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二章 無意味の象徴
88話 『回帰』
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「ぁ、ぁぁぁ……」
「──気の、せい、でしたか」
非ぬ焦点を向いて涙を流すレイを見下しながら、滲んだ脂汗が頬を伝い始めて渇いた喉を唾液で潤す
「驚きましたよ? まあ、見掛け倒しだったようですが」
突然叫び出したレイは暴れることもなくその場ですすり泣いているだけで抵抗する気配すら微塵も感じさせずにいた
「──さてさて。どうやら返事をする気配もないのでアナタが本当の『勇者』か、勝手にこちらで確かめさせてもらいますよ」
※※※
真っ黒な空間。遠目にうっすらと白くて四角い何かが浮かんでいるのが分かった。ボクはそこに浮かんでいた。それに、ボク以外にも目の前に女の子が一人。
ボクはあの子のことを、知っている。知っていた。会っているんだ、あの時。
あの日、おねえちゃんが殺された時に。
──多分、知っていたんだ。ずっと。知らないフリをしていただけだったんだ。見たくなかったんだ。思い出したくなかったんだ。
だから一人の時間が怖くて、誰かと一緒にいないと不安で、何もしていないとあの時のことを思い出すから、無意識に避けてたんだ。目を背け続けていたんだ。ボクは誰かを守りたいんじゃない。自分を守りたいわけでもなかった。ただ、おねえちゃんと、家族といたかっただけなんだ。
そんなボクに、君は力を貸してくれていたんだね。
ボクの前で、すごく黒い羽衣を纏った女の子は少し申し訳なさそうにこくっと頷いて何かを話しかけてくる。声には出ていないけれど、言いたいことはなんとなく伝わってきた。
『ごめんね』
この子がずっと、ボクの記憶をせき止めていてくれてたんだ。何度か漏れ出したその記憶も、頑張って抑え続けてくれてたんだ。
ボクがこうして、強くなるまで。
ボクがこうして何度も何度も危ない目に会っている時も、力を貸してくれてたんだ。おねえちゃんの代わりに。
もう目を背けるのはやめた、なんて、幾度となく言ったんだろう。何度も何度も。それでも、ボクは受け容れられなかった。何度も壊れて、何度もおかしくなって、思考が突飛して。それでも彼女はボクを護ってくれていた。
リゼちゃんが言っていた。自分かレイカちゃん達、どちらかを選べ、と。別に、選ばなくてもいいんだと思う。
ボクは、もう受け容れたんだ。おねえちゃんのことも。ミズキさんのことも。それでも、それを背負って、前を向いて歩くんだ。それがボクにとっての、恩返しだ。
「ありがとう」
彼女は口をぱくぱく動かして何かを言おうとしている。その疑問はすぐに伝わってきて──、
『おこらない?』
怒るはずなんてない。ボクは今までこの子に助けられてきたんだ。感謝こそすれ、怒ったりなんて絶対にしない。そう思って、満面の笑みで答えた
「うん。怒らないよ」
しかし、それでも彼女は、とても申し訳なさそうに俯いてしまった。まるで何か、レイに後ろめたい事でもあるかのように
「だから、もう少しだけ、力を貸してくれないかな。おねがい」
※※※
「……──確かめさせてもらいますよ」
顎まで達する脂汗を拭うこともせず、警戒心を全開にレイをずっと見続けるカエデはポケットから小さなカッターナイフを取り出して屈んで、片手でレイの右腕を掴むとその刃をキリキリと外に出す
その刃はゆっくりとレイの手首へと近づいていき──、
「あばっ……」
──カッターナイフがカエデの視界から消え去った
「な……っ!?」
突然の視界の不和に驚きと嫌悪感と懐疑心が現れ、慌ててその辻褄を合わせようと辺りに視線を巡らせる
カエデに何もする事のできないさくら。その隣で突っ立っているようで実は計画通りに事を進め続けているナナセ。背後にいた少女は既に消え去った後だ。あとは──、
「ぁ──」
右手が、無くなっていた。そこで何が起きたのか、ようやく理解に及んだ。恐らく切り飛ばされたのだ。右手首を。なら、その右手首は? どこだ。首を回して視線をあたり一帯に巡らせて──あった。少し向こうにぐったりと転がっている
「ありがとう。ごめんね」
突如、違和感の塊のような声が真下から聞こえてきて一気に浴びせられた、背筋を這い上がる恐怖と嘔吐感と寒気とを吹き飛ばすようにその場から瞬時に飛び退く
「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……っ」
不和。不和。不和。突然、彼女が起き上がる。まるで何事も無かったかのように膝をはたいて。その姿はまるで、
「子供、みたいですね……」
そう呟くよりも早く振り向き直ったレイは、ニコッと満面の笑みで答えた
「今、全部思い出したばかりなんだ。だから、うん。そうかもっ」
右手が漆黒の鋼鉄に覆われるようにして鋭利で厳かな容姿の剣が現れる。しかしそれは、徐々に侵食するかの如くレイの肩までの右腕全てを喰らい尽くし右腕が片刃の剣へと変化した
腕よりも長く重々しいそれを引き摺ってゆっくりと歩き出す
目を見張り、すぐさま荒くなっていた呼吸を自制して顎元の脂汗を拭うために手を動かすはずが、動かせない。動けない
──殺されてしまう……っ!
