ。私が彼から距離を取れば、ヒロインとの仲は縮まりやすくなる。私はゲームのようにヒロインや彼を虐めるなんてことはしない。これで文句ないでしょう?
なのに、どうして。
「ねえ、どうして何も言ってくれないの」
ヒロインと出会ってそろそろ半年といった時に、それは起こった。夜会を終えて帰ろうとする私の腕をイレール王子が掴んで、ずんずんと前に進んでいく。たどり着いた先は王族の居住区にある彼の部屋だ。普段ならば王族以外は入ることのできない部屋まで私を連れてきて、彼は言った。絞り出すように、どこか悲痛な声色で。
「僕さあ、ずっと待ってたんだけど」
「……な、何を仰っているのですか、王子……?」
私が返答に困っていると、彼が睨んだ。びくり、と反射的に身体を強ばらせる。
「いつもなら、ゴミとかクズって呼ぶのに」
「え……?」
過去の私ならば彼をそう呼んでいただろう。だがしかし、今の私にはそんなことなどできない。自らの滅亡に首を突っ込むような真似はしない。
「夜会の時だって、僕には目もくれずに出ていったね。もしかして放置プレイ?……はは、それも悪くないな。……けど、違うだろう?」
咎めるような視線に、私は悟った。そうか、この人は私に謝罪を求めているのだと。過去の過ちを謝罪し、過去を清算した彼はヒロインと結ばれる、という流れなのだろう。彼の言葉遣いが強くなったことからも、彼はヒロインと出会って自分を取り戻した証拠だ。私は彼の前に跪いて、頭を下げた。所謂、土下座である。プライド?生きることの前では無意味よ。
「……っ、ごめんなさい!」
「は?」
……けれど私の選択は間違っていたらしい。イレール王子の纏う空気が凍った。王子はしゃがみこんで、私の右手首を掴む。
「なに、それ。もう僕は用済みってこと?」
「用済みだなんて……!」
「なら何?僕以外の男がいいの?この前の夜会で声をかけた男?それともフェルを厭らしい目で見ていた伯爵?君が懇意にしてる庭師?ねえ、フェルを誑かしてるのは一体どいつ?」
ぎり、と手首を掴む手に力が込められて、私は顔を顰める。彼の言っていることが何一つ分からなかった。
「早く言ってよ。フェルの周りにいる虫螻、僕が潰してあげるから」
「ち、ちが……っ!」
物騒な言葉に気が遠くなる。どうして、こんなことに。
「違うの?じゃあ、何。僕相手じゃ虐め足りない?」
「……え?」
「僕さあ、フェルじゃなきゃもう満足できなくなっちゃった。フェルが僕を睨むだけで、ゾクゾクする。もっと、もっと欲しくなる。欲しくて堪らないのに、フェルが僕になあんにもくれないからさあ。僕、我慢できなくって」
彼が首に巻いていたスカーフを解く。そこには、赤の首輪が付けられていた。それを愛おしそうに彼が撫でる。
「フェルの瞳とお揃いの色にしたんだ。……本当はフェルから欲しかったんだけど」
「な、んで……」
「何でって、僕はずっと前からフェルの下僕だからだよ」
下僕……?王子は掴んでいた腕に頬をすり寄せる。びくり、と身体が震えて、逃げようとしても掴まれていて動かせない。
「逃げるなんて、許さないから」
イレール王子の酷く粘着質な声が鼓膜を揺らした。
Fin.
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