レイがカエデに向かって行く姿はどこか軽々しく、右腕の重量すら物ともしていないようですらある。しかしレイは近くまで来るとどこか遠慮するように微笑みかけてカエデの予想外の言葉を言い放った
「できれば、皆を無事に帰す事ができるように協力していただけませんか?」
「は……?」
「……ボク、少し前にコーイチくんに言われたんです。あの人達にも人生があるって。無意味なら、彼らも関係ない。ボク達にとっては、今日の出来事は全部意味がないんです。だからお願いします。それに、手伝って欲しかったら騙すんじゃなくて正直に話してください。今回のこともあるのでたくさんの人が怒ると思いますけれど……ボクは、あなた達に手伝ってあげます。だからお願いします」
すっ、と眼前で頭を下げられ刹那に眉をひそめる。敵であったはずのカエデには理解できない行動だ。だからなのか。カエデは僅かに口を開けて、すぐに噤んだ
「何を、言っているのですか? 私は私のする事に間違いなど感じていません。私は彼ら彼女らを救いたい。だからあの手この手で右往左往する。『あなたには関係がない』? ふざけないでください。関係ならこれまでにないほどありますよ──」
汗に濡れた顔を空へと向け視線だけはレイを捉えたまま、不敵に嘲笑う。その顔は苦し紛れそのものではなく憎悪で表情を埋め尽くしたようなもので、その視線がレイを射抜く
「ふふふふふ、私は勘違いをしていたんです。『勇者』はやはり伝説なんですかねぇ? どう思いますか? 『■■■■』さん?」
「ひぐ……っ!?」
突如、レイが滂沱の涙を溢した
「──気の、せい、でしたか」
非ぬ焦点を向いて涙を流すレイを見下しながら、滲んだ脂汗が頬を伝い始めて渇いた喉を唾液で潤す
「驚きましたよ? まあ、見掛け倒しだったようですが」
突然叫び出したレイは暴れることもなくその場ですすり泣いているだけで抵抗する気配すら微塵も感じさせずにいた
「──さてさて。どうやら返事をする気配もないのでアナタが本当の『勇者』か、勝手にこちらで確かめさせてもらいますよ」
※※※
真っ黒な空間。遠目にうっすらと白くて四角い何かが浮かんでいるのが分かった。ボクはそこに浮かんでいた。それに、ボク以外にも目の前に女の子が一人。
ボクはあの子のことを、知っている。知っていた。会っているんだ、あの時。
あの日、おねえちゃんが殺された時に。
──多分、知っていたんだ。ずっと。知らないフリをしていただけだったんだ。見たくなかったんだ。思い出したくなかったんだ。
だから一人の時間が怖くて、誰かと一緒にいないと不安で、何もしていないとあの時のことを思い出すから、無意識に避けてたんだ。目を背け続けていたんだ。ボクは誰かを守りたいんじゃない。自分を守りたいわけでもなかった。ただ、おねえちゃんと、家族といたかっただけなんだ。
そんなボクに、君は力を貸してくれていたんだね。
ボクの前で、すごく黒い羽衣を纏った女の子は少し申し訳なさそうにこくっと頷いて何かを話しかけてくる。声には出ていないけれど、言いたいことはなんとなく伝わってきた。
『ごめんね』
この子がずっと、ボクの記憶をせき止めていてくれてたんだ。何度か漏れ出したその記憶も、頑張って抑え続けてくれてたんだ。
ボクがこうして、強くなるまで。
ボクがこうして何度も何度も危ない目に会っている時も、力を貸してくれてたんだ。おねえちゃんの代わりに。
もう目を背けるのはやめた、なんて、幾度となく言ったんだろう。何度も何度も。それでも、ボクは受け容れられなかった。何度も壊れて、何度もおかしくなって、思考が突飛して。それでも彼女はボクを護ってくれていた。
リゼちゃんが言っていた。自分かレイカちゃん達、どちらかを選べ、と。別に、選ばなくてもいいんだと思う。
ボクは、もう受け容れたんだ。おねえちゃんのことも。ミズキさんのことも。それでも、それを背負って、前を向いて歩くんだ。それがボクにとっての、恩返しだ。
「ありがとう」
彼女は口をぱくぱく動かして何かを言おうとしている。その疑問はすぐに伝わってきて──、
『おこらない?』
怒るはずなんてない。ボクは今までこの子に助けられてきたんだ。感謝こそすれ、怒ったりなんて絶対にしない。そう思って、満面の笑みで答えた
「うん。怒らないよ」
しかし、それでも彼女は、とても申し訳なさそうに俯いてしまった。まるで何か、レイに後ろめたい事でもあるかのように
「だから、もう少しだけ、力を貸してくれないかな。おねがい」
※※※
「……──確かめさせてもらいますよ」
顎まで達する脂汗を拭うこともせず、警戒心を全開にレイをずっと見続けるカエデはポケットから小さなカッターナイフを取り出して屈んで、片手でレイの右腕を掴むとその刃をキリキリと外に出す
その刃はゆっくりとレイの手首へと近づいていき──、
「あばっ……」
──カッターナイフがカエデの視界から消え去った
「な……っ!?」
突然の視界の不和に驚きと嫌悪感と懐疑心が現れ、慌ててその辻褄を合わせようと辺りに視線を巡らせる
カエデに何もする事のできないさくら。その隣で突っ立っているようで実は計画通りに事を進め続けているナナセ。背後にいた少女は既に消え去った後だ。あとは──、
「ぁ──」
右手が、無くなっていた。そこで何が起きたのか、ようやく理解に及んだ。恐らく切り飛ばされたのだ。右手首を。なら、その右手首は? どこだ。首を回して視線をあたり一帯に巡らせて──あった。少し向こうにぐったりと転がっている
「ありがとう。ごめんね」
突如、違和感の塊のような声が真下から聞こえてきて一気に浴びせられた、背筋を這い上がる恐怖と嘔吐感と寒気とを吹き飛ばすようにその場から瞬時に飛び退く
「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……っ」
不和。不和。不和。突然、彼女が起き上がる。まるで何事も無かったかのように膝をはたいて。その姿はまるで、
「子供、みたいですね……」
そう呟くよりも早く振り向き直ったレイは、ニコッと満面の笑みで答えた
「今、全部思い出したばかりなんだ。だから、うん。そうかもっ」
右手が漆黒の鋼鉄に覆われるようにして鋭利で厳かな容姿の剣が現れる。しかしそれは、徐々に侵食するかの如くレイの肩までの右腕全てを喰らい尽くし右腕が片刃の剣へと変化した
腕よりも長く重々しいそれを引き摺ってゆっくりと歩き出す
目を見張り、すぐさま荒くなっていた呼吸を自制して顎元の脂汗を拭うために手を動かすはずが、動かせない。動けない
──殺されてしまう……っ!
レイがカエデに向かって行く姿はどこか軽々しく、右腕の重量すら物ともしていないようですらある。しかしレイは近くまで来るとどこか遠慮するように微笑みかけてカエデの予想外の言葉を言い放った
「できれば、皆を無事に帰す事ができるように協力していただけませんか?」
「は……?」
「……ボク、少し前にコーイチくんに言われたんです。あの人達にも人生があるって。無意味なら、彼らも関係ない。ボク達にとっては、今日の出来事は全部意味がないんです。だからお願いします。それに、手伝って欲しかったら騙すんじゃなくて正直に話してください。今回のこともあるのでたくさんの人が怒ると思いますけれど……ボクは、あなた達に手伝ってあげます。だからお願いします」
すっ、と眼前で頭を下げられ刹那に眉をひそめる。敵であったはずのカエデには理解できない行動だ。だからなのか。カエデは僅かに口を開けて、すぐに噤んだ
「何を、言っているのですか? 私は私のする事に間違いなど感じていません。私は彼ら彼女らを救いたい。だからあの手この手で右往左往する。『あなたには関係がない』? ふざけないでください。関係ならこれまでにないほどありますよ──」
汗に濡れた顔を空へと向け視線だけはレイを捉えたまま、不敵に嘲笑う。その顔は苦し紛れそのものではなく憎悪で表情を埋め尽くしたようなもので、その視線がレイを射抜く
「ふふふふふ、私は勘違いをしていたんです。『勇者』はやはり伝説なんですかねぇ? どう思いますか? 『■■■■』さん?」
「ひぐ……っ!?」
突如、レイが滂沱の涙を溢した
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